ペリーが来た時の、浦賀奉行(うらがぶぎょう)の、
戸田氏栄(とだ・うじよし)という人の、胸像(きょうぞう)。
浦賀(うらが)の隣(となり)の、
久里浜(くりはま)という所にあります。
浦賀(うらが)も、久里浜(くりはま)も、
横須賀市(よこすかし)です。
戸田(とだ)さんの部下(ぶか)の、
中島三郎助(なかじま・さぶろうすけ)という与力(よりき)が、
浦賀(うらが)では、有名(ゆうめい)ですけれど、
お奉行(ぶぎょう)さんのほうが、上役(うわやく)ですので、
ペリー記念館(きねんかん)の胸像(きょうぞう)になっています。
中島(なかじま)さんは、
ペリーのサスケハナという蒸気船(じょうきせん)に乗り込み、
その仕様(しよう)を検分(けんぶん)した人です。
幕末(ばくまつ)の浦賀(うらが)に、
造船所(ぞうせんしょ)を作(つく)りましたが、
五稜郭(ごりょうかく)の戦争(せんそう)で、
亡(な)くなりました。
戸田(とだ)さんは、
後(のち)に大坂町奉行(おおさかまちぶぎょう)になりました。
転任(てんにん)ばかりの経歴(けいれき)ですから、
幕府(ばくふ)の旗本(はたもと)って、
官僚(かんりょう)と同じですけれど、
お奉行(ぶぎょう)さんは、大臣級(だいじんきゅう)ですから、
政治家(せいじか)と官僚(かんりょう)が、
分離(ぶんり)されていない昔(むかし)は、
大変(たいへん)でした。
中島(なかじま)さんは、与力(よりき)でしたが、
浦賀奉行所(うらがぶぎょうしょ)には、
14人の与力(よりき)がいました。
奉行所(ぶぎょうしょ)って、現代(げんだい)で言えば、
中央(ちゅうおう)の省庁(しょうちょう)と
同格(どうかく)でしたから、
与力(よりき)は、上級試験(じょうきゅうしけん)に
合格(ごうかく)した官僚(かんりょう)の、
管理職(かんりしょく)です。
局長(きょくちょう)さんぐらい?
中島(なかじま)さんの三男(さんなん)が、
海軍機関中将(かいぐんきかんちゅうじょう)ですから、
生(う)まれついた家柄(いえがら)と、
ちょうど同(おな)じぐらいの地位(ちい)まで、
人間(にんげん)って、努力(どりょく)するものかしら。
船(ふね)のエンジンの、専門家(せんもんか)でした。
明治時代(めいじじだい)ですから、
たぶん、周囲(しゅうい)の人が、
本人(ほんにん)の家柄(いえがら)に
相応(ふさわ)しいところまで、
引(ひ)き立(た)てたと、思(おも)います。
現代人(げんだいじん)が、
自分(じぶん)の学歴(がくれき)と釣(つ)り合うところまで、
努力(どりょく)するようなものかしら。
世襲(せしゅう)の血統(けっとう)や門地(もんち)などと、
賢(か)しこさや努力(どりょく)による学力(がくりょく)は、
原理(げんり)が同(おな)じですけれど、
現代人(げんだいじん)には、わかりません。
美人(びじん)コンテストやオリンピックなどと、同じですけれど、
論理(ろんり)や事実(じじつ)が、エステティックであるって、
現代人(げんだいじん)には、わかりません。
物理化学(ぶつりかがく)の考(かんが)え方って、
宗教(しゅうきょう)の宗派(しゅうは)みたいなものなのに…
ペリーは、戸田(とだ)さんの頭蓋骨(ずがいこつ)の
形(かたち)を見(み)て、
額(ひたい)が広(ひろ)いので、賢(かしこ)いと、
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