ただのピンボケの草で、すみません。
小麦なんです。
今、育っているのは、冬小麦です。
温かい所では、秋に種を蒔いて、年を越して、育ちます。
冬小麦ね。
寒い所では、春に温かくなってから、種を蒔いて、育てます。
春小麦。
明日は、「鬼は外、福は内」の日ですけれど、
只今のところ、このブログは一日遅れですので、今日が節分です。
暦に文句は言いませんけれど、
昔の日付が、何月何日と記録されていても、季節が不明です。
春夏秋冬ぐらいは、暦の調節機能が働いていますけれど、
現在と、二ヶ月ぐらい、ずれていることがありますので、
何月というところは、あてになりません。
二ヶ月もずれると、昔の三月三日のお雛さまが、
実際は、五月の薔薇(ばら)の咲く日だったり。
節句って、三月三日、五月五日、七月七日って言うふうに、
数字の語呂合わせで行きますから、
公式の暦の、何月何日であるかが、決め手です。
雛祭りは、三月三日と、決まっています。
季節とずれると、農耕の役に立ちませんので、
中国の民衆は、二十四節気七十二候ってのを、使いました。
太陽の一年を、単純に等分しただけですので、
季節のずれは、ありません。
これを、公式な暦として採用すれば、
太陽の一年を365等分して、数字をつければ仕舞いですから、
簡単です。
でも、余りが出てくるので、難しいの。
余りが出ると、だんだんと、ずれてきますので、
ずれを、機械的に修正するための、規則が必要になります。
カレンダーって、将来のことを予測しなければ、役に立たないので、
規則がなければ、将来のカレンダーを作れません。
数年先の期日を、約束できなくなってしまいます。
面倒なのは、過去の歴史上の日付を、継承しなければいけません。
一年を、お正月から順番に、365まで、数字をつけた日付なんか、
歴史を継承していませんので、
昔の日付が、何の事やら、わからなくなってしまいます。
せっかく、王様の誕生日は、5月5日で、
キリスト様は12月の生まれと、覚えていたのに、
意味不明になってしまったのでは、由緒正しい人に怒られます。
先物を買っていたのに、決済の日付が、わからなくなったのでは、
混乱します。
昔の日付って、一年を12分割しています。
それも、等分でありません。
これは、お月様の満ち欠けを基準にして、一ヶ月を決めたところが、
一年では、余りの日が出てきたので、
月の満ち欠けの一ヶ月の上に、余りを配当して、付け足しました。
変な決め方です。
どうして、月の満ち欠けを基準にするかって、簡単です。
今日は何日っていうカレンダーがなくても、
月の満ち欠けを見れば、何日ってわかりますもの。
昔は、印刷物のカレンダーなんか、ありませんでしたから、
月という自然を見れば、何日ってわかるのは、これは絶対に便利です。
人間の生理なんか、関係ありません。
江戸時代のように、印刷物が簡単に手に入る時代の庶民には、
実感できませんけれど、
印刷物が、宝物のように貴重だった時代には、
月の形がカレンダーになるって、とても大切な自然の恵みでした。
昔の暦を用いて、記された日付を、
後の時代の人は、継承しなければいけません。
契約の日付などは、間違えると、殺し合いになりかねませんから、
確実に受け継がなければいけません。
国と国との、条約とかね。
お月さまの形を、そのまま、日付や一ヶ月として、利用した太陰暦と、
季節の移り変わりに、ぴったりと寄り添う太陽暦とを、折衷して、
一年のずれを、規則的に修正できる計算式を、
実際に使う暦として、普及させなければなりません。
古代メソポタミアは、太陽暦を使っていましたけれど、
印刷物のない時代でしたから、
一般庶民には、日付がわからなかったはずです。
古代メソポタミアって、粘土板が簡単に作れたので、
町の中では、みんなのカレンダーのような、大きな粘土板が、
城壁や、公共の建物に、掲示されていたみたい。
田舎は、公共の建物もないし、
