ザクロの実 254 習慣と変更

ザクロって、変な実。
お風呂屋さんの石榴口(ざくろぐち)って、この形と思うけれど…
このごろ、石榴って、食べません。
わたしだけかしら、いつまでも、酸っぱいのが好きなのは。
 
習慣的に同じ事を、規則正しく繰り返していると、
あまり、しんどいと思いません。
新しいお仕事も、最初の1日や、一週間や、一ヶ月は、
しんどいかも知れません。
半年も経つと、慣れてしまい、しんどいと思わなくなり、
何年も経つと、このお仕事が、一番楽で、
性(しょう)に合っていると、思うこともあります。
 
山登りも、毎日登っていると、
かえって、登らない日のほうが、体が怠(だる)く感じられます。
最初は、登るのが苦しかったはずです。
 
都会の道を歩くのも、右足の次は、左足と、
一々、二足歩行のフォームを考えて、
バランスをとりながら歩くのは、辛(つら)いものですが、
慣れると、一々考えずに、ひとりでに足が動きます。
歩行のフォームで、頭を悩ます人は、
病気やケガの、リハビリをしている人でなければ、
ファッションモデルや、競歩の選手かも知れません。
 
何事も、慣れるまでの、当分の間は、
しんどい目を、辛抱しなければなりません。
慣れてしまうと、楽になります。
 
老化すると、新しい事を習得するために、
しんどい目を、辛抱できなくなりますので、慣れることができなくなり、
新しいことに、適応できなくなります。
 
現在の、慣れている生活を、変更するのも、
新しく、物事を習得するのと、同じです。
老化すると、変更できなくなりますが、
毎日、若い時と同じように、山に登っていたのでは、体が持ちません。
登らずに、体を休めていると、
じっとしていることに、適応できずに、
しんどくて、耐えられません。
 
家に居ると、いつもの義務を怠っているような、
罪悪感に苛(さいな)まれて、気持ちが落ち着きません。
眠れなくなり、怒りっぽくなり、食べたい気もしません。
 
古いことを変更できなくなり、新しいことを習得できずに、
新しい環境に適応できなくなるのは、
慣れるまでの、最初のしんどさに、耐えられるなくなるのが原因です。
 
たばこや、お酒や、博打(ばくち)をやめるのも、同じです。
悪い生活習慣を変えるだけでなく、
良い生活習慣も、年齢とともに、変えて行かなければならないのに、
変えられなくなります。
スポーツマンが、青年のように、激しいトレーニングを、
老後になっても、毎日、繰り返していれば、死んでしまいます。
 
老化現象ですけれど、発達障害では、乳幼児の頃から現れます。
思春期になり、体の状態や、生活様式が変わると、適応できません。
進学や就職や、結婚や妊娠出産育児などの、生活に変化をきたす時にも、
社会から、変化をもたらされた時だけでなく、
自分から、変化をもたらした時や、
自分の体の内側から、変化をきたした時にも、
心が適応できずに、変調をきたします。
 
     統合失調症は、百年前に、早期痴呆と呼ばれていたように、
     肉体的に、精神的に、健常な人が疲れた時の、
     精神の能力の低下のように、
     何も疲れる事をしていないのに、老化のような能力の低下が、
     思春期頃から、目立って現れてきます。
 
     すでに乳幼児期から、生まれつきの反射や、躾の習得などに、
     異常が現れていますが、
     就学の困難や、学校での、特別な配慮を要するような、
     重症の発達障害の人は、めったに統合失調症を発症しません。
     思春期以後に、統合失調症になる人の、ほとんどが、
     就学に支障がなく、特別な配慮を必要としない程度の、
     軽症の発達障害です。
 
     GID(性同一性障害)も、発達障害との関係は、
     統合失調症とほとんど同じです。
     統合失調症では、思春期以後の発症によって、
     知能に、仮性の支障をきたしますが、
     発症後に、何度も入退院を繰り返すことによって、
     次第に回復不能になり、真性の認知障害に進行します。
 
     GIDでは、発症から25年程度は、
     知能に障害をきたしませんが、
     その後、統合失調症と類似の、認知障害をきたします。
     約半数の人は、発症後25年以内に、
     治癒の傾向が現れますので、認知障害をきたしません。
     GIDでも、統合失調症でも、
     乳幼児期に知的障害の現れることは、稀で、
     ほとんどが、広汎性発達障害のうちの、軽症の人です。
 
