近所の公園の、アガパンサスです。
写真のない時は、お花( anthos アントス)で、穴埋めしています。
すみません。
agapa(アガパ)は、agapee(アガペー・愛) の変形だから、
このブログを、精神障害の人が読んでくれているので、
すごく難しい気持ちになります。
健常な人と話すような調子では、書けません。
精神的に苦しい人には、まず、苦しみを除去してあげるのが、肝心。
根本的な原因や、認知の歪みや偏りなどは、
一朝一夕に、解決や治療には、至りませんけれど、
お薬を使ってでも、とりあえず、苦しみを除去してあげないとね。
苦しみが和らいで、一息つけるまでは、
仮性の認知障害が続き、認知能力の低下が進行します。
そのせいで、とんでもないことをしでかし、
取り返しのつかないことを、周囲に言い、
見掛けは、痴呆のようになります。
人間って、苦しさが、限界を超えれば、
御本人自身が、自分から、あほになるの。
社会生活上の適当な判断を、
合理的に選んで実行する責任を捨てて、
容易に両極端に走り、不用意なことをして、無分別なことを言い、
融通の効かない人間になれば、当座のストレスが、少なくて済みます。
一時的な仮性痴呆です。
苦しみを緩和するために、自分から、そうなりますけれど、
向こう先が見えません。
そのせいで、ますすま生活が困難になり、
周囲が優しくしてくれなければ、
かえって、ストレスが溜まるかも知れません。
仮性痴呆が長期間続くと、脳が萎縮して、
回復不能な、真性の痴呆になりかねません。
認知障害の出ている時は、早急に対処して、進行を防ぎます。
性同一性障害(GID)の人を見ると、
異性装や、異性の言葉や振る舞いを、必死で真似ていますので、
認知障害の出ているのは、一目瞭然です。
人聞きの悪い言葉ですけれど、色ボケになっているのは、
仮性の認知症に間違いありません。
脳の器質に、原因となる病変のない精神障害では、
脳の萎縮は、脳の一部の機能を、使わないことから起こる可能性が高く、
廃用性の萎縮と言い、統合失調症で目立ちます。
その量は、脳の容量や重量の、個人差の範囲内ですので、
萎縮によって失われた機能を、他の領域が代償すれば、
リハビリによって、新しく学習することも可能です。
脳梗塞や外傷などによって、
言葉を喋れなくなった人や、文字を書けなくなった人が、
壊死した脳の領域の代わりに、
他の領域を使って、新しく学習し直すのに似ています。
もう一度、赤ちゃんになった積もりで、
人生をやり直すことも可能ですので、諦める必要はありません。
でも、死んだ脳の神経細胞は、
二度と、生きている神経細胞の増殖によっては、補充されませんので、
失われた機能のすべてを、代償できるとは限りません。
苦しくて、盛んに仮性痴呆の症状を出している時に、
早急に手当をして、真性の痴呆に至らないように、
脳を保護してあげるのは、とても大切なことです。
仮性痴呆の症状を、わざと出すのは、
苦しさを免れるために、自分から、脳の一部の機能を麻痺させて、
苦しさを感じなくしているせいです。
長期間、機能を麻痺させて、使用を封印していると、
その部分の脳の神経細胞の数が減り、樹状突起の量が疎らになり、
樹状突起の先端の、神経伝達物質の受容体も、少なくります。
統合失調症では、脳の萎縮がよく現れますけれど、
胎生期や乳幼児期の、脳の神経細胞の数が、まだ増殖している最中に、
体の病気を、長期間、経験すると、
脳の機能の発達が歪(いびつ)になり、性格が偏るかも知れません。
思春期以後に、統合失調症を発症する人には、
乳幼児期に、発達障害と騒ぐほどではないけれど、
発達障害の一種と言えるような、軽い症状の現れていた人が、
少なくありません。
6才の時に、ポリオに罹り、手術と、苦しいリハビリを経て、
やっと、普通に歩けるようになった頑張り屋さんの女の子がいました。
苦しい経験を生かして、聾学校の先生になり、
親身に、子供たちの相談にのってあげましたので、
たくさんの生徒や父兄に、慕われました。
それなのに、彼女は夜毎(よごと)に、歓楽の町に出掛けて、
売春婦のように、男をあさります。
ある日、出会った男は、気持ちの優しい男性同性愛者でした。
アパートの一室で、彼女は、勃起しない男を、
けたたましく笑い、罵りました。
すると男は、血まみれになるまで、彼女を殴り、
何度もナイフを突き刺して、死んだ彼女を犯し続けました。
これって、『ミスター・グッドバーを探して』、という映画ですけれど、
原作者は、友達をモデルにして、小説を書いたそうです。
夏目漱石と言う小説家も、子供の頃に疱瘡に罹りましたけれど、
ロンドンから帰ったのちに、精神を病むと、報道されたほど、
