ムクノキの雄花 椋木 0139 音声の言葉と、影像の言葉


落葉樹ですので、春に、若葉が開くと同時に、
緑の柔らかい枝が、伸びます。
 
雌雄同株ですが、
新しい枝の下のほうに、雄花が群がり、
上のほうに、葉と雌花を付けます。
 
写真では、枝の先端のほうに、
雌花が、ぽつんと付いていますが、
よくわかりません。
 
下枝を払っているので、枝が高く、
葉が、よく見えませんが、
側脈が、鋸歯の先端まで入り、
くっきりしていますので、
榎(えのき)でありません。
 
花の感じは、
ムクノキもエノキも、そっくりです。
 
新緑の季節は、暑く、
艶(あで)やかな花は、もう厭き厭き。
 
緑のほうが、涼しそうで、爽やかです。
半袖が良い。
 
 
   ***    ***
 
 
ロマン主義について。
 
現代の精神医療は、
19世紀の、
精神医学と言われるロマン主義文学を、
拠り所にしています。
 
科学的根拠はありません。
 
統合失調症や妄想性障害のような、
狭い意味での精神病は、
器質的な原因だけでなく、
病気であるとする根拠も、
器質的に皆無であり、
昔のロマンティックな迷信が、頼りです。
 
そのくせに、
強制的な診断だけでなく、
外科手術や、化学物質の投与なども、
強制的に行ないますので、
人体実験や、
法律に違反しない心情についての、
裁判のない身体刑と、言われています。
 
ロマン主義は、
ナチスやソ連が、崩壊したことにより、
時代遅れの思い込みであったと、
否定されただけでなく、
2度の世界大戦やホロコーストなどを、
惹き起こした元凶として、指弾されています。
 
大日本帝国憲法であれ、日本国憲法であれ、
憲法は、いずれも、純然たるロマン主義を、
標榜しています。
 
幕末の志士は、
当時のフランス革命後のロマン主義に憧れて、
明治維新を目指しました。
 
ロマン主義でない欧米の思想を、知りません。
20世紀に、ロマン主義を批判して、
コンピュータを作った経験論や、
異端として疎外されて処刑されたキリストの、
反骨精神などを。
 
 
   精神分析のように、
   荒唐無稽な精神医学は、
   現在でも、
   精神科の入院患者の過半数が、
   統合失調症であるように、
   架空のロマンティックな病気を、
   口実にして、
   常識的でない人を、
   強制的に監禁した上で、
   抗精神病薬により、脳の機能を、
   不可逆的に破壊しながら、
   人格の廃疾を、治療と称しています。
 
   その数が、
   全人口の1%にも達することから、
   精神医療の実態は、
   ファシズムの亡霊と、
   糾弾されています。
 
   国民が、そのことを理解できないのは、
   精神病と言われる病気を、見たと言い、
   実際に、
   個人の生命や財産や社会生活が、
   被害を受けていると、
   何かの言い訳のために、
   強弁するからです。
 
   原爆の被害者を、危険とするのは、
   いわれのない迷信であり、
   原爆のほうが、
   数万倍も残虐であるように、
   精神病患者よりも、精神科医のほうが、
   桁違いに凶悪です。
 
   原爆を廃棄したほうが、良いように、
   精神科医を、ナチスの党員のように、
   1人残らず、地の果てまで追跡して、
   厳しく処罰すべきです。
 
 
一般民衆が、精神病があると、確信するのは、
ロマン主義が、
ソ連やナチスの政治運動を、支持して、
戦争やホロコーストを、正義であると、
信じて疑わなかったのと、同じです。
 
法律に違反していないのに、
本人が拒否するものを、
なぜ、強制的に病気と診断して、
権力尽(づ)くで入院させますか。
 
裁判によらない非公開の処刑です。
 
精神科医による好き嫌いや横暴でなければ、
どのような根拠がありますか。
 
 
   ロマンティックな考え方を、
   否定するための、
   具体的な判断の手順が、
   現在のコンピュータを作りました。
 
   カントやヘーゲルのような考え方を、
   単に、数学の手法を使い、
   否定しただけですが。
 
   コンピュータは、ロマン主義を、
   きっぱりと否定します。
   将棋や囲碁の名人に、
   コンピュータが勝つのと、同じです。
 
   ロマン主義の考え方では、
   プロ棋士は、
   頭がよく、人格も優れて、
   みんなの尊敬の的ですが、
   コンピュータを作った考え方では、
   将棋や囲碁は、
   判断の組合わせにすぎませんから、
   人間の筋肉が、重機に勝てないように、
   コンピュータに勝てないのは、
   当たり前であり、
   人格と関係ありません。
 
   重機になりたいと、憧れても、
   役に立たないように、
   ガンダムになりたいと思うのは、
   スターリンやヒトラーの、
   ファシズムやホロコーストのように、
   幼稚で残虐です。
 
   東京大学医学部学生を見れば、
   すぐにわかります。
 
   ロマン主義は、進化論だけでなく、
   恋愛や病気や権力や統治のような、
   人生や社会に、
   無条件に正しい筋書があるとして、
   特定の価値観を、
   みんなと一緒に信奉しなければ、
   気が済みません。
 
