ペリー公園 994 感情と意識 文化が個体を動かす仕組み

横須賀市(よこすかし)の久里浜(くりはま)ってところに、
ペリーが上陸(じょうりく)しました。
石碑(せきひ)と記念館(きねんかん)が建(た)っています。
 
1901年(明治34年)に、
伊藤博文(いとうひろふみ)が揮毫(きごう)しましたけれど、
こんなに、馬鹿(ばか)でかい文字(もじ)を、
書(か)いたのかしら。
 
 
 
科学技術って、何度も実験や試行錯誤を繰り返して、
確かに役に立つものを、選び出します。
予言した通りの未来を見せてくれますので、
科学技術の確かさを、人は信じます。
 
選び出すってのは、物理化学の想定する自然の法則が、
時間と空間にかかわらず、
過去でも未来でも、宇宙の隅々まで、均一かつ不変であるので、
条件を積み重ねて、粘り強く絞り込んで行けば、
最も役に立つものを、順当に見つけ出せる、って意味です。
 
時間や空間や概念などが、
人間の脳味噌の、変更不能な構造に由来しているので、
人それぞれに異なる変更不能な構造を、
みんなで叩き合って、殺し合い、
個体の単位により、自然淘汰をすれば、
やがて、生き残った人の脳に、認識される事実は、
個体それぞれの違いによる矛盾がなくなり、
みんなの価値と意志を現すような、文化的なプログラムに、
一致する、という意味なの。
 
論理という脳の変更不能な仕組みと、
文化的なプログラムを淘汰して、みんなの事実が作られますと、
自然の世界と、論理とが、一致しているように、
わたしたちは確信します。
 
自然の法則の均一性や不変性は、
個体単位の脳の構造に由来しているので、
みんなで、殺し合いと助け合いをしなさい、と言う意味です。
 
時間や空間や概念って、
こっちの情報とあっちの情報とを結ぶ道筋の種類です。
時間は、原因と結果という結びつけ方をする神経の道筋です。
空間は、物体として、情報を纏める結びつけ方の道筋です。
概念って、言葉を作るような結びつけ方です。
 
いずれも、こっちの情報と、あっちの情報を、くっつけますので、
定義と言います。
枝分かれのある定義を作って、定義を分類することを、
論理と言いますから、
論理は、神経細胞の樹状突起や軸索などの、道筋のことですけれど、
とりわけ、変更不能な生まれつきの道筋を言うようです。
 
脳の構造ですけれど、人それぞれに違いますので、
多数派でなければ、悪者(わるもの)と言われて、殺されます。
 
でも、殺すよりも、
奴隷にして、こき使ったほうが、便利かも知れません。
助け合いって、それね。
 
個体の単位によって、脳味噌を自然淘汰するのでなく、
みんなで分業をしますから、殺さずに奴隷にして、こき使います。
お互いに憎み合い、こき使う間柄(あいだがら)の社会を、
助け合いと言いますから、麗(うるわ)しいでしょう?
 
     事実って、
     目で見て、手で触って、耳で聞いたことですけれど、
     他人の言葉を、耳で聞いても、
     中身は、嘘かも知れません。
     真偽は、ともかくとして、
     他人が言っていたのを、聞いたのは、自分の耳ですから、
     信用できます。
 
     物理化学や科学技術が、これこれをしたのは、
     事実であると、目や皮膚や耳が、保証しています。
 
     役に立つことを、確かに作りましたが、
     賢いとか、美しいとか、優しいとかと、同じように、
     役に立つって、価値に決まっています。
 
     確かに役に立つ、と言えば、変(へん)な言葉遣いです。
     確かに賢いとか、美しいのは事実であるとかって、
     価値と事実の区別が、ついていません。
 
     ヒステリーの人と、似たような精神状態ですけれど、
     人は、みんな、価値と事実の区別が、つきません。
 
     役に立たないことを、作り出すのは、
     算数の計算のようなものです。
     いくらでも、任意の数を足し合わせて、
     これこれの結果が出たと、うちの孫が、見せてくれます。
 