統合失調症に近い妄想が出ていました。
当時はまだ、
クレペリンの早発性痴呆が、発表されたばかりで、
日本の医師の、精神病の概念は、
現代と、かなり違っていたかも知れません。
現代ですと、抗精神病薬を飲んでもらえば、効き目があったのに、
1年もすると、通院も服薬も、拒否するようになる人かも知れません。
もっと、たっぷりとお薬を使っていれば、
きっと、逃げられることはありませんけれど、
小説家のお仕事も、できなくなっていたでしょう。
実際には、抗精神病薬というお薬のない時代でしたから、
お薬を使わなくても、彼は立派な小説家であり続けました。
たぶん、人格障害の症状が、御家族を苦しめたと思います。
子供の頃の苦痛は、かならずと言っていいほど、
苦痛を逃れるために、脳の特定の機能を、自分から封印します。
自分の脳の中で、苦痛を解決するよりも、
世間にカミングしたほうが、脳の被害は少ないかも知れませんが、
子供は、自由に生活を変えられませんし、知識もありません。
体の病気では、もしかしたら、
ほんとうの苦しみが、ヒステリーかも知れません。
性同一性障害(GID)の人にも、
昔は、抗精神病薬が使われて、入院治療が行なわれました。
あたりまえですけれど、現在の統合失調症の患者さんの、
約半数の人と、似たような状態になりました。
何もする意欲がなくなり、異性装で出歩くことも、なくなったのに、
自分の心が異性であるという確信は、なくなりませんでした。
統合失調症の人では、妄想を確信して実行する内容が、
御本人や、周囲の人に、危害を及ぼしますので、
お薬を使って、抑え込まざるを得ません。
実行しなくなりますけれど、妄想がなくなるところまでは、
たっぷりと、お薬を使えません。
そんなことをすれば、日常生活ができなくなり、
いわゆる廃人になってしまいます。
妄想を確信していても、実行しなくなり、言い触らさなくなれば、
よしとします。
GIDでは、異性装で出歩いて、
自分の心は異性であると、言い触らしたとしても、
他人に危害を加えるわけではありません。
異性装を実行しても、
必ずしも、性ホルモン剤や手術などによって、
自傷するとは限りません。
最初から、抗精神病薬を使わないほうが、生き生きとして暮らせます。
でも、人格障害の症状が、生活の至る所に出て、
御本人は、そのすべてを、
性別が違うからと、思うようになるかも知れません。
社会の理解がないからと、言い続けて、社会運動に躍起になります。
御家族の人の大変さが、思いやられます。
統合失調症の約半数の人の症状が、
治癒したと言えるほどに、軽快するのは、
薬物療法に、心理療法を合わせて、治療するからです。
GIDに何が必要かは、言うまでもありませんが、
強制的に治療される症状でありませんから、
御本人が心理療法を拒否すれば、だれも手を差し延べてくれません。
性ホルモン剤や手術などによって、自傷と同じ結果になるのを、
法的には、阻止できません。
性同一性障害(GID)の人も、病識がありませんけれど、
世間にカミングして、苦痛を脳の外側に、放り出しています。
おそらく、統合失調症の予防になっていますので、
ガス抜き症状と、言う人もいます。
それでも、色ボケになり、社会に適応できなくなりますので、
その程度の苦痛があります。
融通が利かなくなり、衝動的になり、頑固になるのも、
そのせいです。
衝動的になるのと、頑固になるのとが、
同じ症状として現れます。
苦しいので、中間の丁度良いところを、
調節する根気がなくなり、両極端に走ってしまいます。
両極端は不快な結果になることが多く、
不快を避けるために、
とりあえず、不快でなく、気持ちが良さそうなら、
向こう先も見ずに、衝動的に選択して、
座り込んでしまい、頑固に動こうとしなくなります。
本人には、自分の自由な意志によって選択した、
という記憶が残りますが、
両極端の不快に至ることを恐れて、
手っ取り早いところで、手を打ってしまっただけですので、
選択の自由があったとは、お世辞にも言えません。
彷徨えば、不快な籤を引くのでないかと恐れて、
動くのを拒否します。
横に滑らせて開閉する日本式の戸は、
滑りが悪いと、なかなか動きません。
体重を掛けて、思い切り力を入れると、やっと動きますが、
今度は、勢い余って、反対側の柱に、
ピシャンとぶつかってしまいます。
全体重を掛けていますから、急には止められません。
どうしても、気の利いた所に、静かに滑らかに、
微妙に調節して、気軽に開閉することができません。
動き出すまでは、頑固で、
動き出すと、猪突猛進してしまい、
こまめに軽く、調節できません。
動いている最中は、衝動的で止まりません。
