リヒャルト・シュトウス(Richard Strauss)の
ばらの騎士(Der Rosenkavalier )のフィナーレの、
三重唱と二重唱
ソプラノ : アンナ・トモワ・シントウ(Anna Tomowa-Sintow)
メゾソプラノ : アグネス・バルツァ(Agnes Baltsa)
ソプラノ : ジャネット・ペリー(Janet Perry)
※ 他のビデオに比べて、音量不足のようです。
*** ***
Vienna Philharmonic
Herbert von Karajan, conductor
Trio and final duet from Der Rosenkavalier,
recorded live at the Salzburg Festival in 1984.
OCTAVIAN オクタビアン
Marie Theres’!
マリー・テレーズ!
MARSCHALLIN 元帥夫人マリーテレーズ
Hab’ mir’s gelobt,
私は固く誓った、
ihn lieb zu haben in der richtigen Weis’,
真正直に、
daß ich selbst sein Lieb’
彼を愛すると。
zu einer andern noch lieb hab’!
彼が浮気をしても!
Hab’ mir freilich nicht gedacht,
でも、思ってもいなかった。
daß es so bald mir aufgelegt sollt’ werden.
これほど早いとは。
Es sind die mehreren Dinge auf der Welt,
世の中には、色々なことがある。
so daß sie ein’s nicht glauben tät’,
信じられないことが。
wenn man sie möcht’ erzählen hör’n. Alleinig,
噂話など。
wer’s erlebt der glaubt daran
でも、自分が経験すれば、信じざるを得ない。
und weiß nicht wie -
なぜ起こったかは、わからない…
SOPHIE ゾフィー
Mir ist, wie in der Kirch’n,
教会にいる気持ち。
heilig ist mir
とても神聖。
und so bang und doch ist mir unheilig auch!
でも不安!
Ich weiß nicht,
わからないの。
wie mir ist.
自分の心が。
Wie in der Kirch’n - so heilig - so bang.
教会の中は神聖で、恐い。
Ich möcht’ mich niederknie’n dort vor der Frau
夫人に、跪(ひざまづ)き、
und möcht’ ihr was antun.
何かを訴えたい気もする。
Denn ich spür’,sie gibt mir ihn
わたしの感じでは、オクタビアンをくれるだろう。
und nimmt mir was von ihm zugleich.
彼の心を奪い、わたしに彼をくれる。
Weiß gar nicht, wie mir ist.
どうすれば、いいの。
OCTAVIAN オクタビアン
Es ist was kommen und ist was g’scheh’n,
なんということだ、どうするつもりだ。
Ich möcht sie fragen: Darf’s denn sein?
彼女に聞きたい、こうしたいのかと。
Und grad’ die Frag’ die spür’ ich,
愚かな問いだ。
daß sie mir verboten ist.
そんなことは、聞けない。
ich möcht’ sie fragen:
彼女に尋ねたい。
warum, warum zittert was in mir?
なぜ、震えるのか、僕は?
Ist denn ein großes Unrecht gescheh’n?
とんでもないことしでかしたかと?
Und grad’ an die, an die darf ich die Frag’,
そんな馬鹿なことを、聞けるわけがない。
die Frag’ nicht tun.
言ってはならない。
MARSCHALLIN 元帥夫人マリーテレーズ
Da steht der Bub und da steh’ ich,
あの子がいる、わたしはここに。
und mit dem fremden Mädel dort wird er
知らない女の子が、向こうにいて、
so glücklich sein,
あの子は、男らしく。
als wie halt Männer das Glücklichsein versteh’n.
まるで世の男性が、幸せを理解するかのように
SOPHIE ゾフィー
Möcht’ alles versteh’n
知りたいけれど
und möcht’ auch nichts versteh’n.
知りたくない
Möcht’ fragen
尋ねたいけれど
und nicht fragen,
尋ねたくない
wird mir heiß und kalt.
暑くて寒い
Und spür’ nur dich
あなただけを感じる
und weiß nur eins:
ひとつだけ、知っている
dich hab’ ich lieb.
あなたを愛している
OCTAVIAN オクタビアン
Und dann seh’ ich dich an,
君だけを見て
Sophie und seh’ nur dich,
君だけに会い
spür’ nur dich,
君だけを感じる。
Sophie, und seh’ nur dich
ゾフィー、君だけと会い、
und weiß von nichts als nur dich,
君だけを知り、
dich hab’ ich lieb.
君だけを愛す
MARSCHALLIN 元帥夫人マリーテレーズ
In Gottes Namen.
