ヨイトマケの唄 306 水商売と政治運動

 
【ヨイトマケの唄】 : 丸山明宏
この歌手の人が、GIDかどうかは、診たことがないので、知りません。
患者さんの中には、よく似たグループの人がいます。
三島由紀夫って人のグループとも、おつき合いのあったところなどは、
共通しているかも知れません。
 
御両親が長崎の丸山遊郭にお店を持っていたので、芸名にしたそうです。
原爆のせいで、貧乏になったとか、オペラが好きだったとか、
学業成績が良かったとかも、
わたしの世代のGIDに、比較的多い特徴かも知れません。
 
 
同世代の、今は治癒したGIDの多くの人が、
水商売や遊郭の、いわゆるオカマの人のお世話になり、
たいへん親切にしてもらったと、感謝しています。
 
でも、堅気(かたぎ)の中学生が、
GIDだからと言って、歓楽街に出入りすることはありませんでした。
歓楽街のオカマと一線を画して、
性転換を実施していた病院に集まりました。
 
顔や体の形や体質などのせいで、差別を受けていましたが、
歓楽街の遊興には、関係ありませんでしたので、
家族の人しか、性転換を知りませんでした。
カミングアウトしませんでした。
 
性転換を知られると、歓楽街や芸能界やヤクザの世界でしか、
生きて行けませんでしたから、当然です。
でも、極貧の生まれ育ちで、学業成績が優秀という特徴がありました。
 
同族経営の経済組織が、病院や宗教などを運営して、
性分化疾患の半陰陽の性器を、
健常に近づける手術(SRS,性別再判定手術)や、
健康な人の性器を、
わざと半陰陽にする手術(SRS,性転換手術)を実施していました。
同じ時代に、わたしも関わることになりました。
 
高度経済成長の初期の1950年代に、
お百姓さんが現金収入を得るのは、農閑期の土方仕事が多く、
道路やビルの建築現場も、機械化されていませんでしたので、
軟弱な地盤の基礎工事のために、
杭打ちのハンマーを、何十人もの人夫が、みんなで掛け声を合わせて、
引っ張り上げているのを、よく見掛けました。
 
美輪さんの歌の歌詩は、
当時の出稼ぎの、ありきたりのお仕事の風景ですが、
都会の人には、ホームレスのお仕事のように、見えたかも知れません。
農地解放で得られた土地は、僅(わず)かでしたので、
食べて行くだけの、広い田畑のないお百姓さんが、
出稼ぎで、日雇いの土方をしていましたが、
田舎の道路建設では、農家の主婦が出ていることも、よくありました。
 
後に、1970年代後半の、
TV(トランスベスティズム)と言われる女装のMtFの人たちは、
積極的に歓楽街に出入りして、
職業的なオカマやニューハーフを自称する人たちとの、
交遊関係を誇るようになりました。
 
TVの人たちは、素人(しろうと)なのに、
玄人(くろうと)の女装や性転換などをお手本にして、
素人のオカマを標榜しました。
ようするに、歓楽街のお店の、お客さんすじの人たちです。
TVの人たちに、女装の便宜を提供したのも、風俗店でしたが、
TV(トランスベスティズム)を、
客引きの謳(うた)い文句として宣伝したのも、
夜のお店の商売でした。
 
TVの人たちは、水商売や芸能界やヤクザなどでなく、
素人であったにもかかわらず、
カミングアウトを良いこととして、、
自分から、お金に不自由しない遊び人になることを、
理想化している人たちでしたので、
それ以前のオカマの人たちからは、
素人ヤクザや精神障害の、嫌疑を掛けられました。
 
その後、FtMの人たちや、同性愛の人たちも、TVと識別できなくなり、
TVを自称していたほとんどの人が、性ホルモン剤を使い始めて、
TS(トランスセクシャリズム)や、
TG(トランスジェンダリズム)と自称するようになりました。
その中でも、顔や体が異性に似ている人たちが、
勝ち誇ったように、SRS(性転換手術)を受けて、
ピノキオのように、心の鼻を高くしました。
 
埼玉は、成れの果てのような人たちを支援して、
性転換医療を公然化しました。
かつて、農地改革で得た土地を、高度経済成長期に売却して、
バブル期に遺産を相続した子が、GIDになったりね。
  
1951年にマッカーサーが解任され、
1952年にGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)と進駐軍がなくなり、
日本の主権が回復されました。
 
