高輪の泉岳寺の前のお土産屋さん。
本日、赤穂より届いた塩味まんじゅうございますって、
手書きで、いつ行っても書いてあります。
12月14日に、浅野内匠頭と赤穂浪士の義士祭があります。
このお寺には、
栴檀林とか学寮とか学林とか禅林とかと言われる僧侶の養成学校があって、
昔、抗精神病薬が使用されるようになって、
統合失調症の興奮症状を鎮静して、社会復帰できるようになりました。
それまでは、発病すれば廃人になるしか、ありませんでした。
建前としては、そういうことになっています。
当時の抗精神病薬は、パーキンソン病のような動作の副作用がひどく、
お薬を使っていると、すぐにわかりましたので、
なかなか社会復帰できませんでした。
今の非定型の抗精神病薬ですと、この副作用がうんと小さくなりましたので、
抗精神病薬を使っていても、一般の人は気づきません。
統合失調症の治療法は、入院病棟の中で治す方法から、
できるだけ早く社会復帰して、
元の職場で、お仕事をしながら治す方法に変わりました。
最近では、発達障害の認知障害から、
思春期以後に興奮して、被害妄想や幻聴になるのではないかと、
疑われる患者さんのお薬の量を少なくして、
良い結果の出る例が増えてきました。
昔、夏目漱石さんがロンドンから帰国した後、妄想と興奮症状が現れましたが、
当時は、抗精神病薬がなかったにもかかわらず、
その後、漱石さんの症状が悪化したことはありません。
漱石さんの妄想は、完全に統合失調症の妄想ですので、
現在の精神科のお医者さんなら、抗精神病薬を使い、
診断名も統合失調症になる可能性が高いのですが、
実際には、抗精神病薬を使わなくても、悪化しませんでしたので、
現在から見ても、統合失調症とは、なかなか鑑定できません。
抗精神病薬は、うまく効くと、
ほんの少しの量で、明るく社交的になり、
窓を開いたように、気さくに人と会話できるようになります。
へたな効き方ですと、興奮を抑え込んだのはいいけれど、
心が錆び付いたように、何もできない、何も喋れない、
一日中じっとしているだけの、昏迷状態になりますので、
抗不安剤を使い、酔っ払いのように、いい加減に喋らせて、
軽々しく身体を動かすように仕向けます。
抗精神病薬と抗不安剤の量が、だんだん増えて行きます。
抗コリン作用のある薬剤は、認知障害を促進しますので、
抗癲癇剤やリチウムなどを気分調整薬として使うことや、
抗うつ剤のSSRIを使うこともあります。
薬漬けになってしまう人が、少なくありません。
興奮症状がさほどでもなく、発達障害の強く疑われる患者さんには、
抗精神病薬を、あまり使わない治療法で奏効することがあります。
診断名も、統合失調症を使いません。
性ホルモン剤と性転換手術による治療は、その一つで、
この治療法を合法化するために、性同一性障害という診断名を作りました。
まだ性同一性障害を発症していない子供の頃に、
発達障害と診断して、特殊教育を受けさせようとすると、
たぶん、お母さんは、
子供の個性まで、病気扱いにすると抗議して、納得しません。
ご本人も、自分は病気ではないと言い、
思春期にもなると、リタリンのような薬剤を飲まなくなります。
一般の子供と同じ学校教育でも間に合うほど、
性同一性障害の子供時代の発達障害は軽いものですから、
発達障害と診断するのは、躊躇されます。
思春期以後に興奮症状がほとんど出ていませんので、
性同一性障害の子を、統合失調症と診断するのも躊躇われます。
それでも、発達障害や統合失調症と比較されるのは、
性同一性障害の人に共通の、認知障害のためです。
老年になると、認知障害を標的にした治療の必要な人が増えますが、
性同一性障害の発症当時でも、すでに、ほとんどの人の認知障害は顕著です。
これを進行させないようにするのが、
性同一性障害の治療と言っても構いません。
そのために、性転換というイベントを使います。
抗精神病薬を使わずに治療することが、たいへん重要ですが、
抗精神病薬の必要な人の生殖機能まで阻害してしまったのでは、
踏んだり蹴ったりになってしまいます。
最も大切なことは、認知障害の進行を止めることです。
性別のことなどは、昔、癌が告知されなかった時代に、
胃潰瘍と信じて、1千万人ほどの患者さんが死んで行ったようなものです。
癌の治療法が進歩するにつれて、
胃潰瘍でなく癌であると、正直に告知されるようになりました。
性同一性障害も、性別のことではなく、認知障害であることを、
やがて告知してあげなければいけません。
知能検査や認知障害の検査に現れない認知障害を、
認知の歪みと言うことがあります。
どんなに健常な人でも、認知の歪みのない判断は不可能ですので、
結果が悪ければ、認知が歪んでいると、難癖をつけられます。
