せいぜい、膝ぐらいの高さの、浜辺の小さな木ですけれど、
地下茎で繋(つな)がっています。
浜栲(はまごう)って書きます。
横須賀市の、長浜海岸。
昭和天皇が存命中には、葉山の御用邸の砂浜にも、
浜栲(はまごう)の大群落がありました。
彼は、全国植樹祭の折(おり)に、
ハマゴウの群落で有名な、加賀海岸を訪れたそうで、
あそこのは立派だったと、
後々(のちのち)までも、語りぐさにしていました。
当時は、葉山の群落も、けっこう立派でしたけれど、
今は見る影もありません。
この写真は、葉山の少し南の、横須賀市内の小さな群落です。
三浦半島の西海岸の、相模湾に面した磯辺(いそべ)の、
GID(性同一性障害,ジーアイディー)の人の中には、
発達障害や、人格障害や、統合失調症や、認知障害やらって、
なんじゃらほい、と言う人が、少なくないと思います。
発達障害や認知障害でも、
脳の器質に、原因となる病変が、
発見されている種類の病気でしたら、
話は、すっきりするかも知れません。
でも、発達障害のほとんどは、器質的な原因や仕組みが不明です。
認知障害では、
統合失調症が、器質的な機序の、不明な病気の代表です。
一般の人が、よく耳にするアルツハイマーは、
認知障害のうちでも、
脳の変性疾患であることが、わかっています。
統合失調症は、昔でしたら、他の精神の病気と比べて、
別格大本山のような地歩(ちほ)を、築いていました。
他にも、てんかんや、うつ病などが、
狭い意味での、いわゆる精神病のお仲間でした。
最近は、特別な地位を、剥奪(はくだつ)される傾向にあります。
お薬が、効くようになって、恐くなくなったの。
昔は、結核やライ病やコレラって、
厳しく隔離しなければいけないほど、恐かったのですけれど、
今は、あまり恐くないのと、似たようなものです。
そのせいで、精神科の入院病棟なんか、無くしてしまえ、
と言うお医者さんもいます。
社会復帰を妨げて、病気を悪化させる、と言うのです。
通院だけで、十分だそうです。
統合失調症が、恐かったのは、
妄想や幻聴などの、精神運動興奮が、患者さんの苦しみを招き、
長期間に及ぶと、痴呆になるからでした。
今は、抗精神病薬っていうお薬で、治ります。
ところが、統合失調症の患者さんが、痴呆になるのは、
興奮のせいだけでなく、
妄想や幻聴のない認知障害からも、症状が進みます。
むしろ、妄想や幻聴などをきたす精神運動興奮は、
妄想や幻聴のない認知障害によって、
二次的に惹(ひきおこ)されたのでないかと、言われています。
妄想や幻聴などの興奮症状だけの患者さんは、
統合失調症の中でも、お薬のよく効く、治りやすい人ですので、
運がよかったのかも知れません。
あるいは、まだ若い頃は、認知障害が、さほど進行していませんので、
抗精神病薬によって、妄想や幻聴などの精神運動興奮を鎮静すれば、
根本的な認知障害が、軽症と言えるぐらいにしか、
残らないのかも知れません。
ストレスが掛かり、精神的に苦しむと、
年齢と共に、認知障害が進みます。
ストレスが掛からずに、
極楽蜻蛉(ごくらくとんぼ)で暮らしていれば、
認知障害は、あまり進みません。
統合失調症の人って、
遊んで暮らしているだけでも、気がねや引け目を感じて、
ストレスのせいで、精神的に苦しむ性格の人が、多いようです。
認知障害のせいで、精神運動興奮をきたすのは、
たとえば、糖尿病になりやすい素質の人は、
食べ過ぎや運動不足が重なると、血糖値を調節する機能が、
使いすぎによって、疲弊してしまうようなものかも知れません。
糖尿病になりにくい素質の人は、無謀な生活習慣に明け暮れていても、
一向に糖尿病になりません。
根本的な認知障害って、
ようするに、発達障害のことです。
統合失調症の患者さんは、
お母さんからの聞き取りによると、
子供の頃に、すでに発達障害があったのでないかと、
疑われる人が、ほとんどです。
普通教育に支障をきたすほどの、重症の人は少なく、
小学校に入学する際に、特別な配慮を必要としないので、
何の、いちゃもんも付けられずに、
発達障害を見逃されていた人が、ほとんどです。
軽症でした。
こんなことを言うと、怒られますけれど、
発達障害って、
ようするに、最初から頭が壊れているってこと。
統合失調症の人も、GID(性同一性障害)の人も、
最初から、少し壊れていたかも知れません。
でも、個性の範囲内と、理解することも可能なくらいに、
少ししか壊れていなかった人が、ほとんどです。
脳の器質に、証拠を発見できませんから、
機能を見て、壊れていると判断します。
実にいい加減ですので、申しわけありません。
治らないという証拠も、ありません。
パソコンの機械の故障個所を、目で見て確認できなくても、
使ってみて、これは壊れていると、判断するでしょう?
