ヒョウタンボク 0178 精神病や性転換医療について

学名の Lonicera morrowii は、
属名と種小名の両方とも、
採集家の人名に由来します。
 
   
   これの大きいのを、
   オオヒョウタンボクと言いますが、
    Lonicera tschonoskii Maxim.
   そっちのほうは、亜高山性のようです。
 
   暑さに弱いのでしょう。
   tschonoskii も、
   マキシモビッチ(Carl Maximowicz)の
   下男の須川長之助に因みます。
 
   マキシモビッチは、
   エストニアのドイツ人ですが、
   モスクワ生まれですので、
   ロシア国籍でした。
 
   日本の植物の学名に、
   たくさん登場する命名者のMaxim.は、
   牧野富太郎が、
   東大の研究室を追い出された時に、
   この人を慕い、
   ペテルブルクに留学しようとしたほど、
   日本の植物分類の頂点に立った人です。
 
 
キンギンボクの瓢箪木のほうは、
アメリカ合衆国の東北地方で、
猛威を振るう外来植物ですから、
日本では盆栽に収まっているものの、
やるときは、なかなかやります。
 
小鳥は平気で啄(ついば)み、
飲み込むようですが、
一向に中毒する様子がありません。
 
死に至る猛毒と、言われていますが、
平気です。
 
一粒くらい、味を見て、吐き出しても、
どうってことは、ありませんから、
味を感じたほうが、良いかも。
 
猛毒のきのこも、そうですが、
植物を知りたい人は、味見をして下さい。
 
わたしは、食べたことがありませんから、
猛毒かどうかを、知りません。
 
嘘かも知れませんから、書いて置きます。
 
 
   2つずつ、果実がくっついていますが、
   スイカズラ属は、皆そうです。
 
   ヒョウタンボクだけの
   特徴でありません。
 
   子房下位の萼筒の根もとが、
   最初からくっついていますから、
   花托が共通と、言うべきでしょうか。
   
   そこが核果の果皮になりますから、
   偽果皮でしょう。
   
   スイカズラ属は、ツキヌキニンドウも、
   対生の葉がくっつきますから、
   分化するものを、
   横着して分化しないほうが、
   楽なのでしょう。
 
 
    ***    ***
 
 
精神疾患の中でも、精神病と言われる種類は、
家族や捜査機関などの、
証拠や証明の不要な讒言(ざんげん)により、
健康な人に、架空の病気を着せて、
強制投与した抗精神病薬の依存症が原因の、
不可逆的な廃疾を、
オリジナルの精神症状と偽ります。
 
密室の中の、診断や治療であり、
ビデオや、当人の署名や同意もなく、
精神科医しか、
診断時の精神疾患が無いと、知りません。
 
必ず、廃疾となりますので、
法律や裁判に拠らない医療による処刑と、
言うべきでしょう。
 
 
   19世紀のヨーロッパ人の、
   権力や道徳や常識を、
   精神医学の根拠としましたので、
   2度の世界大戦や、共産主義革命や、
   ホロコーストなどと、同じです。
 
   日本の100万人を含めて、
   世界の1億人の、健康な人が、
   精神科のせいで、廃疾になり、
   身体だけが、
   ゾンビのように生きています。
 
   精神医学は、進化論と共に、
   ロマン主義と言われる流行文化を、
   主導しました。
 
   第二次世界大戦の原爆投下により、
   廃れましたが、
   ソ連の崩壊が、最近であったように、
   精神医療という遺物は、
   いまだに精算されずに、
   継承されています。
 
 
脳や身体の器質に、
原因となる病変がないのに、
人格や精神といわれる文化のほうの解釈に、
病気があるとして、治療を偽り、
即決の診断と薬物の強制投与により、
個人を、回復不能の廃人にして葬り去るのは、
19世紀のロマン主義の手法よりも、
現在のほうが、残酷です。
 
