四手は、神社にぶら下がっている奴ですが、
花序の花苞が、幾重にも重なる姿を、
言います。
他にも、イヌシデやアカシデなどがあり、
四手という言葉が、そっくりそのまま、
樹木の名前になっています。
ひょっとしたら、樹木のほうが、先かも。
今頃まで、まだ残っています。
もうすぐ、冬芽が開くというのに。
雌雄異花ですが、花序に、♂と♀があります。
生物の性別は、
減数分裂から、端的にわかるように、
遺伝形質の組合わせを変更すために、
あります。
ために、という目的論的な言い方は、
変かも知れませんが、
人間の知覚は、
流行文化に依存していることが、
他の生物と、根本的に違います。
コンピュータも、そうですが、
性別は必要ありませんから、
人間が、性別にこだわるのは、
時代錯誤であると、言えば、
どういうふうにして、妊娠するのかと、
質問が来ます。
減数分裂でなくても、遺伝子を変更できると、
言っているのに。
ついでに言うと、死ななくても、
世代交代できますから、
脳の機能を、コンピュータが肩代わりすれば、
将来の社会が、丸見えです。
人間の個体が絶滅しても、
コンピュータがあれば、
人格や人権や人生のような、
個人の精神や心や魂は、
なくならないでしょう。
事実も、なくならないと、思います。
流行文化次第ですが、コンピュータの。
いずれにしろ、
人間が一々、生きる必要は、ありません。
*** ***
東京と大阪の、
都心部のマンションの、1人暮らしは、
大阪のほうが、暮しやすい。
大阪は京橋ですので、鉄道至便で、
国道1号線や区役所も、近く、
そこらじゅうにスーパーマーケットがあり、
食が豊かで、値段も安い。
ビジネスパークと名付けられた高層ビル街や、
大阪城や旧淀川を眺めて、
デスクワークや休日の散歩も、
徒歩や自転車で、済ませられます。
高度経済成長が終わると、
大阪は、ゴーストタウンになりましたので、
オフィス街に、住宅マンションが建ち、
スーパーマーケットが、
密集するようになりました。
これは、便利です。
仕事は、ありません。
六本木のマンションは、
東京ミッドタウンの中の、
スーパーマーケットなら、
歩いて2分の距離ですが、
マンゴーが3万円ですので、
日常生活は、不満が一杯です。
六本木ヒルズにも、スーパーがあり、
手頃な値段ですが、遥か坂の下です。
さらに下の、麻布十番には、
ダイエーもありますが、駐車場がない。
六本木や麻布に、行かなければ、
食い物にありつけませんので、
腰が痛く、坂を降りられない日は、
ナイトクラブのおつまみや、
高級ホテルの御食事で、我慢します。
豪華客船の幽閉生活が嫌(いや)なら、
自宅マンションに帰らないほうが、
良い。
東京都北区赤羽のマンションを、
買って置けば良かったと、
後悔しています。
イトーヨーカドーやダイエーや西友が、
大型店を構えていますし、
アーケードの商店街がありますので、
庶民の暮らしには、事欠きません。
赤羽駅は、
鉄道路線の要(かなめ)ですので、
問題はないはずでしたが、
乗ってみると、物凄い混雑なので、
到底、品川まで通勤できません。
わたしの身体では、
諦めざるを得ませんでした。
後悔しています。
赤羽に、職場を移動すべきでした。
赤坂は、官庁街に近く、
高級クラブと同居するコンビニしか、
期待できませんので、
食糧事情は、飢餓線上に近い。
昔の檜町(ひのきちょう)は、
軍隊の駐屯地でしたので、
駅裏に、ポン引きの立つ町のように、
六本木の雰囲気は、明るくありません。
ポン引きや立ちん坊は、
昔の、砲兵工廠の門前町の、
大阪京橋も、同じですが、
日常生活の便宜が、違います。
わたしは、すぐに死ぬので、
霞ヶ関や永田町の見える雲の上から、
離れられませんでした。
直線距離で950mです、国会議事堂まで。
大阪のマンションも、城まで1100mですが、
譬えれば、ドブ川の畔(ほとり)に近い。
徳川慶喜も、馬印を捨てて、逃げたくらいに、
この町を守りたい、という気持ちに、
なりません。
大阪府を、大阪都にして、
東京の真似(まね)をしようなんて、
あほも、休み休み言ってもらいたい。
橋下徹と勝海舟を、混同して、
何をするつもりか。
住民投票で、否決されたくせに、
役所は、仕事をしないで、
大阪都構想に、躍起になっています。
住民の意思を無視する大阪維新の会は、
東京で暮らせば良い。
大阪は、ドロドロになればなるほど、
栄える、ということを、知らんらしい。
被差別部落出身なので、
みんなの支持を得た大阪の心を、
橋下君は、理解できません。
東京の作った行政組織を、
なんで、大阪が欲しがるのか。
阪神タイガース優勝のような、
つまらないイベントを提示して、
住民の心を、収攬する連中を、
麻薬と一緒に追放するのが、正しい。
品川の高層ビルと、
檜町のマンションを、
自転車で往復するために、
麻布十番という低湿地を、通ります。
できるだけ、坂道を避けて、
標高の低い、平坦な道を、選びたい。
麻布十番は、
山だらけの港区の、下町です。
孫正義は、ここから永坂を登り、
更科の蕎麦屋の裏に、住んでいます。
自宅に帰るのか、
それとも、出勤をしないのか、
どちらかは、知りませんが、
たぶん、自宅に帰りません。
港区白金台にも、永坂と同じ趣味の、
もっと大きな別荘を、持っていますが、
いずれも、道が狭く、