たぶん、自然には治らないと、推定します。
脳味噌は、もっと複雑ですので、
精神科医という特別の資格を、
額(がく)に掲げている人もいます。
かえって、いい加減に見えるかも知れません。
統合失調症って、途中から壊れたってことですけれど、
認知障害って、たんに壊れているって意味です。
発達障害の人が成人すれば、
人格障害と言われることが、多いので、
出世魚(しゅっせうお)みたいと言うと、
また怒られます。
人格障害って、発達障害の続きみたいなものです。
統合失調症もGIDも、
広く言えば、人格障害の一種みたいなものです。
統合失調症は、最初から少し壊れていた発達障害の人が、
おもに思春期以後に、
発達障害に足を引っ張られるように、
健常だった機能が、追加して壊れます。
GIDや統合失調症や人格障害や発達障害などを、
広く認知障害と理解したほうが、
対応の間違いを、防ぐことが出きるかも知れません。
認知症っていう変な名前や、
何を測っているのか、知れたものでないのに、
知能検査なんていう言葉が定着していますので、
厄介です。
言葉の意味なんか、
規矩準縄(きくじゅんじょう)でありませんけれど、
やっぱり、字面(じづら)に惑わされるでしょう?
認知症って、認知能力が高すぎて、困っているみたい。
知的障害も、その名前で良いのなら、
認知症は、認知的障害にすればいいのに。
GID(性同一性障害)は、性的自己同一性障害。
面倒臭いので、性的自我障害とか。
GIDって、精神病でないって言う人が、たくさんいます。
統合失調症の人も、自分は精神病でないと、言います。
なかなか病気を自覚できませんので、
病識がない、と言いますけれど、
GIDも、病識のない代表的な病気です。
自分の、どこが病気であるかを、自覚できませんので、
治りたいと思っていません。
自分は病気でない、と言います。
GID(性同一性障害)のことを、精神病でないと言うのは、
統合失調症でないという意味ですけれど、
GIDと統合失調症は、
別々の疾患として、分類されていますので、
GIDは、統合失調症でありません。
GIDが、精神病でないと言われたのは、
1950年代半ばに、
クロルプロマジンという抗精神病薬が、
普及する以前のことです。
性転換って、ロボトミーと同じ時代の、
古い医療のリバイバルですので、
GID関係では、当時の古めかしい言い方が、
今も慣用的に使われています。
GIDでは、認知障害の進行のはっきりする人が、
65才程度で、25%ぐらいいます。
GID全体の8%程度は、
その時点で、統合失調症と診断されるかも知れません。
年配になってから、統合失調症を発症すると言うよりも、
若い頃から、嫌疑の掛かっていた人に、
はっきりと認知障害が確認されて、
統合失調症と診断される可能性が、高くなります。
GID(性同一性障害)の人って、
すごく嬉しそうに、はしゃいでいます。
統合失調症の人も、若い頃は、
抗精神病薬を使って、気持ちが楽になると、
はしゃぐように、明るくなります。
ストレスが溜まるたびに、
認知障害が積み重なるように進行しますので、
はしゃぐことができなくなれば、
ネジの切れた玩具(おもちゃ)みたいに、
止まってしまうかも知れません。
統合失調症って、
治る人は、年を取ると、性格が丸くなるように、
症状が穏やかになり、安定します。
治らない人は、
年を取ることが、ストレスになるかのように、
年齢に適応できずに、認知障害が進行して、
痴呆に至ります。
GIDと統合失調症って、