暦の計算式を、理解できる人も、いませんから、
暦は、絶対に、お月さまの形を使っていたはずです。
そうすると、農耕の季節を知るための、太陽の一年と、
お月さまの一年とは、どうしても、ずれて来ますから、
どういうふうに、調節していたのかしら。
太陽の一年って、日没直後や、日の出の直前の、星空を見れば、
太陽が、星空のどの位置にあるかが、わかります。
真昼の影の長さや、太陽の高度などからも、わかります。
問題は、太陽の一年と、お月さまの形による日付や一ヶ月との、調節ね。
昔の田舎の人は、どうしていたのかしら。
年月日の指定の仕方って、暦のことですけれど、
血族や民族や国家などによって、
混乱しないように、統一されたものがなければ、
社会生活が立ち行きません。
文字がないと、記録に残らないので、
どうしていたのかって、不思議になります。
一ヶ月を30日や31日にしたのでは、
月の形と、日付とが、ずれてしまいますので、
太陰暦を使う意味が、なくなります。
昔の人は、閏月(うるうづき)というのを、入れました。
12ヶ月に追加して、3年に1度や、19年に7度、閏月を入れたの。
これを計算できなければ、田舎の人は、暦を自作できません。
赤穂(あこう)の、大石内蔵助良雄以下47名が、
討ち入りしたのは、
元禄15年12月14日ですけれど、快晴の満月でした。
雪の日というのは、
浄瑠璃作家の、息子のほうの竹田出雲の脚色です。
竹田出雲って、親と息子と孫と、三人いますけれど、
初代と二代目が有名です。
フランスのデュマ三代よりも、一代か二代、昔の人です。
当時の日本は、午前6時頃の、日の出の時間に、
日付が変わりました。
討ち入りは、まだ、日の出前の時間でしたので、
12月14日と記録されています。
現代風に言うと、
12月15日の午前4頃に、討ち入りしました。
元禄15年12月15日は、貞享暦なんですけれど、
現在の新暦で言うと、1703年1月31日なんです。
今日なの。
討ち入りは、一応、節分の前日ですけれど、
節分って、また面倒です。
これは、立春、立夏、立秋などが、
季節の変わり目って意味ですけれど、
二十四節気ですから、太陽暦です。
お月さまの形による日付や、
月の満ち欠けによる一ヶ月の単位とは、関係ありませんので、
太陰暦ではありません。
日本の暦だけでも、元嘉暦、儀鳳暦、大衍暦と来て、
そのあと、平安時代から江戸時代まで、
宣明暦というのが、長期間、使用されていました。
いずれも、中国の暦を、採用しただけです。
江戸時代に、日本風に改訂されて、
貞享暦、宝暦暦、寛政暦、天保暦(旧暦)と続き、
明治の初めに、西洋のグレゴリオ歴(新暦)を採用しました。
これだけ、暦の算定法が変わると、
昔の日付を聞いても、見当がつきません。
一年の始まりの月って、冬至と春分が、諸民族の人気です。
現代日本の新暦の、ヨーロッパのグレゴリオ暦って、
たぶん、冬至を、一年の始まりにしていますけれど、
ミトラ教では、太陽神のミトラスが、冬至に死んで、
3日後に、生き返ります。
イエス・キリストの復活と、そっくりですけれど、
古代ローマでは、ミトラ教が流行していて、
キリスト教と、覇権を争っていました。
後に、キリスト教がローマの国教になると、弾圧されました。
ミトラ教って、古代インドからペルシャにかけての、
ゾロアスター教以前の、人気の宗教でしたけれど、
太陽を拝む多神教なの。
ギリシャのアレキサンダーが、インドまで攻めた時に、
ギリシャ人がミトラ教を持ち帰って、古代ローマに広めました。
ゾロアスター教は、自然の太陽よりも、
人間の起こした火を大切にしましたので、
種々雑多な神様を拝んでも、
最後は、真理が宇宙を支配しますっていう考え方でした。
拝火教と言われるぐらいに、火が、真理を象徴しています。
譬え話の神話よりも、人間の英知を大切にする過程が、
ミトラ教から、ゾロアスター教やキリスト教に変遷する歴史に、
