谷中(やなか) 1019 台地と、溺(おぼ)れ谷

東京都(とうきょうと)台東区(たいとうく)の、
谷中(やなか)って、
JR山手線(やまのてせん)日暮里駅(にっぽりえき)の、
西側(にしがわ)の町(まち)の名前(なまえ)です。
 
関東大震災(かんとうだいしんさい)や、
第二次世界大戦(だいにじせかいたいせん)の、
火災(かさい)の被害(ひがい)が少なく、
明治以降(めいじいこう)の、古(ふる)い町並(まちな)みが、
残(のこ)っている、と言(い)われています。
 
武蔵野台地(むさしのだいち)の端(はし)っこの、
上野台(うえのだい)と言(い)われる土地(とち)ですが、
坂(さか)が多(おお)く、
昔(むかし)ながらの狭(せま)い道(みち)が、
くにゃくにゃしていますので、
再開発(さいかいはつ)が難(むずかし)しく、
住民(じゅうみん)が老化(ろうか)しているだけかも知れません。
 
日暮里駅(にっぽりえき)から、
西(にし)へ、300mほど歩(ある)くと、
昔(むかし)の谷田川(やたがわ)の
河川敷(かせんじき)へ降(お)りる階段(かいだん)があります。
 
現在(げんざい)の水流(すいりゅう)は、
地下(ちか)に埋設(まいせつ)されて、
暗渠(あんきょ)になっています。
 
下水道(げすいどう)に、落(お)ちぶれたの。
 
藍染川(あいぞめがわ)とも、言われたそうですが、
谷中銀座(やなかぎんざ)という商店街(しょうてんがい)が、
昔(むかし)の川床(かわどこ)です。
 
階段(かいだん)の上(うえ)は、
自然堤防(しぜんていぼう)の感(かん)じですが、
川(かわ)が、武蔵野台地(むさしのだいち)を
侵食(しんしょく)しました。
 
河口(かこう)に近(ちか)いので、
土砂(どしゃ)が堆積(たいせき)したように見(み)えますが、
氷河時代(ひょうがじだい)は、海面(かいめん)が低(ひく)く、
河口(かこう)から離(はな)れた台地(だいち)を、
谷田川(やたがわ)が、削(けず)りました。
 
谷中(やなか)という谷(たに)は、溺(おぼ)れ谷(だに)なの。
気温(きおん)が上(あ)がり、
氷河期(ひょうがき)が終(お)わると、
氷(こおり)が解(と)けて、
海面(かいめん)が上昇(じょうしょう)しました。
 
海(うみ)が、陸地(りくち)の奥(おく)まで、
侵入(しんにゅう)しましたので、
JR山手線(やまのてせん)の、上野駅(うえのえき)から、
日暮里駅(にっぽりえき)を経(へ)て、
田端駅(たばたえき)に至(いた)るまでの、
線路(せんろ)の西側(にしがわ)の崖(がけ)が、
昔(むかし)の海食崖(かいしょくがい)と、
言(い)われています。
 
たぶん、嘘(うそ)ですけれど、
6000年前(ねんまえ)に、
海岸線(かいがんせん)であったことは、
間違(まちが)いありません。
 
線路(せんろ)は、傾斜地(けいしゃち)の地面(じめん)を、
水平(すいへい)に均(なら)してから、
敷設(ふせつ)しますので、
線路(せんろ)の西側(にしがわ)が、崖(がけ)になるのは、
当(あ)たり前(まえ)です。
 
この崖(がけ)が、
海食崖(かいしょくがい)というわけでは、ありません。
 
台地(だいち)の波打(なみう)ち際(ぎわ)の、
海食崖(かいしょくがい)の名残(なごり)の、
急傾斜地(きゅうけいしゃち)を、均(なら)して、
軌道(きどう)を敷設(ふせつ)しましたので、
線路(せんろ)の傍(はた)に、
垂直(すいちょく)の崖(がけ)が、再現(さいげん)されたのは、
当然(とうぜん)です。
 
海食崖(かいしょくがい)が出来(でき)た後(のち)に、
溺(おぼ)れ谷(だに)の河口(かこう)に、
土砂(どしゃ)が堆積(たいせき)しましたので、
台地(だいち)の海食崖(かいしょくがい)の沖(おき)に、
沖積平野(ちゅうせきへいや)が、
付(つ)け加(くわ)わりました。
 
上野台(うえのだい)と言(い)われる所(ところ)は、
谷田川(やたがわ)の溺(おぼ)れ谷(だに)と、
海食崖(かいしょくがい)の間(あいだ)に、
取(と)り残(のこ)された武蔵野台地(むさしのだいち)の
端(はし)っこです。
 
上野公園(うえのこうえん)や
谷中霊園(やなかれいえん)などが、あります。
 
谷田川(やたがわ)の
谷筋(たにすじ)の名残(なごり)の土地(とち)には、
不忍池(しのばずのいけ)や、
不忍通(しのばずどお)りなどが、あります。
 
谷田川(やたがわ)の、
西隣(にしどなり)の谷筋(たにすじ)にも、
谷端川(やばたがわ)という川(かわ)が、
流(なが)れていました。
 
やはり、現在(げんざい)は、
白山通(はくさんどお)りの地下(ちか)の、
暗渠(あんきょ)の下水道(げすいどう)になっています。
 
谷端川(やばたがわ)は、
小石川(こいしかわ)とも、言(い)われました。
 
谷田川(やたがわ)と谷端川(やばたがわ)の間(あいだ)の
武蔵野台地(むさしのだいた)の尾根筋(おねすじ)を、
本郷台(ほんごうだい)と言(い)い、
現在(げんざい)の本郷通(ほんごうどお)りの一部(いちぶ)が、
昔(むかし)の中山道(なかせんどう)の名残(なご)りです。
 
