花の時は、美しいが、
そうでなければ、日本の庭に、馴染みません。
葉の大きな落葉樹は、
個人の庭木として、好まれませんが、
直立や常緑でなければ、
姿を整え難く、手間が掛かりますから、
当然です。
アカメガシワを放ったらかしにすると、
葛(くず)が、生い茂っているように、
見えます。
下草を刈らずに、
踏み込めない藪(やぶ)になると、
ふしだらな主(あるじ)のように
誤解されますので、
隅々まで、通り抜けることができて、
目の前と頭の上が、塞がらない庭に、
仕立てたければ、
アカメガシワは、お呼びでないでしょう。
しかし、花は美しい。
雌雄異株ですので、
雌花は、さほどでありませんが、
雄花は、ミモザのように、
おしべばかりが、球状に群がり、
葉や枝に似合わず、美しい。
この花を鑑賞するのは、わたしだけですから、
不思議と言うよりも、わたしは変人です。
*** ***
人間や動物の脳と、コンピュータを繋ぎ、
人間や動物の脳同士を、繋げば、
便利と思いますので、
世間一般の人たちは、わたしを、
統合失調症と診断するかも知れません。
精神病と診断すれば、便利なのは、
流行文化の、閉鎖的な精神の特徴です。
ジョン・ナッシュ(John Nash)に、
統合失調症の症状が出ていたので、
抗精神病薬を強制投与したと、
精神科医が供述するにもかかわらずに、
その証拠や証明が、皆無であることを、
わたしは、不問に付すべきでないと、
思います。
世界の1億人や、日本の100万人が、
彼と同じ状況であることを、憂慮しています。
法律に違反しないことから、
能力は高いが、不道徳で非常識な人を、
精神病として狙い撃ちにするのは、
圧倒的多数派の、能力の低い人たちの、
許容力のない精神の事情にすぎません。
わたしは、
精神病と診断されて、廃人にされた人たちが、
早発性痴呆でなく、
診断した精神科医や、
告発した世間一般の人たちのほうが、
早発性痴呆であると、知っています。
ジョン・ナッシュや、精神病の人たちは、
抗精神病薬を投与されると、
自分の状況を知る能力が、
極端に低下しますので、
理解することも、抗弁することも、
できません。
知能は、特定の価値を、
すばしこく抜け目なく
実行する能力でなく、
すべての価値について、
汎用的に理解して
実行する能力としたほうが、
実用的です。
特定の価値と、すべての価値は、
互いに、根本的に違います。
ジョン・ナッシュもまた、
特定の価値に、優れた人でしたが、
世間一般の価値とは、違っていました。
数学者でしたから、論理法則の運用に、
優れていましたが、
論理法則は、
特定の流行文化を基準にして、
他人を殺したことから、
変更不能になっただけです。
異端を、殺して間引かなければ、
純化されずに、
遺伝的に変更不能になりませんので、
ただの流行文化として、
消えざるを得ません。
ジョン・ナッシュは、
ノーベル賞を受賞しましたので、
『ビューティフル・マインド』に描かれて、
たくさんの人に、知られました。
映画は、いくつかの根本的な筋書きで、
間違っています。
彼が精神病と診断された時の、症状は、
妻が、精神科医に訴えた内容であり、
精神科医や映画は、
それを鵜呑みにしています。
そのような症状があったとする証拠はなく、
夫と不仲であった妻の証言だけが、唯一です。
精神科医に対する妻の証言を、彼は知らず、
何も抗弁することなく、いきなり拘束されて、
抗精神病薬を注射されています。
2週間後には、自動的に痴呆になり、
その後に、抗精神病薬が不足すれば、
妄想や幻覚などの、禁断症状に苦しみました。
映画に描かれた妄想や幻覚は、
抗精神病薬の依存症を、
診断時の未治療の彼の精神症状として、
描いています。
彼は、自分の病気を述懐していますが、
抗精神病薬の依存症や禁断症状が、
妄想や幻覚などであることを、
知りません。
当然、当人以外の人は、
診断後の抗精神病薬の中毒症状以外に、
初発の未治療の時点で、
妄想や幻覚などがあったことを、
証拠により、証明されなければ、
妻の証言を信用できませんが、
そのような証拠や証明は、ありません。
当人は、抗精神病薬の中毒により、
知能が、著しく低下していますので、
抗精神病薬の妄想や幻覚などと、
健常な事実や夢や想像などを、
識別できません。
抗精神病薬に依存するだけでなく、
それを処方する精神科医に
依存しますので、
精神科医が、妻の証言を信じて、
診断以前に、妄想や幻覚があったと、
診断すれば、
当人も、それを否定できません。
抗精神病薬は、
自白強要剤とも言われています。
わたしは、ジョン・ナッシュのように、
法律に違反しないが、
不道徳で非常識で無作法な人が、
大好きです。
当然、わたしの好きな人たちは、