現れています。
インドでも、仏教が流行して、
多神教から一神教に、移行する気配がありましたけれど、
最後は、たくさんの神々のほうが、強かったみたい。
仏教の弥勒菩薩さんって、
サンスクリットでは、マイトレーヤと言いますけれど、
ミトラと同じ神様だそうです。
わたしは、ミルトスっていうフトモモ科の、香りの樹木を思い出します。
ミルテや、マートルとも言いますけれど、ヘブライ語のハダスで、
日本では、銀梅花(ギンバイカ)と言います。
西アジア方面の、新年の雨乞いの儀式に、お供えします。
キリストさんも、ミトラの向こうを張って、
死後3日目に復活しましたけれど、
その日は、四月のイースターやバスハと言われる復活祭になり、
太陽神ミトラが、冬至の3日後に復活した日は、
キリストさんの誕生日になりました。
12月25日ね。
彼は、ユダヤ教の肉の割礼を否定して、
心の割礼を主張したはずですけれど、
生まれた日の一週間後に、割礼を受けたことになり、
その日が、一年の始まりとされました。
お正月です。
お母さんのマリアさんって、未婚なのに妊娠したので、
大慌てで、大工のヨゼフと結婚しました。
でも、私生児と言われて、差別されたみたい。
割礼って、村の人が行なう神聖な儀式ですけれど、
彼は、割礼を受けられなかったと、言われています。
だから、肉の割礼を、そんなものは要らないと言って、否定しました。
キリスト教徒は、みんな、彼を見習い、割礼を受けなくなりました。
お誕生日の12月25日の一週間後を、割礼年初として、
一年の始まりとするのは、変なこじつけみたいな気がするけれど…
中国の暦は、日本の昔の暦のお手本ですから、
だいたい一年の始まりは、立春です。
二十四節気の冬至から数えて、ほぼ45日後を、
一年の始まりとするのは、いちばん寒い頃を、見計らっています。
古代ギリシャは、夏至がお正月ね。
復活祭は、過ぎ越しの祭りに由来していますけれど、
聖書には、出エジプトが、アビブの月に起こったと、記されています。
アビブって、穀物の穂のことで、
古代エジプトの1年の始まりの、春分の直後の月の名前なの。
収穫期の始まりね。
たぶん、小麦を収穫してから、お祭りになりましたけれど、
暦のほうは、春分という切りの良いところが、一年の始まりでした。
キリスト教の復活祭は、その一ヶ月後ですから、
古代ローマの支配下のエジプトでは、
その期間が、刈り入れの最盛期でした。
だいたい、春から夏までです、小麦の収穫。
エジプトって、上流が雨期になると、ナイル川が増水して、
畑が水浸しになっちゃうので、夏までに、刈り入れます。
日本の人は、湿気がないと、お肌が荒れるので、
ナイル川上流の、スーダンの雨期って、ほっとしますけれど、
スーダンは、南半分が湿地帯です。
ここから南の、ウガンダやタンザニアやエチオピアなどの、
山岳地帯が雨期になると、降り始めから、一ヶ月遅れて、
エジプトの砂漠の、ナイル川のほとりの畑が、水に浸(つ)かります。
白ナイル流域の、最も上流のタンザニアは、
3月から、雨期に突入する所もあります。
ウガンダは6月、スーダン南部は7月からですけれど、
スーダン南部の湿地帯が、白ナイルの水を溜めています。
青ナイル流域の、エチオピアの山岳地帯の、
6月から9月の雨期が、本命かしら。
単刀直入に、エジプトの増水になります。
昔はね。
一ヶ月遅れの7月が、
エジプトでは、小麦の収穫の、タイムリミットです。
最近でも、スーダン北部の砂漠地帯の人が、
灌漑用の運河とダムを、南部に作ろうとしたところ、
南北戦争っていう内戦の泥沼になってしまったぐらいですから、
水って、今も昔も、一筋縄では行きません。
日本でも、水商売って言いますから、
心やお金のことに、似ていますけれど、
GID(性同一性障害)のことにも、似ているかも知れません。
スーダン南部って、もうすぐ、独立しますけれど、
