イヌタデ 988 日本の性転換医療

犬蓼(いぬたで)と血止草(ちどめぐさ)って、
 
 
日本のGID(性同一性障害)は、
性転換医療を行なうお医者さんや、それを支援する学者さんの病気を
言っているような気がしてなりません。
 
欧米のような、同性愛差別の歴史的事情がありませんから、
たとえば、部落差別や在日韓国朝鮮人差別の歴史的事情がなければ、
なぜ、警察とやくざの仲が悪いのかって、
さっぱり、わからないのと同じです。
 
だって、江戸時代は、
警察の刑事事件の現場の仕事って、
やくざが請け負っていましたから、
明治維新になったからと言って、
急に、警察とやくざが、喧嘩になる筈がありません。
 
実際に、明治も大正も、第二次世界大戦の前の昭和も、
警察とやくざの、仲が悪かったことは、ありません。
仲間でした。
 
原爆に負けたので、進駐軍が来て、仲を裂きました。
進駐軍は、警察を、やくざから脱皮させようとしましたけれど、
わたしの子供時代や青春時代って、
大学出の若い警察署長さんは、
地元のやくざの人たちに、可愛がってもらっていました。
やくざの人たちは、自分たちの若親分って感じで、神輿を担いだの。
 
江戸時代からの古いやくざもありました。
進駐軍の政策と、部落解放運動と、在日韓国朝鮮人差別などから、
だんだんと、昔のやくざが廃れて、
被差別部落の人たちや、韓国朝鮮の人たちが、
新興やくざを起こしました。
 
進駐軍が、昔のやくざを守る政策を、採らなかった、
ということですけれど、
韓国朝鮮のほうが、戦勝国なので、
戦後の日本の闇市を、支配しました。
 
部落差別が、ひどい状態でしたので、
新左翼の人たちの、部落解放運動に、大義名分がありました。
進駐軍は、左翼が嫌いでしたから、
現在のような、警察と暴力団の関係が、
第二次世界大戦後に、新しく出来ました。
 
警察は、神戸の新興やくざを、暴力団と呼んで、
喧嘩腰で行きました。
警察のほうが、正統派であるから、
神戸の連中を、やくざと認めない、という態度かしら。
進駐軍の言うままになる警察は、だらしのない印象でした。
 
警察とやくざの関係が、今のようになったのは、
第二次世界大戦後の経緯(いきさつ)のせいですけれど、
その事情を知らずに、やくざを非難すれば、
警察が、昔のやくざの、最大の後継者である理由が、
わからなくなります。
 
     欧米の同性愛差別と、徴兵制や第二次世界大戦後の戦争、
     という事情のない日本で、
     なぜ、性転換やLGBTの運動なのか、よくわかりません。
 
     LGBTって、
     レズ・ゲイ・バイ・トランスジェンダーのことね。
     ゲイって、男性同性愛しかできないこと。
     バイって、相手の性別によらずに、
     どちらとでも性交渉のできる人ですけれど、
     実際には、生殖のために、異性との性交渉を、
     仕方なく行なっている人が多いみたい。
     ほんとは、同性との性交渉だけで、行きたいの。
 
     トランスジェンダーって、
     性別と、言動や服装などとの関係を、
     伝統的な仕来りのまま、変更できない心の人が、
     同性との性交渉しか出来なくなると、
     自分の心の性別は、体の性別と違う、と言い出します。
 
     みんなに言い訳をするかのように、
     異性の言動や服装を見せびらかして、
     自分の体を差別虐待するかのように、
     生殖機能を破壊します。
 
     日本では、同性愛って、少しも差別されませんから、
     これ以上の自由は、自滅以外にありません。
     自滅を、自由と呼ぶ日本のGIDやLGBTの運動って、
     大切な事情が、欠落しているのかも知れません。
     たぶん、歴史的な事情でなく、心の事情です。
 
日本のGID(性同一性障害)の人たちって、
自分を最初に騙してから、国会を騙(だま)しましたので、
ヒステリーの特徴がよく現れています。
騙(だま)される国会議員のあほは、治せません。
 
