イスノキはマンサク科ですが、
花も葉も、マンサクに、さほど似ていません。
見かけが似ていないのを、一緒にするのは、
進化の系統が、兄弟姉妹親戚筋だからですが、
何を見て、そう判断したのでしょうか。
ただでは、遺伝子を見れませんので、
わたしたちは、形態を見て、
納得しなければ、仕方ありませんが、
似ていない。
人間にも、全然、似ていないのに、
親子という例が、普通にありますが・・・
形態を見て、似ていれば、
進化の系統が近いと、判断するのは、
APG分類と、判断の手順が、同じですが、
遺伝子のほうが、
受精直後の状態を示していますので、
オリジナルであろう、というだけのことです。
樹木の末端の2つの梢(こずえ)は、
空間的に、近くに並んでいても、
枝の分岐を遡(さかのぼ)れば、
根もとのほうで、枝分かれして、
全然別の系統であるかも知れません。
場合によっては、別の木であったり・・・
細胞や内臓や顔や身体の、
見かけの形が、似ているだけでは、
空間的に、
すぐ近くに並んでいる枝に、すぎませんから、
枝分かれを、根もとのほうへ辿るために、
見かけの形の違いよりも、
遺伝子の違いのほうが、確実であろうと、
APG分類は考えます。
遺伝形質は、
すべて、遺伝子から派生したからと。
その考え方が、間違っているのでないかと、
疑われます。
遺伝子から、単純に派生して、
表現型が現れるのでなく、
遺伝子を組み合わせて、
表現型が現れるのかも知れません。
組合わせの手順が、環境に依存しているかも。
しかし、元々の遺伝子が、これっきりなら、
どのように組合わせても、
結果は限られています。
元々の生まれつきの遺伝子により、
進化の系統を類推して、何が悪い!
表現型に関係のある遺伝子について、
その違いから、生殖の系統を類推するように、
進化の系統を類推するのは、
あほかも知れません。
表現型に関係があるけれど、
まったく違いのない遺伝子から、
その組合わせの運用の違いにより、
表現型の系譜が生じていたら、厄介です。
進化の系譜のほとんどは、
有性生殖や減数分裂などの、
生殖によるのでなく、
突然変異と体細胞分裂によりますから、
生殖の系譜を類推するような、
いわば恋愛関係から、進化を割り出す方法は、
原理的に変かも知れません。
進化は、生殖と無関係でないか・・・
イスノキは、
雌雄同株の両性花を、咲かせます。
花よりも、葉の虫こぶに、特徴があり、
若葉は、まだキレイですが、
夏になれば、
イスノキコムネアブラムシが寄生して、
瘤だらけになります。
*** ***
ほんとうに、
親から子が、生まれるのでしょうか。
文化から、生まれるのかも知れません。
植物の文化でなく、
植物についての、人間の文化から、
生殖の系統を識別する人間の知覚が、
生まれなければ、
古生代や中生代の、生物の進化や系統は、
存在しないのでないかと、疑われます。
化石から、太古の歴史を類推するのは、
賢(かしこ)いことなのか、
それとも、荒唐無稽のお笑い草か、
毎度お馴染みの、議論ですが、
時間は逆行できないのに、
逆行しているではないかと、文句が付きます。
論理法則を、
宇宙の果てまでも、45億年前の昔までも、
夢を煽るように適用するのは、
科学技術が、役に立っているからでなく、
鉄砲や黒船や原爆のように、
役に立たない奴を、殺しても構わないと、
科学技術を正当化するためかも。
麻原彰晃君は、
そう思っていたふしが、あります。
鉄砲のように、使い方により、
科学技術は、良くも悪くもなるのでなく、
鉄砲のような使い方のために、
鉄砲が作られたのは、
火を見るよりも明らかです。
望む通りに、技術が作られる仕組みは、
望む通りに、遺伝形質を純化して、
知覚を改変するように、
文化の規則性を変えれば、
論理法則の教条が変わるからです。
遺伝形質の純化は、
ヒトラーやスターリンなどが、
派手に行ないましたから、説明不要ですが、
日本国憲法だけでなく、
ロマン主義は、それを目指していました。
日本人は、自分たちの憲法の、
時代錯誤の目論見を、
理解できていないのではと、
わたしは疑います。
日本国憲法は、
幕末のロマンティックな時代の、
欧米の理想を、掲げています。
ロマン主義が、
2度の世界大戦を惹き起こして、
崩壊したことを、無視しています。
第二次世界大戦後の日本人は、
幕末の志士と、同じ立場に、
置かれたようなものです。
日本国憲法の理想を追及することは、
19世紀の欧米のロマン主義の理想を
掲げることですから、
時代錯誤も甚だしい。
ロマン主義の理想を、
レーニンやヒトラーが追求したから、
世界大戦が起こったのに。
なんで、潰(つぶ)れたロマン主義を、
後生大事に、
標榜しなければいけないのかしら。
憲法改正は、
自衛隊や天皇制の問題でありません。
日本国憲法や大日本帝国憲法のような、
ロマン主義を、死刑にすることが、
問われなければいけません。
ロマン主義を、吊るし首にすること。
それが大切です。
コンピュータの時代に、
なんでロマン主義なのか、
日本人は、
その愚かさが、わかっていない。
0コメント