わたしは、親戚の石油関係のお仕事のために、
何度か、調査に派遣されたことがあります。
油が出て、お金持ちになると、水の取り合いをして、
心が火達磨(ひだるま)になり、死体がごろごろでした。
スーダン北部の、砂漠の人って、
ようするに、石油の不労所得で暮らしているの。
オサマ・ビン・ラディンって人が、
イスラム原理主義の軍事基地を作りました。
不労所得で暮らす人は、
お金を動かすテクニックを弄して、食べて行こうとします。
イスラム原理主義って、指導者は、それを狙っているの。
スーダンとサウジアラビアは、紅海を挟んで、お向かいさんです。
昔は、砂漠のイスラム教徒の人が、南部の原住民を捕まえて、
広くアラブ世界に、奴隷として供給していました。
これって、最近の黒人奴隷の始まりみたいで、
アラブ人の奴隷取引を、ヨーロッパ人が真似(まね)て、
独自のルートで、奴隷を賄(まかな)おうとしたの。
それが、アフリカの西海岸に添って、
ギニア湾沿岸の、ヨーロッパ人による植民地支配と、
奴隷貿易になりました。
ディンカの女っていう言葉が、今でも、アラビア語にあります。
具合の良い女って意味らしいの。
何のことか、知りませんけれど、奴隷として好評でした。
スーダン南部のナイル川流域の、湿地帯の民族ね、ディンカって。
世界一、背の高い民族で、
背の高い人ばかりが、世襲の戦士階級の村を作りました。
雨期には、オランダみたいな風景になります。
水面ばっかりで、広々としているの。
食べ物は、牛乳とお魚。
背の低い子は、一般庶民と結婚して、村を出ました。
北部のイスラム教徒による奴隷狩りから、民族を守るための、
軍事政権の王族みたいなものね、戦士階級。
看護師さんの学校を作っても、生徒さんは、戦士の息子さんばっかり。
身長2メートルの大男が、廊下をうろうろしているので、
びっくりします。
医療は、特権階級でないと、許されないみたい。
背の高い人ばかりを、品種改良して、作ったものだから、
昔は、2メートルを超える男が、お化粧をして、
踊りと博打(ばくち)に、明け暮れていました。
なんで、背の高い戦士が、お化粧に踊りなのかって、
GID(性同一性障害)と同じなんですよ。
体の美形に凝ると、文化的に女性化するの。
欧米や日本で言うと、
ボディビルダーや、三島由紀夫って人みたいなものかしら。
筋肉のことであってもなくても、美形に凝るのは、
もしかしたら、精神の病気の前触れかも。
2メートルの大男の自慢は、ペンキみたいなお化粧と、美貌でした。
男性の特権階級だから、博打ばかりをして、
遊んで暮らすようになりました。
そんなことで、奴隷狩りから、民族を守れると思います?
結果は、スーダンの現代史を見れば、わかりますけれど、
もうじき、南部は独立します。
多民族ですから、簡単に纏(まと)まると、思えませんけれど、
アメリカの肝煎(きもい)りです。
ナイルの氾濫って、泥水だから、土も運んで来てくれて、
河口の三角州を作って、国土を増やしてくれます。
ミシシッピやガンジスの河口なんかと、似たようなもの。
何十年かして、海が地面になり、さらに何十年かすると、
土壌の塩分やウイルスも、少なくなるので、
耕作可能になります。
ようするに、畑を増やしてくれます。
ナイルの増水が、岸辺の畑の、塩分を洗い流してくれるの。
デルタなんか、もとは海ですけれど、
エジプトって、雨の降らない砂漠ですから、
たっぷりと、水に浸るようにしてあげないと、
畑に水を撒くと、土壌の塩分が、地表に吸い上げられて、
かえって、塩害になります。
毛細管現象ってやつ。
アスワンダムや、アスワンハイダムを作ったので、
畑が冠水するような、氾濫や洪水がなくなり、
塩害が増えました。
化学肥料を使うようになったので、
水を流すと、肥料が流れてしまいます。
ダムや灌漑施設って、土地の人の、死命を制しますので、
ナイルは、今でも戦争の原因になりかねません。
