山梨県(やまなしけん)の山中湖(やまなかこ)の北の、
大平山(おおひらやま)から、石割山(いしわりやま)を経(へ)て、
御正体山(みしょうたいやま)に向かう稜線(りょうせん)。
御正体山(みしょうたいやま)は、1682mですけれど、
近くの登山口(とざんぐち)が、1000mぐらいですから、
おしゃべりをしながら、2時間半ぐらいで、登(のぼ)ってしまいます。
樅(もみ)、栂(つが)、針樅(はりもみ)などの
常緑針葉樹(じょうりょくしんようじゅ)や、
水楢(みずなら)、山毛欅(ぶな)などの、
落葉広葉樹(らくようこうようじゅ)の
放(ほう)ったらかしの、明るい林(はやし)です。
富士山(ふじさん)は、石割山(いしわりやま)から、よく見えます。
統合失調症って、
妄想や幻覚が出たり、支離滅裂になったりしますけれど、
健常な人でも、精神的な苦境に陥ると、
そうなることが、けっこう多く、
体の病気や老齢による苦痛や心配が原因でないかって、
わりと普通に疑われます。
若くて、体の元気な人でも、虐(いじ)められると、そうなります。
なんらかの能力の低さのせいで、みんなと一緒のことができずに、
虐(いじ)められることが、多いのですけれど、
みんなと一緒のことが出来ない、となると、
自分は、みんなと一緒のことをしない、と言い出すのが、普通です。
みんなとは、考え方や個性や生き方が違う、と主張しますが、
みんなと一緒のことが出来ない原因を、特定できていない人が、
多いかも知れません。
これこれならば、別のこれこれでなければいけないって、感じで、
2つのことの結びつきを、変更できない人が少なくありません。
賢いのなら、美人でなければいけない、
不細工なら、必ずあほである、って感じで、
他人が、2つの結びつきを変更できないので、
自分が、みんなと一緒のことを、出来なくなり、
みんなに虐められている人もいます。
男なら、いったん約束したことを、取り消してはいけない、
って感じで、自分が、2つの結びつきを変更できないので、
みんなに虐められている人もいますし、
自分の不細工な顔のせいで、虐められているのに、
顔や体の美醜によって、人を差別虐待してはいけない、
って感じで、自分が、2つの関係を変更できずに、
虐めを回避するための、要領の良い対策を実行できない人もいます。
だって、賢(か)しこければ美しいってことに、根拠がないなら、
賢いのと、美しいのとは、関係ないってことにも、
根拠がないでしょう?
差別虐待をしてはいけない、って決めるのなら、
差別虐待をしなければいけない、って決めるのと、
どんぐりの背比(せいくら)べでしょう?
これこれならば、別のこれこれである、っていうふうに、
2つの関係を決めつけるのを、定義と言います。
定義を、あれこれと複雑にするのが、人間らしさですので、
定義を変更するって、すごく難しいの。
複雑なほうが、人間らしく、進化した生物である、とする価値観は、
単純明快な出来事のほうが、起こりやすい、っていう自然の実態に
反します。
定義って、脳味噌の、こっちとあっちを、
神経によって結びつけてしまいますので、
一旦、結びついた関係を変更するって、簡単でありません。
大脳の存在が、自然に反しているのかもね。
自分の脳味噌のほうでなく、
みんなの脳味噌のほうが、そうなっていましたら、
みんなの脳味噌の神経の道筋を、変更するよりも、
たぶん、自分のほうの、脳味噌の道筋を変更したほうが、簡単です。
生物の個体は、みんな死ぬって、単純明快でしょう?
人間も、苦しくなると、あほになるのが、普通ですから、
たぶん、あほな人間のほうが、自然です。
神経の道筋を変更できないせいで、
みんなと一緒のことができずに、虐められるって、
もしかしたら、生まれた時に、すでに変更不能な、
神経の道筋のことかも知れません。
生まれつきの素質と、生まれた後(のち)の経験とが、
精神の病気の原因の、半々である、と言いますけれど、
生まれた時点を境にして、
原因を2つに分けるだけでなく、
そもそも、原因と結果の関係を遡っても、きりがない、
あるいは、原因と結果の関係に、うんざりしている、
という意味かも知れません。
原因と結果の関係って、もちろん定義ですけれど、
時間の前後という2つのことを、結びつけます。
何と何を結びつけても構いませんけれど、
神経が、こっちとあっちを繋いでいる、
という現金な繋がり方ですので、
そう簡単に変更できません。
こっちとあっちとを、神経によって結んで、
あっちこっちに定義された神経の道筋のうち、
だいたい、みんなに共通の、変更不能なものを、
みんなの論理法則と言いますけれど、
自分だけの論理法則と、根本的に違いません。
人数が違うだけですけれど、
みんなと一緒のほうが、自然淘汰された結果ですので、
みんなと一緒でなければ、
虐められて、こき使われて、殺されるだけでなく、
体の運営が、うまく行かないかも知れません。
原因と結果と言われる結びつきのことを、
時間と言います。
だいたい、みんなに共通かも知れませんけれど、
時間という言葉だけの共通性も、あり得ます。
似たようなものに、こっちとあっちを結びつけて、
2つのものを、物体として纏める関係もあります。
空間と言われますが、これも言葉だけかも知れません。
言葉って、概念のことですけれど、
こっちとあっちの、2つの情報を、
一つに纏める意味ですから、時間や空間に、似ています。
進化や発生の道筋が、
時間や空間と、少し違いますけれど、
脳の器質に原因となる病変のない種類の精神の病気や、
化学物質や、体の病気などにより、
簡単に道筋を乗り換えて、
妄想や幻覚や支離滅裂などに、なることが出来ます。
時間や空間や言語のような定義を、論理と言います。
そのほかにも、感情と言われる纏め方がありますけれど、
こいつも定義ですから、論理の一種ですけれど、
普通は、感情って、論理でないことになっています。
そういう言葉遣いなの。
ライオンやシマウマの行動って、感情的ですけれど、
論理的である、と言うと、ややこしくなりますので、
意識的である、と言います。
自我っていうのも、意識の一つですけれど、
これも、論理的と言うと、変(へん)でしょう?