     賢いことですので、褒めてあげますけれど、
     できるなら、役に立つ計算を、してもらいたいの。
 
     物理化学や科学技術は、間違いのない事実であると、
     言う人もいますけれど、
     事実は、いくらでも、目の前に見えていますし、
     誰でも簡単に、新しい事実を作れます。
 
     役に立つ事実を作れば、
     価値があると、言われますけれど、
     物理化学や科学技術は、
     意のままに、新しい事実を作る方法に、価値があるとも、
     言われます。
 
     誰の意のまま、なのかしら。
     目の前の雑草を抜きたい、と思えば、
     意志した通りに、雑草を抜き、
     新しい事実を作ることが出来ます。
     物理化学や科学技術は、誰の意図したことを、
     作り出すのかしら。
 
     使い方が悪ければ、物理化学や科学技術の方法は、
     役に立たなかったり、害になったりするそうです。
     みんなの役に立つとは、限りません。
 
     目で見て、手で触って、耳で聞く事実って、
     感覚器官から入ってくる前の、
     脳や体の外側にある世界が、そのようであるから、
     感覚器官を経て、
     世界のあるがままの情報が、わたしたちの脳に入り、
     事実として感じられるのかしら。
 
     わたしたちの側の、価値や意志が、
     事実として、見えているのでないのかしら。
     事実は、脳や体の外側の出来事でなく、
     内側の出来事かも知れません。
 
     そう考えても、まったく合理的に説明がつきますので、
     事実がエステティックに感じられるのは、
     論理がエステティックであるせいかも知れません。
 
     アリストテレスの考え方の特徴は、
     エステティックな論理でした。
 
     脳の内側の出来事と言っても、
     みんなの文化的なプログラムが、いつも使われていれば、
     神経細胞の樹状突起が作られますので、
     個体の脳の中は、
     みんなの文化に乗っ取られているかも知れません。
 
     内臓を、自動的に無意識に動かすための神経の道筋って、
     おおまかなところは、
     生まれた後(のち)に、ほとんど変更不能です。
 
     体が、自動的に上手く機能しているかを、
     哺乳類の個体は感知して、
     他の個体や社会の、文化的なプログラムによって、
     個体の単位の、体の機能を、調整しようとします。
 
     調整や修正が可能なように、新しい機能を獲得したの。
     意識って言いますけれど、突然変異の奇形かしら。
 
     生まれつきに、無意識に感知して、
     自動的に体が作動するのでなく、
     生まれた後に、文化的に修正しますから、
     変更可能な機能です。
     
     哺乳類に共通の意識は、感情って言われます。
     鳥を見ていると、感情があるって、わかりますけれど、
     顔や動作が違うので、哺乳類の感情の要領で理解すると、
     人間は、痛い目に遭うかも知れません。
     哺乳類の中の、人間に近いほうの、半分くらいの種類は、
     ほとんど人間と同じ感情と思います。
 
     ライオンが、シマウマを食べる気持ちや、
     シマウマが、食べられる気持ちって、
     ほとんど人間と同じです。
     性転換医療を行なうお医者さんと、
     性転換をする患者さんの気持ちって、
     ライオンやシマウマの気持ちと、区別がつきません。
 
     ライオンに食べられるシマウマって、
     とても気持ち良さそうでしょう?
     
     感情って、
     他の個体や社会と、コミュニケーションをして、
     個体の機能を調整したり、修正したりします。
 
     人間の大脳の機能は、
     感情の機能を、論理的に拡張しますけれど、 
     他の個体や社会から入ってきた情報と、
     体の機能の調整や修正のために出て行く情報とを、
     脳味噌の中の、こっちと、あっちの情報として、
     樹状突起や軸索などの神経細胞の手足や電線により、
     枝分かれの条件をつけて、繋いでいます。
 
     空間や時間や概念などと言われる種類の、
     定義や分類をしているのと同じですけれど、
     コンピュータで言うと、情報の足し算をしています。
     枝分かれがありますから、
     足し算ができれば、引き算や割り算もできます。
     算数は、なんでも出来ますので、演算と言います。
 
