横須賀市(よこすかし)の久里浜(くりはま)ってところに、
ペリーが上陸(じょうりく)しました。
石碑(せきひ)と記念館(きねんかん)が建(た)っています。
1901年(明治34年)に、
伊藤博文(いとうひろふみ)が揮毫(きごう)しましたけれど、
こんなに、馬鹿(ばか)でかい文字(もじ)を、
書(か)いたのかしら。
科学技術って、何度も実験や試行錯誤を繰り返して、
確かに役に立つものを、選び出します。
予言した通りの未来を見せてくれますので、
科学技術の確かさを、人は信じます。
選び出すってのは、物理化学の想定する自然の法則が、
時間と空間にかかわらず、
過去でも未来でも、宇宙の隅々まで、均一かつ不変であるので、
条件を積み重ねて、粘り強く絞り込んで行けば、
最も役に立つものを、順当に見つけ出せる、って意味です。
時間や空間や概念などが、
人間の脳味噌の、変更不能な構造に由来しているので、
人それぞれに異なる変更不能な構造を、
みんなで叩き合って、殺し合い、
個体の単位により、自然淘汰をすれば、
やがて、生き残った人の脳に、認識される事実は、
個体それぞれの違いによる矛盾がなくなり、
みんなの価値と意志を現すような、文化的なプログラムに、
一致する、という意味なの。
論理という脳の変更不能な仕組みと、
文化的なプログラムを淘汰して、みんなの事実が作られますと、
自然の世界と、論理とが、一致しているように、
わたしたちは確信します。
自然の法則の均一性や不変性は、
個体単位の脳の構造に由来しているので、
みんなで、殺し合いと助け合いをしなさい、と言う意味です。
時間や空間や概念って、
こっちの情報とあっちの情報とを結ぶ道筋の種類です。
時間は、原因と結果という結びつけ方をする神経の道筋です。
空間は、物体として、情報を纏める結びつけ方の道筋です。
概念って、言葉を作るような結びつけ方です。
いずれも、こっちの情報と、あっちの情報を、くっつけますので、
定義と言います。
枝分かれのある定義を作って、定義を分類することを、
論理と言いますから、
論理は、神経細胞の樹状突起や軸索などの、道筋のことですけれど、
とりわけ、変更不能な生まれつきの道筋を言うようです。
脳の構造ですけれど、人それぞれに違いますので、
多数派でなければ、悪者(わるもの)と言われて、殺されます。
でも、殺すよりも、
奴隷にして、こき使ったほうが、便利かも知れません。
助け合いって、それね。
個体の単位によって、脳味噌を自然淘汰するのでなく、
みんなで分業をしますから、殺さずに奴隷にして、こき使います。
お互いに憎み合い、こき使う間柄(あいだがら)の社会を、
助け合いと言いますから、麗(うるわ)しいでしょう?
事実って、
目で見て、手で触って、耳で聞いたことですけれど、
他人の言葉を、耳で聞いても、
中身は、嘘かも知れません。
真偽は、ともかくとして、
他人が言っていたのを、聞いたのは、自分の耳ですから、
信用できます。
物理化学や科学技術が、これこれをしたのは、
事実であると、目や皮膚や耳が、保証しています。
役に立つことを、確かに作りましたが、
賢いとか、美しいとか、優しいとかと、同じように、
役に立つって、価値に決まっています。
確かに役に立つ、と言えば、変(へん)な言葉遣いです。
確かに賢いとか、美しいのは事実であるとかって、
価値と事実の区別が、ついていません。
ヒステリーの人と、似たような精神状態ですけれど、
人は、みんな、価値と事実の区別が、つきません。
役に立たないことを、作り出すのは、
算数の計算のようなものです。
いくらでも、任意の数を足し合わせて、
これこれの結果が出たと、うちの孫が、見せてくれます。
賢いことですので、褒めてあげますけれど、
できるなら、役に立つ計算を、してもらいたいの。
物理化学や科学技術は、間違いのない事実であると、
言う人もいますけれど、
事実は、いくらでも、目の前に見えていますし、
誰でも簡単に、新しい事実を作れます。
役に立つ事実を作れば、
価値があると、言われますけれど、
物理化学や科学技術は、
意のままに、新しい事実を作る方法に、価値があるとも、
言われます。
誰の意のまま、なのかしら。
目の前の雑草を抜きたい、と思えば、
意志した通りに、雑草を抜き、
新しい事実を作ることが出来ます。
物理化学や科学技術は、誰の意図したことを、
作り出すのかしら。
使い方が悪ければ、物理化学や科学技術の方法は、
役に立たなかったり、害になったりするそうです。
みんなの役に立つとは、限りません。
目で見て、手で触って、耳で聞く事実って、
感覚器官から入ってくる前の、
脳や体の外側にある世界が、そのようであるから、
感覚器官を経て、
世界のあるがままの情報が、わたしたちの脳に入り、
事実として感じられるのかしら。
わたしたちの側の、価値や意志が、
事実として、見えているのでないのかしら。
事実は、脳や体の外側の出来事でなく、
内側の出来事かも知れません。
そう考えても、まったく合理的に説明がつきますので、
事実がエステティックに感じられるのは、
論理がエステティックであるせいかも知れません。
アリストテレスの考え方の特徴は、
エステティックな論理でした。
脳の内側の出来事と言っても、
みんなの文化的なプログラムが、いつも使われていれば、
神経細胞の樹状突起が作られますので、
個体の脳の中は、
みんなの文化に乗っ取られているかも知れません。
内臓を、自動的に無意識に動かすための神経の道筋って、
おおまかなところは、
生まれた後(のち)に、ほとんど変更不能です。
体が、自動的に上手く機能しているかを、
哺乳類の個体は感知して、
他の個体や社会の、文化的なプログラムによって、
個体の単位の、体の機能を、調整しようとします。
調整や修正が可能なように、新しい機能を獲得したの。
意識って言いますけれど、突然変異の奇形かしら。
生まれつきに、無意識に感知して、
自動的に体が作動するのでなく、
生まれた後に、文化的に修正しますから、
変更可能な機能です。
哺乳類に共通の意識は、感情って言われます。
鳥を見ていると、感情があるって、わかりますけれど、
顔や動作が違うので、哺乳類の感情の要領で理解すると、
人間は、痛い目に遭うかも知れません。
哺乳類の中の、人間に近いほうの、半分くらいの種類は、
ほとんど人間と同じ感情と思います。
ライオンが、シマウマを食べる気持ちや、
シマウマが、食べられる気持ちって、
ほとんど人間と同じです。
性転換医療を行なうお医者さんと、
性転換をする患者さんの気持ちって、
ライオンやシマウマの気持ちと、区別がつきません。
ライオンに食べられるシマウマって、
とても気持ち良さそうでしょう?
