ナンキンハゼ 0049 部落差別とダリット

これ、ナンキンハゼを撮りました。
携帯電話の画像ですから、何かよくわかりません。
歩くと靴の裏で、プチプチ心地よく、はでるんです。
ちょうど、殻付きのピーナツを踏む感じ。
 
ゴルフ場の狭い道に、一面、ピーナツみたいなのが落ちていて、
空を見ると、ナンキンハゼの実が一杯。
色合いが、なんとなくきれいでしょう?
 
 
性同一性障害は、学会や自助組織によって、
部落解放運動の一部のようになっているそうです。
性転換医療に関わっていると、同和でないかと、聞かれることがあります。
 
指導している医師や弁護士や学者さんや、
扇っているマスコミやインターネットの人には、
その筋の人が多いかも知れませんが、
性同一性障害(GID)の患者さんに、同和の人が多いという偏りは、
聞いたことがありません。
 
いつぞや、どこかのGID関係の、学会の交流会が、
部落解放運動の拠点になっている公民館で開かれたことがあります。
同和地区の中でも、公共団体から潤沢な資金を得て、
委員長は代々、全国的なやくざに籍を持つ組長さんでしたが、
交流会の直前にも、拳銃所持で逮捕されていました。
ヤクザの奥座敷のような所で、
学会の交流会を開く理由が、疑問でした。
 
ゲイパレードに参加している同性愛の人にも、
その筋が多いと聞いていますが、そっちのほうの人脈は、よく知りません。
ゲイパレードと、GIDの学会との、
二股を掛けている医師や弁護士や学者さんなどは、
その筋でないかと、噂をされているようです。
同和関係の人でしたら、NHKや大手新聞社などに、
強力な人脈があるかも知れません。
 
女人禁制の大峰山に押しかけたGIDの人たちがいて、
それに賛同して、署名をした学者さんや文化人などのほとんどが、
同性愛者であっただけでなく、
機会のあるごとに、部落解放運動に賛同の署名をしている常連さんだったそうです。
 
     こういう繋がりは、インドのヒジュラとダリットの関係に、よく似ています。
     ヒジュラの大部分は、精神障害のせいで、
     生まれつきに所属している仲間社会(カースト)のしきたりに適応できずに、
     自分からカーストを飛び出します。
 
     ほとんど、性別のことは問題にならずに、
     したい放題のことしか出来ずに、しきたりに従えないために、
     自分から、カーストを飛び出したようなもので、
     カーストや血縁の人たちは、
     本人から、性別のことを、何も聞いていないのが普通です。
 
     性別の差別が原因でなく、
     発達障害や、統合失調症や、ヒステリーの類の精神障害などに、
     よくある症状のために、
     社会に適応するのが、たいへん苦痛になります。
 
     自分の好きなことを、勝手にしようとしますが、
     家族や親戚の、儀礼的な幸せを理解できずに、
     自覚することなく、結果として妨害してしまいます。
     血縁の人から見ると、わざと妨害したようにしか見えません。
 
     考え方や、感じ方や、しきたりなどの、
     建前の喜びや、謹厳さがわかりません。
     本音の好き嫌いしか、わからないのは、幼稚ということですが、
     嫌なことを辛抱する能力が、どんどん退行するのと、
     本音の感情を偽らずに生きようとして、
     動物のように衝動的になるのとは、ほぼ裏腹に実現します。
 
     若いうちは、まだ元気があるので、
     自分から、生まれつきの同族社会や同業社会などを飛び出しますが、
     老化すると、紙オムツに点滴の、寝たきり生活になりかねません。
     精神の病気のせいで、麻薬を使うように、
     自分から身体の病気になるように見えます。
 
インドでは、同族社会や同業社会のしきたりが強く、
法律よりも優先されることが少なくありません。
カーストを飛び出せば、根無し草の乞食のようになりますが、
社会に適応できない精神障害者には、自由の息吹のように感じられます。
 
そういう人たちをダリットと言い、
昔のイギリス人は、アンタッチャブル(不可触賎民)と呼んでいました。
ダリットと言う言葉の代わりに、民族によって別の言葉を使いますが、
インド政府は、この言葉を使っています。
政府の統計では、全人口の15%がダリットです。
 
