馬酔木(あせび)は、夏に花芽(はなめ)が作られ、
秋から、さっそく、花序(かじょ)が展開します。
花は、萼(がく)に包まれたまま、まだ蕾(つぼみ)です。
花序って、枝(えだ)につく花の並び方のことですけれど、
一つの花序に、一つの花のこともあります。
アセビは、秋に開いた花序(かじょ)に、
固(かた)く小さな蕾(つぼみ)が、一杯、ぶら下がっています。
冬に、だんだんと膨(ふく)らみ、
春一番に、壺(つぼ)型の花冠(かかん)が、
鈴なりに開花します。
日本には、風評や風評被害という言葉があります。
風評でない意見も、ちゃんと流行するのに…
よく流行する風評を、たくさん、差し金(がね)している人たちは、
マスコミを経営したり、
芸能人や国会議員になっていたりするかも知れません。
風評の叩(たた)き合いが、
ロベスピエールやスターリンやヒトラーや毛沢東って人たちの、
華やかな政治でしたけれど、
家族制の日本社会では、人々は、それに気づきません。
風評という特別な言葉に、よく表わされていますけれど、
憲法や聖書や教科書も、新聞や週刊誌と同じように、
風評が書かれているだけです。
クローン豚やクローン牛が、とっくの昔に実用化されて、
みんなで、そのお肉を食べているのに、
スーパーマーケットの商品には、
遺伝子組み換え作物でありませんと、品質表示されています。
何が風評であろうが、なかろうが、
たくさんの人が靡(なび)けば、
旗を振り、人形の糸を操っている人たちの懐(ふところ)に、
権力が転がり込みます。
人殺しの動員力のことね。
これを争うのが、
欧米社会の殺し合いの文化に、決まっていますけれど、
日本の家族社会の中では、言葉の嘘って、
マスコミの報道のように、あまり役に立ちません。
欧米のような雄弁家は、日本では漫才師の一種です。
不言実行と言われるように、
日本人は、性転換医療を進める浮かれたお医者さんたちを、
信用しません。
性転換医療が、断種を実行する優生医療であるのは、
火を見るよりも明らかです。
生んだり生ませたりが、できなくなるのですから、
社会生活を、もぎ取ってしまう医療です。
マスコミと連動したように、
お医者さんが流行の言葉を使い、華やかに否定すればするほど、
唇(くちびる)が寂しくなります。
GID(性同一性障害)の人の中には、
性転換医療を行なうお医者さんのことを、
権力の番犬のように、毛嫌いする人もいます。
ほんとうは、お医者さんって、
生かすべき患者さんと、死なせるべき患者さんとを、
診察室で振り分けています。
立派なお仕事の人には、たくさんの健康保険のお金を使ってでも、
大きな手術や、高いお薬を処方して、
当たり障(さわ)りのないように、治療をしますけれど、
無職の人や、生活保護を受けているGIDのような人には、
重大な体の病気が発見されても、
告げもせずに、治療も行ないません。
検査結果に異常が現れても、数値のプリントを渡しませんし、
指導や処置もしません。
何も異常がありません、と言い、次回の予約も受けません。
医療ミスを訴えられることもないはずと、
高(たか)を括(くく)っています。
お医者さんって、贅沢(ぜいたく)をしなければ、
生活費に困りませんので、
自分の好きな人や、身分の高い人や、お金持ちの人でなければ、
相手にしません。
精神障害者の体を治療しても、健康保険の帳簿が赤字になり、
高い掛け金を払っている人に、役立たずのきちがいが、ぶら下がり、
健常な社会の負担になるだけですので、
まともな治療をしてあげないの。
わざと、体の危険を知らせずに、死なせます。
憎しみなの。
頭の悪いあほやきちがいに対するお医者さんの敵意は、
この地球上で最も重い罪です。
ポルポトって人の、お医者さんを皆殺しにした気持ちが、
よくわかるでしょう?
人を呪わば、穴二つってやつね。
どっちもどっちなの。
精神障害の人を出汁(だし)にして、
ちゃんと、お金を儲(もう)けてくれるのは、
精神科のお医者さんだけです。
お医者さんって、社会の厄介な人間を、間引くお仕事なの。
社会や権力の役に立つ人には、病気の治療を行ないますけれど、
役に立たない奴には、死刑をくれてやります。
不作為の作為と言いますけれど、ほんとうは人殺しなの。
弁護士さんも似たようなことをしていると、聞いています。
お金のない刑事被告人の国選弁護なんて、
一生懸命やっても、恨(うら)まれるだけかも知れません。
死人に呪(のろ)われるのが嫌(いや)なら、
葬式屋や火葬屋に、ならなければ良いのですけれど、
どうして、お医者さんや弁護士さんになったのかしら。
だれが社会の厄介者であるかは、
地位や収入や、お医者さんの超能力などによって、判断されます。
嫌(いや)な奴の家の壁に、
逮捕されないように、塗料で落書きをするでしょう?
そういう気持ちって、お医者さんの超能力です。
誰にも見つからずに、隠れて落書きをする気持ちを、
お医者さんは、自分の優秀な才能であると、自覚しています。
精神科のお医者さんって、
あほなので、超能力を持っていないかも知れません。
お医者さんのお仕事は、
葬式屋さんでもなければ、修理屋さんでもなく、
ダメ人間のための、殺し屋さんなの。
お医者さん自身の心が、社会の底辺に暮らしています。
お互いに、犯罪の加害者と被害者の立場を分かち合い、
共食いをしている社会の底辺の現実が、
医療にも現れているだけです。
学校の試験の成績が良ければ、みんな、お医者さんになるでしょう?
だから、精神の病気の人たちが、
こぞってお医者さんになりましたけれど、
欧米のような、殺し合いの社会では、ごく普通の仕組みです。
性転換医療にも、それが現れているの。
精神科医なのに、精神の病気の人を間引くなんて、
他の診療科のお医者さんのように、悪徳ですけれど、
精神の病気の人を責めても、仕方ありません。
不作為の作為って、
実行しないことによって、目的を達成することね。
車に轢(ひ)かれて、血が吹き出しているのに、
血管を塞(ふさ)いであげなければ、血がみんな出てしまいます。
指で押さえて、紐(ひも)で括(くく)ってあげれば、止まるのに…
お医者さんは、ダメ人間の患者さんの、血を止めてあげません。
癌の治療も同じです。
今、手術をすれば助かるのに、患者さんに告知しません。
異常があったとも言わずに、検査もしてあげない。
昔のお医者さんは、癌を告知しませんでした。
患者さんを苦しめずに、
黙って、ちゃんと治療をしてあげる気持ちでしたら、
もしかしたら、褒(ほ)められるかもしれませんけれど、
嫌(いや)な奴の家の壁に、
夜中にこそっと、塗料で落書きをする気持ちと、同じなのが、
医療の現実です。
そういう人ばかりが、お医者さんになるように、
学校で教えているのですから、仕方ありませんけれど…
GID(性同一性障害)の人も、子供たちを教育していますので、
言わずもがなです。
社会が潰(つぶ)れる時って、
何もかもが左前に傾いて行きますけれど、
人のために、しんどい目のできない人たちばかりが、
総理大臣やお医者さんになるのですから、世も末です。
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