神の御名において(So be it)
(姿を消す)
Octavian オクタヴィアン
Spür’ nur dich,
君だけを感じ
spür’ nur dich allein
君だけがいて、
und daß wir beieinander sein!
僕たちは、一緒に。
Geht all’s sonst
それ以外のすべてが、遠ざかり、
wie ein Traum dahin vor meinem Sinn.
夢のように感じられる。
SOPHIE ゾフィー
Ist ein Traum,
これは夢よ
kann nicht wirklich sein,
本当でない
daß wir zwei beieinander sein,
一緒だなんて
beieinand für alle Zeit und Ewigkeit!
いつまでも一緒
OCTAVIAN オクタビアン
War ein Haus wo,
一軒の家で
da warst du drein,
君は待ち
und die Leute schicken mich hinein,
人は、僕を送り込み、
mich gradaus in die Seligkeit!
幸せに導いた。
Die waren g’scheidt!
なんと、賢い人たちだろう。
SOPHIE ゾフィー
Kannst du lachen?
笑えないわ。
Mir ist zur Stell’ bang
不安な立場のようで。
wie an der himmlischen Schwell’.
天国の戸口の。
Halt mich!
支えてちょうだい
ein schwach Ding wie ich bin,
わたしは強くない。
sink’ dir dahin.
倒れてしまう
ファニナル(ゾフィーの父)と家僕と
元帥夫人マリーテレーズが入る。
挨拶。
FANINAL ファニナル
Sind halt aso, die jungen Leut’!
若者らしいことで。
MARSCHALLIN 元帥夫人マリーテレーズ
Ja, ja.
ええ、ええ。
OCTAVIAN オクタビアン
Spür’ nur dich,
君だけを感じ
spür’ nur dich allein,
君だけがいて
und daß wir beieinander sein!
僕たちは一緒に
Geht all’s sonst
それ以外のすべてが、遠ざかり
wie ein Traum dahin vor meinem Sinn.
夢のように感じられる
SOPHIE ゾフィー
Ist ein Traum
これは夢よ
kann nicht wirklich sein,
本当でない
daß wir zwei beieinander sein!
一緒だなんて
beieinand für alle Zeit und Ewigkeit.
いつまでも一緒
OCTAVIAN オクタビアン
Spür’ nur dich allein,
君一人だけを感じる
dich allein.
君一人だけを
SOPHIE ゾフィー
Spür’ nur dich allein.
あなた1人だけを感じる
(ハンカチを落とす)
(黒子の子供が拾い、幕が下りる)
プッチーニにしても、
リヒャルト・シュトウスにしても、
ヨーロッパでは、20世紀になっても、
まだ、能や歌舞伎のような
オペラが、流行していましたから、
驚異的です。
マイクとアンプとスピーカが、
なければ、
じかに、大声を出して、
聴衆の耳に、聞かせなければ、
商売になりません。
毎日毎日、大声を出すには、
昔ながらの発声しかないのは、
今も昔も、変わりありません。
歌舞伎や能や演劇などの、
舞台の上から、
たくさんの人に、聞かせる声は、
あまり、奇麗でありません。
オペラ歌手の声も、
PA(pablic address)といわれる
放送設備を使わなければ、
奇麗な声に、聞こえません。
なまのオペラ歌手の声は、
大きいけれど、汚い。
合唱団に比べると、うんこや泥です。
合唱団の声は、奇麗ですが、小さい。
みんなで合わせて、大きくなります。
そのオペラ歌手の汚い声が、
電気的な音響設備を通過して、
きめ細かく濾過されると、
奇麗になります。
電気的な音響技術や録音技術のお陰で、
初めて、声楽は、美しいものと、
世に知れ渡るようになりました。
クラシックバレエが、
ただのエロダンスであったように、
昔は、オペラも、大衆芸能の1つでした。
音響設備が普及すると、
声が美しくなりましたから、
アメリカ合衆国に、マイクが普及して、
クルーン(croon)と言われる歌唱法が、
流行したのと、さして変わりません。
わたしは、藤原義江が、
お客に喜んでもらって、なんぼと、
言っていたのを、思い出します。