     脳や体の器質に、原因となる病変がないにもかかわらず、
     慢性的に、複合的な精神症状をきたす人は、
     ほとんどが、乳幼児期から一貫して、自閉の傾向が顕著です。
     独自性や、変化しない意志の固さを誇り、融通が効きません。
 
     思春期以後に、自分自身の体の変化や、
     近親者の死亡や病気や、
     流行文化や、周囲の社会状況の変化や、
     自分の社会的立場の変化などによって、
     乳幼児期に習得した規則性を、次々に失い、
     新しい規則性を、習得できません。
     
     GIDの、子供の頃からの、体と異なる心の性別なども、
     次々に失われて行く乳幼児期の規則性に、
     危機感を抱(いだ)き、
     必死に、子供時代の郷愁に、
     縋(すが)ろうとする気持ちに似ています。
     生活が変化するたびに、守るべき城が失われ、
     新しい領分を、獲得できない焦りの現れかも知れません。
     子供の頃から、自分はこれこれだったと、必死で訴えます。
 
     GIDのカムアウトは、自閉の現れです。
     自分の心が、周囲に浸食されて行くと、感じています。
     カムアウトした相手のことを、
     親しい家族や、親しい友達や、親しい同僚とは、
     思っていません。
     期待していたにもかかわらず、
     子供の頃からの、本当の自分を、
     受け入れてくれなかった人に対して、GIDはカムアウトします。
 
     訣別宣言であり、自閉の実行です。
     社会への復讐、と言ったGIDもいます。
 
     まるで、大坂夏の陣のように、自分から打って出るのは、
     統合失調症の、急性症状と同じです。
     これからは、心の性別で生きる、と言い、
     周囲の一般社会から、浮き上がって、
     ホルモンや手術に走ります。
     人格障害の一種とも、言えますが、
     わが道を行くと言い、周囲を振り回すのは、
     ヒステリーに、よく見られます。
 
     生殖放棄や、ホルモンや手術を望む自傷の重大性から、
     統合失調症よりも、重症、と言う人もいます。
     精神運動興奮がありませんので、
     抗精神病薬は、あまり効きません。
 
     眠っている間に、脳に盗聴器を埋め込まれた。
     ここで待っていると、約束した。
     明日、処刑される、などの、
     統合失調症に目立つ種類の妄想はなく、
     自分は神に選ばれたエリートであるとか、
     生まれた時から、体と違う性別の心を、知っていたなどと、
     解離性障害と、似たようなことを言う人が、
     少なくありません。
 
     これを妄想と言えるかを、議論しても、無駄です。
     自分のせいで、家族が不幸になった、などと、
     うつ病に多い妄想を言う人は、ほとんどいません。
 
日本語のウィキペディアの『インディアン』の中の、風俗の説明に、
ほとんどのインディアンの社会は、性的に自由で、
男女の役割は、個人の判断に任されていた、と書かれています。
インドやパキスタンのヒジュラは、
宗教儀式に招かれるので、聖職だそうです。
 
1970年前後にSRSを受けた日本のGIDのグループは、
フロリダとカリフォルニアで、
インディアンカジノに、関わっていましたけれど、
飲んだくれて、売春に明け暮れるフロリダのセミノールに、
事業を教えてあげても、ちっとも更生しませんでした。
 
セミノールは、インディアンの血を引いていますが、
黒人や白人の混血が多く、民族と言うよりも、
アメリカとスペインとの、戦争の時に、
スペイン領フロリダに逃げ込んだ反政府勢力の末裔(まつえい)です。
スペインは、アメリカのならず者を、支援しました。
 
日本の人たちが、当時の流行の、ヒッピーの服装で、
アメリカの田舎に行くと、インディアンと間違えられたそうです。
ヒッピーたちは、自然に帰れと言い、ギターを弾いて歌いながら、
荒れ地の、トレーラーハウスのような所で、暮らしていました。
 
男女不明の、雑婚のような共同生活で、
ジプシーやバガボンド(vagabond)を、
彷彿(ほうふつ)とさせます。
御本人たちは、サンスクリット(梵語)のバガボンを、
思い出しているのかも知れません。
当時の、ビートルズという流行歌のグループも、
実際に、ヒッピーの故郷(ふるさと)を訪ねて、
インドを旅行したそうです。
頭が痛くなったと、聞きます。
 
