ホタルブクロ 485 認知障害と神経の成長

 
 
統合失調症の認知障害と、精神運動興奮との、
いずれが卵で、鶏(にわとり)かって、人によって、違うみたい。
どちらが原因で、どちらが結果かと、いうことですけれど。
 
いわゆるドーパミン説ですと、同時に現れます。
神経伝達物質として、ドーパミンを使う神経って、
判断を確定して、実行する神経なの。
ドーパミン神経ね。
 
この機能が亢進すると、
よく考えずに、急いで実行してしまいますので、
妄想や幻覚が出ると同時に、思考が中断してしまうのは、
当たり前です。
 
実行するって、随意筋を動かすことね。
どういうふうに動かすかを、決定するために、人間は考えます。
 
考えて答えを出すのと、考えずに自動的に行動するのとの違いって、
脊椎動物の個体の場合は、
機械的な自動行動が、最初から遺伝的にプログラムされているなんて、
まず、ありませんから、
たいていは、上手く行った経験記憶が、何度も使用されて、
入力された情報が流れやすいように、
神経の道筋(みちすじ)の形が、変化すると、
出力される偶然の行動が、無意識の自動行動に、発達します。
 
神経の道筋の形って、
神経細胞の樹状突起の枝分かれの形と、
神経細胞のシナプスに面した部分の、
電気と化学物質の変換に関わる形と、
神経細胞の髄鞘の形のことです。
 
偶然の行動と、無意識の自動行動の間に、
試行錯誤や右顧左眄があります。
考えて答えを出すって、そのことです。
 
考えずに自動的に行動するって、よく使われた神経の道筋だからなの。
 
上手く行った経験って、現に生きていることですけれど、
入力された情報の通りやすくなった神経の道筋に、
入力された情報が流れると、気持ちが良いと感じられます。
 
上手く行かなかった経験って、
極端には、死んでいることですから、悩むことはありませんけれど、
ちょっとだけ、上手く行かなかった経験もあります。
 
通行量の少ない道って、未舗装の、でこぼこ道のようなものなの。
アフガニスタンの道なんか、体の中まで、砂だらけになります。
運転するのが、とても苦しいと感じられますので、
ちょっとだけ、死んでいるようなものかしら。
 
成長って、死んでいる状態から、
ちょっとだけ死んでいるみたいに、
とても苦しいと感じられる状態を経験して、
だんだんと神経が太くなって、気持ちが良いと感じられる状態に、
変わって行く傾向なの。
 
周囲の変化に、適応するための、体の仕組みですけれど、
生物は、物体から出来ているっていう理屈と、同じことです。
物体が生物になります。
 
苦しいと感じられるのに、入力された情報を流して、
あまり使われない神経を太くして、
気持ちよくなることです、神経の成長って。
 
人間でしたら、苦しんで考えていたのに、
だんだんと、苦しまなくなり、
機械のように、自動的に実行して、気持ち良くなれるのが、
精神の成長かしら。
 
苦しんで、人を殺していたのに、笑いながら殺せるようになると、
神経が太くなったと、言います。
  
神経については、シナプスの可塑性などと、言われることもあります。
成長力のことね。
 
神経を流れる電気情報が、神経の末端の、軸索の尻尾まで来ると、
化学物質に変換されて、放出されます。
他の神経細胞の、樹状突起の先端に、化学物質がくっつくと、
再び電気情報に変換されます。
 
化学物質を放出する神経細胞の尻尾と、
他の神経細胞の、化学物質のくっつく先端との、
隙間(すきま)のことを、シナプスと言います。
 
電気情報と化学物質とを、
変換する量や、放出する量や、受容する量などを、調節するために、
神経細胞の部分の形を変化させます。
その機能が疲れて、能率が低くなると、
情報の伝達量を、調節できなくなります。
 
嫌なことや苦しいことと、
楽しいことや気持ちの良いこととの違いって、
情報の通りにくい形の神経の道筋に、入力された情報が通ることと、
情報の通りやすい形の神経の道筋に、
入力された情報が通ることとの、違いなの。
 
特定の判断を、よく使って、
苦しいことを、気持ちの良いことにするために、
シナプスの形を、情報の通りやすい形に変える機能を、
シナプスの可塑性と言います。
神経の成長力の一つね。
 