それにしても、歪んでいるとは、変な言い方です。
間違っているのか、正しいのか、はっきりせいと言いたくなります。
中間というのがあるのでしょうか。
まるで価値観の争いになってしまい、
認知の病気でないのではと、疑問になりますが、
認知療法の言うところの認知は、明らかに判断の仕方のことです。
認知の歪みと言うのは、判断の結果が思わしくないので、
判断の仕方が悪いと言って、イチャモンをつけています。
しかも一般化していて、
どんな時にも、このような判断の仕方なら、
悪い結果になると、言っています。
よく、こういうふうに整理されています。
歪んだ認知の仕方、つまり悪い認知の仕方です。
1.全か無か思考(all-or-nothing thinking)
2.一般化のしすぎ(overgeneralization)
3.心のフィルター(mental filter)
4.マイナス化思考(disqualifying the positive)
5.結論の飛躍(jumping to conclusion)
6.誇大視と過小評価(magnification and minimization)
7.感情的決めつけ(emotional reasoning)
8.すべき思考(should thinking)
9.レッテル貼り(labeling and mislabeling)
10.自己関連づけ(personalization)
これを見て、すぐに思い出すのは、人格障害として列挙された様々な性格です。
病気の一種とされていますが、それに当て嵌まらない人はいません。
だれでも、人格障害として上げられた性格を、少しずつ持ち合わせています。
ここに上げられている認知の歪みも、そうです。
だれでも、いつでも、認知の歪みを、少しずつ含んだ判断をしています。
人格障害として、特定の性格を列挙したとしても、
人格障害が治ることはありません。
アルツハイマーでは、最初に御家族が異常に気づくのは、
受診や診断の、1年ほど前の、性格が変わったという感じです。
この感じだけでは、尻尾をつかめませんので、
御家族の人が、1年間ほど悩んでいますと、
患者さんに、見当識や記憶の異常が現れて来ますので、
これは病気に違いないと確信して、
本人を半ば説得して、半ば騙すように受診させて、
御家族のかたも付き添って来られます。
見当識や記憶の異常が現れて、脳のMRIにも萎縮が写り、
アルツハイマーと診断されても、性格の異常はなくなりません。
ますます、ひどくなり、
御家族が認知障害の患者さんの介護に疲れ、苦しみ、
御家族のほうが自殺してしまったり、
ときには、患者さんを殺して、自分も自殺してしまったりするほど、
患者さんの人格障害が、言うに言われぬ苦悩のタネになります。
人の人格に愚痴をこぼしても、切りがありませんので、
誰にも苦しみをわかってもらえません。
性格は、悪いほうに変化します。
性格の変化のほかに、これと言った重大な症状を確認できなければ、
性格の変化をきたす病気を、人格障害と言います。
アルツハイマーでは、見当識や記憶の症状が出てきますので、
もはや人格障害と言わずに、アルツハイマーと言います。
でも、人格障害と言われる性格の異常な変化がなくなったのでなく、
アルツハイマーと診断された後も、ますますひどくなります。
患者さんが寝たきりになるまで、悪化の一途をたどります。
アルツハイマーでは、診断から長くとも10年で、
内臓やホルモンなどを維持する脳の神経細胞の変性がひどくなり、
寝たきりになり、死にますので、御家族は安心できます。
10年の辛抱です。
性同一性障害の大部分は人格障害ですが、
そう簡単に死にませんので、
御家族は永遠に地獄が続くかのように、
苦しみの底で、のたうち回ります。
統合失調症でも、御家族を悩ませるのは、人格障害です。
周囲の人を、死に追いやるほど苦しめるという意味で、
精神障害では、人格障害が最大の厄介な症状で、
これ以上の災厄はありません。
ところが、健常な人は、誰でも人格障害に相当する様々な性格を、
少しずつ、持ち合わせています。
結局、たくさん持ち合わせると病気なのか、
それとも、偏って持ち合わせると病気なのか、ということになります。
認知の歪みも同じです。
酒鬼薔薇という神戸の首切り中学生は、行為障害と診断されていましたが、
医師は母親に、性格が歪んでいると伝えていました。
発達途上の未成年者を、人格障害と診断しないことになっていますので、
行為障害という診断名になりましたが、人格障害と同じことです。
性格が歪んでいるのも、認知が歪んでいるのも、似たようなものです。
誰でも持っている性格や認知の仕方ですから、
量的に極端とか、バランスが極端に偏っているとかでなければ、
健常者と同じです。