裏切った家族を、
奴隷のように支配するのが、目的です。
なんとなく、キリストの磔を、連想します。
 
人格や精神のような、
夢幻(ゆめまぼろし)の類を、
病気とするのは、
事実を病気とする考え方の、延長ですが、
妄想や幻覚などと、事実とが、
正反対であるのは、言うまでもありません。
 
精神病の診断基準には、
妄想や幻覚や人格の解体などが、
口実のように、
症状として挙げられていますから、
何をか言わんや、です。
 
 
   科学技術の事実が、再現されるのは、
   無意識の知覚の仕組みによりますが、
   裁判や精神医療の事実は、
   手品のタネのように仕組まなければ、
   再現性がありません。
 
   個人の意見も、品種改良のように、
   命を間引けば、純化されて、
   やがて、権力になり、
   科学的な自然法則になると、
   ロマンチストのニーチェが
   考えた通りです。
 
   スターリンや毛沢東やポルポトも、
   精神医療と同じ考え方でしたが、
   依存症だけでなく、
   記憶のように変更不能になることが、
   進行中の老化に感じられて、
   わたしはイヤです。
 
   どうせ死ぬのに、
   わざわざ殺さなくてもと、思います。
 
 
性転換も、
性別の文化が、個人の脳の中で、
変更不能になるだけですが、
記憶や老化は、そういうものです。
 
当人は、心でなく、脳の仕組みが、
生まれつきに、反対の性別に、
変更不能になっていると、言います。
 
だから、身体を変更したいと、言いますが、
脳の生まれつきの性別は、
性ホルモンを分泌するための、
性周期の有無だけですから、
文化的な解釈は、人格や精神などと同様に、
個人の脳が、身体の機能を、
文化に仮託しただけのような、気がします。
 
 
   人格や精神は、
   個人の脳にあると、思いますか。
 
   知覚の内容を、他人に伝えるための、
   言葉や写真やビデオなどの、
   間接的な表現は、
   知覚の内容が、正しい意味です。
 
   文化と言われるプログラムは、
   オリジナルが、脳や身体の外にあり、
   人格や精神や事実などの意味は、
   個人の脳にないと、疑われます。
 
   コンピュータを使うように、
   文化が、個人の脳や身体を、
   使っているような。
 
   脳には、文化的なプログラムが、
   コピーされていますので、
   脳は、身体の機能を、
   文化に仮託しますが。
 
   文字をノートに書き、記憶したり、
   小麦を品種改良して、栽培したりは、
   便利ですから、文化と言われますが、
   個人を拘束して、変更不能にします。
 
 
脳や身体の器質に、
原因となる病変がないのに、
精神という文化を、どうこうするために、
個人に抗精神病薬を投薬するのは、
荒唐無稽です。
 
精神が、気に入らないからと、
コンピュータに、爆薬を仕掛けるような、
ロマンティックな人間に、そっくりです、
精神科医は。
 
性転換医療も、そう。
わたしは、人間を壊したくないので、
性転換手術を受けなくても、
自分の主張する性別の、
浴場や更衣室に入れば良いと、思います。
 
「犯罪や精神疾患でない」と、
法律に書くだけで、済みます。
 
 
   あちこちに書かれている統合失調症の、
   診断基準を読めば、
   精神症状とされていることが、
   1つも病気でなく、
   家族や捜査機関などが、
   みんなと一緒でない言動を見つけて、
   精神科医に垂れ込むと、
   統合失調症と診断して、
   強制的に精神病院に放り込み、
   抗精神病薬の投与により、
   廃人にするだけと、わかります。
 
   垂れ込んだ人や精神科医のほうが、
   病気です。
 
   わたしは、
   みんなと違う精神を、
   病気としたがる症状、つまり
   プレコックス感(praecox feeling)
   として、
   診断基準の最初に書くべきと、
   思います。
  
   精神科医という名前の病気。
   治療法は、医師免許取り上げ。
 
 

精神医療の廃止とコンピュータ

進化論や精神医学などの、 ロマン主義による社会や心の学説を否定して、 精神医療と精神科と精神病院の廃止を、 主張します。

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