1955年の経済水準が、戦前を超えたので、
翌年に、もはや戦後でないと、経済白書に書かれて、
流行語になりました。
第二次世界大戦後、いわゆる団塊の世代の人たちは、
戦前に生まれた親たちよりも、低い経済水準の時代に、
思春期までを過ごしました。
両親のほうが、経済的に恵まれた子供時代だったの。
 
1958年に売春防止法が施行されて、
日本の歓楽街の様子が、一変しました。
昔ながらの遊郭がなくなり、売春が犯罪になりました。
 
この時代って、菅直人って人の子供時代ですけれど、
日本で初めて性転換をした人たちの子供時代でした。
美輪って人よりも、少し若く、
思春期のGIDの人たちが、夜の歓楽街を訪ねると、
美輪さんみたいなオカマの姐御(あねご)が出てきて、
とても親切にしてくれたそうです。
 
早い子は小学5年生頃に、オカマのお店を訪ねて、
一人で日本中を旅しています。
家出をして、放浪するようなものですけれど、
親が子供を、行ってらっしゃいと、見送ったそうですから、
変な家庭です。
 
姐御は1935年の生まれですから、
たぶん、弟たちよりも、豊かに育っています。
メリーゴーランドみたいな名前の芸能人の人が、
1942年の生まれですけれど、
SRS(性転換手術)を受けたのは、31歳の1973年だそうですから、
当時の日本のGIDの中では、遅かったかも知れません。
 
わたしの知っている治癒した元GIDの患者さんたちは、
多くが16才頃にエストロゲン剤を使い始めて、
20才頃にSRSを受けています。
1965~1975年頃でした。
かなりの人が、旧ソ連領エストニアでSRSを受けました。 
1964年に、外貨持ち出しの割り当て制がなくなり、
海外旅行が自由化されました。
 
東京大学の安田講堂の陥落が、1969年でしたが、 
菅直人って人が、大学を卒業したのが、1970年で、
三島由紀夫って人の、腹切り事件が、その年の11月の末でした。
紅葉の奇麗な季節だったのを、覚えています。
いずれも、GID(性同一性障害)の性転換に密接な関係があります。
 
当時のSRS(性転換手術)を受けたGIDの人たちは、
輸入割当制時代の部落解放同盟の枠を譲り受けて、
関西のやくざの支配下に入り、食肉の輸入業を経営していたり、
旧ソ連の国際共産主義運動の支援を受けて、
ソ連陸軍やKGBなどの資金を運用するための貿易業に従事していたり、
赤坂のいわゆる料亭政治のお座敷に侍(はべ)り、
元首相の岸なんとかや、船舶協会の笹川なんとかの人脈に、
御贔屓(ごひいき)にしてもらったりしていました。
 
その赤坂の料亭組合を作り、後のオイルショックの時に、
日本の民族資本とアラブの王様との、
石油の直接取引を開拓した元共産党書記長の、
田中という転向者の人脈に庇護されていたGIDのグループもありました。
 
この人は、岸や笹川という関東のやくざの勢力と対立して、
関西のやくざを背景にしていた人でしたが、
終戦直後に、ソ連のスターリンの意向を、
内々に昭和天皇に伝えていた人で、
旧ソ連とも、皇室とも近い人でしたので、
GIDの人たちも、その方面の内輪の歓楽に、何かと動員されたそうです。
 
ニューヨークのチェースマンハッタン銀行の、
強盗事件を見てもわかるように、
性転換運動は、いつも、戦争や経済の動向や政治運動などと、
抱き合わせになっていました。
日本の埼玉のGID医療も、
バブル崩壊の退廃的な世相や気分を反映していました。 
 
性転換者には、所詮、芸者として生きる道しかない、
というGIDもいます。 
カストラートみたいなものかしら。
同性愛が差別されていた時代のヨーロッパで、
彼らが、どのような種類の性的パートナーと暮らし、
どのような人たちの庇護を受けていたかを知れば、
現代のGIDと、さほど変わらないことがわかります。
 
現代のように、マスコミの雰囲気に、民主的に煽(あお)られるのと、
昔のGIDのように、料亭政治やイデオロギーの庇護を受けるのと、
昔のヨーロッパのカストラートのように、
ユダヤの金融資本に寵愛されるのと、
どれが良いのかは、一概に言えません。
 
カストラートが、ベルカント唱法を作りましたので、
おかまがオペラが好むのは、当然かも。 
オペラの世界で成功するのは、
今も、ホモかユダヤかマフィアと、言われています。
日本のオペラ歌手を、調べてみて下さい。 
 

精神医療の廃止とコンピュータ

進化論や精神医学などの、 ロマン主義による社会や心の学説を否定して、 精神医療と精神科と精神病院の廃止を、 主張します。

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