鎌倉の鶴岡八幡(つるがおかはちまん)の銀杏(いちょう)です。
去年(2010年)の3月10日に、風が吹いて、倒れました。
倒れた幹の一番下の部分に、露出した根を付けたまま、
ここに、移植されました。
元の場所の、7mほど、傍(かたわ)らです。
引きちぎられて、地下に残った根は、
そのまま、元の場所に保存されました。
去年は、いずれも、元気良く葉が茂り、
秋に黄葉して、落葉したそうです。
今年は、いずれも、四月に若葉が落ちてしまってから、
ずっと丸坊主です。
夏も、芽吹きませんでしたが、
蘖(ひこばえ)の、長さと太さは、成長しています。
枯れていませんけれど、一旦、冬の寒さに曝(さら)されてから、
来春になっても芽吹かなければ、死ぬかも知れません。
隠(かく)れ銀杏(いちょう)と言われていました。
初代将軍源頼朝の子の、三代将軍実朝(さねとも)を、
二代将軍源頼家の子の公暁(くぎょう)が暗殺した時に、
この木の陰に隠れて、待ち伏せたそうです。
実朝が参拝を終え、夜の石段を降りて来た時に、
幹の陰から、公暁が斬りかかりました。
二代頼家と三代実朝は、
いずれも、初代頼朝と北条政子の、実子です。
実朝と公暁は、叔父(おじ)と甥(おい)でしたが、
実朝に、子がなかったにもかかわらず、
公暁は、猶子(ゆうし)にすぎませんでした。
猶子は、養子のように扶養されますが、相続権がありません。
公暁は、食事の時も、実朝の首を、しっかりと抱いていたそうです。
人の持つ権益が、首という実物にあると思う気持ちは、
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