インドでは、乞食や仙人に見える修行者を、バガボンと言い、
ほとんどが精神障害者です。
     
アメリカインディアンの居留地は、灌漑設備がありませんから、
莫大な資金がなければ、農業は不能です。
ヒッピーは、男女ごちゃごちゃに、インディアンの服装を真似て、
親の遺産を、食い潰(つぶ)していただけです。
 
カリフォルニアのインディアンは、真面目に働いてくれましたが、
インディアンの娘たちが、日本の性分化疾患の女性医師を襲い、
都会に出て遊ぶお金を奪い取り、彼女の体を、傷つけたそうです。
彼女は、MtF(male to femal)のSRS(性転換手術)と、
同類の手術を、受けていました。
     
インドやパキスタンのヒジュラは、
昔の日本の、河原乞食と言われた芸能人のように、
歌い、踊り、売春によって、生計を立てている人が、少なくありません。
日本で、お祭りの時に、てき屋というやくざの一種が、
露店を出すように、
寺院や結婚式などの、儀式や祭礼には、
地元のならず者を、仕切っている親分さんに、
歌や踊りの、露店の手配を頼みます。
 
すると、ヒジュラと言われるMtFが呼ばれて、
神聖な祭礼の場で、歌や踊りを披露して、ご祝儀を貰(もら)います。
日本でも、社寺のお祭りは、神聖ですが、
綿菓子を売っているてき屋のあんちゃんが、神聖なわけでありません。
ヒジュラも、そういう人たちです。
     
インドの経済開放よりも前の、ソ連との、ルピー建て貿易の時代に、
日本のGIDの人たちは、
カーストに所属しないダリットと言われる人たちに、
コンピューターのプログラミングを教える事業に、参加しました。
せっかく技術を教えても、麻薬に溺れてしまう人が多く、
なかには、ヒジュラになった人もいました。
 
カーストは、職業が世襲され、
同業者組合が、特定の職業の新規参入を、
血縁によって、制限する仕組みです。
日本のお相撲さんの、年寄り株は、お金で売買されますが、
お相撲さんの経験者でなければ、所有できないそうです。
インドのカーストは、経験でなく、血筋がものを言います。
 
現代日本では、年寄り株を持たなくても、
神聖なお相撲の興業を、新しく行なうのは、
プロレスと同じで、自由ですけれど、
昔でしたら、やくざの親分さん達が、
実力行使で、縄張りを争ったかも知れません。
それでも、日本のやくざは、世襲でありませんでした。
 
インドでは、血族が結束して、縄張りを守ります。
同じ職業の団体は、幾つかの血族が、独占しています。
よそ者が、縄張りを荒らそうとすると、
血族のみんなが、結束して排除します。
たぶん、超法規的な争いになると、思います。
 
日本では、織田信長や豊臣秀吉が、楽市楽座を公約しました。
徳川時代になると、また株仲間が復活しました。
中世の座や市と、近世の株仲間は、
時代が違うだけで、同じような仕組みです。
 
船の運航や、港の荷役にも、株仲間がありましたので、
日本は島国なのに、海上交通が発達しませんでした。
幕府が、宿場や関所や橋を管理して、
藩を越える往来を、制限したように、船や港を、強く縛り付けたの。
菱垣回船や樽回船や、西回り東回りの航路や、北前船などは、
みんな、幕府の肝煎(きもい)りの、株仲間が独占していました。
そのほうが、鎖国と、幕藩体制の維持に、都合が良かったみたい。
 
インドでは、織田信長や豊臣秀吉の、楽市楽座や、
明治政府の新政策のようなものが、うまく行きませんでした。
多民族社会ですけれど、
現在の政府は、イギリスの支配を、受け継いだだけで、
多数の民族を、武力で統一した政府でありません。
政府が税金を徴収するよりも、地主が小作料を徴収して、
同業者の組合が、よそ者を排除する仕組みのほうが、
しっかりしています。
 
中世ヨーロッパでも、ギルドってのがありましたけれど、
ユダヤ人は、金融っていう新しい職業を開拓して、
旧習を打ち破りました。
いまは、フリーメーソンなんて聞いても、
男性同性愛の団体としか、思いあたりません。
日本のGIDの人たちが、インドでコンピュータを教えたのも、
新しい職業分野だったので、カーストの拘束が、なかったからなの。
ダリットの人たちには、打って付けのはずでした。
 