エジプトの小麦や大麦の収穫期って、
日本の麦秋(ばくしゅう)よりも、少し早く、
春分から、日本の梅雨入り前までです。
麦秋って、だいたい、俳句の季語としては、初夏ね。
日本では、梅雨の雨が、麦の収穫の大敵ですけれど、
昔のエジプトでは、7月になると、ナイルが増水して、
畑が水没してしまいました。
あっちは、一年中、真夏みたいですけれど、
海岸は地中海性気候で、デルタ地帯はステップ気候、
あとは砂漠気候かしら。
早めの収穫は、ナイルの増水期と、相談です。
アビブって、テルアビブのアビブですけれど、
テルって、町のある人工の丘です。
チグリス・ユーフラテス流域の、古代の遺跡って、テルなの。
川が谷底ですと、岸辺の町は、水を利用できませんので、
土砂が溜まって、川底が高くなるような、天井川のほとりに、
町や畑を作ります。
上流の雨期には、川が氾濫するので、
氾濫原の、小高い土地に、町を作るの。
日本でしたら、下流の自然堤防の上に、
細長い道や町ができますけれど、
エジプトやメソポタミアは、多民族の土地柄ですから、
同族の人たちが、自分たちの町を、城壁で囲いました。
ネパールのお釈迦さんって、シャカ族の王子様でしたけれど、
そのあたり一帯に暮らしている血縁の人が、
城壁に囲まれた町を作りました。
日本流に言うと、その町の、本家のお坊っちゃんが、
お釈迦さんです。
町の人は、みんな親戚なの。
チグリス・ユーフラテス川流域の、古代のテルってのも、
城壁に囲まれた町のある所で、
昔の町の上に、新しい町を積み重ねて行きましたので、
だんだんと、小高い人工の丘になりました。
すぐそばの、チグリス・ユーフラテス川の水を、
最短距離で利用することは、河口付近のデルタでなければ、
あり得ないかも知れません。
何十Kmも上流の水を、土地の傾斜に従って、
人工的に引いて来ます。
インドでも、メソポタミアでも、
一千年も経つと、水の事情が変わってしまいますので、
町として、成り立たなくなります。
昔のインダス川のほとりの町って、今は川が伏流してしまい、
遺跡が残っているだけとかね。
メソポタミアも、たぶん昔は、
チグリス・ユーフラテスのほとりの町って、
すぐそばの川の水を、畑に引いていたのに、
今では、遙か上流の取水口から、
何十キロも、用水路を引っ張って来なければいけません。
段丘ができたのかしら。
とにかく、テルって、何千年も昔の遺跡の丘の上に、
現在の町があります。
テル・アビブって、イスラエルの町ですから、
イラクからエジプトにかけて、あのあたりって、
似たような由来の言葉を、使っています。
日本赤軍が、テルアビブの町の空港で、
自動小銃を乱射して、たくさんの人を殺しました。
1月31日は、赤穂浪士の討ち入りの日ですけれど、
節分は、一番寒い時節を、一年の始まりとする中国や日本の慣習ね。
つまり、旧暦のお正月。
新暦の正月は、グレゴリオ暦ですから、
たぶん、一年の始まりを、冬至とするヨーロッパの慣習です。
でも、古代エジプトや、古代ヘブライや、メソポタミアなどの慣習は、
一年の始まりを、復活祭や過ぎ越しの祭りのように、
春分を基準にしていたようです。
ミトラスやイエスキリストって、一年の終わりに死んで、
一年の始まりに生き返ったの。
人間のことよりも、季節の移り変わりのことを、言っているみたい。
毎年、毎年、作物を収穫すると、季節は新しく生き返ります。
暦って、時間の物差しですけれど、
精神の病気になると、時間がインチキになるみたい。
事実の順番を、整理しなくなります。
イランなんか、太陰暦のヒジュラ歴だけでなく、
太陽暦のイラン歴があり、やっぱり、春分が一年の始まりです。
その上に、西洋風のグレゴリオ歴も使います。
日本も相当にややこしいけれど、イランもイランです。
いくつも使い分けていると、ひょっとしたら、
賢くなるかも知れません。
限界を超えて、無理をした人は、精神の病気になるとかね。