治る人と、治らない人の差が、わりと、よく似ています。
根本の認知障害が同じかも知れません。
子供の頃の発達障害ね。
みんなと一緒のことができない、
自閉傾向がある、会話が円滑でないなどは、
すでに、幼児期に現れています。
お医者さんの中には、
統合失調症の前駆症状として、GIDを見る向きもあります。
精神運動興奮がなく、抗精神病薬が効かなくても、
統合失調症と診断できますので、
抗精神病薬のなかった時代に纏められた統合失調症と、
1950年代中頃以降の、薬物療法の時代の統合失調症との間で、
不合理をきたしているのかも知れません。
ICD(International Classification of Disease)
というWHO(国際保健機関)の国際疾病分類や、
DSM(Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders)
というアメリカ精神医学会の診断基準などの、
操作的と言われる便宜的な分類手法が、わざと合理性を曖昧にして、
統合失調症という19世紀末の分類概念を、
文化的に継承していますので、仕方ありません。
GID(性同一性障害)の性転換医療って、
薬物療法よりも前の、ロボトミーの時代の、古い治療法ですので、
統合失調症との理不尽な関係が、たいへんよく目立ちます。
GIDが統合失調症でないかと疑われるのは、
ほとんどが、精神運動興奮がないにもかかわらず、
認知障害の進行する例です。
統合失調症の基礎疾患の発達障害の認知障害が、
加齢に適応できずに進行しますので、
重症の統合失調症の患者さんが、老化と共に痴呆に至る過程と、
よく似ています。
GIDを、統合失調症とすべきか否かは、
GIDを、統合失調症の前駆症状と見るべきか否かとは、
また別の話です。
発達障害って、そこまでしか能力を獲得していませんけれど、
統合失調症は、いったん獲得していた能力が、低下します。
でも、発達障害の能力の不足と、統合失調症のそれとは、
能力の品目が異なります。
ヒステリーの転換性障害のようなもので、
発達障害の能力の不足による、精神的な苦痛が、
健常に発達していた機能の、足を引っ張ったと、解釈できます。
妄想や幻覚などの精神運動興奮がなければ、
発達障害に加えて、統合失調症と診断しませんけれど、
統合失調症のほとんどの人には、
発達障害と診断されるほどの、重症の発達障害がなく、
軽症の発達障害しか、認められません。
軽症の発達障害でも、加齢に適応できずに、
痴呆に至るまで、認知障害の進行することが、ごく普通にあります。
自分から、わざと痴呆になっているかのようですので、
ヒステリーに見えます。
軽症って、小学校の現場で、特別な配慮を必要としないとして、
発達障害が見逃される程度の、軽い症状と、理解してください。
統合失調症の診断には、
医師の側の能力不足が災いすることも、よくあります。
たとえば、思考滅裂として、こんな例をあげている人もいます。
「妹も弟も頑張り通していると思えば私だって我が住む里の
稚内海山ともに幸ありて結び合えつる友とわが道に励むいざ父母も
かつて学びし・・・」
「思考にまとまりがなくなって
関連のない内容が結びついたり主題が突然飛躍したりします」
と解説されています。
わたしは、すっきりと理解できますので、
精神の病気とは、到底、思えません。
わたしも、統合失調症なのかしら。
この引用例を説明してみます。
「妹も弟も頑張り通していると思えば」 は、
誰でも、わかるでしょう?