国会議員って、お医者さんや、学者さんや、
高級官僚出身や、東京大学出身もいますから、
自分のお腹を切ってから、
首を切り取ってもらった三島由紀夫って人と、同じくらいに、
厄介な精神障害であると、わかります。
 
三島由紀夫さんの事件を知れば、
たいていの人は、頭がイカレていると、判断します。
そして、事件の前から、
三島由紀夫さんを、直接に知っていた人の大部分が、
彼の頭はイカレていると、判断していましたから、
多くの人は、頭のイカレている人と、その将来を、
正しく予想していました。
 
頭のイカレている人を放置すると、少なくとも自滅するの。
もしかしたら、周囲の人を、道連れや巻き添えにします。
自滅するから、病気なの。
体も心も、同じです。
生物の個体は、みんな死にますから、
みんなの相場と比較して、病気であると、判断します。
 
実は、国会議員や、性転換医療を行なうお医者さんや、
それを支援する学者さんなどのことを、
日本の多くの人は、すでに頭がイカレていると、判断しています。
 
それでも、どうしようもないばかりか、
頭のイカレている人たちが、社会の檜舞台で踊っている事情は、
三島由紀夫さんの場合と、よく似ています。
死ぬ年齢だけでなく、周囲の人の受ける迷惑の量が、
病気の判断材料になります。
たいていの人は、苦しんで騒ぎますので、周囲の人を巻き込みます。
 
毎度毎度、社会は、よく似た事情を、繰り返しています。
踊るあほうに、見るあほうかしら。
 
あとは、三島さんが自滅をしたように、
性転換医療を行なう医師や、それを支援する学者や、
国会議員などが自滅するのを、見物すればいいのかも知れません。
 
     次々に、太平洋プレートが日本に押し寄せるように、
     未来が届き、地震が起こりますので、
     毎度お馴染みの、新喜劇です。
 
     GID(性同一性障害)のような病気を、
     ヒステリーと言いますが、
     人それぞれの考え方の違いでないかと、
     異議を申し立てる人もいます。
     実際に、自殺や自傷をしますので、思想でなく、
     地震のような、自然現象です。
     人や社会が、自然を呼び込みます。
 
     真冬の厳しい気象条件の日に、
     北アルプスに登らなければ良いのに、
     連休に、無理をして登りますので、遭難をします。
 
     性転換をしなければ良いのに、
     心が異性であると、みんなに言った限りは、
     実行をしなければいけないように、
     自分自身の心を追い詰めます。
 
     みんなと一緒のことができずに、
     虐(いじ)められそうな気配でしたので、
     まるで、一旗上げるように、
     心は異性であると、カミングアウトをしたくせに…
 
     心は、なよなよの男の子で良いのに、
     それでは、虐(いじ)められそうなので、
     三島由紀夫って人は、自分は武士であると、
     カミングアウトをしました。
     そんなことを言えば、切腹をするところまで、
     騎虎の勢いにならざるを得ません。
 
     どうして、みんなと一緒のことが出来なかったのかって、
     三島さんの場合は、女の子のように育てられたからです。
     東京大学に入学したのも、大蔵省に就職したのも、
     武士道で誤魔化そうとしたのも、
     みんな、同じ動機でした。
 
     女の子みたいな性格ですと、虐(いじ)められるもんね。
 
     みんなには、わかり切っていますから、
     異性のような性格でも、構わないって、
     言ってあげれば良かったのに、
     女の子のような性格の男の子を見つけると、
     みんなで虐(いじ)めました。
 
これこれの性格なら男の子で、これこれなら女の子って、
憲法で決まっていないのに、
男なら、これこれの顔や体のエステティックな見てくれで、
女なら、これこれ、
男なら、これこれの性格で、女なら、これこれって、
今も昔も、文化的に、ちゃんと決っているかのように、
そうでない子を、みんなで虐めます。
 
見てくれのことや、性格のことは、ほとんどが、生まれつきですし、
もしも、生まれた後の経験的な事情のせいであっても、
幼児の頃に、すでに変更不能に、なっているかも知れません。
 
同じ経験的な判断の仕方が、長期間続くと、
脳の神経の経路が、太くなり、変更不能になってしまうの。
たくさんの神経細胞が、
似たような道筋の、樹状突起や軸索を伸ばすってことね。
束になると、太くなり、事実上、変更不能になります。
 
