コウホネ 952 定義と慣習と法律と、科学と事実と裁判の因果関係

河骨(こうほね)って、
ほんとに、こういう字(じ)を書(か)くのか、
よく知りません。
 
黄色(きいろ)の小さい花が咲(さ)いていましたけれど、
群生(ぐんせい)した葉(は)が奇麗(きれい)なので、
 
 
宇宙船を作りたくて、ロケットや爆弾に、凝りましたけれど、
アメリカ合衆国のアポロ計画が、月に行ったので、
最終的に諦めました。
 
原爆を落とした奴に、協力できません。
 
ほんとうに、アメリカは月に行ったのかと、何度も尋ねられました。
科学技術の考え方が、よく現れているって、
宗教の人たちが、頻(しき)りに指摘していました。
 
現世利益(げんせりやく)がない、と言うの。
 
     原因と結果の関係って、
     物事を、時間の順番に並べる意味ですけれど、
     これこれの事があれば、これこれの別の事が起こるって、
     必ず、あるいは、何%の確率で言える、とする考え方ね。
 
     いつも、似たような事が起こり、
     似たような成り行きになる、という意味です。
     科学や科学技術は、
     この考え方により、人々に信奉されているかのように、
     見えます。
 
原因と結果の関係って、ふつうは文学的な解釈の問題ですから、
たとえば、戦争の原因は何であるかと、問うても、
これも、あれも、それも、原因であると、人は言い出します。
 
原因には、さらに、原因の原因がありますから、
たとえば、経済が左前になったので、戦争になった、とすれば、
不景気になった原因は何かと、問われますので、
宇宙の始まりまで遡らなければ、戦争の原因はわかりません。
 
そんなことを言えば、理論物理学になってしまいますから、
戦争の原因なんて、人それぞれの、趣味の考え方の問題として、
最初から、決着のつかないのが、わかり切っている、
とするのが賢明です。
100億年、議論しても、結論は出ません。
 
戦争だけでなく、社会や人間の出来事に、
原因と結果を設定するのは、純文学です。
 
     それにもかかわらずに、
     わたしたちは、自然の出来事について、
     科学や科学技術のように、原因と結果の関係を特定して、
     その成果を享受していると、信じて疑いません。
 
     試行錯誤をして、取捨選択をして、
     実験をして、瀬踏みをして、実際に、何度も行ない、
     いつも同じ成り行きになるって、検証して、
     役に立つ結果を、実生活に応用します。
 
     宇宙船が飛び、超高層ビルが建ち、
     鉄や車や薬を作り、外科手術を行ない、癌を治します。
 
     原因と結果の関係が、歴然たる事実ですので、
     わたしたちは、医者に体を開き、
     刃物で臓器を切り取ってもらいます。
     たくさんの税金を、病院や医療のために、
     注(つ)ぎ込んでいます。
 
宗教家の言うには、
癌の治療のための、胃の全摘手術や、
性転換のための、生殖機能の破壊や、性器の変形手術などは
いずれも、
ミイラになりたいと志願するエジプト人の確信に似ています。
 
宗教家に、迷信と言われると、
お医者さんは、身も蓋(ふた)もありませんが、
実際に、胃癌の胃を摘出すれば、
胃の苦痛から解放されて、寿命が長くなる、と思うのは、
間違いかも知れません。
 
中国の人は、
第二次世界大戦の頃まで、科学的な医術を知りませんでしたので、
西洋人から見れば、
漢方医学って、まるで迷信の塊(かたまり)のように見えます。
 
第二次世界大戦の頃の中国は、すでに世界一の人口でしたので、
けっして、中国人が絶滅した事実がないだけでなく、
むしろ、世界一繁栄していた、と言えます。
 
苦痛もなく、気持ち良く生きたいのでしたら、
麻薬に浸れば良いのです。
外科手術のような、痛い目に遭う必要は、ありません。
 
痛く苦しいのは、胃癌という病気のせいであり、
外科手術によって胃を摘出すれば、病気が治る、とする西洋医学は、
必ずしも正しいと言えないのでないかと、疑問になります。
 
