チューリップの芽 746 GID(性同一性障害)の感情

道端の花壇に、チューリップが芽を出しているのを、
孫が、遠くから見つけました。
 
わたしは、近づくまで、識別できませんでした。
自宅の花壇を見慣れているので、子供はよく知っていますけれど、
 
 
精神障害者には、特定の感情の表れない人が、たくさんいます。
悲しみや喜びだけでなく、
他人に同意や共感を求める気持ちも、欠落します。
 
診察室では、なかなかわかりませんが、
精神科医や臨床心理士は、事務員の一種ですから、仕方ありません。
生活を共にしていなければ、
人の心って、事務書類のように扱うのが、精一杯かもね。
 
わたしたちが、他人の心や気持ちや感情などと言っているのは、
健常でしたら、
すべて意図的に表現されたものですから、見せ物に似ています。
 
表情や動作や声などを、感情の現われとして
人間の赤ちゃんや、比較的高等な哺乳動物の心が、
ごく自然に読み取られるように、
無意識の行動が、哺乳動物の種(しゅ)を超えて、
共通のコミュニケーション手段になっています。
 
ライオンが怒ったような声を出して唸(うな)っているときは、
やっぱり、怒っているんです。
人間の怒っている時の声の出し方と同じです。
この声の出し方が、感情ですけれど、
ライオンは、無意識に出しているのかも知れません。
人間よりも、あほに見えます。
 
うちのシャムネコは、電車に轢(ひ)かれて、
腰から下の下半身が切断されました。
お腹と背中の皮が、きれいにプレスされましたので、
見た目は出血がありません。
薬が入るまで、ずーっと怒ったように唸(うな)っていましたが、
苦しそうな人間のように、まだまだ元気でした。
 
回復の見込みがないので、即刻、安楽死させましたが、
意識的に怒っているとは、到底、思えませんでした。
 
もしも、思春期以後の人間に、無意識の感情が残っていましたら、
精神の病気の症状かも知れません。
 
わたしには、制御不能な感情なる心が、
自分にあるとは、思えませんけれど…
10歳ぐらいの時に、そう確信しました。
感情と言われているものは、他人に情報を伝えるために、
意図的に操作された表現にすぎません。
 
言葉と同じですが、アメリカ人と話すときは英語を使い、
日本人には日本語を使うように、
動物や国会議員や性転換医療を行なう医師などと話すときは、
感情を使います。
 
自分一人でいるときは、だいたい無表情ですが、
健康のために、手足や顔の筋肉を、わざと動かします。
無表情のまま、凝り固まっていると、疲れますから。
演技の練習をしている、と言っても良いかも知れません。
貧乏ゆすりや一人笑いみたいにね。
悲しそうで苦しそうな文章を読みながら、
自分の耳を引っ張り、笑っていますから、あほです。
  
すべての感情は、絵の具のチューブを絞り、色を出し、
筆やナイフで混ぜ合わされるように、意図的に調合されます。
音楽を奏でるときも、
和音やリズムを、思い通りに作れるように、普段から練習します。
 
意識をしなくても、
習慣的に、自動機械のように、演奏ができますけれど、
二足歩行は、無意識のようであっても、
確かに、随意筋を動かして、意のままに歩いています。
けっして、意図しないにもかかわらず、
夢遊病のように、ひとりでに歩くのではありません。
 
やめようと思えば、いつでも、やめられますし、
歩くように、奏でるように、描くように、
わざと感情を表出する意志がなければ、
感情という心は、どこにもありません。
 
けっして、感情という無意識の心があり、
それを、意図的に随意筋によって表現するのでなく、
表現しようとする意志がなければ、
無意識の感情と言われる心は、どこにもありません。
 
意志によって実行された行為にすぎませんけれど、
動物以来の伝統的な文化を、踏襲しています。
ライオンが無意識にやっていたことを、
わたしは、わざとやっているだけですから、
感情って、動物の物真似と言っても、良いかも知れません。
これが、精神の病気の人に、よく通じますから、
精神科医と話すときにも、感情を使うのが、一番良いと思います。
 
勝手に歩き出すのが、
解離性障害や癲癇(てんかん)などに多いように、
勝手に感情なる心が起こるのは、精神の病気の症状かも知れません。
 
赤ちゃんや動物や夢などでは、それが普通ですけれど、
思春期以後の覚醒時に、感情と言われる心が、勝手に起これば、
いわゆる自我障害の嫌疑が掛かります。
たいていは、客観的に理解することに、慣れていないだけですが…
 