太い経路を壊すと、あほになります。
挫折すると、そうなるの。
 
旧来の経路を壊さずに、
樹状突起を、新しく作ったり、部分的に変更したりして、
遠回りをするように、
これまでの太い道筋の行き先を誘導して、
新しい目的地に持って行くって、ものすごく大変なことなの。
 
東京と大阪って、
車や飛行機や電車の、すごく太い交通路があるけれど、
これを壊さずに、
太い道の出入り口に、新しいを道を付け加えて、
東京と大阪の交通路を、うまく新潟や富山に導くって、
簡単でありません。
 
胎児や乳幼児の頃に作られた神経の道筋を、
子供や青年の頃に、変更するって、不可能に近いかも知れません。
 
顔や体の見てくれは、
思春期以後に、大人のものが現れて来ますけれど、
ほとんどは、生まれつきです。
性格も、ほとんどが、生まれつきですけれど、
一部は、乳幼児の頃に、経験的に作られて、
それ以後は変更困難です。
 
生殖のことは、思春期以後にならないと、
なかなか、わかりませんから、
胎児や乳幼児の頃に作られて、変更不能や変更困難なものでも、
思春期以後に、初めて作られたように見えます。
 
生物の体や機能って、40億年前の単細胞の頃からの、
変更不能な積み重ねの上に、
胎児や乳幼児の頃の経験が積み重なり、
だんだんと、変更不能や変更困難が、
深い雪のように、積もって行きます。
 
昔のことは、取り返しがつかないので、
時間という概念として、意識されます。
地層や、太平洋の海底のプレートのように、積み重なっています。
 
溶鉱炉から、鉄を出すと、
どろどろの液体が、真っ赤に燃えていますけれど、
すぐに、薄皮が出来て、表面から固まって来ます。
流されて、罅(ひび)割れて、
流氷のように、犇(ひし)めき合います。
太平洋プレートってのも、その一つなの。
 
     人間の心や社会のことも、自然現象です。
     ほんとうに、人間という自然現象は、
     個体を単位にして変化するのかしら。
 
     個体を単位にするのは、
     人間の個体が、周囲の世界を認識する手順が、
     そうなっているからなの。
 
     自分という体を認識して、
     体を取り巻く世界として、自然を知るでしょう?
     そして、人間の個体と、他の個体との関係を、
     社会として認識するでしょう?
 
     この認識の仕方を、エステティックと言います。
     実際に、目で見て、手で触って、耳で聞いた通りに、
     事実を知ることね。
     感覚器官を経て、直接に得られた世界や社会の情報を、
     わたしたちは、認識していると、確信しているの。
 
     感覚器官を経由して、直接に得られた知覚情報が、
     エステティックの意味です。
     そのように、わたしたちは確信している、
     という認識の仕方のことも、エステティックかもね。
 
     そのように知られた認識の内容のことを、
     わたしたちは、事実と言いますから、
     エステティックに知覚された感覚情報が、
     そのまま、自然の姿であると確信しています。
     人為的な手を加えていない、という思い込みね。
 
     いわゆる客観的な、世界や人間の姿のことですけれど、
     客観的って、みんなに共通の意味でしかないのは、
     みんなと一緒であるか、違うのかってことしか、
     判断の間違いを識別できないって意味です。
 
     体が気持ち良いのは、
     みんなと一緒のことができるのと、同じ意味なの。
 
     みんなの事実って、自分だけにしか見えないような、
     僻(ひが)んだ事実でなく、みんなに共通なので、
     みんなの力(ちから)を、笠に着ることができます。
     そういう、自惚れた気持ちのことを、客観的であると、
     自画自賛しています。
 
     神戸の首切り事件を起こした酒鬼薔薇って子は、
     事件の前から、
     みんなと違うみたいな、変(へん)な言動なので、
     お母さんが、近所のお医者さんに、連れて行きました。
     事実が歪(ゆが)んで見えている、と言われました。
     みんなと違う事実を見ている、という意味ね。
 