感情って、
他の個体や社会と、コミュニケーションをして、
個体の機能を調整したり、修正したりします。
人間の大脳の機能は、
感情の機能を、論理的に拡張しますけれど、
他の個体や社会から入ってきた情報と、
体の機能の調整や修正のために出て行く情報とを、
脳味噌の中の、こっちと、あっちの情報として、
樹状突起や軸索などの神経細胞の手足や電線により、
枝分かれの条件をつけて、繋いでいます。
空間や時間や概念などと言われる種類の、
定義や分類をしているのと同じですけれど、
コンピュータで言うと、情報の足し算をしています。
枝分かれがありますから、
足し算ができれば、引き算や割り算もできます。
算数は、なんでも出来ますので、演算と言います。
変更不能な神経の道筋のほかに、
文化的に作られたプログラムが、
樹状突起の枝分かれに表現されています。
変更不能な長い軸索の経路を、
変更可能な樹状突起の枝分かれが、選択しているの。
だいたいは、太くて単純な道筋が、選択されます。
みんなの文化的なプログラムって、言語や法律みたいに、
みんなの仕様を覚えて実行しないと、殺されるでしょう?
入ってきた情報に対して、出て行く情報が、
最初から決っているようなものなの。
認識される事実を知ってから、
わたしたちは、価値を測り、意志を作るのでなく、
みんなの価値や意志が、
みんなの事実として知られているだけかも知れません。
感情って、体の機能の実行の具合を、評価しますけれど、
自分の体を、自分で評価するのなら、
感情や事実や自我などの、意識なんて、必要ありません。
無意識の自動機械のほうが、合理的です。
みんなとコミュニケーションをして、
みんなの文化というプログラムにより、
自分の体の機能が評価されて、
気持ち良かったり、気持ち悪かったり、
という感情が作られます。
みんなに評価されれば、気持ち良く感じられますから、
奴隷のように、こき使われても、
自分の体は、上手く機能していると、自覚されます。
感情は、多くの哺乳類に共通ですので、
ライオンに食べられたシマウマのお肉が、
高く評価されると、
シマウマには、自分の体が上手(うま)く機能して、
気持ち良いと感じられますから、恍惚とします。
みんなとコミュニケーションをして、
みんなの文化的なプログラムにより、
個体の体の機能が評価されて、感情を持ち、
調整や修正を自覚して、意志を実行するには、
事実を知る、と言われる計測が必要です。
こまめに実行して、そのたびに計測して、
事実を知ります。
みんなのプログラムを実行するために、
個体の機能を測定した結果が、価値と言われます。
感情の理由のようなものかしら。
わたしたちは、価値を知り、
自分の体の機能を変更しようと、意志して、実行します。
わたしたちの見ている事実って、
みんなの文化的なプログラムと、
自分の体の機能の違いを、測定しているの。
測定結果が、事実として見えていますから、
事実は、価値や感情や意志の現れと、言えます。
みんなとコミュニケーションをして、分業をすると、
個体の単位によって、脳味噌や体を殺さずに、
奴隷のように、こき使うことができますから、便利です。
助け合いの精神ですから、麗(うるわ)しいでしょう?
古代ギリシャからコンピュータに至る考え方って、
エステティックですけれど、
アリストテレスの考え方に、よく現れています。
物理化学や進化論や精神分析などの考え方ですけれど、
根本的には、論理学です。
第二次世界大戦後の進駐軍の頃に、
欧米白人と日本人の合いの子って、すごく虐められたのに、
今は、白人に似ている顔や体の見てくれの子が、
ふんぞり返って、自惚れています。
GID(性同一性障害)も、
異性に似ているために、虐められて、性転換を希望した人たちが、
だんだんと、異性に似ていることを自慢するようになり、
今は自惚れたいために、性転換をするようになりました。
お医者さんのほうの精神障害の症状のせいで、
精神の病気の人たちが、
性転換に袖(そで)を引かれたのですけれど…
お医者さんが、自分の精神障害を、
誤魔化したり、隠したり、満足させたりするために、
精神の病気に罹った弱い子を見つけて、
性転換をしたいと、言わせました。
文化的に、洗脳したの。
GID(性同一性障害)は、
患者さんの病気でなく、お医者さんの病気ですから、
患者さんを診察したり、治療したりするのは、無意味です。
性転換医療を行なうお医者さんを、診察して、
治療しなければいけません。
性転換医療を行なうお医者さんって、
代理ミュンヒハウゼン症候群のようなものなの。
0コメント