ギンバイカ 149 蜥蜴の尻尾

マートルとか、ミルテとかと言います。
乾燥地帯の油分を含んだ植物で、
常緑の葉っぱを千切ると、いい香りがします。
ローズマリーやハッカなどと、同じ系統の匂いで、
強烈ですから、当たり外れがありません。
地中海沿岸から、ヨーロッパ各地で、香辛料や医薬として用いられました。
イスラエルでは、ハダスと言いますから、わたしは葉出すと覚えています。
 
ゲーテの、ウィルヘルムマイスターの修業時代の中で、
ミニヨンが、君よ知るや南の国 Connais-tu le pays と歌いますが、
その中に、レモンと柑子とミルテとラウレルが出てきます。
森鴎外の訳です。
地中海沿岸の、香りのよい灌木ばかり。
葉っぱの匂いは、本命が銀梅花で、対抗が月桂樹かしら。
でも、レモンが、いちばん高尚です。
 
     毎日、すごい症状の人を見ていますので、
     性同一性障害(GID)って、軽いものです。
 
     でも、ホルモンや外科手術によって、
     生殖機能を除去しようとするのは、
     子供のいない人では、確実に精神の病気です。
     この確実さは、定義と言えますので、100%ね。
 
     なんで生殖を拒否すると、病気なのかって、
     言うまでもありませんけれど、
     自分も含めて、人類の絶滅を招くのは、健康でありません。
 
     自分の、自由な選択で、生殖を拒否する人は、
     いまのところ、GIDと診断されていないはずです。
     自由な選択でなく、それしか選択できない人、
     つまり、選択能力のない人だけが、GIDと診断されています。
 
     たぶん、回復不能な人だけが、
     ホルモン療法を認められていますけれど、
     子供のいる人は、
     簡単にホルモン療法が認められています。
 
     体の病気が原因で、選択不能になり、生殖できない人は、
     GIDでありませんから、
     精神の病気によって、生殖を拒否している人だけが、GIDです。
     
     子供の有無にかかわらず、
     似たような精神症状が出ますので、
     子供を生んでから発症した人は、助かったかも。
 
     脳や体の器質に、原因となる病変がないにもかかわらず、
     慢性的に、様々な精神症状をきたす病気は、
     ほとんどが、基礎に乳幼児期からの発達障害があります。
     実際に、病的と言えるほどの、
     生活に支障をきたす症状の、現れる時期は、
     人によって、乳幼児期から老年期まで、さまざまです。
 
     だいたいは、乳幼児期や、思春期から青年期や、
     結婚後の子供が生まれた後や、更年期や老年期などの、
     生活形態や、体の機能などの、著しく変わる時期に、
     症状が現れやすいものです。
 
     統合失調症が代表的な症状の形態です。
     興奮や妄想などの、急性の手に負えない症状と、
     長期的に進行する認知障害が、主な症状です。
     興奮と、ひどい妄想について、
     現在では、お薬で抑えることができます。
     でも、持続的な軽い妄想と、認知障害の進行は、
     お薬が効きません。
 
     妄想は、御本人に自覚できませんが、
     これを言えば、変に思われるので、
     人に言わないことにして置くけれど、
     自分では、絶対に正しいと確信していることが、
     誰にも、幾つかあるものです。
     一つ二つと、数えられない思いや、
     気分のようなものもあります。
     
     自分でわかっていて、
     少なくとも、人に対して自制することができれば、
     妄想とは言いません。
 
     自分で気づいていなければ、自制することもできませんので、
     これは絶対に正しいという確信を、
     積極的に人に言い触らすようになり、
     場合によっては、人に強制したり、
     自分で実力行使に及んだりします。
     こうなると、妄想と言えます。
 
     自分で確信している内容によっても、
     ただの意見や空想なのか、
     それとも、妄想という精神症状なのかが、異なります。
     おおかたは、多くの人と異なる度合いよりも、
     事実と異なる度合いによって、判断されます。
 
事実といわれるものは、
多くの人の同意を得られるほど、客観性を増し、
同意が得られなければ、事実でないと、一蹴されます。
事実は、意見や想像でなく、
目で見て、手で触って、耳で聞いて、
感覚器官によって認識される内容を言いますから、
妄想か否かは、意見や想像の内容によっては、判断されません。
感覚される事実によって、判断されます。
 
