諏訪市有賀峠(あるがとうげ・標高1,063m)から、
東北東に、蓼科山(2,530m)と、北横岳(2,472.5m)を望みました。
富士山みたいに、きれいな姿の山が、蓼科山です。
八ヶ岳連峰のうちの北横岳は、標高2200mまで、車とロープウェーで登れます。
有賀峠は、北西に諏訪湖を見下ろす峠で、南側は伊那谷です。
フィリピンのピナツボ山が噴火した年に撮りました。
もう20年前になりますが、1年間ぐらいは毎日、朝焼けと夕焼けでした。
初冬の撮影です。
昨日の人格障害の記事に、統合失調症との関係を書きましたが、
人格障害の性格に応じて、様々な精神障害を発症します。
人格障害そのものが、御家族や周囲の人にとっては、大変な難物ですので、
これ以上に困ることは、現実問題として、ほとんどありません。
統合失調症になってくれると、御家族はホッとします。
人格障害よりも、いっそう働けなくなりますが、
診断と薬剤が奏功して、扱いやすくなります。
人格障害は、御家族や周囲に、大変な迷惑や苦労を掛けますが、
統合失調症でしたら、手に負えなくなると、
入院させる手や、薬剤の量や種類を調節する手があります。
人格障害には、それらの手段がありませんので、
どこまでも限りなく、底なし沼のように、禍いの元になります。
死刑が問われる凶悪犯罪は、ほとんどが人格障害によるものです。
殺人事件を起こしてくれると、
御家族は民事賠償のために、生活が火の車になり、
一家離散の憂き目に遭いますが、
成人の犯罪の金銭的賠償を、親がとるのも、日本独特の文化です。
刑事裁判では、民事の賠償を、検察官や裁判官が強く要求します。
「息子は成人していて、親の私達の言うことを聞かずに、独立した生計を営み、
事実上、親に勘当されて、親との交際がなかったので、
親の私達に、民事賠償責任はない」などと、法廷で言おうものなら、
検察官や裁判官だけでなく、弁護士からも、
御家族は法廷の場で、まるで犯人のように、口汚く非難されます。
親が民事賠償をしなければ、息子を死刑にするぞと言わんばかりに、
裁判官が親に迫りますので、
美しき家族愛に薫陶された日本の御家族は、一文無しになって自己破産するまで、
息子のために、お金を支払うのが現実です。
親が民事賠償の契約を済ませたからと言って、
犯人の死刑が免れることはありませんので、
裁判官と検察官と弁護士とが、法廷で堂々と、気持ちを合わせて、
阿吽の呼吸で、御家族を騙して恐喝するようなものです。
日本特有の、やさしい文化や社会の麗しさです。
フランス革命の思想とは、まったく異なります。
それでも、人格障害の子が逮捕されると、親はホッとします。
死刑になってくれると、新しい人生が始まるような希望を持ちます。
もしも、懲役15年の判決で、7年後に仮出所しそうな気配ですと、
気持ちが鬱陶しくなり、我が子の出所する前に、首を吊る親御さんもいます。
人格障害では、責任能力は完全である、とされるのが相場ですが、
精神疾患として分類されているように、医学的には精神の病気です。
実際に、境界性人格障害の場合は、1/4程度が、後に統合失調症を発症します。
その他の人格障害では、めったに本人が受診しませんので、実態は不明です。
昔は精神病質と言われて、事実上の精神病の予備軍として扱われました。
土浦の荒川沖という駅の周辺で、8人を殺傷した犯人が、
控訴を取り下げて、死刑が確定しました。
彼は、ゲームのファンタジーが生き甲斐でしたが、
実生活において、超越的な能力を得られなかったので、死を望みました。
自殺が恐かったので、死刑になろうと思い、
荒川沖駅周辺で、無差別に2人を殺し、6人を傷害しました。
裁判でも、死刑を強く希望し、反省していないと言い切りました。
ライオンがシマウマを食べても、反省しないのと同じだそうです。
自分は世の中と人生の真理を悟っていると言います。
酒鬼薔薇という神戸の首切り事件の中学生が、
人間の命を野菜と言っていましたが、
荒川沖の犯人も、野菜という言葉を使っていました。
判決は、ライオンうんぬんの悟りの哲学を、きわめて幼稚で独善的と指摘して、
責任能力は完全でありながら、反省がなく、更生の可能性がないことから、
他の事件と比較して不公平にならないように、死刑としました。
御家族を、たいへん健康的で良い家族と持ち上げています。
犯人の御家族は、精神障害者にごく普通の標準タイプの御家族で、
蓋然性から言って、犯人を除く4人の家族のうちの、1人は統合失調症であり、
犯人や統合失調症の人を含めて、2~3人程度が、精神障害者です。
犯人は犯行後、自己愛性人格障害と鑑定されています。
ちなみに、酒鬼薔薇少年も行為障害と鑑定されていましたが、
成人なら人格障害でした。