本郷台(ほんごうだい)には、東京大学(とうきょうだいがく)や、
JR中央線(ちゅうおうせん)御茶ノ水駅(おちゃのみずえき)の
南側(みなみがわ)の、ニコライ堂(どう)などが、あります。
 
神田川(かんだがわ)は、江戸時代に、
本郷台(ほんごうだい)の南北(なんぼく)の尾根(おね)を、
東西(とうざい)に切(き)り通(とお)しました。
 
日比谷入江(ひびやいりえ)に流(なが)れていたのを、
隅田川(すみだかわ)の河口(かこう)に流(なが)すためでした。
 
日比谷入江(ひびやいりえ)を埋(う)め立(た)てて、
現在(げんざい)の、皇居外苑(こうきょがいえん)や、
大手町(おおてまち)や、丸(まる)の内(うち)や、
有楽町(ゆうらくちょう)や、新橋(しんばし)などの、
埋立地(うめたてち)を作(つく)りました。
 
入江(いりえ)と言(い)っても、
平川(ひらかわ)と言(い)われた神田川(かんだがわ)の、
河口(かこう)が幅広(はばひろ)くなり、
川(かわ)なのか、海(うみ)なのか、
わからない喇叭型(らっぱがた)の浅瀬(あさせ)に、
河口(かこう)の堆積物(たいせきぶつ)の、
江戸前島(えどまえしま)と言(い)われた中洲(なかす)が、
武蔵野台地(むさしのだいち)の海岸線(かいがんせん)の、
東(ひがし)の沖合(おきあい)に、
北(きた)から垂(た)れ下(さ)がり、
ちんちんのように延(の)びて、
半島(はんとう)になっていました。
 
その間(あいだ)の海(うみ)を、
江戸時代(えどじだい)の人(ひと)は、
日比谷入江(ひびやいりえ)と言(い)いましたが、
平川(ひらかわ)の河口(かこう)の
干潟(ひがた)と言(い)っても、
別(べつ)に構(かま)いません。
 
わたしは、学生時代(がくせいじだい)に、
チャリンコの運転(うんてん)が、得意(とくい)でしたので、
運動量(うんどうりょう)と到達時間(とうたつじかん)から、
最適(さいてき)の進路(しんろ)を選択(せんたく)するために、
東京(とうきょう)の地形(ちけい)を、
調(しら)べ上(あ)げました。
今(いま)でも、覚(おぼ)えています。
 
自動車(じどうしゃ)や、坂(さか)や、橋(はし)の、
少(すく)ない道(みち)が、楽(らく)ちんでした。
 
江戸時代(えどじだい)の土木工事(どぼくこうじ)は、
洪水(こうずい)の予防(よぼう)と、
湿地(しっち)の排水(はいすい)が、目的(もくてき)でしたが、
飲料水(いんりょうすい)の供給(きょうきゅう)と、
水運(すいうん)の確保(かくほ)と、
耕作地(こうさくち)の開発(かいはつ)を、
兼(か)ねていました。
 
お城(しろ)の防御(ぼうぎょ)も、あったかも知(し)れません。
 
なんで、こんなところに、川(かわ)を掘(ほ)ったのかしらと、
文句(もんく)を言(い)いながら、
チャリンコを漕(こ)ぎました。
 
なんで、法律(ほうりつ)を作(つく)り、
あほや気違(きちが)いを間引(まび)くために、
性転換(せいてんかん)を吹聴(ふいちょう)したのかしら。
 
性転換(せいてんかん)って、土木工事(どぼくこうじ)ですが、
国民(こくみん)は、儲(もう)かりません。
 
わたしは、
溶鉱炉(ようこうろ)の中(なか)で、生(う)まれましたので、
地球温暖化(ちきゅうおんだんか)と
人口減少(じんこうげんしょう)の関係(かんけい)が、
気(き)になって、仕方(しかた)ありませんでした。
 
ゲーテのファウストは、
海岸地方(かいがいちほう)の土地(とち)に、
土木工事(どぼくこうじ)を行(おこ)ない、
宮殿(きゅうでん)を築(きず)き、
夢(ゆめ)のように、死(し)にましたけれど、 
錬金術師(れんきんじゅつし)とも、言(い)われていました。
 
溶鉱炉(ようこうろ)は、
サラマンダーという神(かみ)さまの住(す)む子宮(しきゅう)
でした。
 
徳川家康(とくがわいえやす)って、
戦争(せんそう)や同性愛(どうせいあい)が、
大嫌(だいきら)いの、
生殖本位(せいしょくほんい)の人(ひと)でしたので、
江戸(えど)の町(まち)を作(つく)り、
東照宮(とうしょうぐう)という神(かみ)さまに、
祀(まつ)られました。
 
わたしは、
GID(性同一性障害)や両生類(りょうせいるい)でないのに、
サラマンダーは、
 
 
 
 
 

精神医療の廃止とコンピュータ

進化論や精神医学などの、 ロマン主義による社会や心の学説を否定して、 精神医療と精神科と精神病院の廃止を、 主張します。

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