ろくに、学校の声楽を、学びませんでしたが、
彼の、めりはりある歌い方は、
日本の歌曲を、一変しました。
毎晩毎晩、恋人を替えて、
人生を謳歌しましたが、
女性の心を傷つけないために、
必ず誘わなければ、いけないと、言います。
いつも、すっからかんの貧乏人でしたが、
結婚は、正式には2回ですから、立派です。
正式でないのは、何百回でしょうが。
オペラだけでなく、
芸能人は、その手の人間でなければ、
面白くない。
わたしは、ニューヨークの
ビクターフックス(Victor Fuchs)先生から、
オペラで食えるのは、
ホモかユダヤかマフィアだけと、
教わりました。
そういうところです、この業界は。
最近でも、
ジェームズ・レヴァイン(James Levine)
というメトロポリタンの音楽監督が、
セクハラをバラされて、追放されましたが、
もちろん、ユダヤ人でした。
美空ひばりやフランク・シナトラが、
やくざのお抱えだったように、
芸能人が、やくざでない、ということは、
あり得ません。
ばらの騎士は、
ドイツ系の、奇麗な音楽の、
代表的な作曲家の、
リヒャルト・シュトウスの
オペラですから、
全編これ、向精神薬のような、
麻薬音楽です。
そのせいで、
長時間は、聞いてられません。
ここに貼りつけたくらいが、限界です。
モーツァルトのフィガロの結婚や、
宝塚歌劇と同じで、
ズボン役と言われる男装の女性が、
主人公ですから、美しく妖しい。
ああ、やはり男装の女性が主人公の
ベートーベンのフィデリオの序曲を、
聞きたくなりました。
馬の足音のリズムが、
リヒャルト・シュトウスには、ない。
日本の音楽も、そう。
馬の足音に、馴染めません。
リヒャルト・シュトウスの音楽が、
とても、奇麗に聞こえます。
馬のうんこのない世界ですが、
わたしの子供の頃の、日本は、
人間のうんこが、一杯でした。
お米(こめ)を、
うんこで作っていましたし、
都会の真ん中でも、
民家は、
水洗便所がありませんでしたから、
うんこの臭(にお)いに包まれて、
御飯を食べました。
自分の家の臭いは、感じません。
よその家に行くと、
玄関を開けた時から、うんこの臭い。
道を歩けば、
朝早くから、必ず、道のどこかに、
馬車が止まっていました。
汲み取り屋が、
路地裏の汲み取り口から、
柄杓(ひしゃく)で掬(すく)い、
肥担桶(こえたご)を担いで、
表通りに運んで来た糞尿を、
浴槽くらいの
大きな馬車の桶(おけ)に、
ぶっちゃけていました。
手作業ですから、時間がかかります。
ぶっちゃけますから、臭いが漂います。
馬車ですから、少ししか運べません。
毎日毎日、朝早くから夕方まで、
表通りは、その作業です。
運河の船まで、馬車で運びますが、
人口が増えると、間に合いません。
高度経済成長の初め頃(1960年)は、
船でなく、運河そのものに、
ぶっちゃけていました。
そのうちに、馬車でなく、
ホースとタンクの、
バキュームカーになりましたが、
1965年頃は、まだ、
バキュームカーのホースで、
神田川に直接に、
糞尿を流していました。
神田川が発酵して、
厚さ数十センチの泡が、
スポンジのように
固まっているのを見て、
大学から下宿に帰ったわたしは、
石を投げて、
近所の子供たちと、一緒に遊びました。
新左翼が、大学を封鎖して、
機動隊が突入しても、
わたしは、石や火炎瓶を投げるのが、
得意でした。
うんこを目掛けて、投げる気持ちです。
メトロポリタンで見た薔薇の騎士の、
フィナーレの二重唱が美しかったので、
わたしは感激しました。
英語字幕の出るビデオですので、
翻訳は不要かも知れませんが、
一応、付けておきます。
わたしの、大雑把な日本語訳ですから、
いい加減です。
オペラの筋は、三文喜劇ですので、
リヒャルト・シュトウスの、耽美な音楽と、
ズボン役のメゾソプラノの妖(あや)しさが、
売りです。
アグネス・バルツァの額の2本線を、
どうにかしろ、と言うのは、酷でしょう。
若い頃からの、生まれつきのようですが、
額に皺を寄せないように、
ぱっちりと、瞼(まぶた)を開けることも、
出来ますから、
やはり意識して、皺を作っていると、思います。
宝塚のように、美しく装うほうが、
男役は受けるのですが、
オペラのズボン役は、違うのかしら。
アグネスバルツァだけでなく、
アンナ・トモワ・シントウや
ジャネット・ペリーも、
カラヤン(Herbert von Karajan)の
お気に入りです。
ばらの騎士は、
婚約の儀式における結納として、
男性側から女性側に、
銀のバラを贈ります。
その使者が、ばらの騎士と言われている、
という架空の設定です。
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