余談ですが、酒鬼薔薇少年に首を切り取られた被害者の少年は、知的障害者で、
犯人を慕っていたので、貯水タンクのある山に、付いて行きました。
被害者の少年の父親は、放射線科の医師でした。
荒川沖の犯人の家庭は、弟が自宅で生活していません。
犯人は、以前からウザイと思っていた妹を、最初に殺そうとしましたが、
不在だったので、見ず知らずの通りすがりの人を殺しました。
妹は、母親と会話ができず、
お互いに必要な事をメモに書き、台所の机に置いておきます。
普通に言葉を発声できるにもかかわらず、妹は母親と喋りません。
この家族の状態を、父親は普通の家族と思っていて、悩むこともありませんでした。
犯人のライオンうんぬんの信条は、小学生の頃に形成されたそうで、
父親はそれを知っていましたが、矯正しようとは思いませんでした。
法廷でも、父親は家庭の状況や、犯人の信条を、普通と言っています。
精神障害者の多発する家庭に、よくある状況で、
家族のコミュニケーションが、うまく行かず、一家団欒がなく、
同じ屋根の下に住んでいながら、お互いが他人のようです。
性同一性障害の人にも、家族制度を否定する人が少なくなく、
とりわけ婚姻制度を、権力の支配機構として非難しますが、
育児はどうするのかしらと、わたしは疑問になります。
荒川沖の犯人も、24才の童貞でしたが、
御本人には、生殖不能や生殖拒否の症状が顕著で、育児のことは思いも寄りません。
子供を産んで、子供や家庭を育てる幸せや喜びを指摘すると、
子供を産む道具として女性を見ていると、性同一性障害の人に噛みつかれます。
部落解放運動と性転換運動の結合に、熱心な人だったりしますが、
御家族の状況を、人づてに聞くと、
すでに崩壊した家庭の残骸の中に、運悪く生まれついた人のようで、
血縁には精神障害が多発しています。
荒川沖の犯人は、正常な知能でありながら、判決でも指摘されているように、
ライオンうんぬんの信念や、
自殺したいから人を殺して死刑になる、という理屈などは、
思春期以前の、小学生の幼稚な分別です。
健常な人は、正常な知能の25才でありながら、
小学生の了見を確信して、人を殺すことなど、あり得ません。
それでも、医師の鑑定も判決も、責任能力は完全です。
わたしも、自己愛性人格障害の鑑定は順当と思います。
責任能力は完全で、死刑はやむなしとするのも、相場です。
実際には、判決も更生不能と言っているように、
知能が正常でありながら、小学生の幼稚な判断を、
命に替えても確信してしまう人格障害の症状は、どうしようもありません。
たとえ銃を突きつけても、変更不能です。
もちろん、そこまで確信する症状を、本人は、どうしようもありません。
これを、フランス革命の考え方では、本人の責任とします。
他人が銃をつきつけても、変更させられない症状を、
本人には変更できると、フランス革命は言うのでしょうか。
実際に、どうすればいいのか、という現実的な対処が、
自我や自由や責任や、個性や生き方やフランス革命の思想などを、
言い訳のように、口から出させたに過ぎません。
現実的な対処って、
チチスドイツが、歓楽街で遊ぶ性同一性障害の人たちを、
収容所で焼却処分にしたようなことですよ。
QOLと言って、性同一性障害の患者さんを誘導して、
生殖機能を切り取ってしまう現在の性転換医療と、さほど変わりません。
今でも、性同一性障害って、
人格および行動の障害のところに、入っていたと思います。
WHOの統計用の病気の分類。ICDね。
人格障害が、障害者の介護の中では、いちばん厄介で、手がかかるんですよ。
介護疲れのほとんどは、これ。
でも、精神科の入院病棟では、この厄介さが、すっぽりと抜け落ちてしまいます。
強制できるから、面倒がなくなるんですよ。
戦争では、兵士だけでなく、民間人も銃を突きつけられて、捕虜になるでしょう?
歩かされるの、移動の時に。
捕虜の人は、歩かされて、山の中で殺されるのかと、びくびくしています。
銃を構えている兵士のほうも、いつ敵の襲撃に遭って、
殺されるかも知れないから、覚悟を決めています。
そういう時に、100人に1人か2人の割合で、必ず、
もう歩かないって言って、座り込んでしまう捕虜がいます。
身体の病気なら、わかるんだけど、身体はぴんぴんしているのに、歩かないの。
自殺志願みたいに、はらを決めています。
戦争中の前線の、場合によっては戦闘中ですから、
文句無しに、その場で銃殺です。
突然、歩かないって言って座り込んでから、銃殺されるまで、10秒もかかりません。
手が掛からないの、精神科の入院病棟って、
患者さんが駄々をこねれば、保護室に入れて、紙オムツにして、
拘束具でベッドに磔けにして、お薬を注射してしまえば、それでいいでしょう?