情報の通りにくい細い所に、情報を通すことを、
「心が苦しい」と、言いますけれど、
「初めてのことなので」とも、言い訳(わけ)します。
 
情報の通りやすい神経の道筋に、情報が通ることを、
気持ちが良いと言いますけれど、
自動的に機械のように判断するとも言います。
 
情報の通りにくい細い神経に、情報を通して、
苦しい目をして、一生懸命、考えていたのに、
死なずに、ちゃんと生きているところを見ると、
上手く行ったに、違いありません。
 
そうして、シナプスに面した神経細胞の端っこの形や、
樹状突起の枝分かれや、軸索の髄鞘などが、
情報の通りやすい形に変化して、
自動機械のように、気持ちよく、
無意識に実行できるようになることを、神経の成長と言います。
     
     夢や、赤ちゃんや、動物などの、意識の中身って、
     目覚めている人間の大人から見れば、
     精神の病気みたいなものでしょう?
     人間って、だんだんと、精神の健康が、作られて行きます。
     精神の病気の人って、その成長に、異常があるみたい。
 
     成長が弱く、早くから老化します。
     仕組みは、よくわかっていませんけれど、
     機能が疲れるのかしら。
     変化に適応できなくなり、
     好きなことしか、しなくなります。
 
     もう、これからは、絶対に嫌なことをしないって、
     心に誓う人もいます。
     苦しい目をしないで、新しいことを考えなくなります。
 
     情報を通りやすくする方法には、
     シナプスに面した神経細胞の形を変えるだけでなく、
     電気情報が通るところの、
     軸索の髄鞘(ずいしょう)といわれる被覆の形を変えて、
     電気の流れる速さや量を、増やす方法もあります。
 
     樹状突起っていう神経細胞の先っちょの枝分かれを、
     たくさん増やす方法もあります。
     判断って、条件の枝分かれのことですけれど、
     樹状突起の枝分かれって、それを現しています。
     こっちの神経細胞から、あっちの神経細胞に乗り換えて、
     いろいろな条件の枝分かれを、はしごします。
     
     うまく行ったり、行かなかったりの経験は、
     判断の条件として、記憶されます。
     枝分かれのことなの。
 
ほんとのことを言うと、丸覚えの記憶って、ないかも知れません。
すべての記憶は、
判断の条件の組み合わせとして、記憶される気がします。
 
組み合わせって、枝分かれのことですけれど、
神経細胞の樹状突起として記憶されているのを、
シナプスで、あっちこっちの神経細胞に乗り換えて、
色々な条件を組み合わせます。
 
あっちからこっちへ、神経細胞を乗り換えて、
樹状突起の枝分かれを通って行くと、随意筋を動かすことになります。
内分泌や自律神経も、動物の意識は調節していますけれど、
人間特有の心って、だいたいは、随意筋を動かすためのものです。
 
電気信号という情報の中に、
最初に与えられた条件が記録されていますので、
結論の出る道筋が、制約されます。
 
最初に与えられた条件って、直面する問題的状況のことです。
以前と同じ状況があり、しかも、以前の行動が、うまく行ったのなら、
今度も、以前と同じように行動します。
すごい速さで答えが出ますから、気持ちよく行動できます。
 
でも、いつも同じ状況って、滅多(めった)にありません。
周囲の状況は、つねに変化しているもの。
今までとは違うところを、新しく判断して、
新しく行動しなければなりません。
     
今度の状況は、何が以前と違うかって、
以前と同じようにやってみて、
以前は上手(うま)く行ったのに、今度は上手く行かないので、
新しく試行錯誤して、やりかたを変えてみることによって、知ります。
試行錯誤によって、
以前の状況と、今度の状況とが、違うって認識します。
実際にやってみて、何が違うかを知るの。
 
行動しなければ、見てたって、わかりません。
それが、どのように随意筋を動かすかを決めることによって、
物事を知るって意味です。
自我のことね。
 
写真のように記憶される種類の、
みんなに共通の事実などというのは、どこにもありません。
そういう事実っていう形で、物事が記憶されることは、
健常な大人でしたら、たぶん、ありません。
 
でも、精神の病気の人には、
赤ちゃんや動物のような記憶の仕方の残っている人もいます。
山下清って人が、直感像を記憶していたとかね。
将棋や囲碁やチェスの人は、写真のような記憶でなく、
健常な大人のように、
条件判断の枝分かれとして、盤面の推移を記憶しています。
 
写真に撮ったような、丸覚えの記憶って、
実際には、どのように記憶されているのかしら。
意味のない数字の羅列を、丸覚えするとかね。
 
物質的な世界の情報として、音波が、この世界に飛び交っていても、
言葉という文化が、事実のようにあるわけでありません。
光が、この世界に飛び交っていても、
映像という文化が、事実のようにあるわけではありません。
 
