名札がありませんでしたが、
まだ、ソメイヨシノの咲いていない時期の、
花柄(かへい)の長さや、子房の膨(ふくら)らみや、
めしべやおしべや、花びらの様子などから、
河津桜(かわづざくら)のような気がしました。
葉山の御用邸の傍(そば)ですので、
天皇さんは、知っていると思いますが、お留守なので…
夏山の岩に腰掛けると、足元に、
苔桃(こけもも)や岩髭(いわひげ)や雲間菫(くもますみれ)が
咲いています。
20才ぐらいの女の子が、踏んではいけないと、怒ります。
そこらじゅうに一杯咲いていますので、踏まずには歩けません。
北アルプスですと、ロープが張られていますから、
緩い斜面のお花畑に、入れませんけれど、
北海道の大雪山なんか、
ロープの張られていない所が、大部分ですので、
なだらかな丘陵みたいな稜線でしたら、どこでも歩けます。
一面に咲いていますから、足の踏み場もありません。
植物を踏まずに歩けるわけがないのに…
花が咲いていなければ、踏んでもいいの?
苔(こけ)なんか、すごく小さいけれど、
虫メガネで見れば、綺麗に咲いているかも知れません。
都会の原っぱでも、雑草が一杯ですけれど、
踏んではいけないのかしら。
都会の公園の虫けらは、踏み潰(つぶ)してもいいの?
値段の高いゴルフ場の芝生を歩く人は、
公園のホームレスが踏み潰されても、平気かも知れません。
映画では、温室のお花を大切に育てる紳士って、
黒人を吊るし首にする白人の富豪なのに…
自然を愛する人は、変人が多いの。
わざわざ踏み潰すのでなく、
踏まずには歩けないから、踏み跡が出来て、道になります。
踏み潰しても平気なら、踏み跡なんか、出来ません。
人の通った跡を歩いたほうが、なんとなく安全だもんね。
でも、あーっ、知らなかった、ごめんなさいっ、と言って、
足元の高山植物を踏まないように、腰掛けます。
この女の子は、
みんなが歩いて、草も生えずに裸になった土の上しか、
歩かないのかしら。
苔桃(こけもも)って、ツツジ科のクランベリーの類ですので、
アメリカの泌尿器科産婦人科御用達の、
ジュース用に栽培されている農作物に、似ています。
苔(こけ)ではありません。
小学生の頃から、お花は子供を産むために咲くって、
教えられていますから、
女性は、お花を見れば、生殖行為を思い出します。
男性を見れば、
この顔や体の子供が産まれると、想像します。
産みたい子供の見てくれを算段して、性欲を催します。
こんな見てくれの子は、欲しくない、と思えば、
悪意のある、頭の悪い、貧乏な男に見えますから、
世の中の不具合や、自分の不都合は、
そいつが隠れて仕組んだのに、決まっています。
唾(つば)を吐いてやらなければいけません。
ほとんどの女性の思うことですけれど、
自分では気づきません。
そのように悪いことを考えていない、と思う人は、
ほかの考えを実行するための、
アルコール依存症を治療するような、
苦しい経験をしていなければ、
たぶん、気づいていないだけです。
日本の女性の文化って、
社会が精神障害者を製造している証拠のようなものかも
知れません。
ヒトラーに、みんなが陶酔したでしょう?
あれと同じことが、目の前の日本で、起こっています。
ヒトラーという個人であろうが、
みんなの文化という集団であろうが、同じなのに…
進駐軍は、戦前の偏狭な愛国主義を、
根絶やしにするために、
戦犯を処刑して、教科書を塗りつぶしましたけれど、
戦後の日本は、
今も、恍惚とした民衆の、精神障害のような社会です。
アメリカが憲法を作ったのですから、
国民は何も考えません。
二足歩行って、一々、バランスを取りながら、
右足の次は左足って、命令をして歩いているのでありませんけれど、
ちゃんと、一つ一つの動作の、停止や再開ができますから、
一応、命令したことになっています。
全部纏(まと)めてワンセットで命令していますから、
一々の動作は、自動機械のように、習慣化されていますけれど、
一々、命令したことになっているってことは、
責任があるって意味です。
最小限の微細な動きに、どこまで分解できるかを、自覚しています?