家族に裏切られたり、
警察の違法捜査の犠牲になったりして、
片っ端から、精神病と診断されます。
全人口の1%です。
密室の中で、2度と帰らぬ廃人となり、
退院した時には、
生ける屍になっています。
夏目漱石が、そうでした。
彼は、神経衰弱と診断されましたが、
現在の統合失調症や妄想性障害に、相当します。
要するに、精神病です。
当時は、
ロボトミーや抗精神病薬がなかったので、
九死に一生を得ました。
彼は、妄想や幻覚があったと、
自分で認めたかのように言ったと、
妻が、彼の死後に、記述しています。
やはり、妻の証言だけであり、
彼自身は、そのような言動を認めていません。
国費によるロンドン留学中に、
留学仲間が、漱石の精神病を、
政府やマスコミに垂れ込んだと、
言われています。
やはり、証言だけであり、
証拠がありません。
これが一番問題です。
複数の証言があり、一致しています。
アメリカ合衆国には、
アメリカの文化があり、
みな、英語を喋り、
アメリカ文化に染まっています。
日本には、日本文化があります。
当たり前です。
そのような文化が、
正しいという証拠や証明はありません。
科学技術のような、
自然の再現性がありません。
みんなで監視し合いますので、
同じ言葉を喋るだけでなく、
同じ道徳や常識や作法を、共有します。
それが必然的に普遍的である
という証拠や証明が、
あろうはずもありません。
漱石がキチガイであると、
留学仲間や妻が、口を揃えて言うのは、
そういう文化の共有です。
漱石自身は、
べつに、法律に違反していません。
彼が、5才の娘を殴った、と言うのは、
妻だけです。
彼が、それを認めて、
変な理由により、弁解したと、
漱石の言動を紹介したのも、
妻だけであり、
漱石自身は、何も言っていません。
しかも、漱石の死後に、
妻が述懐しています。
漱石の精神症状は、
何も裏付けられていません。
漱石と離婚状態にあった妻が、
精神科医に訴えただけで、
証拠や証明が、皆無です。
ジョン・ナッシュの場合と、
ほぼ同じ状況です。
そして、世界の1億人や、
日本の100万人もそう。
精神症状の、証拠や証明がありません。
はっきりとわかるのは、
捜査機関の通報による措置入院です。
警察の密室の中で、診断しますが、
ビデオがありません。
本人が否認すれば、
刑事訴訟では、検察庁の取り調べを、
ビデオに録画しなければいけませんが、
刑事訴訟は、
精神病のために、不起訴とします。
逮捕の理由とする被疑事実に、
証拠や証明が、ありませんから、
そもそも起訴できるシロモノでありません。
当人の警察での供述調書に、
当人の署名がありません。
検察庁の取り調べは、ビデオの通りであり、
はっきりと被疑事実を否認して、
冤罪を主張した上で、
逮捕理由の、証拠や証明の開示を、
検察官に要求しています。
すると、当然のように不起訴になり、
検察官が市町村長に通報して、
精神科医が、警察署の取調室で診察します。
診察のビデオがありません。
診察は、刑事訴訟でありませんから、
客観的証拠や証明がなくても、
精神科医の独断で診断できます。
診断書の内容は、嘘八百の幻聴物語です。
一部たりとも、
実際に発言したという証拠や証明がありません。
架空の患者の発言を、創作します。
患者は、興奮して暴れたと、記述されます。
診断書に、当人の署名などは、不要です。
実際は、住所氏名年齢を聞き、
当人が、冷静に答えただけの、
30秒限りの診察です。
留置場を出た時間や、
救急車に乗せた時間なども、
すべてが事務的に捏造されます。
何の証拠や証明もなく、
架空の発言による捏造された診断です。
診断と同時に拘束して、
精神病院到着と同時に、
抗精神病薬を注射しますから、
2週間後に自動的に痴呆になり、
2度と治りません。
重要なのは、
刑事訴訟では、証拠や証明が必要であり、
ビデオの記録や、本人の署名が必要ですが、
措置入院では、いずれも不要です。
そして、入院中に、
検察庁のビデオが廃棄されて、
違法捜査の証拠が隠滅されます。
措置入院は多かれ少なかれ、この手順です。
インターネットで、
精神病患者を措置入院にするために、
診断したと、書いている精神科医が、
わたしの記述と異なることを言うのは、
本当のことがバレれば、
これまでに診断した人数分の、
殺人罪や未遂罪で、死刑になるからです。
世界中の精神科医が、そうしても、
裁判官や検察官などの、
法律家を配下に侍らせていますから、
バレる心配はありません。
精神科医自身が自白しなければ、
医師は、法律により守られています。
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