この数値は、ヨーロッパやアメリカの、
病的障害のために、金銭的な公的扶助を受けている人の比率と、ほぼ同じです。
欧米では障害者と言います。
全人口の15%ぐらいは、
どのような風土や歴史やしきたりの社会にも、適応が困難です。
 
日本では、家族や親戚に依存する人が多く、
金銭的な公的扶助を受けている人は、わずか5%です。
そのうちの半数が精神障害者と思われますから、非常に少ない比率です。
半数が知的障害者で、
残りが、統合失調症や性同一性障害などの、ヒステリーと言われる人たちです。
 
人に命じられても、不快なことを我慢できませんので、
自分のしたいことをしようとします。
躾を受け付けなくなり、人間らしさを習得できずに、
重症では、麻薬の快適さに溺れたまま、死ぬように生きるしかありません。
 
知能は正常で、学業成績は、むしろ優秀です。
勉強はできて、日常の躾ができませんので、
怠けて、楽をして、
しんどくなければ、頭も体も使うけれども、
しんどければ、最初から頭も体も使いません。
 
学校の成績の、さほど優秀でない子では、
顔や身体つきの、美しさを自慢したり、
それほど美しくない子は、美容手術に凝ったりします。
歓楽街の非行にたむろして、性的快感に耽るのも、似たような子供たちで、
思春期以後に、未婚の性同一性障害になる子には、
その典型のような子が少なくありません。
 
頭や体に負担のかかる面倒臭いことを避けて、
しんどいことをしない、楽なことしかしない、と言うに尽きますので、
症状が進行すれば、手先が不器用になり、認知障害が深刻になります。
怠惰で辛抱のない生活態度が、性格のように一貫していますので、
甘やかされて育てられたせいで、躾のできていないのが、
病気の原因と考える人もいます。
 
でも、いつも誰かに監視されている気がして、気の安まる時や所がなく、
夜になれば、家族と離れることのできない人もいます。
多くの人が、一人で旅行することも、一人でホテルに泊まることもできません。
夜、眠るのが恐いだけでなく、昼間も、家族がいなければ不安になり、
夜は、友達と一緒にいるだけでは眠れませんので、
不倫もできなければ、GIDの学会に参加することもできません。
 
精神症状のせいで、学会を覗きに行けないGIDが、たくさんいます。
GID全体の、25%に近いかも知れません。
自助組織にも参加できません。
 
蚤の心臓よりも気が小さく、すごく大きな事を言って、強がりを見せたり、
わざと、活発に行動している姿を、演技的に、人に見せつけたりしますが、
リストカットや、パニック障害や、醜形恐怖などの、
お釣りが返って来ます。
 
人により、症状に軽重があり、
御家族と、辛うじて離れることのできる人でも、
たいへん狭い範囲の、同類の人としか、社会生活を伴にできません。
 
社会生活ができないと言うよりも、社会生活を拒否する人たちです。
健常な人は、生殖と社会性の本能に動かされて生活しますが、
GIDなどの人たちには、それらを拒否する本能があるかのように見えます。
必死に力比べをして、社会生活と格闘しなければなりません。
 
プロレスラーのような、怠け者の遊び人に見えますが、
破門になった双羽黒(ふたはぐろ)さんや、
解離性障害の朝青龍さんなどの、横綱たちを思い出します。
性同一性障害の性転換や非行も、それに似ています。
 
けっして、甘やかされて、躾のできていない病気ではありません。
将来、精神障害を発症する子供達を見ていれば、よくわかります。
御近所の、たくさんの子供達を見ているだけで、
何年か後に、精神障害を発症した子に、何人も出くわします。
どのような子供が、どのような精神障害になるか、火を見るより明らかです。
 
けっして、甘やかされて、躾ができていないのでなく、
躾を許容できない発達障害があり、
それに足を取られるように、
思春期以後の、統合失調症やヒステリーの類の精神障害を発症します。
御近所の子供たちを、何十年も見ていれば、
現に精神障害を発症した何十人の日常生活を、
何十年に渡って、観察することができます。
 