     みんなと一緒の事実が見えるとは、限りません。
     自分一人しか、知らない事実も、一杯あるもんね。
     その事実は、一人しか見ていないけれど、
     みんなが一緒に見たような事実と、似ているので、
     たぶん、客観的な事実に違いない、と判断されることが、
     よくあります。
 
     論理的に類推される架空の事実の範囲内にありますから、
     客観的と言われます。
     裁判って、そうでしょう?
     だれも、事件を見ていないのに、
     みんなが、知ったかぶりをして、判決を下します。
     論理的に類推できるってことね。
 
     合理的な嘘である、と言うのと、同じ意味です。
     嘘でも、本当でも、論理に合致すれば、
     客観的である、として、
     裁判は、誰も見ていない想像上の出来事を、
     正しいと、判決します。
     人間の文化や社会って、驚異的でしょう?
 
     嘘でも、合理的でしたら、本当なの。
     事実って言います。
 
その論理って、脳味噌の神経の道筋(みちすじ)のことです。
みんなと共通の、多数派の、だいたいの道筋というのがあります。
多数派の道筋が、どれなのかって、
殺し合いと助け合いによって、決めています。
憲法に書いてありますけれど、
アリストテレスの論理学に、書かれていることと、同じです。
 
時代や場所によって、趣味が変わりますから、
憲法は、あほにもわかるように、脚色されています。
 
論理という多数派の神経の道筋の通りに、
みんなの事実と言われるものが見えます。
わたしたちは、それを、
感覚器官を通じて、外界から、脳の中に入ってきた情報であると、
誤解しています。
そのことを、エステティックと言います。
 
その誤解の通りに、
わたしたちは、これこれの顔や体の見てくれや、
性格や考え方や言葉遣いや振る舞いなどと、
性別との関係が、変更不能であるかのように、錯覚しています。
 
お医者さんは、その錯覚を利用して、
あほを間引いて、儲けようとします。
嫌(いや)な奴をやっつけると、
嫌(いや)な奴から、感謝されるのですから、
男と女が、性交渉をするようなものです。
面白くて、やめられません。
 
あほな奴のことを、
GID(性同一性障害)の患者さんや、国会議員や、
性転換医療を支援する学者さんなどと、言いますけれど、
性転換医療を行なうお医者さんも、あほな奴と言われていますから、
三島由紀夫さんの自殺と、ちょぼちょぼです。
 
こういうのを、精神障害と言うのかしら。
なにが男らしく、なにが女らしいって、
そんなの、時代や場所や人によって、しょっちゅう変わりますから、
生殖さえしておれば、どうでも良いのに、
選(よ)りに選(よ)って、どうでも良いことのほうを、
これこれでなければいけない、として、
性ホルモン剤や手術などを使い、強制的に変更しようとします。
 
そして、生殖機能のほうを、不可逆的に壊してしまうのですから、
完全に逆立ちしています。
お医者さんのほうが、完全に精神障害なの。
壊すのはお医者さんですから、
お医者さんが病気に、決まっています。
 
自殺をした三島さんのことを、
間違いなく完全に精神障害である、と言うのと同じように、 
性転換医療を行なうお医者さんは、正真正銘の精神障害なの。
 
     患者さんを傷つけていますけれど、
     ヒステリーや人格障害って、
     責任能力は完全とされます。
 
     みんなの規則を破っていれば、
     刑務所に保護してもらえますけれど、
     性同一性障害のための特例法ってのを、
     自分たちで作っていますから、
     規則を破ったとは、認められません。
     刑務所に保護してあげられませんから、可哀想なの。
 
     GID(性同一性障害)の治癒した患者さんたちが、
     性転換医療を行なったお医者さんや、
     それを支援した学者さんなどを、
     死刑にしろ、と言っています。
 
     裁判になれば、死刑になりませんけれど、
     GIDの患者さんって、病気が治っても、
     もともと、
     過激な考え方を実行する人たちが多かったので、
     安心できません。
 
     三島さんも、そうでしたけれど、
     日本赤軍みたいな昔の新左翼の過激派も、
     GIDと似たような種類の人たちでした。
     病気が治ると、実力で報復するかも知れません。
 