わたしは、自我って、時間のように、
原因と結果の関係に、
そっくりのような気がしますけれど、
ライオンやシマウマにも、自我がある、と言い出すと、
やっぱり、ややこしくなりますので、やめときます。
ライプニッツという微積分の人は、
石ころにも、多少の自我がある、と考えました。
わたしは、原因と結果って、うんざりですけれど…
デカルトって人が、我思う故に我あり、と言ったり、
パスカルって人が、人間は考える葦である、
と言ったりしましたけれど、コンピュータができると、
ただの神経という電線の道筋でも、説明がつきそうです。
枝分かれや、化学物質のくっつきかたなどによって、
道筋や条件を選んでいるだけなの。
こっちとあっちを、神経で結んで、
2つのものを一つに纏めるって、
コンピュータの足し算と同じです。
物体や因果関係や自我や事実や感情などの、
判断のことね。
物体や事実が、判断であるって、
不思議かも知れませんけれど、
習慣になっていると、
意識的に判断して命令したと、感じられずに、
自動機械のように、勝手に判断してしまいます。
無意識になってしまうの。
記憶って、神経の道筋になっていますけれど、
判断は、
枝分かれのある道筋のうちの、一つを選んでいるって、
自分にも、なんとなくわかります。
枝分かれの風景が見えて、
プロメテウスみたいに、岐路に立つ自分が、
自覚できるでしょう?
できるだけ、最短経路の太い道を選びますけれど、
何度も使うと、だんだん太くなりそうで、嫌(いや)だ。
新しい最短経路が、
知らないうちに出来たりしないように、
わざと、人の通らない道を歩いて、
変化を持たせる工夫をしたりね。
満遍なく脳味噌を使ったほうが、長持ちしそうだもん。
これって、最初から、出て来る情報を、決めていたり、
それに反抗していたりしていません?
出口が決っているから、迷路の中の道を選ぶように、
途中の経路を選んでいるだけかも知れません。
それに反抗したくなるのは、当然です。
みんなと一緒でなければ、虐められて殺されますから、
出口が決っているのは、仕方ありません。
ようするに、内臓や体の動かし方が決まっています。
人それぞれに、最も楽ちんな内臓や体の動かし方があるのに、
みんなと一緒の動かし方をしないと、怒られます。
うんこが止まらなくなり、総理大臣を辞めた人のようなものです。
差別虐待って、そのようなものでしょう?
体は、そう簡単に変更出来ないのに…
脳の神経の道筋も、やっぱり、変更が難しいので、
GID(性同一性障害)の人が、
心は変更できないけれど、性転換によって、体は変更できる、
と言うのと、
そのことを、精神の病気と言のとは、似たようなものです。
もしかしたら、GID(性同一性障害)の性転換って、
自分で自分を差別虐待しているのかもしれません。
お医者さんも一緒になって、
患者さんを差別虐待をしているように見えますけれど、
ほんとは、お医者さんが、他人を差別虐待するので、
患者さんが、迎合して、自分を差別虐待しているのかも知れません。
強い人は、弱い人を庇(かば)ってあげるほうが、
良い社会になると、わたしは思いますけれど、
性転換医療って、弱い患者さんのほうが、
他人を差別虐待するお医者さんに、すり寄って行きます。
お医者さんが威張って、法律を作りましたから、
性転換医療を行なうお医者さんって、ものすごい威張り方です。
甘やかされて育ったのかしら。
お医者さんのほうが、
歓楽街の性的快感にたむろしている精神障害者の
袖(そで)を引くように、
性ホルモン剤の使用や、性転換手術などを、入れ知恵しましたので、
性転換っていう性的快感を求める自滅運動が、
歓楽街に流行(はや)りました。
精神障害者に、あほなことをさせると、面白いので、
お医者さんが、そうしました。
歓楽街の性的快感に溺れている精神障害者を、
顎(あご)で指(さ)して、どうせ、こいつらは…、って感じ。
ナイトクラブのソファーに座り、お酒を飲みながら、
お医者さんが、ニューハーフの人たちを、鑑賞していました。
脳に作用する化学物質を、いっぱい飲んでいるお医者さんがね。
GID(性同一性障害)の治癒した人たちは、
性転換医療を行なったお医者さんを、死刑にしろ、と言いますが、
倫理委員会をやっている人たちを、処刑しなくても、いいのかしら。
倫理委員会のメンバーが、1万人ぐらいでしたら、どうしよう?
1980年代に、日本のテレビ局が、
盛んにニューハーフの娯楽番組を放送しましたけれど、
倫理委員会って、あれと同じですから、
日本の人口に匹敵する人数かも知れません。
性転換医療は、社会の存在意義を否定する連中を、
間引いて行こうっていう医療です。
社会や性別って、生殖のためにあるのに、決まっていますから、
自分から生殖を拒否するって、緩慢な自殺なの。
GID(性同一性障害)の人たちを、
制裁して、処罰して、間引こうってのと、
自殺に手を貸してあげようってのとは、同じ意味です。
0コメント