花の形が熨斗(のし)に似ています。
写真は、まだ蕾(つぼみ)です。
花が咲いても、開き切りませんし、
どうせ、俯(うつむ)きに咲きます。
座り込まないと、花びらの中まで見えませんので、
写真に撮ろうとすると、蚊に刺されます。
蛇(じゃ)の髭(ひげ)や、竜(りゅう)の髭と、同じ属。
シュッシュッと伸びている葉っぱが長く、
この草むらは、蚊が一杯です。
ラン科でなく、ユリ科。
学名の、Ophiopogon jaburan Lodd. は、
蛇(じゃ)の髭(ひげ)属の、薮蘭(やぶらん)という意味で、
日本語のギリシャ語訳のラテン語化です。
ヤブランでなく、ノシランなのに、
Conrad Loddigesって人が、jaburan としました。
同じ種(しゅ)ですと、命名権は早い者勝ちですから、
命名の由来が誤解にもとづいていても、関係ありません。
規約ですから、仕方ないの。
でも、ややこしい。
ラン科でなくユリ科で、ヤブランでなくノシランなのに…
シーボルトが、最初にヨーロッパに報告していますから、
性転換には色々な考え方がありますが、
大きく分けて、横糸と縦糸のように、
わたしは、二種類に分けています。
一つは、子供の頃から性別の違う生活に馴染んでいた。
少なくとも、心はそうだった。
今もそうである。
だから、性転換は正当である。
自分は、本物のトランスジェンダーである。
という感じの考え方ね。
科学的にそれを証明しろと、要求されると、
脳味噌には性別があり、自分の性別は、体の性別と違うとか、
脳味噌のどこそこの神経細胞の形が、男女逆転しているとか、
子供のころから異性の生活だった、という目撃証言を集めるとか、
そういう正当性の証明の仕方を、試みるでしょう?
こういう考え方を、横糸としておきます。
それに対して、縦糸の考え方があります。
性交渉の相手の立場になったつもりで、オナニーをしたり、
顔や体の形が異性に似ているので、ナルシズムに耽ったりして、
性交渉の主体と客体を逆転させるって、すごい性的快感です。
生殖や社会生活は、人に合わせて共感するから、気持ちがいいの。
子宮って、拒絶反応がないでしょう?
体が異性に似ていなくても、異性装をすれば似てきますので、
異性になったつもりの心を、意図的に自作自演するのは、
たいていの人にとって、とても気持ちの良いことです。
この性的な気持ち良さを、精神科のお薬のように、
精神疾患の治療に利用することができます。
ロールプレイ療法のようなものですけれど、
性転換は、実際に生活をしますし、
顔や体の形を、内科的や外科的に変形して、
生殖機能を不可逆的に阻害しますので、
単なるロールプレイ療法でなく、
性転換療法と言ったほうが適切です。
当然、治療される精神疾患や精神症状と、
治療の副作用と、その効果を、はっきりとさせる必要があります。
副作用は、体と生殖機能の、破壊や阻害だけでなく、
いわゆる色ボケもあります。
ここでは、子供の頃からの、異性のような生活は、
治療の補助的な事実にすぎません。
このような考え方を、縦糸とします。
性転換は、横糸と縦糸が、
艶(あで)やかな西陣織のように、
様々な規則性によって、一枚の布に織られています。
横糸のことを緯(い)と言い、縦糸のことを経(けい)と言います。
経緯って、地球の経線と緯線のようなものですけれど、
讖緯(しんい)と言われるように、
緯には、予言や占いの意味があります。
たとえば、経書(けいしょ)と言われる孔子の『春秋』を、
単なる歴史書でなく、
予言の書、つまり讖緯(しんい)の書であると、解釈します。
性転換の疑似科学は、それに似ています。
GID(性同一性障害)では、
ホルモンシャワー説や、脳の性差の説などを、
GIDに適用するトランスジェンダーの考え方が、
代表的な讖緯(しんい)説である、と言えます。
脳の性差や、子供の頃からの生活習慣などの、
横糸の正当性や、
織りあがった絵柄の芸術性だけに、目を奪われてはいけません。
治療される精神疾患と、治療の副作用と効果を明らかにして、
縦糸を評価する態度が必要です。
わたしは、縦糸のほうに、興味が傾き易いかもしれません。
性転換医療の原理です。
でも、縦糸の臨床的医学的有効性に、
いわゆる進歩的な社会文化運動の、活動家になったような、
うっとりとした気分も、紡(つむ)ぎ込まれていますので、
性転換は、総合的に評価されなければいけません。
医学と言っても、精神科は人情を大切にしますので…
0コメント