     日本には、
     欧米のような同性愛差別がありませんでしたし、
     第二次世界大戦後には、
     徴兵制も戦争も、ありませんでした。
     欧米のような、性転換医療を
     行なわなければいけない事情が、皆無なの。
     木に竹を継いだような、いわば鹿鳴館医療でした。
 
     精神の病気がゆえの、あほのようなものなの。
     認知障害ですけれど、お医者さんのほうが、そうです。
     患者さんは、ただの被害者ですから、
     GID(性同一性障害)の患者さんの心を診察しても、
     あまり意味がありません。
     性転換を変更できないのなら、
     治療しなくても、結構です。
 
     日本の性転換医療は、
     お医者さんのほうの精神障害が、問題です。
     お医者さんが精神障害でしたら、医療はこうなる、
     という昔からの飽き飽きとした例です。 
 
三島由紀夫って人のグループと、
うちのGIDの患者さんのグループって、一部が重なっていました。
昔ですから、GIDの患者さんに、新左翼の人が、たくさんいました。
新左翼って、すごい流行でしたから、猫も杓子もの感じでしたが、
性転換に夢中になる人と、新左翼の我が儘に躍起になる人とは、
高い確率で、重なっていました。 
 
三島さんのほうは、右翼っぽいことを仰有っていましたけれど、
似たようなものと、わたしは思っていました。
それよりも、GIDの患者さんって、
在日韓国朝鮮の人や、いわゆる被差別部落の人などが多く、
食肉の輸入の仕事のために、神戸の大手やくざの事務所に、
しょっちゅう、御挨拶に出向いているグループもありました。
 
神戸のやくざって、港の荷役を仕切っていた人たちですけれど、
もとは、被差別部落の人たちでした。
当時の食肉の輸入は、
政府による割当制(わりあてせい)の時代でしたけれど、
新左翼系の部落解放運動が、錦(にしき)の御旗でしたので、
被差別部落系の割当量を、神戸のやくざが仕切っていました。
 
GID(性同一性障害)の人たちが、食肉の輸入を行なうには、
組長さんのところに、挨拶に行かねばなりませんでした。
一ヶ月にいっぺんぐらいでしたので、
性転換をすることは、やくざの一員になるようなものでした。
 
神戸のやくざって、
麻薬を、やっていない建前(たてまえ)でしたけれど、
港を仕切っていましたから、
船は、密輸のためにあるようなものでした。
貿易の仕事をしている人たちは、因果なものでした。
 
一般のお客さんに紛れて、麻薬を運ぶ人が、空港の税関で捕まると、
税関が発表して、マスコミの記事になりますけれど、
船って、桁違いの貨物量なのに、どうして、捕まらないのかしら。
貨物船から、麻薬や鉄砲を落として、
漁船が拾い上げれば、いいんでしょう?
 
飛行機でも、旅客に比べて、貨物って、ものすごい量なのに、
どうして、貨物便の荷物から、麻薬や鉄砲が、出ないのかしら。
 
     GID(性同一性障害)になる人って、
     これこれの性別なら、必ず、こうでなければいけない、
     という気持ちを、変更できなくなっていますので、
     自分や他人を、同じ価値観によって、差別虐待します。
 
     男なら、これこれの顔や体の見てくれ、
     これこれの性格や考え方や、
     言葉つきや振る舞いや服装などで、
     女なら、これこれ、という価値を、
     自分や他人に強要する人ばかりが、
     夫婦や家族や友達グループになっています。
 
     類は友を呼ぶように、似た者同士が集まるのは、
     当たり前ですけれど、
     犯罪者や、精神障害者ばかりが、集まって、国を作ると、
     そうでない人たちと、戦争をしなければ、
     仕方ないのかしら。
 
     GID(性同一性障害)って、
     性別により、他人や自分を差別虐待する人たちばかりが、
     自分たちは、性別による差別を受けているとして、
     社会を糾弾します。
 
     自分の心の性別は、これこれである、と言い、
     心の性別に合わせて、
     服装や言葉遣いや考え方や振る舞いなどが、
     社会に認められなければいけないそうです。
 
     心の性別が、男と女のモザイクである、と主張すれば、
     言動も、モザイクが認められなければいけません。
     LGBTの、バイやトランスジェンダーが、それです。
     性分化疾患や、無性愛などの、
     袖(そで)を引く人もいます。
 