     日本でも、明治時代以後、
     未解放部落の人たちが、西洋医学に走りました。
     お医者さんが、欧米に留学して、
     帰国した後に、一般社会から浮き上がった生活を誇っても、
     未解放部落の福祉に、あまり、役立ちませんでした。
     ダリットの人に、コンピュータのプログラミングを教えても、
     自分勝手なことをするだけで、
     みんなと一緒に、世の中を変えて行く力には、
     なりませんでした。
 
     ダリットの人って、自分からカーストを飛び出した人なの。
     ヒジュラが、そのいい例です。
     軽症の、広汎性発達障害なの。
 
     差別されたのでなく、
     みんなと一緒に、生きて行く能力が低ければ、
     保護して貰わなければ、仕方ないのに、
     自分は病気でないから、放っておいて頂戴と言って、
     好き勝手なように、転落しました。
     自分から、飛び出して行くのが、自閉なの。
     好き勝手のように見えて、広汎性発達障害でした。
 
     適応できずに、じたばたする姿は、
     統合失調症の、急性症状と同じですけれど、
     御本人は、正しいと確信していて、病識がありません。
     じたばたしているように、見られるのが嫌で、
     猪突猛進します。
 
     手を差しのべても、拒否しますから、
     どうしようもありません。
     人口の一定の割合の人は、
     どうしても、社会の底辺で暮らすようになります。
     未解放部落に、お金を投資して、
     経済的に豊かになってもらって、解決しても、
     次から次へと、新しい底辺の人たちが、生まれて来ます。
 
     諸外国では、多民族社会の弊害から、
     スラムに暮らす人たちが、少なくありませんけれど、
     日本のような、事実上の単一民族社会では、
     軽症の広汎性発達障害の人たちが、
     ものの見事に、底辺の社会に落ちて行く様子が、
     星の降る夜空のように、よくわかります。
 
     まるで、泥水を沈殿させると、
     奇麗な地層ができるように、
     地殻変動でも起こらなければ、解決しません。
     いつも掻き混ぜて、沈殿させないようにするのが、
     いいのかしら。
     地層を作らないような、騒擾な社会が、いいのかしら。
 
     人生の積み重ねを、拒否するかのように、
     自己同一性を希薄にしたのに、
     GIDには、社会の底辺のほうに、
     降り積もってしまう美しさがあります。
     治癒した人が、滅びの美学と言っていました。
 
     インディアンの、性別が自由に見えるのは、
     性別の文化を、受け継がずに、性的快楽に耽り、
     落ちこぼれてしまったヒッピーのように、
     酒浸りの、野放図な生活が、目に焼き付いたにすぎません。
     
     日本と中国の、国交が回復した時に、
     わたしも、病院の前に並んで、
     拍手で、中国の視察団を迎えました。
     マスコミは、毎日毎日、
     文化大革命の、四人組の時代の中国を、
     天国のように、麗(うるわ)しく報道しました。
     
     嘘八百でしたのに、
     謝罪した記者や新聞社や放送局なんか、ありません。
     ボートピープルの時代になると、
     一転して、スラム街の生まれ育ちのように、
     中国人を軽蔑して、唾を吐くような報道一色になりました。
 
     GIDも、ちょっと前まで、
     お乳を放りだして、戯れているニューハーフばっかりが、
     テレビに映っていました。
     今は、性別だけで、心が出来ているような、
     変てこな人間像に、作り上げられて、
     まるで、国交回復当時の、中国人みたいに見えます。
 
     戦後の在日朝鮮人の帰還事業も、
     日本赤十字社が、北朝鮮と契約しました。
     まだ見ぬ祖国は、美しい国だそうです。
     母国に帰るのは、悪くありませんけれど、
     ふつうでしたら、ナチスが蔓延(はびこ)れば、
     ユダヤ人は、アメリカに落ちのびます。
     なんで、収容所の中で飢え死にしそうな北朝鮮に、
     飛んで火にいる夏の虫のように、
     帰らなければいけないのかしら。
 
     理想や主義主張を、取って付けたようなGID医療は、
     人間らしさを失った狂気に、見えないこともありません。
 
     金正日って人の、奥さんの一人が、在日朝鮮人で、
     そのお父さんが、プロレスラーでしたけれど、
     力道山との競争に、負けたそうです。
     力道山も、北朝鮮の人で、日本に帰化したあと、
     東京のフリーメーソンの、慈善事業として、
     プロレスをやっていました。
 