そこまでは、責任を持てますけれど、
それ未満の微細な動作に、責任を持てない気もします。
塀の上を、落ちずに歩くつもりで、落ちてしまったのなら、
動作を制御できなかったことの、責任をとらねばなりません。
歩かなければ良かったのですが、
どこまで動作を制御できるかって、知らなければ、判断できません。
自転車を見ると、
目で見た通りに、部品が動いているって、納得します。
昔は、ミシンも納得できましたけれど、
最近は、集積回路というブラックボックスを使いますので、
見ても納得できません。
自分で納得できない機械に頼るって、飛行機に乗るのと同じで、
運を天に任せるようなものです。
みんなと一緒のことをするのは、
酔っ払いの操縦する飛行機に、乗り合わせるようなものです。
日本の法律と政治の下(もと)で暮らすのは、
遠慮したい気持ちになりますけれど、
世界中、どこへ行っても、似たようなものですから、
諦めが肝心です。
心の性別と体の性別とが違う、と言う人には、
想像と現実は、違うのが当たり前じゃ、と言いたくなります。
だから、性転換をするって、言いますよ、
GID(性同一性障害)の人は。
生殖機能を壊して、性器を変形させるだけなのに…
おしっこや、うんこって、ある程度に溜まるまでは、
自動的に出口が閉まっていますけれど、
限度を超えると、気持ち悪くなります。
出口が開こうとするのを、堪(こら)えるように、
脳味噌が命令していますけれど、
習慣になっていると、あまり苦しくありません。
排泄をするのは、とても気持ちが良く、
性器を擦(こす)る気持ち良さに、似ています。
排便排尿の躾(しつ)けに、手間取った子と、
将来、同性愛しか出来なくなる子や、
GID(性同一性障害)になる子などとは、
なんとなく、似ています。
糞尿の付いた他人の性器や排泄器を舐めることに、
あまり、嫌悪(けんお)を感じない人や、
他人の皮膚や粘膜を舐めることに、快楽を感じる人も、
少なくありません。
女性は、他人と自分の排泄物を、同一視する傾向が強く、
赤ちゃんのうんこを見ると、楽しくなるのが、普通です。
乳幼児の頃に、病気になった子は、
親しい人と一緒でなければ、
夜が怖くなるかも知れません。
他人の肌に触れていなければ、眠れないとか、
抱きしめられると安心する人とかって、たくさんいます。
GID(性同一性障害)には、
反対に、誰からも、キスをされるのが不快な人や、
肌に触れられると、後ずさりをする人も、
少なくありません。
性転換をしたGIDの人が、
60才を超えて、体が不調になると、
それまで、一人で眠るのが一番気楽、と言っていたのに、
一人で眠るのが、怖いと言い出しました。
心臓が苦しくなると、
お薬を飲んで、救急車を呼ばなければいけませんが、
一人で出来ないかも知れません。
体の生まれつきの反射的な仕組みを、
ある程度は制御できますけれど、上手くはできないかも知れません。
子供の頃に習得した人ほど、上手いかも知れませんけれど、
習慣になっていると、
自分で制御していることを、自覚していないかも知れません。
嫌(いや)なことがあると、簡単に40度の熱を出す子がいて、
熱があるので、嫌なことをしなくても良い、となると、
電光石火で熱が下がります。
すごく器用な能力ですけれど、幼児の頃に、病気がちだった子は、
まるで超能力のような才能を、身に付けているかも知れません。
スプーンを曲げるのでなく、
そのような能力があるかのように思わせると、
人を取り込めるってね。
オウムの麻原って人みたいですけれど、
精神科の患者さんは、麻原さんみたいな人ばかりですので、
死刑囚みたいな人ばかりと言うと、怒られます。
超能力があるかのように思わせる才能って、
心の性別なるものがあるかのように、
思わせるGID(性同一性障害)の気持ちも、
その一つですけれど…
スプーン曲げに、病名を付けたようなものです。
嫌(きら)いな物に、性欲を催しますか。
たとえば、蛇(へび)が 嫌いな人って、
蛇を見ると、性欲を催しますか。
わたしは、別に蛇を差別していませんから、
清潔でしたら、簡単に性欲を催せます。
近寄らないのでしたら、
清潔でなくても構いませんけれど、
変なウイルスがいるかも知れませんから。
接触しないだけでは、ダメです。
毒を飛ばしますもの、蛇(へび)って。
ビデオの画面でしたら、
蛇を見て、性欲を催すトレーニングをすれば、
たぶん、5分間で完了します。
以後は、
道で、蛇がにょろにょろっと、出てきたのを見た瞬間に、
素敵な男性とラブホテル、っていうモードになります。
これって、オナニーと同じですから、
簡単なテクニックですけれど、