     周囲の人に、本人の言動を認めるように、要求します。
     GIDでは、
     自分自身の生殖機能や体を、自分から破壊して、
     心の性別に相応(ふさわ)しい顔や体の
     見てくれにしよう、とします。
 
GID(性同一性障害)の人たちは、
自分の心の性別を、変更できない、と言います。
心の性別が中心なので、顔や体の見てくれなどを、
変更しなければいけない、と言います。
 
御本人たちの言い分に賛成しない人たちを、
差別主義者のように糾弾しますから、
自分たちの周囲に、似た者同士ばかりのグループを作りますけれど、
性転換医療を行なう医師や、それを支援する学者たちが、
グループの中心のように、指導してます。
 
医師や学者が、心を中心にして、体を治療すべきか、
それとも、体を中心にして、心を治療すべきか、などと、
刀(かたな)を振り回すように指導していますから、
オウムのように危険です。
 
この考え方が、精神の病気であることに、気づきません。
医師や学者のほうが、正真正銘の精神の病気なのに…
 
心の性別が中心か、体の性別が中心か、
いずれを治療すべきかと、医師や学者が、お題目を提示するのは、
GID(性同一性障害)に特徴的な、精神の病気の症状です。
心の性別なるものを掲げるのも、それに準ずる症状かも知れません。
 
説明のために、これらの言葉や気持ちや考え方などに、
触れなければ仕方ありませんので、面倒です。
健常な人が、言えば言うほど、患者さんたちは、誤解します。
自分たちの議論の主題が、
たくさんの人たちにとっても、大切であるとされているかのように、
思い込みます。
 
ほんとうは、
心と体の、いずれを中心にして、他を治療すべきかとか、
心の性別なるものが、あるのか、ないのかなどを、
突き詰めたくなる気持ちって、
GID(性同一性障害)という精神の病気の、特徴的な症状です。
 
体を認識する心の機能が、固くなったゴムのように、
ぼろぼろになって来ているの。
自我傷害と言いますけれど、性別の病気でありませんから、
性分化疾患と一緒に分類するのは、あまり便利でありません。
 
     男なら、これこれの心や、顔や体の見てくれや、
     言葉遣いや振る舞いや、考え方や服装などであり、
     女なら、これこれである、というのは、
     流行文化の具体的な中身にすぎません。
     時代や場所や人により、いとも簡単に変わるのが、
     当たり前です。
 
     具体的な何かに定まったまま、変わらなければ、
     病気です。
     それらの具体的な中身(なかみ)は変転極まりなく、
     信用性のないのが、健常です。
     特定の具体的な文化を、変更できなくなるのは、
     病気です。
 
     ただし、論理は除くとか、本能は除くとかと、
     色々な条件をつける人もいます。
     それらが、ほんとうに変更不能である、という証拠は
     ありません。
     むしろ、論理や本能に合致しない人を、
     たくさん見かけます。
 
     性別は、生殖器の形や機能によって、決まります。
 
     これは長期間続いている文化的な定義です。
     この定義と、他の顔や体の見てくれや、
     言葉遣いや振る舞いなどとの関係は、
     具体的な流行文化の中身の一つです。
     しょっちゅう変わっていますので、
     何一つとして、規定されていません。
     日本では、そうなの。
 
     男性には、女性よりも、背の高い人が多くても、
     何も規定されていませんから、
     男性の背が、女性より低くても、構いません。
 
     日本のGIDの人たちは、
     自分の心の性別がこれこれなので、と言い、
     自分を差別虐待します。
     顔や体の見てくれも、これこれでなければいけないとね。
     そのことの正当性を、他人に認めさせようとします。
     不当である、と言われると、
     性別による差別であると、騒ぎます。
 
     これは、あほでなく、精神の病気の症状ですけれど、
     GID(性同一性障害)は、認知障害が出ますので、
     一流大学出身のお医者さんなのに、
     この理屈がわからなくなります。
     1才未満の論理能力が、不足します。
     実際に、GIDの患者さんの症状の通りに、
     患者さんの生殖機能と体を、破壊しようとします。
 