手で触って物を知る触覚も、音波と似たような圧力を知覚します。
聴覚は、空気の圧力を感知しますけれど、
触覚は、固体の圧力を感知します。
耳って、水の中でも、よく聞こえますから、
空気圧だけでなく、液体の圧力も感じます。
たぶん、固体の圧力も感じますから、
耳の聴覚も、皮膚の触覚も、似たようなものかしら。
 
圧力として感じる情報の源は、この世界にあるけれど、
物体という形は、どこにもありません。
     
じつは、光や圧力を感じる感覚器官の情報から、
色や固さのある形のような、架空の表象を作り、
それを事実と呼ぶのは、
音波から、言葉という概念を作り、
言葉を事実と呼ぶのと、同じくらいに、何かを混同しています。
 
言葉も形も、
ちゃんとボイスレコーダーやビデオに記録できますけれど、
言葉は情報の源でなく、記録されたのは音波であるように、
記録されたのは光であり、形は情報の源でないはずです。
 
だって、言葉は、文化でしょう?
事実とは、また違います。
物の形も、文化なんです。
それを、わたしたちは、事実と呼んでいます。
 
哲学のほうでは、言葉や、形のある物体などを、表象と言います。
赤ちゃんは、人間と一緒に居なければ、
言葉や物体を、頭の中に形成できません。
 
日本語は、人間に学ばなければ、知ることができませんけれど、
服や家の形は、どうかしら。
哺乳類は、人間の感情の、本家本元の気がしますし、
チンパンジーも、3才ぐらいまででしたら、人間よりも賢いので、
かなりの自我が、出来ているみたい。
 
GID(性同一性障害)の人は、
生まれつきや、乳幼児の頃から、性別が違うと感じますから、
チンパンジーの頃からです。
性別の違う夢を見て、
目覚めた後も、性別が違うと、感じ続ける人もいます。
 
服って、鳥の羽や、ライオンの毛皮も、似たようなものですから、
鳥やライオンも、形を知ることができます。
犬や馬でしたら、日本語も、少しぐらいは聞き分けます。
オウムは、うまいものです。
 
美容外科やGID(性同一性障害)の患者さんは、
生まれつきの変更不能の体の形を、
変更可能な文化や個性のように、理解します。
 
言葉や行動は、変更可能なので、
悪いことをすれば、処罰されるのが、当然であるように、
体の形は、変更可能なので、
醜い人間は、処罰されて当然であるかのように、考えようとします。
      
言葉を簡単に変えられるように、物の形も簡単に変えられるって、
夢や赤ちゃんや動物の意識みたいですけれど、
目覚めている時の、健常な人間の大人の意識との違いって、
少数派と多数派の、価値観の違いに過ぎないかも知れません。
 
統合失調症やGIDなどの、
脳や体の器質に、原因となる病変の発見されない種類の、
精神の病気は、
サリンを撒くのを、良いこととするオウムの人や
生け贄を捧げて、うっとりとするインカの人や、
GID(性同一性障害)を美化するマスコミの人などと、
さほど違わないかも知れません。
 
健常な人は、叱られれば、簡単に直りますけれど、
精神の病気の人でしたら、叱られても、
症状を悪化させることがあっても、治ることはありません。
 
健常な人が、簡単に、夢や赤ちゃんや動物まで行って、
戻って来れるって、
統合失調症の人の、妄想や幻覚や、解体した言動まで行って、
簡単に戻って来れるってことです。
 
どうして、そこまで往き来できるかって、
そこへんから、こっちの、健常な世界までが、
価値観によって作られた文化的な世界だからです。
 
事実と言われる表象から、形や言葉などの文化を除去すると、
たぶん、意味不明の抽象的な夢のようになります。
    
そこまで行っても、健常な人なら、簡単に戻って来れます。
夢と同じだもん。
赤ちゃんの時に、経験しているもん。
 
統合失調症やGIDなどの、精神の病気になると、
なかなか、戻って来れません。
道に迷うのか、それとも、道が壊れて、立ち往生しているのか、
よくわかりません。
 
いまのところ、器質的な病変は発見されませんけれど、
統合失調症やGIDの人の、言っていることは、
健常な人でしたら、
自由に、そこまで行って、戻って来れる範囲内ですので、
よく知っている道筋なのです。
 