多くの精神障害の人たちは、
個人的に生きることはできても、社会的に生きることができませんので、
かならず自滅します。
性同一性障害の生殖機能の自傷は、その典型の一つにすぎません。
自滅を理想としているかのように、自業自得の生き方になります。
 
知能は正常ですので、嫌な事に服従しないだけでなく、妨害します。
健常な家族の生活が順調ですと、必ずそれを妨害するように、症状を出します。
妄想や幻聴や認知障害なども、
自分以外の人の、健常な生活を妨害するために、わざと出す症状ですが、
本人には自覚できませんので、本人の責任を問うのは酷です。
 
わざと、と言う言い方も、注意が必要です。
曖昧な自覚と、無意識との間を、往ったり来たりしていますので、
その時の程度が、いつも異なり、不安定です。
 
よく観察していると、著しく不足した能力のあることに気づきます。
それが、他の能力の足を引っ張っているかも知れませんが、
本人は、自覚していない振りをしています。
認知障害や、手先の不器用ささえも、
他の低い能力に引きずられるように、
自分から能力の発揮を、拒否していることが少なくありません。
 
ギュンター・グラスの、ブリキの太鼓の表現を借りると、
「3才にして、みずからの成長を止めた」感じです。
 
生まれつきのせいか、
あるいは、幼児期を過ぎた今では、もはや変更不能な、
著しい能力の不足を発見すれば、
御本人や御家族に、詳しく説明してあげて、
どうしたものかと、みんなで幾通りもの対策を練るのが、筋かも知れません。
 
でも、その過程で、自殺する人が少なくありません。
せっかく、原因がわかったのに、それが心の負担になります。
 
     法的には、統合失調症や薬物中毒などの一部について、
     本人に、自分の名前や住所を言う能力がなかったり、
     自分は精神病でない、入院は嫌だと、抗弁する能力も失っているぐらいですと、
     責任能力がないとされて、犯罪の処罰を許してもらえますが、
     大部分の場合は、本人の責任とされて、処罰されます。
 
     実際に、複数回、逮捕されたり有罪になったりする人のほとんどは、
     精神鑑定をすれば、人格障害と言われる人たちで、
     自分からダリットになるような人ですが、
     よほどの凶悪事件でもなければ、精神鑑定をされることもありません。
 
     インドのダリットのほとんどは、
     カーストに適応できずに、自分から社会を逸脱した後、
     性的欲求不満から、ダリット同士の同性愛を習得して、
     異性装で暮らすMtFになり、ヒジュラと言われる仲間になる人もいます。
 
     ヒジュラの語は、イスラム教の聖遷に由来していると思われますので、
     民族によっては使われません。
     他の民族では、アラバニやジャンカなど、
     少なくとも民族の数だけの呼び方があるのかも知れませんが、一々は知りません。
     日本語のホモやオカマやカゲマのような、俗語や隠語です。
 
     性同一性障害だから、一般社会に適応できずに、はみ出してしまうのでなく、
     精神障害の一般的症状から、社会に適応できずに、
     自分から社会を飛び出してしまい、
     見捨てられはしないかという精神的不安と、性的欲求不満から、
     異性装や同性愛などを習得して、
     ダリットの仲間に、縋り付いて生きるようになります。
     世界中どこでも、似たようなものです。
 
     自分から社会を飛び出すというところで、
     日本のように、家族や血縁の手当の厚い社会では、
     自宅に居ながら、自室に引きこもって異性装に凝り、
     働かずに、インターネットの仲間と、異性装の外出や同性愛を楽しみ、
     歓楽街や掲示板にたむろする、という形になりがちです。
 
     失業して、預貯金で暮らしている人や、生活保護を受けている人や、
     親の遺産や家業で生活している人などが、少なくありません。
     性別のことは、口実や性欲にすぎませんので、
     心の性別や、脳の性別などは、実態を伴いません。
 