     自然に関する科学や科学技術の判断と、
     社会や人事に関する文学的な判断との間に、 
     裁判の判決みたいな、中間の判断もありますので、
     自然現象と社会現象の違いが、
     因果関係を仕訳するものでないことは、
     言うまでもありません。
 
     道の向こう側の自動販売機の清涼飲料水を買おうとして、
     道路を横断した人が、車に轢かれて死んだ原因は、
     ドライバーの脇見運転とも言えますし、
     無理な横断とも言えます。
 
     そこに、自販機のあったのが、原因かも知れませんし、
     自販機の中身の、具体的な飲料水の商品名が、
     道路のこちら側から、よく見えなかったのが
     原因かも知れません。
 
     好みの商品がない、と知っていれば、
     わざわざ、道を渡りませんでした。
     視力の弱かったことや、
     自販機の文字の小さかったことも、原因になります。
 
     暑さのせいで、清涼飲料水が欲しくなりましたから、
     気温や、暑さに弱い体質や、日頃の運動不足が、
     原因かも知れません。
 
     レジャーのための自家用車という不要な文化や、
     人にぶつかれば、人を殺しかねない機械の普及が、
     原因とも言えますし、
     今朝、恋人と喧嘩をしたのが、奥さんにバレたので、
     ドライバーの気持ちが、むしゃくしゃしていたのかも
     知れません。
 
     そもそも、ドライバーの運動能力の低さが原因である、
     と言う人もいますし、
     異邦人を書いたカミューのように、
     太陽が眩しかったから、と言う人もいます。
 
何が原因であるとするかは、文学的な解釈にすぎませんので、
原因と結果の因果関係を決められないのは、
戦争の場合と同じですが、
原因がはっきりとしなければ、判決を出せません。
 
ドライバーは胸が痛くなり、狭心症の疑いがあると、
弁護士は言います。
突然の痛みのせいで、横断中の歩行者に気づくのが遅れ、
ブレーキを踏むのも遅れました。
 
そのような主張は、医学的ですが、
事故が起こってから、実際に狭心症であると、診断されましたから、
まんざら、弁護士の法螺(ほら)でもありません。
 
車が人を轢き殺すのは、もちろん物理現象ですのに、
自然現象でない変(へん)な因果関係に、
横合いから口を差し挟まれるのは、とても理不尽です。
 
裁判所の取り扱う事件には、
自然現象の因果関係を特定しなければならないことが、
たくさんあります。
 
物事(ものごと)の原因と結果の関係を、
科学や科学技術などによって扱われる自然現象と、
文学によって扱われる社会や精神の現象とに仕訳するのは、
あるいは、アスペルガー症候群の、
荒唐無稽な発想かも知れません。 
 
     原因と結果の関係に、
     自然現象と、社会現象や精神現象の違いは、ありません。
     それにも関わらずに、科学や科学技術では、
     上手く信頼されている因果関係が、
     文学や政治などでは、まったく信頼されていないのは、
     裁判を見れば、よくわかります。
 
     法治主義でしたら、裁判は、法律によって判断されます。
     憲法に、ドライバーが人を轢き殺すと、死刑にする、
     と書いてありますので、
     道の向こう側の自動販売機の清涼飲料水を買おうとして、
     道路を横断した歩行者を轢き殺せば、
     ドライバーは死刑に決まっています。
 
     自分の裸を見せるために、服を脱いで車道に出た女性を、
     轢き殺したドライバーも、死刑です。
     自殺をしようとして、飛び出た精神障害者を轢き殺せば、
     いくら健常な精神のドライバーでも、
     憲法の通りに、死刑にされるのが、正当です。
 
法律って、定義なの。
定義により、人は、原因と結果の関係を、判断します。
 
そのことを、あたかも、時間的に先に起こった事と、
別の、時間的に後に起こった事とが、
一括(ひとくく)りの出来事であるかのように、
同じ概念として纏(まと)めます。
 