どこの精神科でも、そうしています。
言うことを聞かない患者さんを制裁するために、
保護室や拘束具やお薬を使います。
だから、精神科の入院病棟では、手が掛からないんですよ。
看護師さんは、人格障害がどれぐらい大変か、ちっとも知りません。
だって、一般家庭では、人格障害の人を縛り付けるわけには、行かないでしょう?
反対に、縛り付けられたりしてね。どうします?
人格障害って、強制的に受診も治療も入院も、させられないんですよ。
でも、統合失調症でもアルツハイマーでも、人格障害の症状が一杯なの。
アルツハイマーって、脳の神経細胞の変性がはっきりしている病気なのに、
いちばん最初に出てくる症状は人格障害で、
寝たきりになるまで、この症状のために、
御家族は地獄の底を彷徨うことになります。
介護疲れのために自殺するのは、たいてい患者さんの人格障害が手に負えないから。
アルツハイマーなんか、10年で死ぬから、軽いものよ。
統合失調症なんか、薬物療法や入院って手があるから、安心。
人格障害って鑑定される人なら、どうしますか。
受診さえ、強制できないから、診断もされないのが普通。
でも、性同一性障害では、
異性になったつもりの性的快感を餌に、精神科におびき寄せます。
どうするかって言うと、素早く生殖機能を摘出して、
優生医療のQOLよね、結局、終末医療と同じになるんだけど・・・
まず間引いて、子孫を増やさないっていう担保を取ります。
社会防衛のためだから。
人格障害は精神障害の核心の症状ね。
けっして周辺症状でないってことが、性同一性障害の人にわかれば、
治癒傾向が出て来たってことかしら。
どこかのお医者さんのように、性転換手術を受けるのが核心の症状で、
SRS(性転換手術)を受けないGID(性同一性障害)は、周辺症状なんて言っているようでは、
もういっぺん医学部に戻って、勉強し直して来なさいって、
わたしなら、言ってあげます。
介護保険でも、介護の一番の苦労は人格障害なのに、
それを評価する客観的な検査法がないので、
現実の苦労の量と、介護の程度の認定とが、著しく異なります。
お医者さんより看護師さん、看護師さんより介護職の人のほうが、よく知っています。
内緒だけど、よく知っている人のほうが、頭が悪い。
御家族が一番よく知っていますから、そりゃあ自殺ものになります。
ああ、この記事、予告してたから、
同性愛のことも書かないといけないの。たいへん。
山登りって、汗だらけになっても、
尾根筋だったら、シャワーなんか、ありません。
真夏の谷筋でも、冷たくて顔も、洗えません。
北アルプスには、雪渓なんてあるのよ、真夏なのに。
白馬鑓温泉【はくばやりおんせん】って、
標高2100メートルなのに、温泉につかれます。
ふつうは山って、テントで泊まっても、
疲れて汗だらけで、肌が、ねちょねちょしてるから、
とうてい、エッチをしたい気持ちになれません。
でも、同性愛の人は、舐めるのが好きなんです。
汚れている粘膜や肌が、いいらしいの。
女性も男性も共通で、性器や唇はもとより、
身体中、舐めるのが大好きで、
山登りの汗だらけの身体なんか、
同性愛の人には、涎れがこぼれるのかも。
ほんとは、同性愛の文化や趣味は、人の勝手なのよ。
精神障害が疑われるのは、生殖不能や生殖拒否の症状です。
異性と生殖ができて、育児放棄もしていなければ、
誰と、どういう方法で、何を楽しもうと、問題ありません。
人に実害のある危険を及ぼさなければ、
健全な文化や趣味の一つにすぎません。
同性愛を嗜んだからと言って、生殖不能や生殖拒否にならないの。
古代ギリシャや、戦国時代の日本の武士を見るまでもなく、
文化的に流行すれば、だれでも簡単に同性愛を習得できます。
オナニーによって性的快感を得るのと、心理的に同じ仕組みなので、
成人した後でも、異性に対する性欲があれば、
同性愛の習得は、難しくありません。
文化的流行がなければ、わざわざ同性愛を習得する人は、少ないかも。
流行期には、成人のほぼ全員が、同性愛を嗜みます。
異性装や同性愛が、自由な文化や趣味であるのは、
その時や、その場所や、その人々などによって、
高く評価されて流行することもあれば、
支持を失って禁止されることもあり得るっていう意味です。
自由な文化や趣味は、すべてその通り。
禁止することもできるのは、自由にすぎません。
たとえばミニスカートのような、特定の衣服のファッションを禁止しても、