たくさんの人の同意を得られなければ、
事実とされずに、笑われるように、
直接に感覚される内容は、その場に居合わせた人に、
だいたい共通して感覚されることを、前提としています。
これが、おかしいのです。
 
わたしが、大井川の河口から、北の方向を見ても、
わたしの隣りに立っている人が、同じ方向を見ても、
だいたい、同じように、富士山が見えるとするのが、
事実の成り立つ前提です。
 
でも、隣りの人は、飛んでいる鳥ばかりを見て、
富士山を見ていないかも知れません。
鳥でなく、山を見なさい、富士山が見えるでしょう?
と言っても、彼女は、
山とは何か、鳥とは何かを、知らない赤ちゃんかも知れません。
 
ほんとうに、彼女の目にも、
だいたい、わたしの見ている富士山と、
同じものが見えているのでしょうか。
 
山のような形の、富士山のような形のものが、
見えるようになるのと、
山や富士山という概念を知るのとが、同時であると思われます。
     
人を見て、人と知るのは、
顔や手などの、幾つかの部品をひと纏めにして、
人と言うことを、知らなければいけません。
けっして、足と地面とを、ひと繋がりのものとは、見ません。
 
こういう物の見方は、他人とコミュニケーションをして、
他人が、そういう物の見方をしていることを知り、
自分もそれに合わせて、
足と手と顔を、ひと繋がりの物として、見るようになります。
     
他人とのコミュニケーションによって、
富士山を、ひと纏まりの物として見ることを習得しているので、
わたしたちの目には、富士山が見えます。
 
だって、赤ちゃんは、鳥ばっかり見ているかも知れませんし、
青空や、白い雲や、
目の前の、風にざわめく葉っぱのついた木を、
見ているかも知れません。
視野の中の、何を見るかは、その人の勝手です。
富士山を習得していなければ、
富士山には、目もくれないかも知れません。
いったい、視野の中の、何を見れば、事実と言うのでしょうか。
 
ある人は、鳥が飛び、木の葉が風にざわめき、
青空に白い雲が浮かんでいたのが、事実であると言います。
別の人は、富士山の8合目から上が、白く輝いていたので、
それが、事実と言います。
鳥や白雲や木の葉なんて、知らないと言います。
 
何が事実かは、人によって異なるので、
写真やビデオに撮れば、確定できるのでしょうか。
お医者さんには、そうしようとする人が、少なくありません。
でも、その写真を見て、何が事実なのかは、
最初に、同じ風景を見て、何が事実なのか、
人によって異なったのと、同じことの繰り返しになります。
 
貼り絵の山下清氏は、
目で見た風景を、写真に撮ったように記憶していました。
直感像記憶と言い、
乳児の頃は、だれでも丸覚えの方法によって、
物事を記憶しますので、
人の言葉を丸ごと覚えて、繰り返すことも簡単です。
 
幼児期になると、
物事の要点やあらすじや、興味のある事などを、選び出して、
記憶するようになりますので、
選び出す作業ができるという意味で、賢くなりますけれど、
丸暗記が出来なくなるという意味で、あほになります。
 
何でも丸暗記していたのでは、
脳の記憶容量が足りなくなってしまいますし、
記憶を引き出す時に、分類やあらすじがありませんので、
時間がかかってしまい、
かえって記憶が行方不明になるかも知れません。
   
ふつうは、幼児の頃から、
丸覚えの直感像記憶は、目に見えて衰え、
その代わりに、要点やあらすじを記憶する方法が、発達して、
小学校に入学する頃には、
直感像記憶の能力は、ほとんどなくなります。
 
山下清氏は、成人しても、直感像記憶の能力が残っていました。
その代わりに、物事の要点を得る知能が、発達しませんでした。
彼は、行く先々の光景を、写真に撮ったように覚えましたので、
その時には、気づいていなかったことも、
貼り絵を制作する時に、次々に思い出すことが出来ました。
電信柱は何本だったかしらと、質問すると、
えーっと、と言いながら、記憶の中の電信柱を数えています。
それから、7本と、答えが返って来ます。
 
年寄りのGIDと自称する人たちの中にも、
直感像記憶の残っている人がいて、
学校時代に、先生が教室で喋ったことを、
ボイスレコーダのように、全部記憶していました。
小学校二年生の、何月何日の何時間目と指定すると、
やっぱり、えーっと、と言って、考えています。
日付のはっきりわかっている日の記憶から、
順番に、記憶をめくって、目的の日の記憶にたどり着きます。
 