認知障害は、認知の歪みや、性格の偏りなどからは、なかなか診断できません。
アルツハイマーでも、見当識や記憶に異常が発見されて、
はじめて認知障害と診断されます。
客観的証拠がなければ、認知障害とは言い難いのです。
しかし、客観的証拠のあがる前に、
人格障害のような漠然とした症状の現れるのも、
アルツハイマーを見れば、明らかです。
アルツハイマーは、
脳の神経細胞の変性による器質的な原因の病気であることが、確定しています。
人格障害の、認知の歪みや、性格の偏りなどは、
客観的証拠のあがる前の、漠然とした症状かも知れませんし、
いつまで経っても、客観的証拠の出てこない病気かも知れません。
いずれにしても、人格障害そのものが、
精神の病気による周囲の被害の、最大のものです。
でも、本人は境界性人格障害のようなタイプでなければ、
何も苦悩することもなく、頗る気持ちが良いと感じているのが普通です。
性同一性障害でも、症状が悪化すればするほど、本人は快適です。
終日の異性装、ホルモン療法、性転換手術と、症状が進行して悪化するほど、
本人は気持ち良くなりますが、周囲は地獄になります。
従業員が、ある日から、自分の心は女だったと言い出し、
スカートで働こうとしても、会社は首にできませんので、
中小企業ですと、一人の精神障害者のために、倒産することもあります。
使い物にならない精神障害者に、いっぱしのお給料を出し続けるのは、
会社にとっては、とんでもない災厄です。
統合失調症の場合も同じですが、
わたしは統合失調症の患者さんが、働きながら通院して、暮らして行けるように、
会社を説得したことが、何度もあります。
性同一性障害の患者さんの中には、自身が医師の人も日本に何人かいますが、
性同一性障害以外の病気を扱うには、さほど問題ありません。
患者さんのほうが、正気ですので、配慮してくれます。
性同一性障害を治療する能力は、まったくありません。
これは臨床心理士や心理療法士などでも同じです。
性同一性障害に罹った医療関係者が、
他人の性同一性障害の治療にたずさわることは、
致命的に危険です。
エイズの患者さんが、エイズを隠したり、あるいは、おおっぴらにして、
コンドームを使わずに、ホモセックスをするようなものです。
場合によっては、傷害罪にもなりますが、
性同一性障害の場合は、たぶん責任能力はありません。
人格障害や性同一性障害などでは、悪い結果を好むかのように、
最初から悪い結果の、わかり切っている判断を、
わざと実行します。
知能が正常なのに、なぜ、わざわざ苦しい結果を好むのか、
健常な人は理解できないと言い、顔を見合わせて笑います。
たとえば、けがをしても、手当をせずに、
自慢するかのように見せびらかして、
こんな傷はなんでもないと言わんばかりに、粗末に扱い、
わざと長期間、痛い思いをして、化膿させて、醜い傷跡を残します。
すり傷に砂粒がめり込んでいるのに、
水道水でよく洗わずに、砂粒を取り除くこともしませんので、
けがが治っても、砂粒の跡が残ります。
刺青を入れたり、
焼きごてを真っ赤に焼いて、身体に焼き印を入れたりします。
ヤクザや非行少年なら、当然かも知れませんが、
自分の身体を鞭打ったり、
自分で地面に身を投げて、満身創痍になる宗教もあります。
性同一性障害の人が、生殖機能を阻害して、
性器の摘出を願うのも、似たようなものです。
価値のことなら、異なる価値観のことを、
認知が歪んでいるとか、性格が偏っているなどと言い、
口汚く罵ったり、当て擦ったりする人も、たくさんいるかも知れません。
でも、健常な意見や文化や趣味には見えないのです。
人それぞれの価値の違いには見えません。
認知が間違っているのでなく、歪んでいるのでもなく、
性格が偏っていると言うよりも、判断が幼稚に見えます。
成人でありながら、中学生の判断に似ていますが、
知能検査をしても、IQはけっして60~70でなく、正常です。
幼稚と感じるのは、
健常な人なら、誰でも子供の頃に経験して、
やがて成長と共に、笑い話のように乗り越えて行ったことなのに、
いつまでも、子供のままの状態で、止まっているように見えます。
場合によっては、いったん大人の心に成長したにもかかわらず、
再び、子供の心に戻ってしまったように見えます。
誰しもが経験して、通過して来たことですので、身に覚えがあります。
心に覚えがあります。
人格障害の様々な性格も、認知の歪みの様々な項目も、
誰でも、子供の頃に経験していますので、馴染みのあることばかりです。
2月8日の、人格障害(その2)にも書きましたが、
土浦の荒川沖の事件で、被告人の哲学や確信を、
裁判長は、幼稚であるとして一蹴しながら、
更生不能であるから死刑にすると、判決しています。
死刑判決では、いつも同じ教条的な理由が並びますが、