概念の中身(なかみ)に、時間による条件を付ける意味ね。
 
このような概念の作り方を、原因と結果と言います。
神経細胞の樹状突起の枝分かれを作ることなの。
ほんとは、定義と言われる判断なのに、
感覚器官による知覚であるかのように、認識します。
 
認識をするって、自我や事実や感情などの、
意識の内容として、自覚される、って意味です。
 
あたかも感覚器官によって、
今、オリジナルに入手された感覚情報であるかのように、
目で見たり、手で触ったりして、
確かにそこに在ると、認識される情報を、事実と言います。
 
ほんとは、無意識に処理されている情報の中から、
定義に従い、無意識に抽出されて、編集されることにより、
事実と言われる意識の中身として、認識された情報です。
 
自然科学や、科学技術って、はっきりと定義をしますから、
はっきりと、事実として認識されるのは、当然です。
法律は、成文法でしたら、はっきりと定義されていますけれど、
慣習法でしたら、たぶん、成文化されていません。
 
憲法のない時代でも、たいていの文化では、
人の物を盗むと、処罰をされました。
成文法がなくても、社会慣習によって処罰をされます。
 
     わたしたちが、事実を認識する仕組みも、同じなの。
     成文法はありませんけれど、
     世間に流行している文化的なプログラムがあります。
     社会慣習ね。
 
     慣習的な文化によって、
     認識の仕方が定義されていますから、
     文化的なプログラムが実行されて、
     事実といわれる意識の中身(なかみ)が作られます。
 
     わたしたちは、実際に、目で見て、手で触り、
     間違いのない事実であると、認識します。
     五感から入手されたオリジナルの情報のように、
     意識されるの。
 
     自然科学や科学技術の成り立つ仕組みと、全く同じです。
     定義の通りに見えます。
 
社会慣習や自然科学の定義って、中身(なかみ)が変わっても、
すぐには、みんなに普及しません。
だいたい、30年ぐらい、かかりますので、
その間は、法律家や科学者や科学技術者のような、
専門の人が必要になります。
この人たちが、人為的に、法律や定義を変更しています。
 
みんなに普及すると、
誰の目にも見えて、誰の手にも触れることのできる事実として、
みんなに認識されますので、専門家は要らなくなりますけれど、
法律や定義って、次々に変わりますから、
いつまで経(た)っても、専門家が必要になります。
 
だいたい30年間って、生まれた子供が、働き盛りになる年月です。
エジソンの映画の中では、舞台の上でないのに、
いわゆるロケーションによって、
普通の町や自然の中で、役者さんが演技をします。
観衆が、そのことに気づいても、怒らなくなるまでに、
だいたい、30年間かかりました。
 
それまでは、舞台でないのに、役者が演技をするって、
観客が知れば、お金を返せと、怒り出しました。
演技であるって、はっきりと表示をしていないのに、
人が演技をするのは、嘘や詐欺と同じですから、不道徳でした。
 
慣習法に違反しているの。
だから、一般の人は、映画を見ても、演技に気づきませんでした。
気づくようになるまで、30年間、かかりました。
 
プロレスが、半分八百長で、半分即興劇であるって、
観客が気づいた上で、それでも楽しめるようになるまで、
日本では、ちょうど30年間でした。
 
力道山の時代には、
外国人が凶器を使い、レフリーが見て見ぬ振りをしているのに、
警察が出動しないのは、職務怠慢でないかと、
国会の議員さんが、怒りを露(あら)わにして、
公安委員会や警察庁の首脳に、質問を浴びせました。
 
     人間の見る事実って、社会慣習や定義の通りに見えます。
     原因と結果によって、物事が起こるのでなく、
     定義によって起こるのが、
     科学技術を見れば、よくわかります。
     外科手術も、そうなの。
 
     お釈迦さんは、
     自然や社会の物事が、原因と結果によって起こる、
     と見えるのは、人間の心のほうの間違いである、
     と考えました。
     自然科学や法治主義は間違いである、と言っているの。
 
     そのような俗世間の間違いから、
     解脱(げだつ)をしなさいと、言いました。
     自我や事実や感情などの、認識の仕組みを、
     上手く使い分けなさい、という意味ね。
 
     自我や感情だけでなく、
     自然や社会を、事実として認識する脳みその仕組みが、
     紛(まぎ)らわしいのですけれど、
     どこかに正しい認識の仕方が、あるはずもありません。
 
     実際に事実として見えている自然や社会が、
     文化的なプログラムの通りに作られた幻であるって、
     教え難(にく)いでしょう?
 