先生の言葉を、動作も入れて、全部覚えていましたが、
先生の服装や髪型は、覚えていませんし、
隣りの席に、誰が座っていたかも、覚えていませんでした。
ホルモン療法を始めた後、
新しく覚えることができなくなりました。
以前のことも、だんだんと記憶が薄れて行きましたが、
性転換手術を終えて、治癒し始めると、
再び思い出すことができるようになりました。
 
年寄りのGIDの多くの人が、
GIDが治癒するにつれて、昔の記憶が甦ったそうです。
その時に、嗅覚が関係していると言います。
街角の花の匂いを、敏感に嗅ぎ分けると、
その日の夜になって、昔の記憶が、どっさりと甦るそうです。
 
     でも、何を、どのように事実として理解して、
     どのように記憶するかの違いはあっても、
     とにかく、写真の中に写っているものを、
     どのように知るかの違いでないか、と言う人もいます。
 
     写真って、
     色を忠実に再現していないとか、
     レンズが歪んでいるとか、ピンボケとかって、言われるけれど、
     なにが、精確の基準なのかしら。
 
     原子を写真に撮ったと言うと、原子の影でないかと、
     イチャモンがつきます。
     原子なんか、目に見えるはずもありませんから、
     事実の基準って、何かしら。
     少なくとも、目や鼻や耳などの感覚によって、
     直接に知れる情報を超えて、事実があるようです。
 
     宇宙船に乗って、地球を見るなんて、
     宇宙船という知的産物がなければ、あり得ませんから、
     事実という認識の仕方に、
     感覚能力を超えた知性が、動員されていることは、
     間違いありません。
     感覚と記憶と知性が、事実に関係があります。
 
     脳や体の器質に、原因となる病変がないにもかかわらず、
     慢性的に、様々な精神症状をきたす病気では、
     事実を取り扱う記憶の仕方に、
     決定的な異常があると言われています。
 
     人は、苦しい痛い事を避けて、
     気持ちの良いことを求めますけれど、
     それが、そもそも、おかしくなっている人がいますし、
     何が苦しいか、何が気持ち良いかが、人と違う人もいます。
     苦痛や快楽って、感情や知性でないかという気もします。
 
     死ぬ前になると、
     痛くて苦しくて、のたうちまわっていると言うよりも、
     切られた蜥蜴の尻尾が、
     ぴょんぴょん飛び跳ねているだけのように見える人もいます。
     あまりにも酷く、忍びなかったので、
     筋弛緩剤を打って、安らかに死んで貰った、
     という医師もいますけれど、
     一々、そんな気持ちを持っていたのでは、
     お仕事にならないような、気もします。
 
     わざわざ、一石を投じるために、人に言ったのかしら。
     黙って安楽死させるのが、昔からの医師のしきたりなのに。
     1960年頃よりも昔は、癌が告知されませんでしたけれど、
     その時代の、田舎の個人経営の医院では、
     患者さんの御家族の希望で、
     安楽死は普通のことのように行なわれていました。
 
     元気になる見込みのない人を、
     いつまでも看病してあげられるほど、
     日本は豊かでありませんでした。
     いまに、老人と青年の人口比から、
     必ず昔と同じ事が、起こる時代になります。
 
     その魁のような事例が、性転換医療と言われています。
     ようするに、検品落ちの不良品を、堂々と処分する医療です。
     QOLと言いますが、
     末期癌の患者さんに対する終末医療の考え方を、
     性転換医療は、治る見込みのない精神障害の、
     青年や壮年に、適用します。
 
     あ~、こんなことを書くから、
     GIDの人に見つかると、ヤバイと思ってしまいます。
     心の傷つきやすい人を、庇ってあげるには、
     まず、包み込んであげてから、放してあげるのが、
     常識的な手順かも知れませんけれど、
     その手で、うまく行くことは、めったにありません。
 
     神社へ行くと、魔除けのお札(ふだ)が、売られています。
     ペットボトルにお水を入れて、花壇に立ててあるのは、
     猫よけかと思ったら、魔除けって教えてくれた人もいます。
     焦げ茶色の、インスタントコーヒーの粉を、
     家の周りの溝や、ベランダの溝に撒く人がいて、
     魔除けだそうです。
 