犯人の動機や確信などを、幼稚と感じるのは、
健常者に共通の印象です。
性同一性障害の患者さんの訴える理由や確信にも、
同様の印象を受けます。
被告人は人格障害と鑑定されていますので、
更生不能は、事実上、治療不能と同じ意味です。
知的障害者の知能を向上させる方法はありませんが、
人格障害や性同一性障害では、
知能指数は正常なのに、幼稚という印象を拭えません。
荒川沖の被告人の哲学や確信は、健常者なら小学3年生程度です。
思春期直前の小学4年生になると、
健常な人は、もう被告人の水準を越えています。
その後、中学1年生頃に、思春期の混沌とした心理状態になり、
再び小学3年生程度に退行することもありますが、
中学3年生になると、高校受験もありますので、
過半数の子は思春期を脱します。
一部の子は、高校に持ち越しますが、
大学受験前の高校2年生ぐらいまでに、思春期を抜けられれば、
さほど病的な結果にならずに、
すぐに迷いによる遅れを取り返せます。
思春期のせいで、高校2年生なのに小学3年生程度に退行していても、
その後、すみやかに回復すれば、なんとかなるものです。
でも、大学受験の高校3年生になっても、思春期を乗り越えられなければ、
社会的な履歴に支障をきたしますので、
心の傷跡を残す結果になり、そろそろ精神の病気が疑われるようになります。
統合失調症では、破瓜型と言われる症状が目だってきます。
いったん発達していた心が、思春期を境に退行しますので、
発達障害ではなく、統合失調症や性同一性障害などの類の病気とされますが、
思春期直前の小学4年生頃には聡明であった子が、
思春期の中学2年生頃に、気持ちが混沌として、
一時的に小学4年生未満の幼稚さに退行するのは、
誰にでもあることで、異常ではありません。
健常な子は、中学3年生には、すでに回復して、思春期を脱していますが、
精神障害の子では、それっきり、生涯回復しないこともあります。
荒川沖の被告人の了見を、裁判長が幼稚と感じたのは、この症状です。
被告人は、自己愛性人格障害と鑑定されていて、
幼稚さだけでなく、具体的な犯行や、
控訴を取り下げて、自分から死刑を確定した行為なども、
間違いなく、人格障害の症状です。
性同一性障害の大部分の人が、性別が違うと言い、
辞職したり、離婚したりしてまで、
性ホルモン剤を服用して顔を変形させ、
性転換手術を受けて、生殖機能を摘出しようとするのも、
同じように、人格障害の症状です。
性転換手術を合法化するために、
特別に性同一性障害という診断名を作っただけです。
精神の病気では、人に危害を加える他害の症状と、
自分の身体を自傷する症状とは、
同じ病気の、趣味の違う症状の現れ方にすぎないことがよくあります。
ミュンヒハウゼン症候群と、代理ミュンヒハウゼン症候群のようなものですが、
リストカットをして自分は女だと主張する性同一性障害の人と、
秋葉原にトラックを突っ込んで何人かを殺傷した犯人とは、
ほとんど似たような精神障害に見えないこともありません。
ちょっとした風向きの違いで、症状が違ってくるだけです。
その風向きの違いは、趣味や個性や履歴や成り行きの違いですので、
別に病気ではありません。
根本的に共通している病気のことを、
統合失調症や性同一性障害や人格障害などでは、
だいたい自害障害と言います。
自我機能に能力の低さがあり、多くは乳幼児期にすでに現れています。
自我機能の一部は、知能と重複しますが、一部は異なります。
性同一性障害の知能は、若い頃なら、大部分の人は正常ですが、
65才ぐらいでは、25%の人が、知的障害と言える程度に低下しています。
その前に、知能以外にも認知症が現れてきます。
最初に現れるのが人格障害で、
性同一性障害を発症した時には、すでにほとんどの人に現れています。
心は止まっているのでなく、発達して成長して、変化しています。
悪くすれば、進行して悪化するなどと言いますが、
変化する様子を見て、病気の有無を知ります。
漠然とした人格障害の症状や、認知の歪みなども、
出生前から、死に至るまでの、心の変化の過程として見れば、
明らかに病気の進行の、初期症状に見えることがあります。
老化ではないかとする考え方は、
統合失調症や性同一性障害の類の病気に共通の見方かも知れません。
発達障害という初期不良から、死に至るまでの老化の過程に、異常を見ます。
精神の病気では、認知障害という考え方のことです。
精神障害では、客観的な物的証拠の出ない症状が多く、
御本人の訴えや、御家族の訴えだけでなく、
できるだけ、日常生活を観察して、御本人とよく話し合い、
実生活や薬剤などの、色々な働きかけを通じて、
心の変化や、人や社会との関係などに、影響を与えることにより、
総合的に治療を進めます。
0コメント