外科手術の正しさを確信するのは、間違いの典型であると、
わからないのなら、
お医者さんにならないほうが良いかも知れませんけれど、
みんなの文化に従わないのが、正しいのでもありませんから、
理髪師の切る髪型の流行と、さほど変わりません。
 
だいたい、3才ぐらいまでに、わかるようになりますけれど、
うまく表現できる言葉を見つけるまでに、相当な年月がかかります。
見えている事実は、見たい意志の内容が見えているのでないか、
自分の意志の内容でなく、
みんなの意志の内容が見えているのでないかって、
3才の幼児にも、なんとなくわかります。
 
瓶を逆さまにして、机を、瓶の口で叩けば、
瓶の中にこびりついている中身が、落ちて来るって、
3才でも、わかりますけれど、
万有引力や、慣性の法則やらっていう屁理屈は、
3才では、わかりません。
 
感覚はわかっていますから、言葉の表現だけの問題です。
ニュートンの物理学って、
3才未満の知能で出来ていることは、確実です。
 
     現在のような、科学技術や法律や社会慣習などの、
     認識のための、文化的なプログラムが出来たのは、
     そのような流行の仕方の、現世利益(げんせりやく)が、
     みんなに支持されたってことなの。
  
     認識は、意志した通りの、事実として見えますから、
     認識のための文化って、意志する文化と、同じ意味です。
     人々の望みの通りに、認識されます。
     お釈迦さんの言い草ですと、
     欲深い望みの通りってことね。
 
     痛く苦しいのなら、苦痛がなくなるように、
     お金が欲しいのなら、お金が儲かるように、
     これこれのことがしたいのなら、それができるように、
     世界や社会が認識されます。
 
     そのような、定義や社会慣習や法律などの、
     みんなの文化的なプログラムが、
     みんなに支持されて、流行します。
 
     そのように、みんなの事実が見えますから、
     あなたの苦痛の原因は、胃癌です、
     この胃を取り除けば、幸せになります、という常識が、
     その通りに、間違いのない外科手術の事実に見えます。
 
宇宙船も、そうなの。
宗教家の人たちは、アポロ計画が月に行った時に、
現世利益がない、と言いました。
 
月に行っても、ご利益がありません。
何か、いいことがありました?
それどころか、実際に月に行ったことを、誰も確認できません。
広島の原爆でさえも、多数の目撃者がいたのに、
月面着陸なんて、オリンピックの体操みたいで、
夢物語と、区別がつきません。
 
超高層ビルは、だれでも設計ができて、だれでも建てられるって、
鳥肌が立つように、みんなが肌に感じて知っています。
 
月に行く宇宙船は、だれでも作れませんから、
ケネディの望みは、みんなの願いと、違うのでないかと、
疑問が出ました。
統合失調症の妄想や幻覚と、識別できない、と言うの。
 
そうすると、脳みそを吹き飛ばされて、射殺されました。
 
外科医の人が、GID(性同一性障害)の人を、
馬鹿にしているのを見ると、
わたしは、どちらの頭が足りないのかしらと、
識別できなくなることが、よくあります。
 
いずれにしても、エステティックな人たちですから、 
アリストテレスみたいに、戦争や奴隷制が好きみたいなの。
共食いって、ようするに、矛盾しているって意味です。
 
 
 

精神医療の廃止とコンピュータ

進化論や精神医学などの、 ロマン主義による社会や心の学説を否定して、 精神医療と精神科と精神病院の廃止を、 主張します。

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