葉山の御用邸の前の浜辺です。
塀(へい)があるでしょう。
大きな津波が来ると、浚(さら)われますけれど、
天皇陛下は、ちゃんと逃げるのでしょう。
100回逃げて、10回ぐらい、本物が来ると思います。
大きいのは、1回ぐらい?
御用邸の前に、小舟が一杯、シートを被せて置いてあります。
精神の病気の分類の仕方に、内因性というのがあります。
現在の、日本やアメリカで使われているICDやDSMという分類に、
その言葉はありませんが、
統合失調症や双極性障害などの項目が、
精神症状によらずに、別枠で大きく纏(まと)められています。
これこれの精神症状であるなら、単なる精神症状でなく、
生まれつきの脳の病気の症状であるかのように、
暗に想定しています。
その精神症状の場合だけは、
他の精神症状による分類を超越していますので、
やっぱり、昔ながらの内因性という考え方を継承しています。
内因性の精神障害って、ようするに狭義の精神病ですけれど、
統合失調症と躁うつ病と、その近辺の精神疾患のことです。
精神疾患と精神障害は、似たような意味ですけれど、
外国語に対応して翻訳されるときの、お決まりの学術用語の場合と、
日本の法律に書かれている用語の場合のほかに、
日常会話でも、障害という言葉を使いますので、
曖昧(あいまい)なニュアンスで仕訳するしか、仕方ありません。
疾患は日常語でなく、医学的に分類された病気のことです。
精神疾患や精神障害などと言われるところを、
このブログでは、精神の病気と、適当に使っていますから、
相当にインチキです。
脳の病気は、放って置くと、
心に精神症状の表れるものが多いのですけれど、
器質的な証拠のあがるものは、
病気と精神症状との関係を理解しやすいと思います。
お酒や麻薬のせいで、精神がおかしくなるのは、
物的証拠を出せと言われても、ちょっと難しい。
机の上に酒瓶を置いて、これが物的証拠です、と言うと、
怒られます。
脳に現われている物的証拠のことじゃ、と言われるの。
生きている脳みそを、ひっくり返すわけにも行きませんから、
MRIやPETやらの画像を提出します。
そんなもん、証拠になるのかしら。
いいがかりと、たいして変わりません。
腫瘍や出血でしたら、MRIの画像が、証拠になりますけれど、
お酒を飲んで、酔っ払っているのが、精神の病気である、
という証拠なんか、MRIに写ります?
毎日、酔っ払っていると、アル中と言われますけれど、
習慣になっていて、やめられないのと、どう違うのかしら。
酒瓶が、いちばん確かな証拠のような気がしますけれど、
怒られます。
統合失調症も躁うつ病もうつ病も、習慣でないの?
だって、健常な人でも、一時的に同じ症状が出ますもの。
ずーっと症状が出続けていると、立派な病名がつくだけじゃないの?
習慣だから、そう簡単にやめられないだけじゃないかしら。
実際に、麻薬やお酒なんか、病名がつくほどの習慣になると、
監禁されないと、まず、やめられません。
化学物質が脳味噌に入った状態でやって行く癖がついていますから、
その物質が入らなくなると、ショックで死んでしまうかもね。
急には、変化に適応できません。
何年もかけて、ちょっとずつ、
済(な)し崩し的に、慣れて行くように、
麻薬やお酒の入った状態に、
いつのまにか、体が適応してしまいましたので、
急にやめると、体が、変化に適応できません。
脳みそも、そうなんです。
麻薬やお酒という化学物質の入った状態に、
ちょっとずつ適応して行くように、
自前の脳味噌の出す化学物資に、
ちょっとずつ適応して行くことがあります。
ちょっとずつ、化学物質を、たくさん出すようになるの。
何年も、それを続けていると、
急に化学物質を出さなくなった時に、脳味噌自身が適応できません。
死んでしまうかも知れないほど、苦しくなりますから、
脳味噌自身が、自分で化学物質を出さなくなるはずがありません。
今まで通りに、化学物質を出し続けようとします。
けっして、自分では、化学物質を出すのをやめられません。
習慣ね。
それどころか、今まで通りに、
ちょっとずつ化学物質の量を増やして行きます。
自分で化学物質を出すんですよ、脳みそが。
お酒や麻薬みたいに、気持ち良くなることから、
脳内麻薬って言われる種類の化学物質が、
脳みそから、いっぱい出ています。
ドーパミンも、その一つですけれど、
統合失調症は進行するって、言われることがあるでしょう?
