ヘチマ 574 共感と定義と妄想 

糸瓜(へちま)みたい。
昔は化粧水やタワシにしましたが、
最近は、朝顔や、苦瓜(にがうり・ゴーヤ)や、胡瓜(きゅうり)や、
蔦(つた)や、ヘデラなどと同様に、
いわゆる緑のカーテンとして、日除(ひよ)けにするそうです。
 
お役所が宣伝していますから、暇です。
障害者でなければ、公務員になってはいけない、という法律を作り、
GID(性同一性障害)の人は、お役所に雇ってもらって下さい。
総理大臣でも構いません。
 
昔、ディオゲネスという哲学者は、戦争(せんそう)の時に、
樽(たる)を転がして、忙しくしていました。
彼は、樽の中で暮らしていました。
人々は、何をしているのかと、問いました。
彼の言うには、みんなが忙しそうにしているから、
自分も樽を転がして、忙しそうにしているそうです。
 
 
 
GID(性同一性障害)の人の御家族から、
治りませんかと、尋ねられます。
 
「性別が違う」と、GIDの人が言い出すのは、
御自身の発達障害の症状のせいで、
他人や社会に、うまく適応できずに、
「精神的に困ったことになっている」と、自覚しているからです。
 
御本人は、その原因を、性別が違うからである、と解釈します。
この解釈に、合理的な根拠はありませんが、
わりと、世界的に流行している解釈です。
 
合理的な根拠はないけれど、性別のせいと思うと、
御本人は喜び、気持ちが安らぎます。
他人や社会の理解を得るために、
「社会運動や文化運動をしなければいけない」と、確信しますから、
生き甲斐を感じます。
 
欠点は、体と生殖機能を壊すことです。
できるだけ壊さずに、社会の理解を得たほうが良いと、
わたしは思います。
 
それは、ともかくとして、
発達障害が根本にありますから、一朝一夕に治りません。
心を入れ替えれば、明日にでも治る、と言うものでありません。
 
発達障害のことを、治らない、と言う人もいますが、
治らない証拠は、ありません。
治らないものを、発達障害とする、という定義もありません。
 
何かの能力について、
今のところ、ここまでしか発達していないので、
健常な社会生活をするために、必要とされる最低限の能力に足りず、
生活に支障をきたしている、ということです。
 
人は、それぞれに、能力が異なります。
得手不得手(えてふえて)がありますから、
すべての能力に、優秀である人は、いません。
すべての能力に、劣等である人も、同様です。
 
でも、これと、これと、これについては、
だれでも、これだけの能力がなければ、社会生活に支障をきたす、
という能力があります。
すべての人に、共通に要求される能力です。
 
そういう能力って、たいてい、
特殊な技能教育や、特別な英才教育を必要とせずに、
みんなと一緒の普通の育児だけで、
健常でしたら、だれでも、最低限は習得できるものです。
 
たとえば、言葉をしゃべるとか、立って歩くとか、
おしっこやうんこを、
みんながするように、自分で出来るようになるとかね。
 
何才なら、これぐらいのことができるって、
だいたいの相場があります。
それよりも、あまり遅れるようですと、
この子の、この能力は、ここまでしか発達しなかったと、
だいたい、決めつけることが、できそうなの。
 
ぜったいに今後発達しない、と言えません。
そのような証拠は、ありません。
でも、みんなの蓋然性から言うと、
もう、ここまでが、この子の限界でしょうと、
諦めたほうが良いかも知れません。
 
証拠がないから、これから発達するかも知れないと、頑張るよりも、
ここまでしか発達しなかったけれど、
それでも、苦しまずに生活ができるように、なんとか工夫をしよう、
という生き方に変えたほうが、実用的なの。
 
GID(性同一性障害)の人には、そういう基礎的な事情があります。
発達障害なの。
だいたい、みんなと一緒のことをするのが、難しく、
そのせいで、みんなと一緒が、
嫌(いや)で嫌(いや)で、堪(たま)らなくなります。 
 
