糸瓜(へちま)みたい。
昔は化粧水やタワシにしましたが、
最近は、朝顔や、苦瓜(にがうり・ゴーヤ)や、胡瓜(きゅうり)や、
蔦(つた)や、ヘデラなどと同様に、
いわゆる緑のカーテンとして、日除(ひよ)けにするそうです。
お役所が宣伝していますから、暇です。
障害者でなければ、公務員になってはいけない、という法律を作り、
GID(性同一性障害)の人は、お役所に雇ってもらって下さい。
総理大臣でも構いません。
昔、ディオゲネスという哲学者は、戦争(せんそう)の時に、
樽(たる)を転がして、忙しくしていました。
彼は、樽の中で暮らしていました。
人々は、何をしているのかと、問いました。
彼の言うには、みんなが忙しそうにしているから、
自分も樽を転がして、忙しそうにしているそうです。
GID(性同一性障害)の人の御家族から、
治りませんかと、尋ねられます。
「性別が違う」と、GIDの人が言い出すのは、
御自身の発達障害の症状のせいで、
他人や社会に、うまく適応できずに、
「精神的に困ったことになっている」と、自覚しているからです。
御本人は、その原因を、性別が違うからである、と解釈します。
この解釈に、合理的な根拠はありませんが、
わりと、世界的に流行している解釈です。
合理的な根拠はないけれど、性別のせいと思うと、
御本人は喜び、気持ちが安らぎます。
他人や社会の理解を得るために、
「社会運動や文化運動をしなければいけない」と、確信しますから、
生き甲斐を感じます。
欠点は、体と生殖機能を壊すことです。
できるだけ壊さずに、社会の理解を得たほうが良いと、
わたしは思います。
それは、ともかくとして、
発達障害が根本にありますから、一朝一夕に治りません。
心を入れ替えれば、明日にでも治る、と言うものでありません。
発達障害のことを、治らない、と言う人もいますが、
治らない証拠は、ありません。
治らないものを、発達障害とする、という定義もありません。
何かの能力について、
今のところ、ここまでしか発達していないので、
健常な社会生活をするために、必要とされる最低限の能力に足りず、
生活に支障をきたしている、ということです。
人は、それぞれに、能力が異なります。
得手不得手(えてふえて)がありますから、
すべての能力に、優秀である人は、いません。
すべての能力に、劣等である人も、同様です。
でも、これと、これと、これについては、
だれでも、これだけの能力がなければ、社会生活に支障をきたす、
という能力があります。
すべての人に、共通に要求される能力です。
そういう能力って、たいてい、
特殊な技能教育や、特別な英才教育を必要とせずに、
みんなと一緒の普通の育児だけで、
健常でしたら、だれでも、最低限は習得できるものです。
たとえば、言葉をしゃべるとか、立って歩くとか、
おしっこやうんこを、
みんながするように、自分で出来るようになるとかね。
何才なら、これぐらいのことができるって、
だいたいの相場があります。
それよりも、あまり遅れるようですと、
この子の、この能力は、ここまでしか発達しなかったと、
だいたい、決めつけることが、できそうなの。
ぜったいに今後発達しない、と言えません。
そのような証拠は、ありません。
でも、みんなの蓋然性から言うと、
もう、ここまでが、この子の限界でしょうと、
諦めたほうが良いかも知れません。
証拠がないから、これから発達するかも知れないと、頑張るよりも、
ここまでしか発達しなかったけれど、
それでも、苦しまずに生活ができるように、なんとか工夫をしよう、
という生き方に変えたほうが、実用的なの。
GID(性同一性障害)の人には、そういう基礎的な事情があります。
発達障害なの。
だいたい、みんなと一緒のことをするのが、難しく、
そのせいで、みんなと一緒が、
嫌(いや)で嫌(いや)で、堪(たま)らなくなります。
どういうふうにすると、みんなと一緒なのかが、わかりません。
動作や言葉を真似(まね)ると言っても、
みんなの、一人一人の動作や言葉が違うでしょう?
違うのに、みんなの真似をするなんて、不可能です。
みんなの動作や言葉には、共通点があります。
それさえ、踏み外(はず)していなければ、
一人一人が、違う動作や言葉でも、構いません。
共通点がわからないって、変(へん)なの。
だって、GIDの人って、知能検査をすると、正常で、
高い人が一杯います。
その証拠に、一流大学の医学部に入学して、
お医者さんになる人もいます。
これだけ学力があり、知能も高ければ、
みんなの動作や言葉の、共通点を見つけ出せるはずです。
それが、できません。
共感できないの。
他人の動作や言葉をなぞって、他人と同じ気持ちになれません。
法廷の殺人犯人の言葉を聞けば、
犯人の気持ちにならなければいけないのに、
犯人の気持ちがわかりません。
これでは、有罪にすることも、死刑にすることもできませんから、
たぶん、裁くこともできない、とされます。
共感する能力って、知能検査や学力検査で測れないの。
体育の時間に、二組に分かれてサッカーをするときに、
敵と味方は、まるで戦争をするみたいに、本気で戦います。
どうして、相手の服をつかんで、引っ張り回すのかしら。
別に、怨みなんかありません。
それでも、本気で喧嘩をする人が、たくさんいます。
冷めた気持ちで、ぜんぜん試合をする気になれないのと、
本気で喧嘩をして、殴ってしまうのとは、
どちらも、発達障害の嫌疑(けんぎ)が掛かります。
GID(性同一性障害)の人は、
言葉を使って自分の気持ちを表現できません。
言葉と気持ちは、違うから、当たり前です。
ライオンは、人間の言葉を知りませんけれど、
怒ってハイエナを噛み殺すこともあれば、
あくびをして、のんびりと居眠りをすることもあります。
ライオンにも気持ちがあるのは、間違いありませんけれど、
人間の言葉はありません。
どうして、言葉によって、気持ちを表現できるのかしら。
言葉でない気持ちを、言葉によって表現できるはずがありません。
でも、GIDの人は、性別が違う、と言います。
体の性別と、心の性別が違う、と言います。
そんなもん、体の性別は、性器や生殖機能のことで、
心の性別なんか、気持ちのことですから、違うのに決まっています。
違うのに決まっているのに、違うと言います。
ライオンの気持ちと、人間の言葉は、違うのに決まっているように、
気持ちを、言葉で表すなんて、できるはずがないと、
GIDの人は思っています。
自分の気持ちを、言葉に言い表すことができませんので、
GIDの人は、気持ちを他人に伝えることができません。
体と心の性別が違うと、GIDの人は言います。
統合失調症の人の妄想って、自分勝手に定義したのに、
これこれならば、しかじかであると、
定義したことを、他人に宣言しません。
他人の判断にも、自分の判断にも、
宣言しない定義が、無数にあります。
発達障害の人って、それを読みとれません。
数学のように宣言してくれると、ちゃんと良い点数をとれます。
でも宣言しない定義を見つけ出す能力は、
学力検査や知能検査によって、測れません。
これは暗号を解くのと、全然違います。
ジョン・ナッシュという数学者は、
ノーベル賞を受賞しましたが、今も統合失調症です。
暗号を解く仕事をしていると、妄想していました。
隠された定義を見つけ出すって、
他人に共感して、みんなと一緒のことをするのと、同じ意味です。
人は、どのようにして、
宣言されない定義を、見つけ出すと思いますか。
ゆっくりと考えてみて下さい。
GIDの人に、ちょうどよい問題かも知れません。
GID(性同一性障害)が治るって、時間がかかります。
残念ながら、その間に、性転換に走ってしまいます。
これを力尽くで阻止することはできません。
早い人で、受診から10年、かかります。
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