     変更不能な神経の道筋のほかに、
     文化的に作られたプログラムが、
     樹状突起の枝分かれに表現されています。
     変更不能な長い軸索の経路を、
     変更可能な樹状突起の枝分かれが、選択しているの。
     だいたいは、太くて単純な道筋が、選択されます。
     
     みんなの文化的なプログラムって、言語や法律みたいに、
     みんなの仕様を覚えて実行しないと、殺されるでしょう?
     入ってきた情報に対して、出て行く情報が、
     最初から決っているようなものなの。
 
     認識される事実を知ってから、
     わたしたちは、価値を測り、意志を作るのでなく、
     みんなの価値や意志が、
     みんなの事実として知られているだけかも知れません。
 
     感情って、体の機能の実行の具合を、評価しますけれど、
     自分の体を、自分で評価するのなら、
     感情や事実や自我などの、意識なんて、必要ありません。
     無意識の自動機械のほうが、合理的です。
 
     みんなとコミュニケーションをして、
     みんなの文化というプログラムにより、
     自分の体の機能が評価されて、
     気持ち良かったり、気持ち悪かったり、
     という感情が作られます。
 
     みんなに評価されれば、気持ち良く感じられますから、
     奴隷のように、こき使われても、
     自分の体は、上手く機能していると、自覚されます。
 
     感情は、多くの哺乳類に共通ですので、
     ライオンに食べられたシマウマのお肉が、
     高く評価されると、
     シマウマには、自分の体が上手(うま)く機能して、
     気持ち良いと感じられますから、恍惚とします。
 
     みんなとコミュニケーションをして、
     みんなの文化的なプログラムにより、
     個体の体の機能が評価されて、感情を持ち、
     調整や修正を自覚して、意志を実行するには、
     事実を知る、と言われる計測が必要です。
 
     こまめに実行して、そのたびに計測して、
     事実を知ります。
 
     みんなのプログラムを実行するために、
     個体の機能を測定した結果が、価値と言われます。
     感情の理由のようなものかしら。
     わたしたちは、価値を知り、
     自分の体の機能を変更しようと、意志して、実行します。
 
     わたしたちの見ている事実って、
     みんなの文化的なプログラムと、
     自分の体の機能の違いを、測定しているの。
     測定結果が、事実として見えていますから、
     事実は、価値や感情や意志の現れと、言えます。
     
     みんなとコミュニケーションをして、分業をすると、
     個体の単位によって、脳味噌や体を殺さずに、
     奴隷のように、こき使うことができますから、便利です。
     助け合いの精神ですから、麗(うるわ)しいでしょう?
 
     古代ギリシャからコンピュータに至る考え方って、
     エステティックですけれど、
     アリストテレスの考え方に、よく現れています。
     物理化学や進化論や精神分析などの考え方ですけれど、
     根本的には、論理学です。
 
第二次世界大戦後の進駐軍の頃に、
欧米白人と日本人の合いの子って、すごく虐められたのに、
今は、白人に似ている顔や体の見てくれの子が、
ふんぞり返って、自惚れています。
 
GID(性同一性障害)も、
異性に似ているために、虐められて、性転換を希望した人たちが、
だんだんと、異性に似ていることを自慢するようになり、
今は自惚れたいために、性転換をするようになりました。
 
お医者さんのほうの精神障害の症状のせいで、
精神の病気の人たちが、
性転換に袖(そで)を引かれたのですけれど…
 
お医者さんが、自分の精神障害を、
誤魔化したり、隠したり、満足させたりするために、
精神の病気に罹った弱い子を見つけて、
性転換をしたいと、言わせました。
文化的に、洗脳したの。
     
GID(性同一性障害)は、
患者さんの病気でなく、お医者さんの病気ですから、
患者さんを診察したり、治療したりするのは、無意味です。
性転換医療を行なうお医者さんを、診察して、
治療しなければいけません。
     
性転換医療を行なうお医者さんって、
代理ミュンヒハウゼン症候群のようなものなの。
 
  
 
 
 
  

精神医療の廃止とコンピュータ

進化論や精神医学などの、 ロマン主義による社会や心の学説を否定して、 精神医療と精神科と精神病院の廃止を、 主張します。

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