3才以降の健康な子供でしたら、歩行は、実用のために行ないます。
感情は、他人とのコミュニケーションのための表現として、
意図的に行ないます。
 
わたしは10才頃に、自覚できるようになりました。
自分の心を点検して、
意図的でない感情が、どこにもないと、確認できましたので、
客観的に理解できるようになりました。
 
右足の次に左足を、どれぐらいのタイミングで、
どれぐらいの距離だけ、前に出して、
どのようにバランスを取りながら歩くかを、
一々、命令した覚えはありませんけれど、
いつでも、途中でやめることができますし、
一つ一つを点検しながら、ゆっくりと実行することもできます。
 
習慣になっているので、無意識のように感じられますけれど、
意図的に、一連の組み合わせにして、
一括して命令を出しているにすぎません。
体のバランスの取り方も、一つ一つを分解できますけれど、
連続して動作させたほうが、バランスを取り易いものです。
 
二足歩行の一々を命令しているのと同じ意味ですけれど、
命令の中身を端折(はしょ)って、
まるで、無意識に行なわれているかのように感じられる仕組みを、
たぶん、小学生になる前に、理解できます。
 
感情と言われるものが、意図的に命令されたものであり、
けっして無意識のものでないことは、
10才ぐらいに、理解できます。
わたしは、頭が悪かったので、人よりも遅かったかも知れません。
考えるのが大嫌いで、遊ぶのが大好きでしたから。
 
興味のない人は、一生、理解しないかも知れません。
わたしよりも、遥かに頭が良くても、
生涯、感情は無意識に起こるものと、
思い込んでいるお医者さんもいます。
けっして、精神の病気のせいで、
勝手に感情の起こる症状が、出ているのでありません。
客観的に生きることを、拒否しています。
  
      精神障害者に、特定の感情が欠けているのは、
      無意識の感情が、
      完全に欠落しているわたしに比べれば、
      遥かに優秀かも知れません。
 
      無意識の感情が無くても、
      意図的に表現しますので、何も不自由しません。
      自動機械のような
      哺乳類に共通の無意識の行動が退化していても、
      わざとやってのければ、それで良いのですから、
      人間であることを、さほど悲観する必要もありません。
 
      自動機構が退化して、
      その代わりに、手動のマニュアル操作で行なうって、
      生物の進化そのものですから、人間はあほです。
 
      単細胞生物と同じことを、
      遠回しに、やっていますけれど、
      数学の証明も、似たようなものです。
      ただの定義を証明しなくても良いと思いますけれど…
 
      アインシュタインやニュートンかしら。
      暇人(ひまじん)や遊び人に、
      たくさんの人が誑(たぶら)かされるから不思議です。
      数式がなければ、宇宙船や原子爆弾を作れなかったと、
      思い込んでいる人が、世の中にはたくさんいます。
 
      嘘つけ、とわたしは思います。
      だって、第二次世界大戦後の日本の製鉄は、
      世界一の生産性と品質でしたけれど、
      数式なんか、必要なかったもんね。
      中卒の職人さんが、ちゃんと作ってくれました。
      
      製鉄って、鉄だけでなく、ガスが一杯出てきますので、
      それを有効利用するために、
      パイプやタンクが一杯くっついてて、
      化学コンビナートに繋(つな)がっています。
 
      うちのお父さんも、化学工場をやっていましたけれど、
      数式なんか、ぜんぜん知りませんでした。
      経験と勘(かん)で行くの。
      それでも、世界一の日本の工業水準でした。
 
      計算しなければ、超高層ビルを建てられないのかしら。
      数式で計算すれば、便利なこともありますけれど、
      数学がなければ、ピラミッドを建てられないのは、
      相当なあほです。
 
      徒弟制度って、親方が教えてくれなければ、
      弟子には、どうしようもありません。
      場数(ばかず)を踏まなければ、
      規則性を理解できませんから、
      大量生産の要求される高度経済成長には、不便でした。
 
