たらの芽ですけれど、苦味も香りも、ありません。
棘(とげ)の少ないメダラと言われる個体の芽が、
たらの芽として、売られているそうです。
ウコギ科の、タラノキという落葉の灌木ですけれど、
タラの漢字を、表記できません。
多年草の独活(うど)も、ウコギ科タラノキ属ですから、
あれを、棘(とげ)だらけの木本にすると、タラノキになりそう。
独活って、独活の大木の、ウドです。
冬に、剪定(せんてい)したメダラの枝を、
湿った大鋸屑(おがくず)の中に、保存しておくと、
桜の頃に、芽だらけになります。
それを摘(つ)み取って、販売するみたい。
障害者の自助組織に、法的義務を負わせて、
責任と権限を与えるのは、大昔からの福祉行政の、一つの方向です。
欧米の精神医学者が、百数十年前に、
自助組織(Self Help Group)という法律用語を、
障害者のために、使い始めた時から、
その下心(したごころ)が、見え透いていたような気もします。
歴史的に、日本人の得意とするところでしたから。
名前は自助でも、ボランティアでなく、行政の下請けです。
障害者が、特別な福祉を受けたければ、
自助組織に加入しなければなりません。
目の見えない人の、「座」や、いわゆる未解放部落のようなものです。
欧米では、北欧の売春婦の組合とかね。
健常者が、さまざまな行政サービスを受ける時にも、
なんらかの自治組織に、加入していなければなりませんから、
行政機構の末端と言うべきかも知れません。
中世から近世にかけての、堺や博多の、自治組織や、
江戸時代の五人組や、戦前の隣組とかね。
自助と言うのは、
優生学や、QOL(Quality of Life、生活の質)などと同様に、
きれいな言葉によって、汚い物事を、見えなくするための、
下水の蓋(ふた)のような言葉です。
とりわけ、精神の病気に、罹(かか)りやすい人たちは、
きれいな言葉を聞けば、気持ちが良くなりますので、
精神科のお医者さんが、多用します。
きれいな音楽や、きれいな服装や、きれいな容貌容姿などと、
似たような役割です。
文化として、広く一般に認められているので、
お薬や、不可逆的な手術や、お酒などよりは、
使いやすいかも知れません。
脳の器質に、原因の発見されない種類の、
さまざまな、精神の病気の症状は、
対症療法と言われる治療法と、ほとんど、目的が同じです。
性別が違うから性転換したいと、訴えることを、
精神の病気としておきながら、
治療として、性転換を行なうのは、
対症療法そのものですけれど、
患者さん自身の、自前の精神症状の、目指すところを、
代金の必要な処方によって、行なってあげるだけです。
これからの日本は、老人が増えるのに、
若い子が、心の性別などと、言い出して、働かなくなると、
社会が、潰(つぶ)れます。
将来の人口構成は、
高度経済成長時代に、出生率が下がった時から、
予想されていましたので、
バブルと、その崩壊よりは、
ドルショックやオイルショックが、
すでに、津波の第一波だったのかも知れません。
欧米の法律家が、自助組織と言うのは、
昔の日本の、目の見えない人のための、
検校(けんぎょう)や、座頭(ざとう)や、琵琶法師などの、
官職や、座や株仲間のような制度を、想定しています。
「座」や「株仲間」って、同業者の排他的な組合ですけれど、
腕尽(うでづ)くや、力尽(ちからづ)くによって、
民間人が、よそ者を排除した座もあれば、
公権力によって、特定の業者だけが、
独占を許された座もあります。
織田信長や豊臣秀吉って人は、楽市楽座の政策を進め、
堺や本願寺などの、自治組織をぶち壊しましたが、
同時に、検地や刀狩りを併用して、
中央集権を、実行しました。
自由都市が、ぶち壊された経緯(いきさつ)を、
千利休って人は、茶の湯に表現して、切腹しましたので、
日本の自由と自助の、対立する考え方は、とても風流です。
自助組織をやっているGIDの人たちに、
ほろ苦い味わいや香りが、心に、ぴーんと来るようになれば、
病気が治って来た兆(きざ)しかもね。
信長や秀吉って人は、
利休の、侘(わ)びや、寂(さ)びよりも、
お能(のう)の幽玄を、好みました。
徳川家康って人は、
幕府の許認可権を、伝家の宝刀にしましたので、
障害者のための福祉行政も、公的な座のように、
特定の職業の独占を、許認可する政策になりました。
座長に、官職を与えることもあり、
自治組織や、地方分権の考え方を、進めました。
精神障害者や、犯罪者などにも、
お墓や牢屋や皮革などのお仕事の、独占を許可しましたので、
お仕事の便宜のために、