それを妨げる思いを、自覚できなければ、
トレーニングは、上手く行くはずがありません。
精神の病気の内でも、
脳の器質に、原因となる病変の発見されない種類って、
自分でわざと病気の症状を出しているのに、
わざと出している自分の心が、習慣のようになっていて、
自覚できないだけかも知れません。
脳味噌の記憶や、判断の条件って、
コンピュータのように実行されていますから、
どこで、どのように、
記憶や判断が行なわれているかって、
神経細胞の物理的な場所を特定できれば、最善です。
それができなくても、
情報や判断に印をつけて、整理整頓をしておけば、
たとえ習慣になっていても、
わざとしていることを、自覚できないはずがありません。
統合失調症の人って、
整理整頓や分類や計画や手順などが、苦手です。
認知障害と言いますけれど、
経験が増えて、情報や判断が増えれば増えるほど、
整理がつかなくなり、
自分がわざとやっていることを、
いよいよ、自覚できなくなります。
なんだ、知的障害と同じじゃないかと思うのでなく、
なんで、性欲が湧いて来ないのかが、わからない人や、
心の性別を、体の性別に一致させることのできない人に、
似ている、と思って下さい。
これこれならば、何々である、という様々な定義が、
脳味噌の中に出来ていますけれど、
整理されていないと、行方不明になります。
条件反射のようなものですから、
行方不明になったのでは、機能を停止できなくなります。
そのような定義や条件反射や習慣などが、
自分の脳の中にあるとも気づかずに、
そのせいで、いつでも蛇(へび)を愛することが、
できないのかも知れません。
そのような定義や習慣などを、連合と言うこともあります。
統合失調症の症状は、連合弛緩である、とかね。
連合が行方不明になっているのか、
弛(ゆる)んでいるのか、
統合失調症の患者さんだけでなく、
GIDの患者さんを見れば、わかるかも知れません。
だって、GID(性同一性障害)と診断された後に、
統合失調症と診断される患者さんが、一杯いるもの。
条件反射を 新しく作るのも、停止するのも、
すでにある条件反射が、
行方不明になっているのに、効力を発揮していると、
上手く行かないでしょう?
機能が競合しますと、新しいことを、習得できません。
すでにある情報や判断が、
行方不明にならないようにするって、
簡単に言うと、記憶するってことですけれど、
意図的に思い出せないのなら、役に立たないどころか、
かえって、害をなすかも知れません。
ちゃんと記憶して、ちゃんと思い出さなければ、
ちゃんと処置できませんから、
新しいことを覚えられなくなります。
ちゃんと処置をするって、
その情報や判断に、封印をしたり、封印を解いたり、
無意識に自動的に機能させたり、意識して機能させたり、
自由に使え分けられるってことです。
そのために、情報や判断に、識別の印を付けて、
幾通りにも分類して、整理して置かなければいけません。
これが、上手く出来ていないと、
同性愛しか実行できなかったり、
嫌(きら)いな人と、性交渉ができなかったり、
心が、体の性別を許容できなかったりします。
精神分析には、自由連想ってのがあります。
分類や整理の引き出しの中に、
何が入っているかを、調べて見るの。
御本人が気づいていないものを、
いくら尋ねても、御本人は答えられません。
この際、引き出しの中を見せて下さい、ってことです。
連想する言葉を、口に出してもらうだけなの。
そうすると、整理整頓の仕方がわかりますから、
変なのが混じっていると、これは何ですか、ということになります。
御本人が気づいていなかったものを、見つけられるかも知れません。
精神分析って、文学ですけれど、
精神障害の器質的な原因や仕組みがわかっていなければ、
文学によって解釈するのも、一つの手です。
精神症状って、すでに文学的に纏(まと)められているのに、
文学によって治療するのは、
なんとなく馬鹿正直で、芸がないような気もしますが…
性転換は、文学でなく、実力行使ですから、いわば暴力です。
野蛮かも知れませんけれど、
まぐれ当たり、というのも、あります。
電磁波によって、脳味噌を刺激するほうが、いいかもね。
電極を入れたり(DBS)、
頭蓋骨の外から、脳味噌に電流を起こさせたり(TMS)…
ほんとは、性転換や電磁波よりも、
実生活の中身を変えるのが、最も直接的です。
特に、仕事や職場や友達を。
記憶や判断って、ほとんどは、脳味噌の外側で行なわれますから。
文化ってやつね。
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