止まってしまうと、力尽くでないと、動き出しません。
中間を調節できなくなるのは、それだけ苦しいからです。
おしっこを我慢している時は、物事を熟慮できません。
性同一性障害(GID)では、
体の能力の不足から、周囲について行けない苦しみや、
体の形が、流行の美容に合わないことを、周囲から揶揄され、
とりわけ、男ならこれこれ、
女ならこれこれでなければならないと言われて、
差別虐待される苦しみや、
家族状況から来る苦しみなどが、目立ちます。
こういう苦しみがあると、人は苦痛を感じる心を麻痺させて、
わざと認知障害を出します。
性別が違うと言い、異性装や同性愛を実行して、
カミングします。
性別うんぬんと言うのは、
苦しさを麻痺させる方法として、色ボケに浸ったのを、
正当化するための、ヒステリーのようなものです。
色ボケは、認知障害と言えます。
異性装や同性愛やカミングを非難すると、
GIDの人は、必ず症状を悪化させます。
世間一般の言い方では、意地になると言いますが、
ようするに、苦悩をもたらす条件判断の回路を、
脳は、蜥蜴の尻尾のように、切り落としてしまいます。
根気強い判断を割愛して、
自分から、わざと、理性や知性などを退行させますので、
それを非難されて、苦しさを麻痺させる効果が小さくなれば、
一層、ひどい認知障害を出して、深い快感に浸ろうとするのは、
あたりまえです。
追われるように、性ホルモン剤や手術に向けて、走り出します。
苦しいと言い、悲鳴をあげているかのように、
精神症状を出している患者さんの、
苦しさを増すようなことをしてはいけません。
GIDでは、体や家庭のことが、苦しさの原因に多く、
男ならこれこれ、女ならこれこれの、
体や心などという世間の常識や偏見を、
GIDの目標のように提示するのは、禁忌です。
患者さんを追い詰めるように、そう思わせてはいけませんので、
美容外科や形成外科のやりかたが、
火に油を注いでいると、よくわかります。
患者さん自身が、自分の首を締めるように、
男ならこれこれ、女ならこれこれでなければならないと、
思い詰めて、症状を悪化させてしまいます。
どのような体でも、どのような心でも、
法律に違反しない限り、
性別による差別や虐待や偏見を、受けてはなりません。
どのような体でも、どのような心でも、自由です。
そのような自由がないとするGIDの学説や、
そのような自由を、自分から放棄するGIDの自助運動などは、
もしかしたら、それ自体が、GIDの病気の症状かも知れません。
生物学的な必然性と、意志や選択の自由とを、
間違えたり、すり替えたりしてはいけません。
そういう間違いや、すり替えを起こす認知障害を、
精神科医や形成外科医は、
知らん顔をして、招いてはいけません。
悪質です。
1970年前後に、
エストニアで性転換手術を受けたMtFの人たちも、
男なら、これこれの体、
女なら、これこれの体、という世間の偏見のために、
差別されて、激しい心身症状をきたしました。
虐待されることを回避するために、
性転換手術に追い込まれました。
もしも、女っぽい体つきでも、差別されなければ、
精神症状も、性転換手術も、必要なかったと言います。
彼女たちは、1960年代の婦人解放運動や、
1980年代の、TV(トランスベスティズム)の運動や、
2000年以降の、GIDの自助運動などが、
世間の偏見や差別を惹している、と言います。
彼女たちのグループは、若いFtMの世話をしていますが、
体がごついために、クラスメイトから性転換しろと言われて、
自分から性転換したいと思い詰めた子が、
最近のFtMに多いそうです。
金八先生などのテレビ番組の、間違った考え方が、
世間の風潮を導いた弊害であると、彼女たちは言います。
社会の底辺の人たちが、自分達同士で、
犯罪の加害者になり、被害者にもなるように、
GIDは、自分の首を締めて、
自分達同士で、精神症状を押しつけ合い、
共食いをして、凌いでいるのかも知れません。
わたしは、GID(性同一性障害)と診断された人が、
性ホルモン剤によるHRT(ホルモン療法)や、
SRS(性転換手術)などによって、体を自傷しないように、
戸籍や、公私の文書などの、事務的な性別を、
何度でも変更できるようにすべきと、思っています。
精神障害の人の、心と体を守るためです。
この人たちをマインドコントロールして、
世間の風潮を煽り、いい目を見ようとするような、
ちょっと目端の利く学者さんや、お医者さんや、
ジャーナリストや、文化人などから、守るためです。
貧困ビジネスに、ならないように願っています。
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