春一番に出て来る奴は、なんとなくキレイ。
冬から、咲いていますが、
今年は、2月前半が寒かったので、
春が美しい。
昔は、タンポポの咲く所は、
犬のウンコだらけでしたので、
犬の散歩でもないのに、
1人で歩くわたしは、あほでしたが、
今は、
きれいになりましたので、気持ちが良い。
そして、子供たちが、
タンポポの変種を、同定しています。
初歩は、
西洋タンポポと、日本タンポポの、
識別ですから、
日本のタンポポの変種を、分類するのは、
かなり高等です。
15種類くらい、あるそうですが、
わたしは、死にかけですから、知らん。
忘れた。
ナズナやオオイヌノフグリやオドリコソウも、
もう咲いていますが、
毎年同じですので、面倒くさい。
昔は、こんな所に、座れませんでしたが、
今は、犬のウンコがないので、安心です。
ひなたぼっこをしていると、
犬になった気持ちでした。
*** ***
いまも、アメリカ合衆国は、
奴隷制の名残(なごり)の時代ですが、
南アフリカのように、隔離(Apartheid)の、
政策を廃止しても、文化の消えない国は、
多数あります。
人種差別の原因は、
経済格差か、エステティックかと、
思案しても、鶏が先か、卵が先かと、
同じ議論になります。
容貌容姿と人格の関係は、
知覚の内容の、事実や精神の、
存在の問題と、連動しています。
事実や精神について、存在するのは何かと。
いずれも、物でありませんから、
客観的に存在したりはしませんが、
事実や精神により、
他人を、拘置所や精神病院に、幽閉して、
人格や生命を、葬り去ります。
精神病院の場合は、
事実の証拠や証明もなければ、裁判もなく、
診断から抹殺まで、密室の中で行なわれます。
即決執行です。
日本にも、強烈な、朝鮮人差別や部落差別や、
公園の犬のウンコや、
田畑の下肥(しもごえ)や、
職場のタバコなどが、
1970年頃まで、残っていましたが、
今は、ほとんど無くなりました。
容貌容姿に差がなければ、
差別撤廃は、容易かも知れません。
少なくとも、原理的に可能ですが、
エステティックが違えば、
不可能かも知れません。
事実や精神などの、曖昧な概念から、
離脱できなければ、
特定のエステティックと精神の、因果関係を、
犯罪や病気と定義して、実力行使に及ぶしか、
人種差別を撤廃する方法は、ないのかも。
警察が、写真や指紋を撮り、
犯人を識別するのは、当然であると、
人は、考えます。
事実に基き、捜査をしなければ
いけませんから。
事実が、エステティックのように、
妄想や幻覚なら、
写真や指紋を撮り、
個人を識別するのは、
精神の病気の症状に、すぎません。
捜査機関に、
事実は、精神の病気の症状であると、
説教しても、無駄です。
かえって、精神病の疑いがあるとして、
あなたは、市町村長に通報されます。
自治体から委嘱された精神科医は、
強制的に、精神病と診断して、
抗精神病薬を投与しますから、
あなたの人格は、解体されて、
幼児のような別人になります。
記憶のほとんどが、継承されますので、
何が別人になったのかと、
他人には、わかりませんが、
あなたには、わかります。
精神病が寛解しつつあると、
精神科医は言うでしょう。
あなたが、
かつての人格を失ったと、感じるのは、
解離性同一性障害や離人症などと、
診断されます。
抗精神病薬の強制投与により、
知能の下がったのが、原因です。
妄想や幻覚も、現れますから、
当然です。
インドヨーロッパ人の、ほとんどは、
事実や精神を、妄想や幻覚の一種でないかと、
疑います。
事実や精神は、エステティックのように、
特定の価値観に基づいた規則性にすぎないと。
形而上学の歴史がありますから。
仏教も、インドヨーロッパ文化ですので、
事実や精神や心や魂や人格や人権などは、
虚妄であると、言います。
ウパニシャドの思想が、伝わっていますので。
19世紀に作られた近代的な精神医学は、
ロマン主義を信奉しています。
それ以外の信心の、近代的な精神医学は、
ありません。
全部ロマン主義の、モノカルチャーです。
ロマン主義は、第二次世界大戦により、
瓦解しました。
その一派のマルクスレーニン主義も、
ソ連の共産主義と一緒に、
雲散霧消しました。
中国や北朝鮮を見れば、わかるように、
どう見ても、共産主義に見えません。
中央集権的な軍事政権が、
共産主義の看板を掲げているだけに、
見えます。
