わが家の春一番 0041 障害者の介護

山茱萸(サンシュユ) 今日、ほころびました。
うちの、お庭です。
 
性同一性障害の悪口と思うかも知れませんが、
精神障害の人にも、
子供を生んで育てて、子孫を作って欲しい。
 
生むのも、育てるのも、難しく、
先天的な障害者が、たくさん生まれるかも知れません。
精神障害者が育てば、
健常な子まで、精神障害になるかも知れません。
 
でも、生まれた子が、どんなに治らない病気の子でも、
みんなで大切に育てる気持ちが、人間社会には必要です。
人間らしさが、そこにあります。
わたしたちが絶滅せずに生きて来れた理由を、
わたしたちの側に求めるとするなら、
それが、人間らしさに違いありません。
 
その気持ちを、社会全体も、一人一人の人間も、
持ち続けて行く必要があります。
未来に伝えなければいけません。
 
みんなで苦労して、みんなで喜んで、
一緒に生きて行く気持ちが、人間らしいのですよ。
けっして、育児放棄しないように。
どんなに、先天的な障害や病気の子でも、
親も子も家族も、社会がみんなで大切に守ります。
障害や病気の本人だけでなく、親も子も家庭も、みんなが助けてあげます。
 
そういう社会が、人間の生存には必要です。
人間が生き延びて来れた理由です。
だから、理想ではありません。
現実です。
 
けっして、間引かずに、
みんなで工夫して、病気や障害を持つ人たちと、一緒に暮らして来たから、
人間はこれまで生きて来れました。
 
理想でなく、人間らしさの、現実なんですよ。
すでに、この空気や、この土地や、この光に、
あまねく染みわたっている人間の心の優しさなんですよ。
 
助け合いが、技術や文明の進歩をもたらしました。
生きて行けない人たちも、生きて行けるように、みんなで工夫したのですよ。
 
だって、我が子や、なつかしい兄弟姉妹や、大切や親や、友達や、命の恩人も、
だれだって、苦しくなって、生きて行けなくなるんですよ。
みんなで工夫して、支え合うのは、あたりまえでしょう?
みんなで頭を働かせて、素晴らしい技術を発明します。
 
生きて行けない障害者や病人を、焼却処分にするような、
ナチスドイツの考え方に、目を瞑れますか。
自分の親や子が、生きているのに、焼却されるんですよ。
 
障害者や病人を殺してしまったのでは、助け合いの心がなくなるでしょう?
生きて行ける能力のある人だけが、生きたのでは、
人類は、進歩しなかったのでないかしら。
 
生きて行けない人でも、なんとかして生きて行けるように、
みんなで一生懸命に、工夫する努力と苦悩が、幸せを生むのではありませんか。
 
けっして、麻薬の快楽をむさぼったのではありません。
生きて行けない人が、生きて行けるように、
みんなで血と汗を流しました。
 
障害者や病人を、間引いてはいけません。
勇気を持って、性同一性障害の人は、
生んで、育てて、家庭を築くのです。
 
けっして、育児放棄をして、自分の脳内麻薬の性的快感に浸ってはいけません。
子供を生まずに、幸せに死のうなどと、思ってはいけません。
けっして、心は異性などと言って、
QOLの終末医療に、麻薬患者のように寝そべってはいけません。
 
生きて行けない人がいる、ということが、
いつも、人類進化の原動力だったのですよ。
けっして、これを間引いてはいけませんし、自分から間引かれてもいけません。
性転換医療は、
間引いたり間引かれたりすることを希望したがる精神の病気の人を、
治療しなければいけません。
 
土佐水木(トサミズキ) もうじき、垂れ下がって来ます。
伊賀市から横須賀に移植しました。
 
御家族に精神障害者がいると、就職が難しくなり、失業しやすくなり、
家族が貧乏になり、一家離散の憂き目に遭いやすくなります。
精神障害者を介護する人は、自分の人生を犠牲にしなければなりません。
 
昨日は、一人の友達に付きっ切りでした。
半陰陽関係のグループの、精神障害者のお世話を手伝っていますので、
病院の診察室や入院病棟と違い、
昼から夜遅くまで、のんびりと二人で世間話をしていました。
 
この人は携帯電話を二つ持っていますが、
失業していて、人と遊ぶこともありません。
一つは壊れていると言うので、見てあげると、壊れていません。
設定を間違えているだけなのに、
電話会社は、この人に新製品の携帯電話を売りつけました。
 
この人は、障害年金で暮らしているのに、
二つの携帯電話の料金を、月々、支払う目になりました。
友達がいませんので、使わない携帯電話を持っているだけで、
年金が電話会社に、吸い上げられて行きます。
 