     日本人は、みんなプロレスに、夢中になりましたけれど、
     ほんとうに、決闘みたいに、真剣勝負をしていると、
     当時の日本人は、思いました。
     そんなもん、お相撲さん出身なんだから、
     やることは、決まっているのに…
 
     朝鮮や韓国の人って、闇市やパチンコやプロレスや
     水商売や飲食業や色街や、美容手術や性転換に強いの。
     社会の端っこのほうばっかりです。
 
     わたしは、子供でしたから、
     プロレスの経営のことや、内幕のことは、
     知りませんでしたけれど、
     当時、テレビを見て、
     本気でなく、演技って、すぐにわかりました。
     大人の人が、どうして、
     本気で決闘をしているって、思うのかしら、
     そっちのほうが、興味津々でした。
     プロレスの記事も、GIDの記事も、
     同じ新聞社の記事や、放送局の番組なのに…
     
統合失調症や、GIDの人を、見ていると、
やっぱり、苦しいことを辛抱して、慣れると、楽になる経験が、
足りないみたい。
 
子供を躾(しつ)けるには、辛抱したら楽になるってことを、
親の信用で、保証してあげるしかありません。
ほんとは、親と子供では、体の大きさや力が、全然、違うので、
暴力を使わなくても、威嚇になっています。
子供は、右も左もわかりませんから、
自分一人で食べて行けるとは、確信できません。
そうすると、親の言うことを聞きます。
 
思春期になると、子供の体が大きくなるので、
威嚇が通じません。
もう、覚えなくなります。
思春期になるまでに、一生懸命、教えてあげなければいけないのに、
子供が、コンピュータや、学校のお勉強などに、夢中になって、
親と隔離されると、躾が足りなくなります。
コンピュータができれば、黙ってしまう親が、少なくありませんでした。
学校の成績がいいと、子供を褒めてしまいます。
 
躾の足りなかった子が、軽症の広汎性発達障害から、
思春期以後に、統合失調症やGIDを、発症するのかも知れません。
軽症の広汎性発達障害の子って、
うまく躾ければ、自然に治る子が多いのに。
治らずに、こじらせてしまうのは、
知能が正常なので、引きこもって、何かに熱中すれば、
一芸に秀でて、親に褒められれてしまうからみたい。
 
うちでは、お手伝いや、お友達との遊びに、課題を与えて、
テレビのアニメや、コンピュータや、学校のお勉強などは、
自閉の一種と見て、制限しました。
子供って、そういうのを、
お友達との、コミュニケーションの手段にしていますから、
簡単でありませんでしたけれど…
 
乳幼児期に、排便排尿のトレーニングに手こずっても、
軽症の子って、小学校に入学する頃までに、なんとか間に合わせられます。
それだけの能力があるのに、思春期以後に症状が悪化して、
後々に、痴呆に進む時には、
排便排尿ができなくなるところまで、退行してしまいます。
習得できていたものまで、失うの。
 
思春期以後の統合失調症でも、仮性の痴呆が現れますが、
抗精神病薬によって、興奮が鎮静して、ちょうど良いところに納まると、
知能も回復します。
何度も、入退院を繰り返していると、回復が鈍(にぶ)くなり、
真性の痴呆になってしまいます。
治るはずでしたのに、治らなくなるの。
この仕組みが、とても大切と思いました。
 
軽症の広汎性発達障害では、
たくさんの人が、生活に支障をきたさないところまで、良くなります。
それなのに、アニメやゲームや、コンピュータやお勉強などに夢中になり、
自閉してしまうと、治らなくなります。
  
人と一緒に暮らして、みんなとコミュニケーションするのが、大切です。
うちでは、アニメやゲームやコンピュータやお勉強よりも、
ちょっとしたお買い物や、隣近所との使いっ走りを、してもらいました。
遊び友達と、一緒に連れて、大人に紹介して、挨拶を覚えさせました。
みんなと遊ぶことや、社会のしきたりを身につけることや、
人の顔を覚えることなどを、大切にしました。
幸いにも、精神の病気には、ならなかったみたい。
あほになったかも知れないけれど、健康でしたら、問題ありません。
 

精神医療の廃止とコンピュータ

進化論や精神医学などの、 ロマン主義による社会や心の学説を否定して、 精神医療と精神科と精神病院の廃止を、 主張します。

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