ひつじ田(だ) 990 

ひつじ田(だ)ですけれど、
 
秋(あき)の収穫後(しゅうかくご)の、
稲(いね)の切(き)り株(かぶ)から、
再(ふたた)び伸(の)びる茎(くき)や葉(は)や穂(ほ)を、
稲孫(ひつじ)と言います。
 
穂(ほ)が出(で)ますと、現代(げんだい)では、
二番穂(にばんほ)と言(い)う人が、多いかも知れません。
 
収穫(しゅうかく)ができるほどには、実(みの)りませんので、
土(つき)に鋤(す)き込(こ)まれなければ、
鷺(さぎ)や鴫(しぎ)が、啄(ついば)むだけです。
 
稲(いね)だけでなく、一般的(いっぱんてき)に、
ひ孫(まご)の「ひ」や、ひ弱(よわ)の「ひ」や、
日の「ひ」や、干(ひ)からびた「ひ」や、
ひいふうみいと数(かぞ)える「ひ」などが、
昔(むかし)ながらの、日本語の「ひ」の意味(いみ)です。
 
一音節(いちおんせつ)だけでは、
他(た)の言葉(ことば)と混同(こんどう)されますので、
「ひ」の字(じ)の意味(いみ)の、
「ひつじ」と表現(ひょうげん)したのでないかと、
わたしは、勝手に想像します。
 
「ひ」の字とは、「ひ」のつく言葉(ことば)の意味です。
「ひ文字」ね。
「ひ文字」って、ひもじい、の意味(いみ)でしょう?
 
江戸時代には、ひつじ生(ば)え、と言えば、
生(は)え方が少ない、という意味でして、
頭髪(とうはつ)や眉毛(まゆげ)などに、使われました。
 
蘖(ひこばえ)の「ひ」も、ひ孫(まご)の「ひ」と、同じですが、
子供(こども)の「こ」を付け加(くわ)えて、
孫(まご)や子(こ)などの、
小さな子孫(しそん)を表(あらわ)しています。
 
ひつじ生(ば)えと、蘖(ひこばえ)は、
ほとんど同じ意味(いみ)になります。
 
十二支(じゅうにし)の未(ひつじ)は、
時間(じかん)や方位(ほうい)を、表(あらわ)しますが、
ひつじ生(ば)えの、ひつじとの関係(かんけい)を、
わたしは、想像(そうぞう)できません。
すみません。
 
ひつじ田(だ)や、ひつじ生(ば)えの、ひつじは、
意味(いみ)を汲(く)まれて、
稲孫(ひつじ)と、表記(ひょうき)されます。
稲(いね)の孫(まご)ね。
 
鎌倉時代(かまくらじだい)には、
乾土(ひつち)や干土(ひつち)と、当(あ)てられたそうです。
 
干(ひ)からびるのは、水(みず)が少(すく)なく、
一般的(いっぱんてき)な日本語(にほんご)の、
「ひ」の意味(いみ)に、違(たが)いません。
 
一文字(いちもじ)の漢字(かんじ)ですと、
禾偏(のぎへん)に、魯(ろ)と、書(か)きます。
やぐらの櫓(ろ)を、
禾偏(のぎへん)に置(お)き換(か)えた漢字(かんじ)です。
 
意味(いみ)は、ひつじですから、
馬鹿(ばか)にされているような気もします。
国字なのかしら。
 
 
     鶉(うづら)伏(ふ)す
           刈田(かりた)のひつじ 
                 おひ出(い)でて
        
         ほのかに照(て)らす 
              三日月(みかづき)の影(かげ)
 
                      西行  山家集 中
 
 
     刈(か)れる田(た)に 
            生(お)ふる穭(ひつじ)の 
                  穂(ほ)出(い)でぬは
 
        世(よ)を今更(いまさら)に 
                秋(あき)はてぬとか
 
              古今集 巻五 秋歌下 題知らず 308
 
 
 
 
 
 

精神医療の廃止とコンピュータ

進化論や精神医学などの、 ロマン主義による社会や心の学説を否定して、 精神医療と精神科と精神病院の廃止を、 主張します。

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