どういうふうにすると、みんなと一緒なのかが、わかりません。
動作や言葉を真似(まね)ると言っても、
みんなの、一人一人の動作や言葉が違うでしょう?
違うのに、みんなの真似をするなんて、不可能です。
 
みんなの動作や言葉には、共通点があります。
それさえ、踏み外(はず)していなければ、
一人一人が、違う動作や言葉でも、構いません。
共通点がわからないって、変(へん)なの。
 
だって、GIDの人って、知能検査をすると、正常で、
高い人が一杯います。
その証拠に、一流大学の医学部に入学して、
お医者さんになる人もいます。
これだけ学力があり、知能も高ければ、
みんなの動作や言葉の、共通点を見つけ出せるはずです。
 
それが、できません。
共感できないの。
他人の動作や言葉をなぞって、他人と同じ気持ちになれません。
法廷の殺人犯人の言葉を聞けば、
犯人の気持ちにならなければいけないのに、
犯人の気持ちがわかりません。
これでは、有罪にすることも、死刑にすることもできませんから、
たぶん、裁くこともできない、とされます。
 
共感する能力って、知能検査や学力検査で測れないの。
体育の時間に、二組に分かれてサッカーをするときに、
敵と味方は、まるで戦争をするみたいに、本気で戦います。
どうして、相手の服をつかんで、引っ張り回すのかしら。
別に、怨みなんかありません。
それでも、本気で喧嘩をする人が、たくさんいます。
 
冷めた気持ちで、ぜんぜん試合をする気になれないのと、
本気で喧嘩をして、殴ってしまうのとは、
どちらも、発達障害の嫌疑(けんぎ)が掛かります。
 
GID(性同一性障害)の人は、
言葉を使って自分の気持ちを表現できません。
言葉と気持ちは、違うから、当たり前です。
ライオンは、人間の言葉を知りませんけれど、
怒ってハイエナを噛み殺すこともあれば、
あくびをして、のんびりと居眠りをすることもあります。
ライオンにも気持ちがあるのは、間違いありませんけれど、
人間の言葉はありません。
 
どうして、言葉によって、気持ちを表現できるのかしら。
言葉でない気持ちを、言葉によって表現できるはずがありません。
でも、GIDの人は、性別が違う、と言います。
体の性別と、心の性別が違う、と言います。
そんなもん、体の性別は、性器や生殖機能のことで、
心の性別なんか、気持ちのことですから、違うのに決まっています。
 
違うのに決まっているのに、違うと言います。
ライオンの気持ちと、人間の言葉は、違うのに決まっているように、
気持ちを、言葉で表すなんて、できるはずがないと、
GIDの人は思っています。
自分の気持ちを、言葉に言い表すことができませんので、 
GIDの人は、気持ちを他人に伝えることができません。
体と心の性別が違うと、GIDの人は言います。
 
統合失調症の人の妄想って、自分勝手に定義したのに、
これこれならば、しかじかであると、
定義したことを、他人に宣言しません。
 
他人の判断にも、自分の判断にも、
宣言しない定義が、無数にあります。
発達障害の人って、それを読みとれません。
数学のように宣言してくれると、ちゃんと良い点数をとれます。
でも宣言しない定義を見つけ出す能力は、
学力検査や知能検査によって、測れません。
 
これは暗号を解くのと、全然違います。
ジョン・ナッシュという数学者は、
ノーベル賞を受賞しましたが、今も統合失調症です。
暗号を解く仕事をしていると、妄想していました。
 
隠された定義を見つけ出すって、
他人に共感して、みんなと一緒のことをするのと、同じ意味です。
人は、どのようにして、
宣言されない定義を、見つけ出すと思いますか。
ゆっくりと考えてみて下さい。
GIDの人に、ちょうどよい問題かも知れません。
 
GID(性同一性障害)が治るって、時間がかかります。
残念ながら、その間に、性転換に走ってしまいます。
これを力尽くで阻止することはできません。
早い人で、受診から10年、かかります。
 
 

精神医療の廃止とコンピュータ

進化論や精神医学などの、 ロマン主義による社会や心の学説を否定して、 精神医療と精神科と精神病院の廃止を、 主張します。

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