     欧米社会やイスラム社会やアフリカ諸国やインドのカースト社会のような、
     異性装や同性愛に対する社会的に強力な差別があれば、
     それを撤廃する社会運動にかこつけますが、
     日本のように、異性装や同性愛が伝統的にメジャー文化であり、
     それがゆえの差別の、まったくない特殊な社会では、
     精神障害そのものの症状が、たいへん奇麗に見えます。
     透明なガラスの塊まりの中で、
     精神症状が心臓のように動いているのが、よくわかります。
 
     部落解放の社会運動よりも、
     性同一性障害という名の、美しい生物のように、わたしには見えます。
     自閉から、妄想や幻覚や認知障害などのヒステリーを経て、
     願わくば、麻薬で寝たきりの、ずぼらな生活を目指しているかのような、
     荒廃した精神になります。
 
     日本では、異性装や同性愛は、差別されませんが、
     売春や、精神障害や、貧乏は、諸外国と同じように差別されます。 
     社会に適応できない精神障害者を、一般社会から隔離すれば、
     ダリットや部落差別と、同じになります。
 
     社会生活に適応できずに、就職できずに、経済的に自立できずに、
     顔や形の美を求め、贅沢を好み、何度も犯罪を重ねる傾向があり、
     売春や違法薬物などの横行する町や、
     2ちゃんねるのような掲示板にたむろするのは、
     ほとんどが精神障害者であり、自業自得のように、そうなる人たちです。
 
医療として、性同一性障害の人たちを、治癒に導いた例は、ないかも知れません。
約半数の人は治癒しますが、医療との因果関係は認められず、
そろそろ治る時期だったので、治ったのではないかと思われる人ばかりです。
 
自然治癒と言うべきですが、
臨床心理士は、認知行動療法によって治ったと、言うかも知れません。
昔、平安時代の僧侶は、干ばつの夏に、雨乞いの効能を競いました。
たいていの僧侶は、旅人の話を聞き、雲行きを見て、湿度を感じ、
そろそろ雨の降りそうな時に、大々的に祈祷を催しました。
少しも降りそうでないカンカン照りの時に、
熱心に祈祷をする僧侶は、滅多にいなかったと思います。
認知行動療法も、そんなものです。
 
性同一性障害は、強制的に治療されるような病気でありませんから、
患者さんの注文に、医師が応じて、幾ら幾らです。
患者さんは、性ホルモン剤や、診断書や、手術などを求めています。
性同一性障害という病気を治して欲しいとは、思っていません。
 
性同一性障害は、間違いなく病気ですが、
性転換を合法化するために、
性転換療法という治療法によって、便宜的に纏められた診断名ですので、
原因や仕組みなどは、人それぞれに種々雑多かも知れません。
性転換療法が、治療法として有効という証拠も、ありません。
 
わたしは、患者さんにお友達になってもらっているだけです。
気楽ですので、あまり小難しいことは、遠慮しています。
ゆったりと、くつろいでいるほうが、心地よいの。
 
誰にも苦痛を与えずに、自分も苦痛でなく、気楽で、
そうかと言って、麻薬のせいで気分が良いのでもなく、
みんなのために、ゆっくりと働ける人は、幸せです。
 
統合失調症でも、性同一性障害でも、拒食症でも、
この類の精神障害の人は、生きているのが恐いのですよ。
調子の良いときは、不安に感じます。
悪化すると、居ても立ってもいられないほど、
自分や世の中の何もかもが、恐くなります。
 
躾のできていない人のようですが、
お母さんのお腹の中でなければ、不安になる人です。
認知障害や、発達障害や、統合失調症のことを書きましたけれど、
うつ病のことも、書かないといけないかも知れません。
 
生殖して家族や社会を作る本能の、不足している人と書きましたけれど、
お母さんや家族と一緒にいなければ、安心できない幼児の心を、
いつまでも維持している人たちです。
お母さんのお乳に、顔を埋めているというよりは、
重症の人では、お母さんのお腹の中にいなければ、不安で恐くなってきます。
統合失調症に似て、自我障害が、性同一性障害では顕著です。
 

精神医療の廃止とコンピュータ

進化論や精神医学などの、 ロマン主義による社会や心の学説を否定して、 精神医療と精神科と精神病院の廃止を、 主張します。

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