人類は絶滅しませんし、誰の命も危うくなりませんから、自由に禁止できますが、
心臓の拍動は、禁止できません。
異性装や同性愛を禁止しても、禁酒法の実施と、ほぼ同じ騒ぎになるだけです。
人々の支持があれば、大流行し、
廃れれば禁止されることもあり得るのは、
自由な文化や趣味の、一般的な特徴です。
異性装や同性愛だけが、特別ではありません。
現代の欧米の同性愛の運動や、性転換の運動などが、
同性愛や異性装と、生殖不能や生殖拒否との関係を、誤解しているように、
かつて、キリスト教やイスラム教などは、
生殖を守るために、同性愛や異性装などを禁止して、差別虐待しました。
欧米の宗教の誤解は、現在も、
同性愛の解放運動や、性転換運動などの人々に、
無傷で受け継がれています。
同性愛や異性装などによって、生殖不能や生殖拒否をきたすことは、ありません。
生殖不能や生殖拒否は、脳や身体の器質に、原因となる病変がなければ、
広く発達障害や、統合失調症や拒食症や解離性同一性障害や、認知障害などに、
共通の症状です。
同性愛や異性装を嗜む人は、
流行期なら、人口のほぼ全部です。
同性愛や異性装を嗜みながら、
同時に、精神の病気に罹っている人も、たくさんいます。
精神の病気の多くは、自分が精神の病気であることを、自覚できません。
同性愛や異性装の趣味のある人が、精神の病気に罹っていれば、
生殖不能や生殖拒否の症状を、精神の病気の症状と自覚できずに、
同性愛や異性装のせいと、思いこみます。
かつてキリスト教やイスラム教などは、
精神障害の症状を是認できずに、
同性愛や異性装を禁止して、差別虐待しました。
宗教家たちは、生殖不能や生殖拒否の症状を見て、
同性愛や異性装を嗜む人の精神症状と、誤認しました。
精神障害者の症状は、病気ですから、
現代でも、それを良いものとして、是認することはありません。
病気の症状を、良いものとして是認できないことを訴えたくて、
欧米の宗教家たちは、同性愛や異性装を糾弾しました。
生殖不能や生殖拒否などの精神障害の症状と、
同性愛や異性装とを、取り違えたのです。
現在も、同じ取り違えを、欧米の同性愛者や異性装者が、継承しています。
彼らは、生殖不能や生殖拒否や、その他の様々な精神症状を、
同性愛や異性装のせいと主張します。
同性愛や異性装を嗜んでも、
生殖不能や生殖拒否や、その他の精神症状にはなりません。
それらの症状は、同性愛や異性装のせいでなく、精神障害のせいです。
同性愛や異性装を嗜む人が、精神障害に罹っているにすぎません。
でも、彼らは自分が精神障害であると、自覚できません。
精神医学では、病識がないと言い、
精神障害者には、ごく普通に起こります。
欧米の同性愛の解放運動や、性転換運動は、
かつてのキリスト教やイスラム教の誤解を、見事に継承しています。
日本の健常者には、火を見るよりも明らかですが、
欧米人には、健常者でさえ、自分たちの歴史の過ちが見えません。
同性愛の人が、汚れた粘膜や皮膚を舐めるのが好きなのは、
ほんとは、同性愛の特徴と言うより、
まだ排便排尿を躾けられる前の、
幼児の糞尿に親しんだ頃を、懐かしむ気持ちに近く、
だれにでもある思い出かも知れません。
ふるさとは懐かしいけれど、それを棚に上げておく気持ちが、
実生活では要求されます。
性生活では、別に棚上げする必要もありませんから、人の勝手ですが、
統合失調症では、排便排尿の躾けの前の幼児の心にまで、退行することがよくありますので、
その目安の症状になるかも知れません。
男性の同性愛者では、性器を肛門に挿入しますので、糞便にまみれます。
その性器を、ペロペロと舐めるそうですから、
相手の人は、自分の糞便を口にすることになります。
女性の同性愛者でも、パートナーに舐めてもらうために、性器を洗いません。
女性器は汚れやすいので、不潔ではないかと、首を傾げたくなります。
性器を舐めることよりも、不衛生を好む性癖は、
統合失調症によく現れる症状です。
他人や社会とのコミュニケーションが不調になると、
家の中の整理整頓ができなくなり、身なりを気にしなくなり、
入浴やお掃除やお料理が出来なくなり、
衛生観念が麻痺して来ますが、その時によく現れるのが、
糞尿の扱いがルーズになり、幼児に退行するような、不潔な症状です。
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