      コンピュータで自動化してしまえば、
      現場を経験しなくても、
      いろいろな場合に、応用が効きます。
      たくさんの弟子がいなくても、
      同じ物を、たくさん作れました。
      コンピュータのプログラムを作るために、
      数式が必要になりました。
 
      お役所やお客さんに提出する書類に、数式を並べると、
      素人(しろうと)さんを信用させることができました。
      大量生産と事務書類の作成のために、
      数式が必要でした。
 
      アインシュタインやニュートンの仕事って、
      大量生産の規格を作るっていうお役所仕事だったの。
      数学の正体です。
 
      心や脳の機能を測る検査や統計みたいなものかしら。
      エビデンスってやつ。
      精神科の患者さんは、
      人間の形をした事務書類って書いたら、
      あちこちから文句が出ましたけれど、本当です。
      
      暴力とエステティックと論理って、
      似たような意味ですけれど、
      フランス革命が、それを掲げました。
      ギロチンとマリアンヌと個人主義ね。
      
      革命の指導者たちは、性転換医療みたいに、
      あほな人たちを騙(だま)しました。
 
      昔の農奴って、
      奴隷みたいに、こき使われていた小作人と、
      教科書は書いていますけれど、
      ほんとうは、
      アフリカの石器時代さながらの狩猟民族の、
      戦士と言われた男たちのように、
      戦争がなければ、一日中、
      酒を飲んで、博打(ばくち)に耽っていました。
 
      畑仕事をするのは、女ばかり。
      狩猟は、どうしたのって、聞くと、
      戦争がない、と答えます。
 
      これでは戦争に負けるので、頭の良い人たちは、
      機械化された工場で、農奴をこき使いたかったの。
      そのために、
      農奴を所有している荘園領主を、殺したかったの。
      
      日本人は、フランス革命なんか、知らないのに、
      革命の尻拭きをしています。
      日本の憲法は、便所紙です。
      黒船と原爆に負けたので、仕方ありませんけれど、
      アメリカって、フランス革命の申し子ですから。
      
なぜ、精神の病気の人は、
悲しい気持ちや、他人に同意を求める気持ちなどを、
意図的に表現しないのかしら。
 
悲しい気持ちになるのは、
悲しいと言われる動作や発声を実行することにより、
特定の物事の拒否に、他人の賛成を求めます。
実行に賛成を求めれば、喜びと言われます。
 
うつ病の人には、勝手に悲しくなる人がいて、
頭蓋骨の上半分を取り外されて、
電極を刺し込まれたお猿さんや猫ちゃんと同じです。
人間って、健常でしたら、夢や赤ちゃんみたいに、
自動的に感情が湧き起こることは、ありません。
感情って、すべて、他人とのコミュニケーションのための、
意志による随意筋の動作です。
声も、随意筋を動かして、発声します。
 
その時に、哺乳類以来の伝統的な、
動物の種類を超えて通じる言葉を使います。
その言葉を感情と言い、表情や仕草や声などによって表わされます。
 
昔からの言葉や、たくさんの動物に通じる言葉ですけれど、
人間の言葉と、似たようなコミュニケーション手段ですから、
勝手に言葉が出るってのは、人間では、やっぱり病気なんです。
動物では、どうかしら、直接に動物に尋ねてください。
見た感じでは、無意識に感情を出している気がします。
 
特定の感情が出てこないってのも、
人類の言語が出て来ないのと同じように、変(へん)です。
他人とコミュニケーションをしても、
良い結果にならなければ、
コミュニケーションを拒否するようになります。
 
GID(性同一性障害)の人は、生まれつきに
体の性別と異なる表現形式の言葉を使うそうですけれど、
意図的でなく、自然にそうなると言うから、
フランス革命の個人主義の考え方に反します。
個人がコミュニケーションの中身を意志して表現するのが、
フランス革命の考え方ですけれど、
動物のように無意識に感情が湧き起こるのは、革命的でありません。
 
文化が、いちばん厄介です。
個人の自由になりませんし、選択の自由もありませんのに、
赤ちゃんは、特定の言語を覚えないと仕方ありません。
 
ギロチンで切り落とした血だらけの首を、高々と掲げるって、
性転換と同じくらいに、精神の病気に見えません?
 
 

精神医療の廃止とコンピュータ

進化論や精神医学などの、 ロマン主義による社会や心の学説を否定して、 精神医療と精神科と精神病院の廃止を、 主張します。

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