社会は、性交渉や育児や、いわゆる社会生活などの、
一連の生殖活動の場です。
世代交代って、命より大切なの。
お母さんや、お父さんは、自分の命を捨ててでも、子供を守ります。
社会って、生殖や世代交代をする所ね。
けっして、個人の自由や多様性などの、
娯楽や意見や思想の場で、ありません。
嫌なことを避けて、気持ちのいいことを求めるって、
早い話が、生殖の味付けにすぎないの。
お味に誘われて、生きています。
でも、お味だけを貪(むさぼ)って、生殖をしないのは、
麻薬漬けになって、幸せに死ぬのと、同じです。
個人の自由や、個性の多様性って、薬味にすぎません。
社会って、交通整理がなければ、殺し合いになります。
みんな、子孫を残すために、真摯に暮らしていますから、
生殖って、命懸けね。
権力や法律や文化や道徳などを使い、
それぞれの人が、お互いを牽制し合っています。
生殖を制御しているの。
コミュニケーションです。
交通整理を妨害すれば、即座に射殺されても、仕方ありません。
世界って、生殖を拒否する人の、生きる所でありません。
そこを、なんとか生きることができるように、保護してあげるのが、
GID(性同一性障害)を、精神の病気とする意味です。
障害者の人も、たくさん生まれて来るから、
社会には、そういう人のために、
個性や多様性って言葉も、用意されています。
心の性別やら、生まれつきやらは、関係ありません。
子孫を残せる人だけが、生き残れます。
40億年、続いて来た事実を、人類は受け継いでいます。
子孫を残せない人が、無慈悲に殺されないように、
精神の病気として、保護してあげます。
安楽死の一種ですので、医療では、QOL(生活の質)と言います。
世間が、何も言わなくても、何もしなくても、
生殖を拒否して、子孫を残さない人は、勝手に滅びます。
即座に滅びるところを、できるだけQOLに配慮して、
ゆっくりと、安楽に死んで貰(もら)います。
生殖を拒否するのですから、人道的には、それしかありません。
未来に希望のない、どん詰まりです。
精神の病気です。
自宅療養している統合失調症の患者さんに、
保健所に来て貰って、デイケアします。
患者さんたちに、気楽に過ごしてもらうように、
体操して、手作業して、お遊びします。
GIDの性転換も、それと似たようなものですけれど、
症状のメニューが違うので、対応の仕方も違ってきます。
GIDでも、症状の軽い人には、社会復帰してもらいます。
できるだけ、希望を持って、暮らせるように。
生殖はできなくても、
みんなのために生きることは、できますから。
健常な人では、子供のために、という本能的な動機が、
社会生活の、原動力です。
体の病気のせいで、生殖できない人は、
自分の子供のためでなく、他人の子供のために、
生きようとします。
社会のために、生きようとする気持ちが、健全ですから、
子供は産めなくても、
みんなと一緒に、希望を分かち合えます。
GIDのように、精神の病気のせいで、生殖を拒否する人には、
社会のために、生きようとする健全な気持ちが、ありません。
治りたいと望む気持ちが、大切です。
その望みが、
社会のために生きようとする気持ちを、産みます。
みんなのために、生きようとする気持ちは、
治りたいと思う気持ちと、
裏表(うらおもて)になって、表れます。
GIDの、何が病気かを、知ることって、とても大切です。
FtM(女なのに男のつもりを見せびらかしている人)が、
一般の女性よりも、男性に似た顔や体つきを、マスコミに披露して、
体は女でも、心は男と、得意になる気持ちは、
はっきりと、精神の病気です。
女性にそっくりの体つきの、MtF(男なのに女のつもり)の人が、
男性の性別を、許容できないのは、
誰が見ても、体が女性に似ているからに、決まっています。
女性に対する性欲を、オナニーで処理することも、旺盛ですが、
エストロゲンを使いますので、射精せずに、手を使わずに、
生涯、持続的な性的快感に、甘美に浸り続けます。
それなのに、御本人は、心の性別うんぬんと言います。
マスコミに、持て囃されるのを見て、
精神障害の人が、われもわれもと、性転換を希望します。
生殖機能を、不可逆的に阻害しますので、
まるで、体が異性に似ているGIDは、
精神障害者に、子供を作らせないようにするために、
優生医療を普及している特殊工作員のようです。
これでは、ナチスの手先と言われても、仕方ありません。
統合失調症の人が、何者かの指示する声が聞こえたと言い、
人を殺してしまうのと同じくらいに、
わたしは、ヒトラーという人が、はっきりと精神の病気に見えます。
彼の言動は、けっして、思想の間違いによるものだけでなく、
自分と他人に、嘘をつき、自分を許容できなくなる病気の症状です。
ヒステリーです。
オウムの麻原さんも、できるだけ人を殺さないように、動態保存して、
治るまで、いつまでも生きてもらいと思っています。
わたしは、精神の病気の人にも、
できるだけ、子供を産んで欲しいと思っています。
精神障害者の血縁には、精神障害の人の多いのを、
