シシリアの子守歌(era la vo)
ソプラノ
: ビクトリア・デ・ロス・アンヘレス
(Victoria de los Ángeles López García)
*** ***
1.
Era la vo - che beddu stu nomu:
(Era la vo - what a beautiful name)
Cu ci in misi è un galamtomu
(he, who called you so, was a good man)
Bo, bo, durmi nico e fa la vo
(bo, bo, sleep my baby, be good)
Bo, bo, durmi nicuzzu e fa la vo.
(bo, bo, sleep my child, be good)
2.
Era la vo - sunnizzu veni
(Era la vo - come you, slumber)
Veni a cavaddu e un veniri a pperi.
(come on a horse and not by foot)
Bo, bo, durmi nico e fa la vo
(bo, bo, sleep my baby, be good)
Bo, bo, durmi nicuzzu e fa la vo.
(bo, bo, sleep my child, be good)
3.
Era la vo - durmiti durmiti
(Era la vo - sleep sleep)
Ca li arvulicchi sun murti di siti.
(for little trees died thirsty)
Bo, bo, durmi nico e fa la vo
(bo, bo, sleep my baby, be good)
Bo, bo, durmi nicuzzu e fa la vo.
(bo, bo, sleep my child, be good)
※ 上記の1番と2番を、
歌っています。
別訳を、
youtubeの投稿者が、
掲載していましたので、
貼りつけて置きます。
Era la vo, che bedu stu nomu,
Cu ci lu misi un galantumu,
Bobo, bobo durmi nicu e fa la vo.
Bobo nicu, bobo, durmi nicuzzu e fa la vo.
Once upon a time there was a nap,
what a beautiful name you have,
Surely a nobleman gave it to you.
Hush a ´bye, hush a ´bye,
sleep little one, take a sleep,
Hush a ´bye little one, hush a ´bye,
sleep little tiny one, take a sleep.
Era la vo, sunnuzzu veni
Veni a cavadu e veniri a peri
Bobo, bobo durmi nicu e fa la vo
Bobo nicu, bobo, durmi nicuzzu e fa la vo.
There was a nap, come little nap,
Come on horseback
and even come here on foot.
Hush a ´bye, hush a ´bye,
sleep little one, take a sleep,
Hush a ´bye, little one, hush a ´bye,
sleep little tiny one
and take a sleep.
※ 原語の歌詞は同じですが、
訳により、かなり違います。
シチリア語の機械翻訳かも。
子守歌ですから、
たいした意味は、ありません。
赤ん坊に、わかるワケがない。
※ 作曲者もしくは採譜者の、
Geni Saderoについても、
youtube投稿者が
書いていましたので、
貼り付けて置きます。
Geni Sadero, 1886-1961,
is a song (canzoni) composer from Sicily
in the line of Paolo Tosti or Luigi Denza.
His tunes often depict rural scenes.
Famous songs "fa la nanna bambin´"
sung by Beniamino Gigli,
"Amuri, Amuri" sung by Rosa Ponselle,
"i battitori di grano" etc.
ようするに、
ジェニ・サデロ(Geni Sadero)が、
シチリア民謡から採譜した曲ですが、
彼女の詳細は、わかりません。
彼でなく、彼女と、思います。
イタリア語で検索しても、
結果は、英語と、さして違いませんが、
彼女が採譜したシチリア民謡は、
声楽家やオペラ歌手に、よく歌われています。
トスティ(Paolo Tosti)や
デンツア(Luigi Denza)が、
彼女の曲を、紹介したようです。
わたしは、藤原義江の
麦打ちの歌(i battitori di grano)が、
よくできていましたので、
その作曲者とされる Geni Sadero の、
シチリアの子守歌を、聞きました。
そう言えば、藤原義江も、
日本人から、性別を、よく間違えられました。
スコットランド人の貿易商と、
日本人の芸者の、
混血のテノール歌手でしたが、
わたしにも、
欧米白人と日本人の、混血の友達と、
親しくしていた青春時代が、あります。
ついでに言うと、
韓国人や被差別部落の、友達もいて、