同じ種類の職人さんたちが、同じ集落に暮らすと、
いわゆる被差別部落として、白い目で見られました。
江戸時代は、警察のお仕事も、
いわゆるヤクザの独占でしたので、
十手を預かる親分さんたちは、
二足の草鞋(わらじ)を、履いていました。
警察官って、賭場(とば)を開くヤクザでした。
犯罪者の取締まりを、ヤクザの人に任せるって、
自助組織の典型です。
精神の病気の、自助組織の考え方も、
障害者の人たちに、
公権力の、端(はし)っぺたを、握らせて、
自分たちで、自分たちを、管理させる政策ですから、
部落差別を作った考え方と、だいたい同じです。
よく言えば、北欧の売春婦の組合や、
自由都市の堺の自治組織や、戦前の隣組のようなものね。
江戸時代の政策は、生殖を制限しませんでしたので、
お墓や皮革のお仕事を、行政に許可されて、独占していた人たちは、
生んだ子供が、障害者や犯罪者でないのに、
お仕事を世襲することによって、
生まれつきに、障害者や犯罪者のように、差別されることになりました。
インドのカーストのようなものですけれど、
ダリットと呼ばれる不可触賎民は、
行政による独占的な職権を、認められませんでしたから、
日本の被差別部落と、かなり違います。
障害は世襲しませんので、お金持ちの身分の高い家柄の子供が、
ダリットに落ちこぼれて行くことも、少なくありません。
身体障害の人は、けっして、立派な御身分を、捨てませんけれど、
精神の病気の人は、周囲の人が制止しても、
自分から、立派な地位を捨てて、出て行ってしまいます。
座頭市なんていう娯楽映画がありましたけれど、
座頭ってのも、
目の見えない人のための、公的な権限のある地位です。
自助組織の考え方って、
将来は、江戸時代のような制度にするのが良い、
とするのかも知れません。
目の見えない人には、
検校や座頭などの制度を、高く評価する人が、
少なくありません。
戦前の隣組や、江戸時代の五人組などは、
現在の自治会のような、たんなる任意団体でなく、
法的な義務や権限が、定められていました。
すべての住民は、加入しなければなりませんので、
医師会や弁護士会などと、似ています。
法的な権限を、欲しがる障害者は、
自助組織の運動を、好むかも知れません。
精神の病気では、精神病院をなくしてしまおう、
という議論と、重なります。
学会にも、法的な義務や責任を負わせて、
自助組織との連携を、要求しますので、
たんなる任意団体としての学会を、許しません。
宗教の宗派が、学会を僭称(せんしょう)すると、
処罰されるかも知れませんが、
GID(性同一性障害)の人たちが、学会を自称しても、
自助組織という特定の政治運動の派閥に属していれば、
処罰されないかも知れません。
そういう派閥に属しているって、
GIDの自助組織や学会の人たちは、知らなかったりね。
自助組織という考え方は、江戸幕府の地方分権や、
座や株仲間などの、許認可政策のように、
実際には、特定の政治思想や政治運動の、
限られた人脈の人たちの使う言葉ですので、
宗旨が違えば、殺し合いになるだけの、
狭い了見(りょうけん)かも知れません。
一派をなす政治運動が、性転換を公然化して、
GID(性同一性障害)という疾患名を、公認しました。
自助組織と称する特定の意見を持つ人たちが、
特例法を作って、日本の奇妙な性転換医療を作りました。
ちゃんと、生殖機能を、不可逆的に阻害しますから、
けっして、江戸時代の部落差別の轍(てつ)を、踏みません。
欧米の性転換の動機の、
宗教による過酷な同性愛差別の歴史が、日本にはありませんけれど、
ほとんど日本特有とも言える戸籍制度がありますので、
GIDと言っても、中身は、欧米と異なる病気です。
同じ病気であると、強弁しても、
精神の病気ですから、物的証拠がありません。
医療データを捏造(ねつぞう)しても、証拠も残りません。
欧米と、中身が違っても、数字の帳尻を合わせて、
同じ病気のように、文学的に解説するぐらいは、朝飯前です。
いくら精神科のお医者さんの、頭が悪いと、噂(うわさ)をされても、
法学部出身の高級官僚よりは、毛が三本多いと、
偏差値が証明してくれています。
性転換医療の公然化や特例法を見て、
竹輪の穴を覗くように、向こう先が見えるようになると、
そろそろ、GIDが治り始めたのかも知れません。
うちの患者さんは、そういう人が多いので、誤魔化しが効きません。
GIDになる人って、頭が良いので、治ると往生します。
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