「私だって」は、「我が道に励む、いざ」に続きます。
「父母もかつて学びし」は、
引用した後ろの言葉に続いているはずです。
この場所で切断して引用しているのは、
もしかしたら、引用者の文章読解能力が足りません。
「海山ともに幸ありて結び合えつる」は、
「我が住む里の稚内」を説明しています。
「友と」は、友として、の意味です。
誰だって、疲れている時は、不親切になりますが、
もうすこし親切に書くとするなら、
作者は、次のように書くべきでした。
妹も弟も頑張り通している、と思えば、
私だって、いざ、わが道に励む。
我が住む里の稚内、
それは、海と山が、ともに幸せに結び合って来た土地であるが、
故郷(ふるさと)の稚内を友として、いざ、わが道に励む。
父母もかつて学びし…
と続きます。
初めて読んで、一度で、あっさりと意味のとれない人は、
もしかしたら、国語力が不足しています。
この文章を読みとれなければ、源氏物語なんか、到底、読めません。
疲れている時は、誰でも、こんなものと、わたしは思いますが、
引用した人は、統合失調症の滅裂思考の例としています。
これですと、人類のほぼすべては、滅裂思考になってしまいます。
なるほどと、思わないこともありませんが、
基本的には、引用者の、文章読解能力の不足です。
精神医学の専門家のようですので、
現代の精神医学の水準を、よく表しています。
頭の悪い人が、精神科医になると思うと、身につまされます。
そう言えば、GIDでありながら、精神科医って人も、たくさんいます。
GIDって、知能は健常で、
もしかしたら、知能や学力の高い目の人が、多いかも知れませんので、
頭の悪いのは、やっぱり病気なのかしら。
うちの患者さんの中の、
性欲が無いと訴えるシャカムニと言われる人たちは、
市販の筆記の知能検査と同じ検査を受けると、
100人程度の平均が、IQ130台で、
驚異的に知能指数の高い人たちでした。
わたしの治療を受けると、知能が高くなって、治ると良いのですが…
解体や支離滅裂って、
昨日(2011-07-12)も、ちょろっと書きましたけれど、
会話や文章では、概念と概念の関係が、
たくさんの人に、理解不能になります。
アインシュタインの一般相対性理論のような文章は、
一般の人には、解体や支離滅裂と、区別がつきません。
統合失調症の多くは、御本人が説明してくれません。
教えてくれない理由を尋ねても、答えてくれませんので、
理由もなく、不親切になります。
御本人が理由を言ってくれませんから、
概念と概念の関係が、どうなっているのか、
他人には、わかりません。
そのせいで、御本人の生活に支障を来して、
御本人が苦しんでいたり、
周囲の人が苦しんでいたりすると、
解体や支離滅裂などと言われて、
精神の病気とされるかも知れません。
御本人が理由を言ってくれませんので、
こちらで憶測します。
一番多いのは、
疲れて不機嫌になり、不親切になっているのが、
ありそうな理由です。
人間関係の好き嫌いが、激しいこともあります。
嫌(いや)なヤツには、教えません。
嫌な思い出を、説明したくないのかも知れません。
自我の境界性の機能が、変調をきたして、
自閉と言われる症状になっているかも知れません。
事実の因果関係を形成できなくなったり、
概念と概念との関係を、
みんなと一緒の定義に設(しつら)えることが、
できなくなっているのかも知れません。
自我の機能のうちの、
自己同一性と言われる機能の障害です。
自我の境界性の機能の障害と、
自己同一性の機能の障害とを合わせて、
自我障害と言うこともあります。
大なり小なり、
解体や支離滅裂と言われる症状になりますが、
連合弛緩や両価性などと言う人もいます。
わたしたちの情報の整理の仕方って、
概念や、概念と概念の関係を、定義したり、
さもなければ、事実と言われる文化的な表象を形成して、
時間の前後関係を、因果関係として理解したりするのが、
代表的な方法です。
いずれも、みんなと同じ方法でなければ、
他人とコミュニケーションできません。
事実を形成しなくなれば、
赤ちゃんや、夢や、動物のような意識になりますから、
頭が壊れているって、すぐにわかります。
だって、健常な人も、夢や赤ちゃんの意識って、
経験して、知っていますから、
けっして、精神障害者に特有のものでありません。
でも、みんなと違う独自の定義によって、
概念や、概念と概念の関係を、使用する人って、
定義の中身を宣言してくれなければ、
一般的に流通している定義と、紛らわしくて、
意味がわからなくなります。
嘘をつくのが、上手(うま)い人って、
自分だけの独自の定義を、
使うたびに、新しく定義しているくせに、
みんなと一緒の言葉の意味ですよって、
知らん顔をしています。
嘘をつくのが、下手くそなくせに、知らん顔をしていると、
きっと、解体や支離滅裂と言われます。
本当は、言葉って、
誰でも使用するたびに、新しく定義しているのですけれど、
それでも、不都合をきたさないのは、
みんなと一緒のことを、やっているからです。
言葉って、言葉の使用そのものが、定義なの。
辞書の言葉の説明って、言葉で説明されているでしょう?
