浦賀奉行 992 

ペリーが来た時の、浦賀奉行(うらがぶぎょう)の、
戸田氏栄(とだ・うじよし)という人の、胸像(きょうぞう)。
 
浦賀(うらが)の隣(となり)の、
久里浜(くりはま)という所にあります。
浦賀(うらが)も、久里浜(くりはま)も、
横須賀市(よこすかし)です。
 
戸田(とだ)さんの部下(ぶか)の、
中島三郎助(なかじま・さぶろうすけ)という与力(よりき)が、
浦賀(うらが)では、有名(ゆうめい)ですけれど、
お奉行(ぶぎょう)さんのほうが、上役(うわやく)ですので、
ペリー記念館(きねんかん)の胸像(きょうぞう)になっています。
 
中島(なかじま)さんは、
ペリーのサスケハナという蒸気船(じょうきせん)に乗り込み、
その仕様(しよう)を検分(けんぶん)した人です。
幕末(ばくまつ)の浦賀(うらが)に、
造船所(ぞうせんしょ)を作(つく)りましたが、
五稜郭(ごりょうかく)の戦争(せんそう)で、
亡(な)くなりました。
 
戸田(とだ)さんは、
後(のち)に大坂町奉行(おおさかまちぶぎょう)になりました。
 
転任(てんにん)ばかりの経歴(けいれき)ですから、
幕府(ばくふ)の旗本(はたもと)って、
官僚(かんりょう)と同じですけれど、
お奉行(ぶぎょう)さんは、大臣級(だいじんきゅう)ですから、
政治家(せいじか)と官僚(かんりょう)が、
分離(ぶんり)されていない昔(むかし)は、
大変(たいへん)でした。
 
中島(なかじま)さんは、与力(よりき)でしたが、
浦賀奉行所(うらがぶぎょうしょ)には、
14人の与力(よりき)がいました。
奉行所(ぶぎょうしょ)って、現代(げんだい)で言えば、
中央(ちゅうおう)の省庁(しょうちょう)と
同格(どうかく)でしたから、
与力(よりき)は、上級試験(じょうきゅうしけん)に
合格(ごうかく)した官僚(かんりょう)の、
管理職(かんりしょく)です。
局長(きょくちょう)さんぐらい?
 
中島(なかじま)さんの三男(さんなん)が、
海軍機関中将(かいぐんきかんちゅうじょう)ですから、
生(う)まれついた家柄(いえがら)と、
ちょうど同(おな)じぐらいの地位(ちい)まで、
人間(にんげん)って、努力(どりょく)するものかしら。
船(ふね)のエンジンの、専門家(せんもんか)でした。
 
明治時代(めいじじだい)ですから、
たぶん、周囲(しゅうい)の人が、
本人(ほんにん)の家柄(いえがら)に
相応(ふさわ)しいところまで、
引(ひ)き立(た)てたと、思(おも)います。
 
現代人(げんだいじん)が、
自分(じぶん)の学歴(がくれき)と釣(つ)り合うところまで、
努力(どりょく)するようなものかしら。
 
世襲(せしゅう)の血統(けっとう)や門地(もんち)などと、
賢(か)しこさや努力(どりょく)による学力(がくりょく)は、
原理(げんり)が同(おな)じですけれど、
現代人(げんだいじん)には、わかりません。
 
美人(びじん)コンテストやオリンピックなどと、同じですけれど、
論理(ろんり)や事実(じじつ)が、エステティックであるって、
現代人(げんだいじん)には、わかりません。
 
物理化学(ぶつりかがく)の考(かんが)え方って、
宗教(しゅうきょう)の宗派(しゅうは)みたいなものなのに…
 
ペリーは、戸田(とだ)さんの頭蓋骨(ずがいこつ)の
形(かたち)を見(み)て、
額(ひたい)が広(ひろ)いので、賢(かしこ)いと、
 
 
 

精神医療の廃止とコンピュータ

進化論や精神医学などの、 ロマン主義による社会や心の学説を否定して、 精神医療と精神科と精神病院の廃止を、 主張します。

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