それなの。
だんだんと、たくさんのドーパミンを出すようになってしまいます。
統合失調症と診断されると、お薬を飲ませて、
神経細胞から出てきたドーパミンという化学物質が、
他の神経細胞にくっつくのを、強制的に邪魔します。
そうすると、患者さんは気持ちよくなりますから、くそったれです。
気持ち良くなるために、
自分でドーパミンを、たくさん出していたのに、
強制的に、ドーパミンの作用する量を抑制されると、
気持ち良くなるんだから、
いつのまにか、自分で自分の首を絞めて、苦しんでいたの。
どうして、こんなことになると、思いますか。
ドーパミンをたくさん出すと気持ちが良いっていう癖がつくと、
気持ちが悪くなっても、自分ではやめられなくなります。
お酒や麻薬に似ているでしょう?
麻薬でしたら、禁断症状があるって、よく聞きます。
お酒にもあるんですけれど、
自分で、色々な神経伝達物質を出したり、出さなかったりして、
気持ち良くなるのも、
癖になると、禁断症状が出て、自分でやめられなくなります。
麻薬やお酒ですと、危ないって、教科書に書いてあるから、
誰でも知っていますけれど、
脳みその神経伝達物質が危ないって、
中学校の教科書に書いてません。
だいたい、
今、どういう種類の神経伝達物質が、どれぐらい出ているかって、
自分でわかりますか。
医学部の教科書を見ても、どの種類の神経伝達物質は、
一日にこれぐらいの量しか出してはいけないとか、
規定以上の量を、何日以上、出し続けると、
どのような禁断症状が出るかとかって、書いてないもんね。
特定の神経伝達物質を、たくさん出し続けるだけでなく、
出さないで気持ち良くなる場合も、
出さない状態を続けないと、禁断症状が出ます。
今、どの神経伝達物質が、どれぐらい出ているかを、
自分で知る方法って、ぜんぜん、医学部の教科書に書いてません。
あほです。
もっと厄介なのは、
特定の神経伝達物質と、別の神経伝達物質との比率が、
これこれならば、気持ちが良いとか、悪いとかね。
ちゃんと、お薦めの数量と測定法を明記しないで、
内因性や精神病やらって、言っているのは、かなり無責任です。
そういう内因性の精神病って言われる統合失調症や躁うつ病などと、
GID(性同一性障害)とは、根本的にどこが違うんじゃ、と言うと、
GIDの人や、性転換医療を進めているお医者さんに、怒られます。
ほんとは、神経伝達物質の量って、心を見ればわかるの。
心って、
神経伝達物質の数量や比率が、絵になって現われていますから、
小学生でも、わかります。
でも、化学物質の数量が、心という模様になるのでなく、
心の模様が、化学物質の量に現れているだけかも知れません。
心のほうが原因で、
化学物質のほうは、結果にすぎないかも知れないの。
相互関係ってのも、ありますけれど、
心って、他人とのコミュニケーションのために、自覚されます。
自覚されなければ、自動機械のようなものですから、
精神科も要りません。
心が原因で、
脳の化学物質の量のほうは、結果かも知れないってのは、
心が他人とのコミュニケーションのためにあるのなら、
個体の単位で心を見て、病気の原因や治療を考えるのは、
とんだ阿呆かも知れないって意味です。
統合失調症の患者さんや、
GID(性同一性障害)の患者さんの言っている症状は、
社会との関係の事ばかりです。
個体の単位で見るってのは、個人主義ってことですけれど、
フランス革命が、それを国家の主義主張としました。
アメリカが、フランス革命の継承者ですけれど、
戦争によって、その主義主張を、世界に強制しました。
統合失調症やGIDっていう病気は、
鉄砲で脳味噌をぶち抜く社会の、
皺寄せのような気がしてなりません。
地面に伏せて、頭を低くしなさいって、言っているのに、
頭を上げるから、ぶち抜かれます。
コミュニケーションの仕方って、社会のありかたと、
密接な関係があります。
統合失調症やGIDは、コミュニケーションの仕方の病気ですから、
脳味噌の化学物質に現われるのは、結果としての症状にすぎません。
脳は、コミュニケーションをするための臓器なのに、
フランス革命の考え方では、個人を纏(まと)める臓器になります。
内因性って、そういう言葉です。
個人が悪い。
心因反応なんて言って、病気とするように、
あくまで、個人の単位で、責任を追及します。
物理や化学の仕組みが、個人の単位で起こるはずがありません。
個人は、便宜的な単位ですので、
精神医学が、フランス革命の個人主義の法律を守ろうとすれば、
科学的であるなんて、妄想に近いのですけれど…
統合失調症やGIDの患者さんの症状に、よく表れています。
性転換医療を進めるお医者さんには、それが見えないみたいなの。
なんとなく危ないと思います。
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