   平和や民主主義や、
   思いやりや人情を、無条件に信じたり。
 
   ただの抽象語なのに。
 
   コンピュータを作った考え方は、
   特定の判断を、
   無条件に正しいと信じないだけでなく、
   正しいとか、間違っているとかの、
   論理法則のような、何らかの基準も、
   ハードウェアの仕組みと同様に、
   何らかの目的のために、規定されたと、
   推測します。
 
   生命と同じですから、
   だれが作ったのかと、
   疑問になりますが、
   自分で動きますから、
   たぶん、ものごとの判断も、
   内部で規定された絡繰りがあると、
   ロマン主義が考えるのは、早計です。
 
   動いているものを、
   機能するとか、規則的とかと、
   何らかの基準を信じなければ、
   理解できないのは、老化です。
   
   同じことが繰り返されれば、
   わたしたちは、規則性があると、
   知覚します。
   老化です。

   同じであると判断するのは、
   コピーのような規則性を見つけた、
   という意味ですが、
   なんらかの共通点を、
   見つけたのでしょうか。
    
   それとも、異なる物事(ものごと)を、
   同じであると、定義したのでしょうか。
   
   
全然違うものも、同じであると、
簡単に判断されます。
   
樹木の実物と、じゅもくという音声は、
全然違いますが、同じであると、定義すれば、
実物と、ただの音声が、同じになります。
 
共通点の無いほうが、混乱が少ないのは、
言葉や数式や記号式などと、同じです。
 
わたしたちは、そのような定義を覚えて、
言葉が話せるようになりますが、
話し言葉のような聴覚だけでなく、
視覚も、同じ理屈です。
 
わたしたちは、言葉や数式や記号式のように、
物を見ています。
 
習得していなければ、わからないのに、
ちゃんと見えているのは、
習得して、意味のある言葉が聞こえるように、
習得したから、意味のある物が見えています。
 
引き金を引けば、弾が発射されるように、
だれであっても、
こうすれば、必ずこうなる、
という科学技術の、因果関係は、
数式そのもののような言葉を、
わたしたちが、目で見て、
絶対に間違いないと、確信します。
 
確かに、そのように見えた。
引き金を引けば、弾が発射されて、
人が死んだから、間違いないと、
鉄砲の科学技術を、確信するのは、
確かに、そのように言葉が聞こえて、
意味がわかり、話が通じたのと、同じです。
 
聴覚の言葉も、視覚の事実も、
習得すれば、
コミュニケーションのメディアとして、
意味のある音や影像が、
聞こえたり見えたりします。
 
言語も事実も、同じ理屈です。
 
わたしたちは、目の言葉の事実を見て、
意味が通じたと、知覚するだけですので、
そのことから、科学技術が間違いないと、
確信するのは、早とちりです。
 
鉄砲があれば、弾が人を殺す、と聞いても、
それだけでは、嘘か本当か、わからないので、
信じないのと同じように、
鉄砲の弾が人を殺す事実を見ても、
それだけでは、信じないほうが、良い。
   
ところが、事実という目の言葉を見ると、
それだけで、絶対に間違いないと、
信じることを、エステティックと、言います。
 
 
   物事(ものごと)が、
   繰り返されるとか、
   コピーされるとか、
   規則性があるとかと、判断するのは、
   同じであると、定義したからです。
 
   遺伝子をコピーするとか、
   種(しゅ)を同定するとか、
   生殖するとか、
   同じ日本人であるとか、
   論理法則といわれる教条があるとか、
   物を組み立てるとか、
   道が枝分かれするとか、
   事実があるとかって、
   ロマンティックです。
   
   判断は、道筋をつけて分類すると、
   ロマン主義者は言いますから、
   生きること自体が、ロマンであり、
   進化系統分類の道筋です。
   
   
コンピュータを作った考え方は、
ロマン主義の規則性が、
数学的に規定されないと、言っただけですが、
数量化された科学技術が、
わたしには、文学のように、
自由に定義されたロマンスに、見えます。
 
宇宙船が飛び、高層ビルが立ち、
サリンが人を殺し、
遺伝子組み換え作物が、売られているのに、
それらの事実が、
たとえ、視覚的な言語であったとしても、
まんざら荒唐無稽であるワケがないと、
文句を言う人もいます。
 
事実や科学技術や影像や言語などは、
ロマンティックな文学の、
端的な例にすぎません。
 
架空の文学が、実際に目で見て、
手で触って知る事実や技術の、正体です。
 
もうすぐ死ぬようになると、
誰でも、それくらいのことは、わかりますが、
わたしは、子供の頃から、
このアホ社会が、
嫌(いや)で嫌でたまりませんでしたから、
ずーっと、死にかけのままでした。
 
言葉と言われる音声が、飛び交うように、
視覚的な言葉が、意味のある内容として、
目に知覚されるのは、
精神病の症状とされています。
 
何を根拠に、病気と言いますか。
 
声帯が音声を発して、耳が聞くように、
影像を発する器官が、目であり、
見る器官も、目であれば、
視覚の同音異義語を、理解できるでしょうか。
 
 

精神医療の廃止とコンピュータ

進化論や精神医学などの、 ロマン主義による社会や心の学説を否定して、 精神医療と精神科と精神病院の廃止を、 主張します。

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