両親や学校の先生や警察官などから、
よく怒られました。
ビクトリア・デ・ロス・アンヘレス
(Victoria de los Ángeles López García)の
歌唱が、絶妙でした。
デ・ロス・アンヘレスは、
マリアカラス(Maria Callas)や
テバルディ(Renata Tebaldi)の時代の、
世界一流のソプラノ歌手ですが、
オペラのアリアを聞けばわかるように、
声の質が丸い上に、
ややハスキーに聞こえます。
カラスやテバルディよりも、明らかに、
表情の豊かな声質のソプラノですが、
当然、声が潰(つぶ)れないかと、
心配されます。
年寄りになっても、歌っていましたから、
一流のオペラ歌手の喉は、しぶとい。
欧米では、各国に1つか2つは、
その国を代表するオペラ劇場が
ありますから、
1年の内の、1/4を、
オペラの公演に充(あ)てれば、
当然、欧米諸国全部では、
100人程度の、テノールやソプラノの、
主役を演じる歌手が、常時必要です。
歌手も、病気になりますし、
若いピチピチもいれば、
引退間際の年寄りもいますから、
15才間隔くらいの同世代に、
世界一流のソプラノやテノール歌手が、
オペラだけで、
それぞれ数十人を確保できなければ、
世界のオペラ業界は、
経営が立ち行きません。
声の質や量や、歌い方の癖などの、
違いはあっても、
聞く人や、歌う人の、
それぞれの持ち味ですから、
甲乙をつけるのは、
あまり意味がありません。
技量や芸術よりも、
集客力に、差がつきますから、
商売が大切です。
お金を掛けて宣伝すれば、
客が、たかって来そうな、
タマであれば、良いのですが。
幕末や明治維新の頃は、天皇のことを、
タマやギョクと、言いました。
売り込めば、何も知らん連中を、
誑(たぶら)かすことが出来ると、
踏んだのでしょう。
道端の詰将棋のようなものです。
わたしは、
ビクター・フックス(Victor Fuchs)
先生に、
ホモかユダヤかマフィアでなければ、
オペラは成功しないと、教えられて、
引導を渡されました。
人間の声の質は、頭蓋骨の形により、
ほぼ90%が決まりますから、
中国日本韓国モンゴル系の
エステティックを、
欧米白人が好まなければ、
評価されません。
授業料が、物凄く高く、
ぐずぐずしてられませんので、
3ヵ月で、早々に諦めましたが、
オペラや声楽だけでなく、
政治や思想や軍事も、
エステティックで決まるのは、
哺乳類の特徴です。
ソプラノの、
キリテカナワ(Kiri Te Kanawa)は、
マオリの血を引いていますので、
ポリネシア人の大型体形です。
声も豪快でしたが、哺乳類は、
顔や身体のエステティックを見て、
気持ちが萎縮したり、
傲慢になったりするだけでなく、
他人を仰いだり、見下げたりします。
声を聴き、素晴らしいと感じるのは、
当然、哺乳類の殺し合いにより、
錦鯉の色や柄のように、
選択されたエステティックです。
ビクトリア・デ・ロス・アンヘレスは、
カラスやテバルディと、ほとんど同年齢です。
名字は、「デ・ロス・アンヘレス」を、
ひと纏(まと)めにして、
スペイン人に、よくある名前ですので、
「デロサンゼルス」と、
ひと思いに綴ったほうが、わかり易いような。
日本では、デ・ロス・アンヘレスと、
表記するのが慣用らしいので、それに従います。
「天使たちの」という意味ですが、
名字ですので、語源の意味を汲んでも、
仕方ありません。
ついでに言うと、
都市のロサンゼルスは、
"El Pueblo de Nuestra Señora la Reina
de los Ángeles de Porciúncula"
というスペイン語表記が、語源です。
"The Town of Our Lady the Queen
of the Angels of Porciúncula."
の意味だそうですが、
Porciuncula は、川の固有名でして、
現在の、Los Angeles River の、
スペイン統治時代の、昔の名前と聞きます。
google Map に、Porciuncula River と、
放り込んで、検索すると、
Los Angeles River に転送されました。
川床が、昔と変わっているので、
現在の川を見ても、何もわからない。
藤原義江の
麦打ち歌(i battitori di grano)が
良かったので、
歌詞を検索して、
採譜作曲者のジェニ・サデロから、
アンヘルスのシシリーの子守歌を、
知りました。
べつに、思い入れはありませんが、
スーダンの
第二次内線(1983~2005年)の頃に、
シチリアのタオルミナ(Taormina)に、
一時、滞在したことがあります。
戦争が、ひどかったので、
骨休めに、のんびりしていました。
医療組織が,休暇を用意してくれて、
地元の民家に、転がり込んでいました。
医療は、石油のための、戦略です。
欧米は、他国を、手に入れるために、
日本が満州で行なったようなことを、
今も、続けています。
自衛隊のような、下心のない援助は、
何のためかと、疑問になります。
見返りを期待せずに、
金や技術をくれてやっても、
誰も信じません。
権力者と裏取引をして、
唾(つば)を付けていると、
皆が、知っています。
昔の日本映画界の、
五社協定のような、国際連合ですから、
どこで、何を山分けするために、
軍隊を出して、
辻褄を合わせているのかと、
南スーダンの人たちは、
薄ら笑っていました。
日本は、下心がないと、
どのように、証明できるのかしら。
あるのを証明するさえ、困難なのに、
ないことを、証明できるはずがない。
精神医学と同じです。
シチリアの子守歌を聞き、
マフィアや精神医療や南スーダンの、
歴史や経験を、思い出しました。
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