半陰陽の人の多くには、先天的な精神障害が少なくありません。
知的障害の目だつ人も、結構います。
二次的に性同一性障害に酷似の症状の現れる人もいます。
 
知的障害であることを知っていながら、
電話会社は、新品の携帯電話を買わせています。
本人には、携帯電話の使い方を習得する知能がありません。
すでに、新品の携帯電話を使っていましたので、
今さら返品も難しいかと思いましたが、
なんとか返品返金に漕ぎ着けました。
 
携帯電話の料金体系や、
オプションや割引契約などを、一旦契約して、数ヶ月後に契約解除する仕組みや、
電話器の割賦販売の仕組みや、
さらに、パケット料金などの仕組みを理解している人は、
携帯電話を使用している人の、1%程度しかいないのではないかと、疑われます。
 
電話機能以外に、さまざまな付加料金の付く携帯電話は、日本特有の商慣習で、
諸外国では、見たことがありません。
昔、不公正な取引として、盛んに批判された抱き合わせ販売が、
今は提訴する人もなく、歓楽街のポン引きのように、罷り通っています。
 
携帯電話の料金や、料金割引の仕組みの複雑さは、おそらく世界一です。
日本のユーザーの1%程度しか、仕組みを理解していませんので、
ほとんどの人は、請求される金額を、自分で検算できません。
誰もが、いかがわしい成金のように、言われるままに、料金を支払います。
 
伝統的に、同性愛や異性装の自由な日本では、
諸外国と異なり、同性愛や異性装に対する公的な、あるいは法的な、
道義的な、宗教的な差別がなく、
性同一性障害は、性別の病気でなく、認知障害としての特徴が目だちます。
 
1955年頃まで、日本に同性愛差別は、一切ありませんでした。
日本人は、欧米の映画を見て、
はじめて、同性愛が欧米で忌避されることを知りました。
 
日本の同性愛や異性装は、文化的に差別されずに、
むしろ、歌舞伎や宝塚のように、勲章のもらえるメジャー文化として、
民衆の憧れの的でした。
 
現在の性同一性障害の若い子は、
同性愛や異性装や、ノーマルな異性愛などにかかわらず、
売春業に転落した人たちが、今に至るまで、激しく差別されてきた歴史と、
同性愛や異性装そのものが、ノーマルな異性愛と同じように、
ちっとも差別されなかった日本の、豊かな歴史文化の違いを知りません。
 
昔の売春は、今と違い、本人の好みで営業されたのではありません。
極貧の家族を救うために、親から女衒に、人身売買されて、
なかば言い含められるように、
泣く泣くふるさとを離れましたので、一種の奴隷でした。
 
昔は、契約奴隷として、お金のために身体を搾り取られて、
今は、手っ取り早く怠惰な気持ちから、簡単に現金を手にしますけれど、
今も昔も、娼婦の半数以上が、精神障害者と言われています。
 
制度や文化や、成り行きや境遇の違いによらず、
精神障害者が、何処からともなく吹き溜まってきて、
唾を吐かれて、朽ち果てて行く様子は、
差別のない日本も、
激しい差別に曝されているインドや、イスラム諸国や、
ヨーロッパや、アメリカや、アフリカ諸国も、
どこでも似たようなものです。
 
性の無理解や、制度でなく、
いつの世にも、お馴染みの、精神障害の末路であることを、理解して下さい。
認知障害です。
 
日本の性同一性障害は、性別の病気でなく、
バブル経済に甘やかされて育てられたゲームやアニメ世代の、
現実拒否の病気です。
精神障害では、現実拒否が共通の症状です。
現実を許容する能力の不足が、認知障害だからです。
  
日本の携帯電話の販売は、
契約を理解する能力のない健常者をだましても、
電話会社は、誰にも文句を言われませんから、
医師が、精神障害者に性転換医療を実施しても、かならずしも悪徳でなく、
バブル以後の日本特有の、幼児的に未熟な風土と言えるかも知れません。
 
半陰陽グループの精神障害者の人が、電話会社から押し売られた電話器を返品して、
契約を無効にしたあと、
半日ゆっくりと、まだ早い春の野のお花を楽しみました。
夜の畦道(あぜみち)には、
もう、垣通し(カキドオシ)や、踊り子草(オドリコソウ)が咲いていました。
これは早いと思いましたが、
二月の夜のお花は、二人の心のように、いつまでも朧ろに光っていました。
蛙の鳴き出しそうな、暖かい日でした。
 

精神医療の廃止とコンピュータ

進化論や精神医学などの、 ロマン主義による社会や心の学説を否定して、 精神医療と精神科と精神病院の廃止を、 主張します。

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