ヒジュラって、GID(性同一性障害)の人は御存知ですけれど、
インドやパキスタンの、
MtF(male to female 男から女へ)のGIDのうちの、
イスラム教徒を指す言葉です。
やっぱり、イスラム教のヒジュラ(聖遷)を、語源にしているみたいで、
インドパキスタンの人は、何事も、昔からの由緒のあることのように、
創作神話を使って、人を説得するのが得意です。
アメリカインディアンの人も、その傾向がありますけれど、
客観的事実や合理的判断よりも、神話のほうに魅力を感じます。
インドって、凄い勢いで経済成長しているので、
きっと、近いうちに、客観的事実や合理的判断を駆使できる人しか、
健常な精神を維持できない社会になります。
精神の病気の人は、みんなと一緒のことができなくなりますので、
自分から脱落して、かろうじて精神の安定を得ようとします。
インドのダリット(不可触賎民)や、
日本の被差別部落の人のような、生き方になりますので、
精神の病気として、保護されなければ、
差別されて当然と、言われてしまいます。
自分から、みんなと一緒のことを、拒否するのですから…
両親が精神障害であり、精神障害者の社会に、生まれた子供であっても、
必ずしも、精神障害と限りませんので、
身も心も健常なのに、
生まれながらにして、不当に差別されることになります。
差別反対と叫ぶのは、当然です。
GIDの、生殖を拒否する症状は、
生殖や世代交代の、生まれ変わりだけでなく、
心の生まれ変わりを、拒否する症状です。
生殖の拒否は、心の生まれ変わりの拒否の、
端的な例に、すぎないかも知れません。
子供のいる人の、GIDの症状も、
やはり、心の生まれ変わりを拒否しています。
インドのイスラム教徒のMtFのGIDが、ヒジュラと自称するのは、
言い得て妙かもね。
生殖や、心の生まれ変わりなどを拒否して、聖遷と言います。
性別移行と言うのと、同じ言い方ですけれど、
ヒステリーを解釈する考え方では、性転換と言いたくなります。
どうして、世代交代や、心の生まれ変わりを、拒否する人が、
聖遷や、移行や、転換なのかって、わかるかしら。
GIDがヒステリーの典型って意味ですけれど…
お釈迦さんは、そんな心に、かまけているから、苦しいんだって、
言いました。
心を、世界の中心に据えるのが、諸悪の根源だとね。
心なんて、無いと、諦めなさい。
そうしたら、楽になります。
これが、お釈迦さんの答え。
半陰陽の人たちの言うには、お釈迦さんって、半陰陽だったそうです。
考え方や感じ方が、半陰陽の人と、そっくりらしいの。
お釈迦さんの息子って、ラーフラって人ですけれど、障害って意味なの。
息子に、こんな名前をつけて、お釈迦さんは、出奔しました。
理由は、修行の邪魔になるから。
半陰陽の人たちの言うには、ラーフラは、お釈迦さんの実子でなく、
お釈迦さんの依頼を受けた呪術師が、お釈迦さんの代理として、
奥さんと性交渉を実施して、生まれました。
お釈迦さんって、長期間、子供に恵まれずに、
お妾(めかけ)さんもいませんでしたけれど、
同性愛者でもありませんでした。
生殖ができなくても、いかに、心を取りなして生きるかが、
修行の目的でした。
キリストさんの答えは、それは病気だから、
宝物(たからもの)のように、大切にしなさいってこと。
けっして、間引いては、いけません。
病気だから、みんなで工夫して、生きる道を開拓したのが、
人類の進化なの。
生き残っているのは、よりによって、病人ばかりです。
健常でしたら、悠々自適に暮らして、類人猿みたいに滅びていました。
病気や犯罪こそ、神様に祝福されている証拠なのと、彼は言いました。
わたしは、無政府主義者でありませんけれど、
クロポトキンの、相互扶助論って、
キリストさんの考えに、近いと思います。
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