車の出入りが、頻繁ですと、
閑静な住宅街の、環境を損ないます。
インターネットを使い、
社員の報告を、聞けますが、
一ヶ所に閉じ籠っていたのでは、
死にかけと、変わりません。
マイケル・ジャクソンは、
そうでしたが、
腰が痛く、痛み止めを打ちながら、
医者を侍らせて、
自宅に引きこもっていました。
家や職場に、幽閉されたくない。
わたしは、
檜町のマンションで寝るのと、
品川の職場に居るのとが、
それぞれ数時間未満です。
同じ姿勢が、長く続くと、
腰が痛くなるよりも先に、
精神が、拒絶反応を示します。
豪華客船のような、鉄板の箱に、
何日も、閉じ込められて、
キャバレーに入り浸りなんて、
病院や刑務所に、近い。
肉体は、魂の牢獄と、言うように、
ゴルフも、1時間で嫌(いや)になる。
山を見て、あほと付き合うのは、
1週間に1度で、充分です。
死にかけなのに、
なんで、家や仕事や遊びに、
凝らなければいけないのか。
脳みそに、知的な道具としては、
樹状突起の枝分かれしか、ありません。
記憶や判断のために、それが使われるのは、
算盤(そろばん)と同じです。
算盤を使ったり、
算盤の珠(たま)を読んだりする主体は、
何者かと、
ロマンティックな憲法のように、考える前に、
使ったり読んだりする仕組を、
知らなければいけません。
わたしは、コンピュータを、
1人で作れませんが、
三浦按針が、日本の船大工を指揮して、
ヨーロッパの帆船を、作ったように、
コンピュータの作り方ぐらいは、
知っています。
わたしの横須賀の家は、
娘夫婦が暮らしていますが、
三浦按針夫妻を供養した安針塚に、近く、
自衛隊やアメリカ海軍の基地を、
見下ろすたびに、
コンピュータや脳の、
プログラムやデータを、整理して、
コピーの保存ができないかと、
思案してしまいます。
丸ごと全部を、保存するのが、
とりあえずは、手っ取り早い。
整理するのは、面倒ですから。
算盤の珠は、ただの物ですし、
珠を動かして、計算をするのも、
珠の位置を、読み取り、
数列の意味を、翻訳するのも、
個人の知覚の内容が、何であるかを、
他人に伝えるのと、同じです。
脳は、算盤やコンピュータのような、
道具にすぎませんから、
2種類の状態の変化を、表示する物が、
一杯に詰まっているだけです。
コンピュータの集積回路には、
トランジスタやコンデンサなどが
詰まっていて、
樹状突起の枝分かれや、算盤の珠と、
同じ仕事に、使われます。
それを、何の印と、読み取るかは、
知覚の内容を、自然と名付けて、
何かの任意の印と、読み取るような、
毎度お決まりの、手順に等しい。
精神科医に、説明して御覧なさい。
統合失調症と、診断されます。
精神科医の頭が、非常に悪いから、
コンピュータや脳の、仕組を、
精神病の症状と、理解します。
精神病患者の言葉が、
精神症状であるなら、
孫正義の行なっていることと、
完全に同じであることを、
説明できません。
おそらく、精神科医は、
コンピュータの仕組を、
理解していません。
コンピュータの専門学校しか、
卒業していないプログラマーでも、
知っているのに。
精神病患者が、
精神病と診断されたのは、
孫正義がお金持ちになった理由に、
そっくりです。
みんなと違うけれど、
当たり前のことをすれば、
精神病とされます。
みんなの確信が、原因です。
あいつは、みんなと違う。
みんなと同じなら、
東京大学医学部学生になりたいと、
思い、
学校の成績が良ければ、行きます。
悪ければ、行きませんが、
本人は、成績が悪かったので、
行けなかったと、
思っているかも知れません。
みんなと違うことを、
信じていたから、
成績が悪かったのかも。
どちらが原因であり、結果であるかを、
どのように識別しますか。
東京大学医学部学生に
なりたかったのは、
なった人だけかも知れません。
原因と結果だけでなく、
個人の意志があると、わたしには思えません。
古代から、洋の東西を問わず、
多くの人が、疑ってきました。
知覚の主体の精神や、知覚の対象の事実は、
確認できないと。
ロマン主義は、個人の精神や、知覚の内容を、
みんなの精神や事実に、
一致させるのが良いと、主張しました。
ないものを、
一致させるも、へったくれも、ありませんが、
個人の、人格や人権や人生などを、
大切にする人たちは、
脳が、みんなの意見を、
算盤の珠のように、表示するのでなく、
個人の意見を作るように、
判断の枝分かれの順番や組合わせを、
変更するための計算ができなければ、
100億人のみんなと同じ人間は、
たった1人の個人よりも劣ると、考えました。
判断の組合わせや順番を、変更できなければ、
個人は、ただのコピーにすぎません。
種付け歌にうっとりして、
減数分裂に頼るよりも、
脳を使い、算盤のように計算できる人間が、
望まれていると、言います。
人格や人権や人生などを、
大切にする考え方は、
ロマン主義と矛盾しています。
明らかに憲法違反です。
日本国憲法を廃止する方向を、
間違えてはいけません。
わたしは、腰が痛いので、
高松宮邸の前を、自転車で通ることは、
めったにありませんが、
天皇陛下は、30年前に遡り、
来年に退位するのが、望ましい。
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