     お医者さんのほうが、初めに精神の病気になり、
     その症状として、
     精神障害者の症状が、性別のせいであると、
     吹聴しました。
     精神障害者が、自分から性転換を希望するように、
     お医者さんが仕向けたの。
 
     そのせいで、
     精神障害の患者さんが、性転換を希望するようになり、
     GID(性同一性障害)という新しい精神の病気が、
     作られました。
 
     ここに駅を作ったほうが、便利である、
     という意味ですけれど、
     日本では、性転換医療を行なうお医者さんの精神障害を、
     隠蔽するための病名でした。
 
     お医者さんの精神障害を、
     一般市民の目から、隠したかったの。
     日本には、30万人近くのお医者さんがいますので、
     数万人の頭が、イカレていても、
     別に不思議でありません。
 
     精神障害のお医者さんが、治療と称して、
     日常的に、患者さんに危害を加えている、
     という現実を、どうするかってことが、問題なの。
 
     こともあろうに、性転換医療を合法化することによって、
     頭のイカれたお医者さんの所業を、正当化するのは、
     賢くありません。
     毎年毎年、数千人ぐらいのお医者さんの、
     免許を停止する手もあります。
 
     GIDでは、性転換医療を行なうお医者さんの精神障害を、
     いかに治療するかが、大切です。
     GIDの患者さんについては、
     性転換の方向に、治療しないほうが、
     良い結果になります。
 
     患者さんの、他の精神障害に特徴的な症状を、
     治療しなければいけないかも知れませんが、
     性転換医療を行なうお医者さんを治療するときも、
     性転換の方向でないほうが良いのは、
     言うまでもありません。
 
尼崎事件ってのを、最近、よく聞きますけれど、
わたしは、GID(性同一性障害)の人たちを、思い出します。
コンクリート詰めのせいかしら。
 
凶悪な刑事事件って、
多くが、似た者同士の、仲間内の犯罪でしょう?
昔の新左翼の運動や、やくざの犯罪や、
部落解放運動や、在日韓国朝鮮人や、
水商売の人たちの犯罪だけでなく、
GIDや、三島由紀夫って人の、精神障害の所業も、
仲間内の犯罪と、似たようなものでした。
 
三島さんの事件って、
首切りについては、嘱託殺人と言うそうですけれど、
やくざや尼崎の事件も、それでないのかしら。
 
三島さんの事件や、尼崎の事件や、GIDの病気などは、
どこからどこまでを、犯罪とするのか、
それとも精神障害とするのかって、悩みます。
どうせ、精神障害でも、責任能力が完全とされるのなら、
死刑になりますけれど、
性転換医療を行なう医師に、責任能力があるのかっていうのと、
似たり寄ったりの問題のような気がしてなりません。
 
自分がGIDであるっていうお医者さんの、
免許を停止したほうが良いと、わたしは思いますけれど、
少なくとも、性転換医療を行なわないほうが良いでしょう。
 
性転換医療を行なうお医者さんが、
GID(性同一性障害)という病気の本体ですので、
他の医師は、GIDの患者さんを診察しても、
どうしようもありません。
 
精神の病気って、
自分の身の回りを、整理整頓できなくなることが、
よくありますけれど、身の回りの最大ものは、自分の体なの。
 
体の健康を維持するための、日常的な手当ができなくなります。
痛いとか、苦しいとかってのが、
体のせいなのか、精神的なものなのかって、
自分でわからなくなります。
擦り傷や切り傷を、手当できなくなるだけでなく、
自分から傷を作ってしまいます。
性転換が、それなの。
 
お医者さんの症状も、そこまで、軽く行きます。
健康な患者さんの体に、病気があると言い、
わざと傷つけてしまいます。
自分の体を傷つける症状が、すでに出ていることが多いの。
脳に作用するお薬を、濫用していることが、少なくありません。
 
危ないでしょう?
30万人近いお医者さんのうちの、数万人ぐらいが、
精神障害であっても、驚きません。
  
 
 
 
 
 
 
 
  

精神医療の廃止とコンピュータ

進化論や精神医学などの、 ロマン主義による社会や心の学説を否定して、 精神医療と精神科と精神病院の廃止を、 主張します。

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