毎年毎年、見慣れたハス池ですけれど、
今が盛りとなると、一枚、撮っておきたくなります。
わたしは、冬の蓮根(れんこん)を食べたい。
今は同性愛って、治療対象でありませんけれど、
同性愛のうちの、異性との性交渉を拒否するタイプの人でも、
異性に強く性欲を催し、強く生殖を望むのが、普通です。
そのくせに、言葉では、断じて異性に性欲を催していないと、
誓いを立てるかのように、身の潔白を主張する人も、たくさんいます。
変(へん)と言えば、変ですけれど、
本人が、助けて欲しいと訴えるぐらいに、苦しんでいるのでもなく、
周囲の人が、耐えられないほどの迷惑を蒙っているのでもなければ、
わざわざ、医学が、病気と決めつけて、
本人や周囲に、苦しみを自覚させる必要もありません。
GID(性同一性障害)のなかの、性欲がないと訴えるタイプの、
いわゆるシャカムニと言われる人たちも、
生殖をしたいという気持ちが、非常に強い人たちです。
GIDの中の、
TV(トランスベスティズム、ティーブイ)と言われる人たちには、
結婚して子供を生んでから、性別が違うと言い出す人も、
少なくありません。
いずれも、御本人の訴えていることと、やっていることとが、
病的に違います。
ちくはぐなところに、精神の病気が現れています。
GID(性同一性障害)の人たちが、同性愛と違い、
医学的に、病気と定義されているのは、
実際に性ホルモン製剤を使ったり、外科手術を受けたりして、
体を壊すからです。
まだ、壊していなくても、
それを良いこととして、壊そうとする気持ちが切迫していると、
やはり、GID(性同一性障害)と診断されます。
御本人は、性腺の機能を不可逆的に阻害して、
自分から、昔の、いわゆる半陰陽になることを、
良いことと思っていますので、
けっして、体を壊していないと、主張しますけれど、
精神医学では、体を運営できなくなる心を、
たとえ、気持ちの良い心でも、精神の病気とします。
麻薬を使って、気持ちの良くなった心のようなものです。
形成外科の人は、体を壊しても、心が満足しているのだから、
SRS(性転換手術)は、病気の治療でなく、
美容手術にすぎないと、主張します。
自分たちの、お金儲けのためですから、
痴呆老人に契約させておきながら、痴呆とは知らなかったと、
シラ惚(とぼ)ける商売人のようなものです。
野球のバットやグラブを、同級生に使わせるために、
親に、たくさん買ってもらって、
草野球の胴元になっていた子供なのに、
青年期になると、
自分は子供のころから、心は女の子であると思って、悩んでいたと、
述懐する人もいます。
精神の病気の症状って、笑い話のようなのが、たくさんあります。
GIDって、お笑い草の塊(かたまり)ですけれど、
自分から生殖機能を壊して、孤独に死んで行きます。
拒食症の人が、過食と拒食を繰り返すのを見ていると、
知らない人は、一人芝居の喜劇のように思いますけれど、
御本人は非常に苦しみ、不規則な食生活から、免疫機能を損ない、
電車道(でんしゃみち)を進むように、死んで行きますので、
簡単には、笑えません。
オペラで言うと、
レオンカヴァッロの、「道化師」みたいなものかしら。
あれは、8月15日っていう嫌(いや)な日に起こりました。
原子爆弾を落とされて、戦争に負けた日ですけれど、
カトリックでは、キリストさんのお母さんが、亡くなりました。
日本では、お盆です。
マリアさんの死を、ラテン語でアサンプチオと言いますけれど、
受け入れる、迎え入れるという意味で、被昇天と翻訳します。
天国に受け入れるって意味です。
英語の assumption と同じですので、
宗教用語から、論理学や法律学の用語が、派生します。
神様の物語によって、説明されていた心が、
論理や法律などによって、解釈し直される過程です。
ルネサンスと言いますけれど、
古代ギリシャ・ローマ風の、合理的な政治や土建技術などの考え方が、
カトリックの物語に彩られた日常的な言葉に、
忘れ去られていた当たり前の意味を掘り起こして、
自我や個人や自由や責任などの、新しい考え方を作って行きます。
心を表す言葉が、
昔ながらの地べたの合理性と、キリスト教の神様の物語と、
近代的な法律や哲学などの、新しい思想との、
二重写しにも三重写しにもなります。
assumption って言葉に、その変遷が、よく現れています。
GID(性同一性障害)の人たちは、
自分の心の性別が、体の性別と異なることを、
自分の心を受け入れる、あるいは、自分を受け入れる、と言って、
良いことと確信しています。
中世キリスト教の考え方なの。
マリアさんの死のことを、性転換になぞらえて、
欧米の人が、表現したのかも知れません。
昨日(2011-07-08)の話の、書き残しね。
カトリックの assumption って、ようするに死ぬことですから、
自分の体を壊すことが、即ち、自分の心を天国に受け入れることなの。
そのことを、日本のGIDの人たちは、
自分の心を受け入れると、表現します。
性転換って、死ぬことですから、
山本常朝って人の、葉隠(はがくれ)みたいなものかしら。
彼は、武士道と云ふは死ぬ事と見付けたり、と書いていますけれど、
三島由紀夫って人も、その考えに靡(なび)いて、実践しました。
三島さんって、
GID(性同一性障害)と、よく似た精神の病気の人でした。
レオンカヴァッロの道化師みたいな人には、
その道を行くと、脱線転覆するって、言ってあげるのですけれど、
絶対に聞き入れません。
しかたがないので、御本人の思うように線路を進ませてあげて、
こちらのほうで、知らん顔をして、線路を曲げてしまいます。
波止場の引き込み線の、行き止まりを突き進んで、
電車ごと、港の海にダイビングするのを、
うまく青函トンネルに導いて、北海道に渡らせてあげます。
きっと、詐欺師と訴えられますけれど、源義経の例もありますし、
銀河鉄道に乗って、夜空の星屑になった例もあります。
健常な文化も、また、笑い話かも知れませんけれど、
赤ちゃんは、人が死んで行くのを、じっと見ています。
遊び人が国会議員になったり、お医者さんになったり、
東京都や、千葉県や、宮崎県の、知事さんになるなんて、
GID(性同一性障害)の人が、SRS(性転換手術)を受けるよりも、
噴飯物(ふんぱんもの)ですけれど、みんな死んで行きます。
関西では、七夕さまの夜が明けて、
今日になると、梅雨が明けたそうです。
わたしは、夏が長くなると、涼しくなるまで体が持つかと、心配です。
去年は、お盆に、眩暈(めまい)がひどくなりました。
明日になると、きっと横須賀も、梅雨が明けます。
夏バテで、死んでしまいそう。
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