しかし、ロマンティックな思想を、
信じていますから、
ソ連が潰れて、共産主義が壊れたのは、
第二次世界大戦により、
ロマン主義の本体が、灰燼に帰したことの、
後の祭りにすぎないと、気づきません。
共産主義やマルクスレーニン主義だけでなく、
ロマン主義が、
第二次世界大戦と一緒に、亡くなったのに。
ムソリーニの逆さ吊りを見れば、
猿でもわかりますが、
日本では、東条英機の死体の写真が、
インターネットから、片付けられました。
人間は、皆、死にますから、
生涯のうちに、何百人もの死体を見るのに、
googleは、東条英機の写真を、見せません。
わたしは、スーダンやアフガニスタンで、
数千人の死体を処理して、うんざりでしたが、
2000年頃まで、ちゃんと検索できましたから、
遺族が、抗議したのかも知れません。
進駐軍が、マスコミに発表した写真ですから、
みんなに見せたほうが良いと、思います。
政治的な利用が、彼の命でしたから、
彼も、喜んだはずです。
ロマンって、古代ローマでなかったのかしら。
中国や朝鮮やキューバなどは、
ロマン主義が崩壊してから、
マルクスレーニン主義革命を、
掲げましたから、
時代錯誤も甚だしいのですが、
人生や人格や人権などの精神は、
事実や歴史などと同様に、
劇画や物語の世界の出来事ですから、
国家の指導者が信じるもので、ありません。
精神は、無いのでないかと、
疑われるにしても、
事実が、歴史と同じようなものと、
理解できない人が、たくさんいます。
南京大虐殺や従軍慰安婦も、事実なのに。
刑事訴訟は、
事実により、人を死刑にしますから、
現代日本は、欧米諸外国から、
死刑を突き付けられたようなものです。
南京大虐殺や、従軍慰安婦の強制なんか、
してないのに・・・
精神医学に似ています。
いったい、精神があるなんて、
どこの誰が考えて、荒唐無稽な物語を、
作ったのでしょうか。
わたしは、自分の心を見ても、
ただの機械が、
算盤(そろばん)の珠(たま)を
弾(はじ)いて、計算をしたり、
算盤の珠が、ノートのように、
樹状突起の枝分かれの数列を、
記憶しているだけとしか、
感じられません。
機械は、電気のスイッチを入れると、
作動しますが、
わたしは、生物ですから、
ソーラー発電のように、
生まれた時から、
スイッチが入ったままで、
切り方を知りません。
作動しっ放しで、便利です。
プログラムは、最初から遺伝して、
脳に書かれています。
病気の症状が、精神現象に現れると、
精神医学は言います。
物体のように存在するのでなく、
肉体や脳の病気が、精神に現れると。
肉体や脳の器質に、
病気が発見されなくても、
精神症状を診断できる、とする根拠が
ありません。
いやな奴を、
精神疾患とするだけですから、
共産主義国の粛清に、似ています。
事実は、もっと驚異的です。
まるで、地球や肉体の不正が、
事実といわれる現象に、
浮き上がって来るように、
法律家が、犯罪を摘発して、
精神科医が、病気を診断すると、
言います。
いやな奴を、犯罪者にするだけなら、
共産主義と、変わりありませんが、
歴史を知るように、事実を見れば、
病気がわかるとするのは、
黒魔術に近い。
事実や精神は、ないのではと、
疑われています。
ありもしないことを、犯罪や病気として、
人を懲罰するのは、権力闘争でないかと。
病気になるのは、生物だけですが、
処罰するのは、権力だけであり、
診断するのは、医者だけです。
捜査当局や法律家が、事実を確定して、
精神科が、精神を処断するって、
とんでもない虚妄ですが、
人殺しを、やっつけなくても、良いのかと、
文句が出ます。
人間は皆、死ぬのに。
犯罪は、法律に照らして、処罰されますが、
精神の病気は、民主的な根拠がなく、
事実に拠らずに、処断されます。
だれが、人を殺したかって、
因果関係は、文学しか、成り立ちません。
こうすれば、必ずこうなるのは、
数学のような定義しか、あり得ないのに。
ロマン主義の末裔の、
マルクスレーニン主義が、
史的唯物論を唱えたのは、
論理法則や数学の規則性が、
物の世界に通用するように、
歴史や事実も、論理法則に貫かれていると、
考えたからです。
論理法則や数学の規則性は、定義ですが、
遺伝的に、脳幹や大脳基底核などに、
プログラムされていると、思われます。
そのプログラムの定義の通りに、
知覚されますから、