その道筋の記憶が、
言葉や形などの、事実と言われる文化的表象でなく、
動作を決めるための、
判断の条件の、枝分かれを記した分類表かも知れません。
 
分類表のように、枝分かれをした判断の条件を、
たどって行く道すがらが、即ち、
言葉や形などの、文化的表象によって、
事実を形成する過程である、という意味です。
     
生物の分類に、検索表ってのがあって、
それを辿(たど)って行くと、生物の形が、わかって来ます。
 
検索表って、たんに名前を知るためですけれど、
人間の脳味噌には、
自分は、どういう動作をすべきかってのを、決めるための、
条件判断の枝分かれが、神経細胞の樹状突起にあって、
それをたどって行くと、
言葉や形によって表象された事実ってのが形成されます。
すると、とりあえずの、暫定的な動作も決まるってことです。
 
将棋や囲碁やチェスの人が、盤面を記憶するのと、
似ているでしょう?
記憶された盤面って、一応、写真のように再現されますけれど、
判断の枝分かれを記憶しています。
実際に、どういう手を打つかっていう行動を決めるための、
判断の手順です。
 
出来上がりの記憶は、写真のように再現可能ですけれど、
記憶の手順は、
実際の行動を判断するための、条件の枝分かれでしょう?
 
判断って、随意筋の動きを決めるために、必要です。
言葉も、喋る時には、声帯や口を動かしますし、
形も、服を着る時には、手足の筋肉を動かします。
 
手続き記憶やエピソード記憶や宣言記憶などの、
記憶の分類の妥当性よりも、
記憶って、判断の条件を記憶するのであって、
判断されない記憶は、何度も使用されて、
判断を自覚されないだけかも知れないって、疑って下さい。
 
     判断って、随意筋を、どのように動かすかを決めます。
     シナプスで神経細胞を乗り換えられるから、
     通過する道筋によって、答えの出る速さが異なります。
     速く出る答えから順番に、瀬踏みをしてみるのかしら。
     実際に次から次へと、色々な答えが出てきます。
     
     うまく行かなければ、
     この道はダメと、新しい条件が追加されます。
     うまく行けば、
     この次も、同じ条件をつけて、情報を流せば、
     たぶん、似たような答えが出てきます。
     何度も電気信号が通っていると、道筋が太くなり、
     速く答えが出るようになるはずです。
 
     いつも、うまく行くとわかれば、途中の道筋を省いて、
     入力された情報から、いきなり随意筋を動かす道が、
     できるはずです。
     関連した判断を、協調させて実行したほうが、
     人間性が豊かに見えるので、
     わざわざ、近道を使わずに、
     遠回りをしたほうが、賢いのかしら。
 
     わたしなら、自分の頭を使わずに、
     わざわざ、たくさんの人の頭を使う道を考えるけれど…
 
     うちの家は、自分の頭と、自分の体を使って、
     畑や山や鉄や船を作るのが、かたぎの人間ですけれど、
     自分で作らないで、人の頭や体を使う人間は、
     遊び人と言われて、怒られました。
 
     たくさんの人の頭を使うなんて、天皇陛下みたいですから、
     押入れに閉じこめられました。
     まともな人間が、神様の真似(まね)をしてはいけません。
     芸能人や政治家やGID(性同一性障害)などは、
     神様かもね。
 
     脳味噌に流す信号って、
     どのように随意筋を動かすかを問うために、
     条件をつけて入力した情報なのに、
     脳味噌の神経細胞のほうも、自分や他人の経験を、
     随意筋を動かす判断のための、
     条件の枝分かれとして、記憶しています。
 
     過去の類似の経験を、
     準(なぞら)えるしかありませんので、
     初めての部分は、
     一か八かで、試行錯誤するしかありません。
     他人の経験を真似る手がありますから、
     大助かりですけれど…
 
     細胞の形を変える時に、化学物質を使いますので、
     細胞と化学物質との関係に、間違いが起こり、
     神経の病気になることが、よくあります。
 
     多発性硬化症やアルツハイマーのような、
     器質的な変性のある病気も、
     統合失調症やGIDのような、
     器質的な病変の発見されていない種類の病気も、
     いずれも、器質的な原因や仕組みによって起こります。
 
     でも、統合失調症やGIDのような、
     器質的な原因や仕組みの、未発見の病気では、
     文学的な精神症状を、便宜的に分類して、
     一つの病気として括っていますので、
     その分類の仕方に、うまく対応する器質的な原因や仕組みは、
     発見されないかも知れません。
 
