秋は、寂しい。
GID(性同一性障害)のベンチに、誰もいなくなるのを、
最初に、GIDが現れたのは、年齢的に、知りませんけれど、
前任者から、性転換医療と患者さんを、受け継ぎましたので、
話に聞いています。
石ころが一つ、土に埋まっているのも、同じかしら。
そのあたり全体を見れば、
川に運ばれた土砂が堆積して、
石ころや砂が、篩(ふる)い分けられたと、わかります。
今は、学校で一番の成績の子が、
医学部に行くのに、決まっていますけれど、
病気で苦しんでいる子を、助けてあげるような気持ちのやさしい子が、
お医者さんになるはずがありません。
受験勉強の現場を見てきているから、
今の子は、誰でも知ってるでしょう?
病気で苦しんでいる子や、貧乏な子に、手をさしのべてあげるのは、
落ちこぼれです。
戦前は、学校で一番の子は、軍隊に入りました。
お金がないから、早くお金を稼げる所に入ったの。
今でも、自衛隊の学校に入ると、お給料をもらえるでしょう?
柴五郎って陸軍大将は、会津藩士の息子でしたので、
斗南(となみ)藩に移住しました。
会津藩主の、松平容保(まつだいら かたもり)っていう京都守護職の、
長男の松平容大(まつだいら かたはる)ってのが、
戊辰戦争の後、会津松平家を継承して、
下北半島の先っちょに、斗南藩を作り、
旧会津藩士の生存者を収容しました。
むつ市を中心にして、恐山(おそれやま)のある地方一帯ね。
恐山のいたこって、アイヌの風習なんだって。
柴五郎の家族五人は、戊辰戦争で自刃しています。
藩士の家族も、お城に立て籠もる手筈でしたけれど、
実際には、戦いの役に立たずに、足手まといになるので、
家に残って、自殺しました。
彼は幼かったので、難を逃れて、戊辰戦争の後、下北半島に移住したの。
回顧録を著していますけれど、
ようするに、乞食同然のサバイバル生活で、
グアムの横井さんや、ルソンの小野田さんって感じ。
戦前って、田舎の人は、小作がほとんどで、現金収入なんかありません。
優等生は軍隊に行くって、決まっていたようなものでした。
高度経済成長時代になって、お金が入るようになったので、
優等生が医学部に行けるようになりました。
それでも、わたしの患者さんのGIDの人たちって、医学部は無理でした。
奨学金で学費を賄うだけでは、家族が食べて行けません。
だって、大黒柱の父親が病気とか、
定年間際でも、大学卒業の初任給ぐらいのお給料しか、
もらっていないから。
GIDの人の家庭って、病気が多いの。
特に、精神の病気。
川で運ばれた土砂が沈殿して、石ころや、土や、砂が、
層になって堆積するように、
医師もGIDも、時代の流れの中で、
篩(ふる)い分けられるように、選別されて行ったの。
第二次世界大戦後の、その過程の最初を、年齢のせいで見逃しましたが、
最後は、ちゃんと見届けたと思います。
性転換の新しい時代が、バブルの埼玉以降に始まっていますので、
二つの時代を繋ぎ合わせると、
一つの過程を、全部目撃したような気がします。
ベンチに誰もいなくなるまでね。
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