色覚障害を見ればわかるように、
遺伝形質の組合わせにより、知覚の規則性が、
人それぞれに異なります。
いったい、
人それぞれに、遺伝形質が違うものを、
みんなに共通の、
歴史や事実があるとするのが、
権力闘争でないことが、あるでしょうか。
遺伝形質の純化を目指した間引き合いです。
物理化学の法則を見れば、
数学を適用するまでもなく、
遺伝的素質の組合わせに一致していると、
わかります。
物理化学の法則は、
遺伝形質の説明にすぎませんから、
理解できない人は、
一生かかっても、理解できません。
わかる人は、物理化学や数学を知らなくても、
幼稚園ぐらいの年齢になると、
すでに知っています。
遺伝的素質の組合わせが、
物理化学の言うところの、
物の規則性の、正体です。
人それぞれに、組合わせが違います。
宇宙に普遍的であると、思うのは、あほです。
ジョン・ナッシュ(John Nash)の
精神病も、診断前に、
精神症状があったとする事実を、
証明できません。
事実、精神症状があったとする証拠が、
皆無です。
精神病は、全人口の1%ですので、
少なくとも、世界の 7500万人が、
物理化学の法則を、
知覚の中身と違うと、感じています。
彼らは、頭が悪いので、
その理由を知りません。
抗精神病薬の強制投与のせいですので、
仕方ありません。
ビル・ゲーツに、
抗精神病薬を投与しても、
同じ結果になりますし、
精神科医に投与しても、同じです。
廃疾と言いますが、
ジョン・ナッシュも、
ノーベル賞を受賞した時に、
すでに廃人でした。
統合失調症や妄想性障害などの、
主として抗精神病薬の強制投与を、
治療と称する種類の、
精神疾患の中でも、
狭い意味での精神病と言われる病気は、
初発の未治療の投薬以前に、
あったとされる精神症状の、
事実を証明する証拠がなく、
病気を、
客観的に確認できないにもかかわらず、
即決の、診断と薬物投与により、
健康であった当人の、
著しい知能の低下と、
妄想や幻覚や人格の解体などの、
精神病の、決定的な診断基準の症状を、
故意に惹(ひ)き起こすだけでなく、
投薬2週間後には、当人の身体や脳が、
薬物の中毒症状を、正常値と知覚して、
服薬量が不足すれば、
依存症や離脱症などの、
禁断症状に苦しむようになりますので、
不可逆的な廃疾に至ります。
投薬前に健康であっても、ほぼ全員が、
投薬後の自分と医療の現状を、必ず、
正常な基準値として、自覚しますので、
元から精神病であったと、述懐して、
薬をくれる医者や看護師に、
媚(こ)び諂(へつら)うように、
従順になるのが、普通です。
麻薬中毒と同じ理屈ですが、
強制的に医者が作り出しますので、
完璧な医原病であり、精神病に、
それ以外の原因は、ありません。
当人は、薬物の依存症としての、
妄想や幻覚や人格の解体などを、
理解できますが、
精神医療を信奉する気持ちも、
薬物の依存症であると、
理解できませんので、
自分の精神病が、
医者の刑事犯罪の被害であることを、
生涯に渡り、思い出せなくなります。
投薬以前は健康であったことや、
強制的に精神病と診断された経緯を、
投薬後2週間で、忘れますので、
精神科医による投薬は、
事実上の、
事実上の、
人格についての殺人罪であると同時に、
医師ならではの、
狡猾な証拠隠滅を、兼ねています。
ジョン・ナッシュの、
投薬後やノーベル賞受賞後の著述にも、
その症状が、如実に現れていますが、
投薬前に症状があったという事実は、
まったく確認できません。
世界中のすべての、
抗精神病薬を強制投与された患者と、
同じですが、当人が、
投薬前から精神症状があったと、
医者を擁護するような、
現状肯定の自覚を、
薬物の作用として、拒めませんので、
本人の述懐に、信憑性はなく、
客観的な事実の確認が、必要です。
症状がなかったという事実の確認。
抗精神病薬の依存症の、
このような、進行の過程は、
たくさんの患者を見ていれば、
医者なら、だれでもわかりますが、
もっと日常的に、
患者を見ている看護師には、
わかりません。
こうすれば、こうなる、
という仕組みを、
受精の時から、
医師は、組み上げて行きますが、
日常生活でも、
コンピュータのICチップの設計や、
プログラムの書き方の初歩から、
判断の枝分かれや組合わせを、
トレースしないでは、気が済みません。
看護師は、そんな面倒なことを、
考えません。