統合失調症とGIDの人たちの内では、
精神運動興奮の起こらない人がいるにもかかわらず、
認知障害の起こる人たちの症状が、酷似している気がします。
 
よく考えずに、最終判断として、実行してしまうのは、
比較検討をせずに、試行錯誤をしないで、瀬踏みも修正もしないで、
人の意見や経験を、たくさん蒐集(しゅうしゅう)せずに、
判断を保留したり、棚上げにしたりもしないで、
時間を稼がずに、暫定的な仮の判断を使わずに、
いったん実行したことを、取り消せないように、
最初から、わざわざ、変更不能なことを、実行してしまうことです。
 
精神運動興奮って言います。
 
統合失調症の患者さんは、何度も同じことを、
頭の中で繰り返しています。
何万回と、呪文(じゅもん)のように、
自分のやったことを、繰り返している人が、少なくありません。
自分は正しいって、自分に言い聞かせているみたいなの。
 
実行する前に、時間を掛けて、入念に下拵えをして置けば良いのに、
何も考えずに、直観的に実行してから、
同じことを、何度も頭の中でシミュレーションして、
神経の道筋を作ります。
 
最初に思い浮かぶ中身って、第一印象のようなものですけれど、
夢や、赤ちゃんや、動物の意識と、ほとんど同じです。
織田信長って人は、豊臣秀吉さんを見て、
こいつは猿だと、思いました。
 
それが、最終判断になれば、
彼は、人間の言葉を喋るお猿さんの星に、暮らすことになりますから、
それはそれは、恐い世界です。
 
いわゆるドーパミン神経の機能が、亢進していると、
秀吉は猿であると、
第一印象を最終判断として、ただちに確定した上で、
斬り殺して、絶対に間違いないと、
何度も、頭の中で繰り返して、変更不能にしてしまいます。
 
猿に似た人を、斬り殺さないで、あざけ笑うだけかも知れません。
豊臣秀吉さんを見るたびに、猿めと、鼻であしらうように、
美人でない人を見ると、侮辱して軽蔑するって、
美容外科の患者さんに、たくさんいます。
死ぬまで、変更できないかも知れません。
 
夢のような思いつきは、健常な人に、一杯あるのですけれど、
それを最終判断にしないのは、次から次へと、色々な事を思いついて、
どれが良いかと、比較検討して、試行錯誤するからです。
みんなの意見を聞いて、右顧左眄(うこさべん)するからです。 
 
     統合失調症の精神運動興奮って、認知障害と似ています。
     計画を立てられずに、長い手順を実行できなくなり、
     整理整頓ができずに、手先が不器用になり、
     物を壊してしまいます。
    
     お料理を作ることや、衣服や家や機械の修理などが、
     できなくなります。
     道具を大切に使えませんけれど、
     物を盗られたり、誰かに窺(のぞ)かれたり、
     家や心に、侵入されていると思ったりして、
     夜も眠れませんので、
     鍵や錠や、天井裏の点検口などに、すごくこだわります。
     アルミサッシのロックもできなくなり、壊してしまいます。
     二桁と二桁の足し算が、できなくなる人もいます。
     
     実行機能障害が現れますけれど、
     抗精神病薬によって、精神運動興奮が鎮静すると、
     嘘のように簡単に治る症状と、
     一向に治らない症状とがあります。
     人によって、認知障害が、
     全部治る人や、全然治らない人もいます。
      
     認知障害がありながら、
     精神運動興奮のない人もいますから、
     ドーパミン説では、なかなか説明がつきません。
     
     強制的に治療されることがありませんので、
     二桁の足し算ができないのに、
     精神の健常な人として、生涯を終える人もいます。
     
     脳のMRIに、異常はありませんが、
     御家族に、
     精神運動興奮の出る妄想型の統合失調症の患者さんがいて、
     御本人も、
     メフィストフェレスと問答をするファウストのような人
     だったりします。
     
     思春期以前には、
     知能も学力も優秀であり、手先も器用でした。
     実は、このタイプの人が、GIDに少なくありません。
     認知障害と精神運動興奮との関係が、厄介ですけれど、
     ストレスが掛かると、認知障害が進みます。
     見ざる聞かざる言わざるで、抵抗するのかしら。
     GIDの行く末の、よくあるタイプの一つです。
     
 
 

精神医療の廃止とコンピュータ

進化論や精神医学などの、 ロマン主義による社会や心の学説を否定して、 精神医療と精神科と精神病院の廃止を、 主張します。

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