嫌と言うほど、見て来たからなの。
生殖できなくなると、精神障害が目立ちます。
生殖して、世代交代していれば、精神障害と言われません。
精神の病気を、社会が許容すれば、
精神の病気でなくなる、という希望は、
子供を育て、世代交代すれば、
精神障害者も、健常になる、と言う意味です。
体が健康なのに、生殖を拒否するのは、
心と体の、ありとあらゆる病気の中で、最も重症の病気です。
生物は、生殖のために生きているからです。
GIDが治癒するのは、子供を生むからなの。
生むことができなくても、子供を育てることによって、
GIDは治ります。
世代交代が、決定的な治療法です。
子供を育てることができなくても、
みんなのために、生きることはできます。
自分の命よりも、人の命を、大切に思う人間になって下さい。
精神の病気が、治ります。
自分の命が、いちばん大切と思っていたのでは、
いくら、みんなのためと称しても、GIDは治りません。
本日は、かなり断定的に、決めつけてみました。(^^)
人間は、何かを決めつけないで、間違わずに判断できるかって、
難しいんです。
決めつけるって、要するに定義することですから、
絶対に、定義に間違いはありません。
間違いって、要するに、変形のインチキか、さもなければ、
事実と違うことです。
GIDみたいなもん。
心って、事実と違います。
それを、事実と同じであると、定義して、人は物事を判断します。
事実と大きく違っていても、
新興宗教の人や、麻薬の人は、幸せに死にます。
一般の人は、事実と違う結果になると、
判断が間違っていたと、理解しますけれど、やっぱり死にます。
幸せに死ぬほうがいいから、みんな、GIDみたいになります。
パスカルって人は、人間は考える葦(あし)って、言いました。
人間は弱いけれど、宇宙の素晴らしさを知っているって。
宇宙のほうは、人間のことを、何も知らないあほだって、
彼は言いました。
わたしは、葦って聞くと、いぐさを思い出しますけれど、
畳って、夏は、素足で歩くのが、一番。
葦は、パピルスだから、紙ですけれど、
わたしは、パピルスに書くより、
日本や中国みたいに、木の紙に書くほうが、便利と思います。
べた足の人は、裸足で畳を歩くと、すぐに畳が、擦り切れます。
座布団の上を歩くと、座布団を後ろへ、蹴飛ばしてしまいます。
座布団の位置を動かさずに、その上を歩けません。
土踏まずの発達している人でも、
登山靴で歩く時は、できるだけ、べた足の真似をしたほうが、いいの。
山を登る時ですけれどね。
平地では、登山靴でも、土踏まずを使って歩いたほうが、便利です。
ただし、登山靴の靴底って、人間の体重ぐらいでは、曲がりません。
畳の上に置かれた座布団の上を、
登山靴を履いて、べた足で歩いて下さい。
座布団が、後ろに、跳ね飛ばされます。
べた足って、発達障害と関係があるんです。
わたしは、パスカルを思い出すと、
発達障害の子って、やっぱり、知能の発達が足りないって、思います。
いちおう、知的障害と、それ以外の発達障害に、分けていますけれど、
それ以外って、広汎性発達障害のことね。
一流大学の医学部を出て、お医者さんになる子を見ていると、
発達障害って、やっぱり、知能の低い障害って、わかります。
知能検査や学力検査に、優秀な結果が出るのは、
イディオ・サバンの一種かも。
GIDでありながら、お医者さんって人は、ほとんどがこれです。
非常に、依怙地です。
脳味噌の神経細胞の、均一性に欠けるのかしら。
一つの神経細胞が、別の役割を持つ融通性に、欠けるのかしら。
海馬の神経幹細胞が、よく知られているけれど、
精神の病気の人って、海馬が萎縮しやすいみたい。
パスカルさんは、もしかしたら、生まれながらの障害者のことが、
頭に入っていないかも。
人間と人間の違いって、動物と人間の違いよりも、大きいんです。
だって、放置されれば、死んで行く人も、
みんなに保護されて、生きて行けます。
植物人間みたいにね。
人間以外の動物でしたら、全部、死んでしまうのに、
人間でしたら、生きて行けます。
植物人間って、ウイルスより、あほですよ。
精神障害の子も、たくさん生まれて来ます。
それでも、みんなで一緒に暮らして行けるように、頑張ります。
人間は、ほんとに考える葦かしら。
人情が、生きて行く原動力みたいな気もします。
あほか賢こかなんて、どうでもいいもの。
GIDの人を見ると、新興宗教や麻薬のほうを、思い出してしまいます。
生きることから離れてでも、幸せのほうが、いいって言うんです。
わたしは、植物人間でも、生きるほうがいいと思うけれど。
今までの法律は、わたしと同じ建前でした。
べた足みたいに、気の効かない法律ですけれど。
男の子って、すぐにカブトムシと、クワガタムシを、喧嘩させるの。
わたしは、小学高学年の、思春期の入り口の時に、
デカルトとパスカルを、よく喧嘩させました。
プロレスみたいに、あほでも平和主義者でしたから。
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