     統合失調症の人の妄想なら、当たり前ですけれど、
     ゲーテのファウストに、悪魔が出てくるように、
     精神病でない人の心にも、
     悪魔やお化けの類(たぐい)が、たくさん棲んでいて、
     本人は、それを信じています。
     自分の家の中のことは、自分が一番良く知っているように、
     迷信でなく、心の中や、家の中に、
     魔物がいると、確信している人は、
     もしかしたら、全人口の25%ぐらいかも知れません。
 
     GIDの人と話をすると、
     もしかしたら、この人は、統合失調症と同じ病気の、
     診断基準未満の軽症例で、
     ひょっとすると、これから先に、病気が進行して、
     統合失調症を発症するかも知れないと、気をつけたくなる人が、
     GID全体のうちの、25%ぐらい、いらっしゃいます。
 
     物事の仕組みを、合理的に、これこれと説明しても、
     その人は、自分の心に、当てはめることができません。
     宇宙の原理とは、どうしても別の仕組みが、
     心の中に、あるように感じられます。
 
     わたしも、宇宙の原理だけでなく、
     心の中のためにも、専用の仕組みがあると思っています。
     でも、宇宙の原理に矛盾しませんから、
     ニュートンの天体の運行の法則も、アインシュタインの理論も、
     心の中の出来事に、ぴったりと当てはまっています。
     
     GIDには、どうしても、そうでないと確信している人が、
     たくさんいます。
     体の性別を許容できないと言い、
     性ホルモン剤や手術を、強く望みます。
     イヤになると、会社をやめて、生活保護を求めます。
     
     マツダというゾロアスター教の神様みたいな会社の中で、
     車を暴走させて、10人以上を轢いた人がいましたけれど、
     責任能力があるのかどうか、問題になるかも知れません。
     統合失調症の妄想のようなことを、幾つか並べています。
     人を轢いた行動や動作に、異常はありません。
     行動が支離滅裂でなく、動作が不器用でもないという意味です。
     言葉に、妄想が出ているようですけれど、
     妄想でないかも知れません。
 
     直接、会って話してみないと、
     警察やマスコミの言うことは、あまり、アテになりません。
 
     GIDの人の25%ぐらいが、こんな感じの人で、
     もしかしたら、統合失調症近辺の人かも知れません。
     精神科以外のお医者さんも含めて、素人の人が見ると、
     精神病と言う人と、精神病でないと言う人とに、
     意見が分かれます。
     GIDの人は、統合失調症でありませんけれど、
     今後、統合失調症を発症する可能性は、一般の人よりも高く、
     現在、統合失調症以外の、
     統合失調症圏の症状をきたしている人が、
     25%ほど、いらっしゃいます。
 
     オウムの裁判で、責任能力があるとされて、有罪になった人は、
     全員、こんな感じでした。
     弁護士は、マインドコントロールされていたと、
     言っていましたけれど、
     この人たちは、どこへ行っても、
     誰にもマインドコントロールされているわけでないのに、
     心に魔物の棲んでいる人かも知れません。
 
     わたしは、優しすぎると、よく医師に言われますけれど、
     GIDの人からは、悪魔のように思われているそうです。
     このブログだけです。
     匿名ですから、わかりません。
 
     GIDの人たちは、むしろ、無害な方向に、
     催眠術をかけられるように、暗示をかけられたほうが、
     安全かも知れませんし、そのほうが、御本人も安心します。
     オウムの人って、頭が悪くはなかったでしょう?
     支離滅裂なことを、言っていなかったでしょう?
     知能検査にも、学力検査にも、表れません。
     お医者さんにも、オウムみたいに、
     心に魔物の棲んでいる人が、たくさんいます。
     おなかにサナダムシを飼っていたお医者さんもいました。
     マリア・カラスも、わざわざ飼っていたそうです。
 
     この人は、そのタイプか、そうでないかが、
     GIDの人と、お付き合いをしていると、
     だいたい、わかってきます。
     心に魔物が棲んでいる人ね。
     サナダムシのほうは、検便で、簡単にわかります。
     水木しげるって人みたいかしら。
     脳味噌に、サナダムシが棲んでいる感じ。
     性転換手術で、治るとは思えませんけれど、
     ゲゲゲの鬼太郎ってのと、仲良くやれるかも知れません。
 

精神医療の廃止とコンピュータ

進化論や精神医学などの、 ロマン主義による社会や心の学説を否定して、 精神医療と精神科と精神病院の廃止を、 主張します。

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