四手辛夷(しでこぶし)の一種の、紅辛夷(べにこぶし)です。
姫辛夷(ひめこぶし)とも、言われています。
三重県や愛知県や岐阜県に、自生しているそうですけれど、
全国的に、公園によく植わっています。
性転換医療が公然化される前から、だれでも、性転換ができました。
現在の公然化された性転換医療では、
性転換に条件がついていますけれど、
今でも、性ホルモン剤は、だれでも、インターネットで買えますし、
タイへ行けば、事実上、だれでも、SRS(性転換手術)を受けられます。
手術してしまえば、実際には、
だれでも、日本の公然化された性転換医療によって、
GID(性同一性障害)と診断されますから、
事実上、だれでも、自由に性転換して、戸籍の性別を変更できます。
なんのための、性転換医療の公然化と、
言いたくなる人も、いるかも知れませんけれど、
闇医療の時代は、
やくざと、精神の病気に罹った医師が多くて、困りました。
患者さんのGIDのほうは、今でも、医師が少なくありません。
精神の病気って、みんなと一緒のことが、できなくなるのと、
狭い分野に、能力を集中して注ぎ込むのとが、
裏表(うらおもて)になっていることが多く、
学業成績の優秀な医師でありながら、精神の病気って、よく起こります。
性転換医療が公然化されて、性転換が明朗になったと思います。
お医者さんの中には、性転換は精神の病気でないのに、
法律に抵触しないように、便宜的に精神の病気に仕立てたと、
考えている人もいます。
子供がいないのに、生殖機能を不可逆的に阻害することを望んだり、
他人に対して、性別を偽(いつわ)って喜んだりする生き方は、
明らかに非行であるだけでなく、
御本人が非行を自覚する能力を失っていますから、
明らかに精神の病気です。
体が健常であっても、生殖は自由である、とする人もいます。
生殖の相手を選ぶのは、自由ですけれど、
生殖を拒否するのは、自殺よりも、自由でありません。
個体の生存よりも、世代交代を大切にするのが、
生物の定義とも言える本能だからです。
個体の生存を拒否する人がいても、
その人の個人的なことであるのでしたら、
たんに、精神の病気と言えます。
生殖を拒否する人がいますと、
絶対に、その人の個人的なこととは言えません。
生殖は社会的なことですので、生殖の拒否は、個人的でありません。
生物に共通の能力の、不具合です。
健常な体なのに、生殖を拒否することを、自由とするのは、
社会の否定ですので、ただちに精神の病気のせいと、してあげなければ、
報復される可能性があります。
他人に対して、性別を偽ることを、正当化して、実行する人を、
精神の病気として、保護してあげなければ、たぶん、殺されます。
性別の不当表示は、他人の生殖活動を、妨害します。
はっきりと、社会の破壊を目的とする行為ですので、
精神の病気でなければ、殺人よりも、悪質な不道徳とされかねません。
同性愛が過酷に差別虐待されていた欧米やイスラム諸国で、
性転換を、精神の病気とする考え方が、急速に普及した理由が、
よくわかります。
日本のように、歴史的に同性愛の自由が、
世界で最も普及していた社会では、
性転換を病気としてあげる必要性を、あまり実感しませんでした。
性転換をしたいと訴えるのを、精神の病気とするのに、
性転換を、その治療とするのは、何事かと、訝(いぶか)る人もいます。
脳の器質に、原因となる異常が発見されない種類の、精神の病気は、
全部、そうです。
患者さんが、自前の手段によって、気持ち良くなることを、
精神の病気と診断します。
患者さんは、自前の手段が、効かなくなった時に、
自分から、精神科を受診したり、強制的に治療されたりします。
精神科の医師は、強制的な手段を提供して、
患者さんを気持ちよくさせてあげます。
自前で気持ちよくなることが、限界になれば、
他力本願で、気持ちよくなるだけです。
精神療法だけでなく、お薬や、手術などを使って、気持ちよくなります。
精神科の対症療法は、みんな、それですけれど、
具体的には、見ざる、聞かざる、言わざるのように、
認知機能を限定的に麻痺させて、気持ちよくなります。
長期間になれば、知能にまで認知障害が及び、
不可逆的な真性の痴呆になります。
性転換は、そのような痴呆に至る手段の、一つに違いありませんが、
精神科では、ごく普通の治療法と言えます。
患者さんが、異性の振る舞いや言葉遣いなどの、
自前の手段を実行します。
それでも、気持ちよくならなければ、病院を受診しますので、
医師は、ホルモン剤や手術などの、他力本願の強制手段を提供します。
精神科は、精神療法も提供しますけれど、
下手くそなお医者さんは、性転換の専門医を、自称するかも知れません。
0コメント