説明のために費やされた言葉の意味って、
どうやって、説明されるの?
そんなことで、法律が成り立つのかしら。
法律の言葉の意味って、どうやって定義するのかしら。
そんなことで、言葉って通じるのかしら。
でも、通じているでしょう?
みんなと一緒のことをやって、
みんなと一緒のことを考えているから、通じるの。
精神の病気って、みんなと一緒のことができなくなります。
だから、解体や支離滅裂や、
自我障害や連合弛緩ってことになります。
御自分で、何がなんだか、わからなくなるから、
精神運動興奮っていう状態になって、
妄想や幻聴が出てきます。
ただ、精神運動興奮には、なりやすい素質ってのがあって、
不摂生な食生活や、運動不足を続けていると、
血糖値を調節する機能が疲弊して、
糖尿病になるようなものです。
素質のない人は、いくら暴飲暴食の運動不足でも、
糖尿病にならないように、
いくら、みんなと違うことをしていても、
精神運動興奮になりません。
それでも、認知障害が進行して、痴呆になります。
やっぱり、解体や支離滅裂になります。
言葉を文学的に評価しようとするよりも、
行動を見たほうが、確実でしょう?
源氏物語を読んでも、
暗号を解読するように、意味の見当がつかずに、
話の筋書きを見失ってしまう人には、
会話や文章から、他人の精神の病気を知るのは、困難です。
実際に、初めて統合失調症と診断されて、
措置入院になった患者さんの職場では、
精神の病気であると、だれも気づかずに、
本気で、患者さんと喧嘩をしていることが、よくあります。
職場が、精神科のある総合病院の場合も、あります。
お医者さんがたくさんいますから、
頭のいい人も、たくさんいます。
それでも、統合失調症の急性症状に気づきません。
このぶんですと、精神科医が統合失調症の人を、
責任能力の完全な人格障害と鑑定して、
患者さんを死刑にしてしまうことも、
あるかも知れません。
実際に、パリのオランダ人女性の、お肉を食べた人は、
責任能力がないとされて、
フランスでは、不起訴になりましたが、
日本では、人格障害なので、起訴すべきであると、
言われました。
パリの警察が、捜査資料を提供してくれなかったので、
起訴されませんでした。
言葉でなく、行動を見て判断するってのは、
お肉を食べることでなく、
手先の器用さや、整理整頓や、
蛍光灯の付け替えが出きるかなどの、
日常の動作を見ます。
不器用になり、整理整頓ができなくなり、
作業の手順を立てられなくなり、
お金を節約して使うことが、出来なくなったりします。
あまり、思想の反映しない事のほうが、
精神の病気を判断しやすいの。
思想や価値観をうんぬんすることって、
判断の目を眩(くら)ませます。
文章や絵画の評価って、人の勝手ですから、
支離滅裂なので、統合失調症の症状であるって、
言えないでしょう?
だって、支離滅裂な絵のほうが、
芸術的って言う人もいます。
人の体を見て、美しいか、醜いかを評価するって、
精神の病気とは、また別でしょう?
それなら、人の芸術的な文章を読んで、評価するのも、
精神の病気とは、また別です。
上にリンクした例文を、統合失調症の滅裂思考と言うのは、
その間違いを、奇麗に冒しています。
、 このような目で、GID(性同一性障害)を見ても、
精神の病気のお話に、なりません。
GIDを、精神の病気と言うときは、
こんな見方をしてはいけません。
0コメント