医者くらいですと、一瞬にわかることが、
看護師では、
一生かかっても、わからないかも。
物理化学の法則は、
遺伝的素質の宝庫ですので、
論理法則よりも、
遥かに、わかり易いにもかかわらず、
色覚障害の人でさえ、
多くは、遺伝の仕組を、理解できません。
他の物理化学の、どれとどれが、
遺伝的素質の組合わせにより、
知覚できる人と、
知覚できない人のいる法則であるかを、
彼らは、識別できません。
わたしの母は、9O才を遥かに超えて、
他人の声が、ほとんど聞こえませんが、
聞こえないことを、知覚できません。
自分で声を出すと、自分で聞こえます。
当たり前ですが、
本人は、当たり前と気づいていません。
耳が聞こえなくなってからでは、
今さら、気づくのは困難ですが、
若い頃は、ちゃんと聞こえていました。
老化により、耳が遠くなり、
聞えなくなりました。
若い頃に、自分自身の声は、よく聞こえ、
他人の声は、
それほどに聞こえないだけでなく、
その理由に、気づいていなければ、
いけません。
距離の違いだけで、ありません。
自分の頭蓋骨が振動して、
耳に聞こえる音が、良く聞こえるのは、
距離が近いだけでなく、
空気という気体の振動よりも、
骨という固体の振動のほうが、
遥かに良く伝導することに、
気づいていなければいけません。
その理由も、
気づいた時に、わかっているはずです。
油圧ブレーキに、空気が入っていれば、
ブレーキが効かないように、
空気の入ったチューブがあるから、
自転車は、乗り心地が良い。
空気振動は、数㎞しか、届きませんが、
水は、1000㎞近く届き、
固体は、地球の裏側からでも、
振動が伝わることを、
母は、子供の頃に気づいていません。
1000㎞や地球の裏側を、知らなくても、
固体は、遠くまで、
遥かに小さな音が伝わると、
幼児の頃に、気づいていません。
たぶん、音の伝導を、知覚するための、
遺伝的素質の組合わせがないのと、
その組合わせを見つけるための
論理能力のような、遺伝的素質がないのとの、
両方です。
自分の小さな声が聞こえても、
他人の大きな声が聞こえると、限りません。
教えても、無駄です。
この能力は、微生物にもありますので、
それが遺伝していないのは、
いくつかの素因が足りずに、
それらの組合わせとしての、
音の伝導を識別する遺伝形質のセットが、
欠如しているからです。
いったい、遺伝形質や組合わせは、
幾つあるのかって、わたしは知りませんが、
物理化学の法則は、遺伝形質に近いと、
感じています。
遺伝の単位として整理すれば、便利であると。
組合わせの素(もと)になる因子は、
少なく見積もれば、
枝分かれの右と左の、2種類や、
DNAを構成する化学物質の4種類などですが、
コンピュータのプログラムのように、
集積回路から、日常言語に至るまでに、
何段かの翻訳や階層があるように、
どれくらいの、
判断の纏(まと)まりを、単位とするかは、
2進法や10進法や、
算盤(そろばん)の珠(たま)のように、
文化的な便宜にすぎません。
わたしたちが、知能と呼んでいるのは、
さまざまな組合わせの、
ごった煮ですから、
どれとどれを、
どのように評価するかの、
根拠が、ありません。
人それぞれの、
遺伝的に受け継いだ素因を、
現在は、変更できませんから、
その組合わせの遺伝形質も、
色覚障害があったり、無かったりと、
人それぞれに、違います。
なんで、
ごった煮の料理を、賞味するのに、
料理や料理人でなく、
冷蔵庫の管理人が、
評価されるのでしょうか。
何を、
どのように評価しているのかって、
精神科医や心理学者は、
知能の概念を作った時に、
たぶん、頭の中が混乱していました。
顔貌(かおかたち)や皮膚の色などと、
人格との、
エステティックと言われる関係も、
知能検査や知能指数に、
似ているだけでなく、
事実や精神と、
精神病や精神科医との関係も、
幼稚な混乱の、典型と思われます。
精神科医が
医師の権力を振り回したがる気持ちは、
奴隷制や人種差別の、
黒人に対する偏見や問答無用の態度と、
ほぼ同じですが、
大学受験の序列による幼稚な高慢が、
原因であろうと、書くつもりでしたが、
うだうだ書いている間に、
時間切れになりましたので、
また後日にします。
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