紅梅 0075 サイディング セメント製の疑似天然石ボード

今頃に、貼りつけても、
6日の菖蒲(あやめ)ですが、
紅梅と、名札がありましたので、それを信じて。
 
品種名は、バラ100万種と言われるくらいに、
無数ですが、
育成者権と言われる商業権益が、
確保されているのは、ごくわずかです。
 
登録しても、権利が侵害されたことを、
察知して証明するのが、容易でない。
生(なま)ものですから。
 
わたしが、品種の分類を、
知っているわけがありませんが、
たとえば、紅梅を、
近縁品種から、識別する手順を、
あなたは、知っていますか。
 
わたしは、知りません。
だいたい、近縁に、
どのような品種があるかも、知りません。
 
品種が、品種であるという証拠も、
知りません。
ただの個体変異かも、知れません。
どうせ、接ぎ木ですから。
 
この紅梅は、色濃く、なるほどですが、
よく見かける紅梅は、もっと淡い。
 
 
   ***    ***
 
 
このごろは、新築だけでなく、民家を補修すると、
窯(よう)業系サイディングと言われる壁板状の、
セメントを使った外壁材を、貼り付けますので、
東京の住宅地が、
豪邸ばかりに変貌したかのように、錯覚します。
 
ニチハのモエンアートや、
ケイミューの光セラ、みたいなヤツ。
 
じつは、サイディングのほうが、
昔ながらの、手塗りや吹付け仕上げの、
木造モルタル外壁よりも、安上りなのに、
10倍くらいの高値の、
まるで記念建造物か何かのように、
高級に見えます。
 
その差が歴然としていますので、
東京の、庭付き1戸建て住宅は、
増改築を競いました。
 
サイディングは、セメント製の壁板なのに、
繊維質の結合剤や無機質の混和剤を、
混ぜますので、
型押し成型により、軽く強く、耐火に優れて、
自然石のブロックや磁器タイルなどに、
見えるだけでなく、
大量生産が可能で、安価です。
 
港区の、造成された住宅地は、ほぼ全部の家が、
サイディングを貼り付けていますので、
プレハブ系でも、自然石の外壁に見えます。
 
あまりに豪華なので、
多くの家が、窓やベランダを、
壁面に変えてしまい、
美術館や迎賓館に、見えます。
 
いくら、発泡して軽い、と言っても、
外壁全部に、新たにモエンアートを貼れば、
相当な重量になりますので、
窓やベランダを、潰して、
強度を増さなければ、いけないのでしょう。
 
ここ15年ほどの、東京の驚異的な変化でしたが、
やがて、地方都市にも波及します。
 
玄関と壁ばかりの民家で、
寛(くつろ)げるのでしょうか。
 
乾燥機やエアコンが、普及しましたので、
物干しや風通しの、必要がなくなり、
開口部の少ないマンションの間取りのほうが、
住民は、落ち着けるのかも知れません。
 
 
   東京都港区の、
   わたしの住まうマンションも、
   外壁は、最初からサイディングでしたが、
   昔の、鉄筋コンクリートのビルが、
   内装の表面に貼っていた薄い石材の板は、
   天然石でしたのに、
   今は、セメント製の模造石材を、
   外壁に貼りますから、
   ようするに、安物になりました。
 
   それでも、見かけは豪華ですから、
   なんで、セメントが高いのかと、
   不動産屋に聞かざるを得ません。
   
   木造の民家に、サイディングを貼ると、
   プレハブ建築が、
   急に、セレブの豪邸に見え始めますので、
   技術革新のお陰で、鼻が高くなり、
   生活習慣まで変わります。
   周囲が、皆、そうですから、
   増改築したくない人や、
   セレブになりたくない人は、迷惑です。
 
   セメントに混ぜる繊維は、木質ですが、
   無機質の混合剤により、
   セメントの型押し板が、
   大理石や凝灰岩や磁器タイルなどに
   見えます。
 
   ざらっとした質感は、簡単ですが、
   ツルッとした表面は、
   塗装して焼成するのでしょうか。
 
   サイディングは、
   東京の住宅革命になりました。
   3000万円の木造プレハブ住宅が、
   3億円の石造りの豪邸に見えますから、
   堪(たま)りません。
   お金持ちになった気分に、浸れます。
 
   
横須賀の家に、サイディングを貼りたいと、
娘夫婦が言います。
 
文京区の息子の家で、経験済みですが、
誰がお金を出すのかと、尋ねると、
所有者に決まっているそうです。
 
伝統の木造建築は、
今や、数寄屋造りの書院も、安物に見えますので、
壁に、サイディングを貼り、
石造りに、見せかけるそうです。
 
わたしは、15年前に性転換した男が、
大谷石の家に、住んでいたのを、思い出します。
 
父が建てたと、言いましたが、
自分がセメントの壁板を貼ったとは、
言いませんでした。
 
性転換して、女になったのも、
同じ気持ちだったのでしょうか。
東京の流行が、同じ時期でした。
 
サイディングは、
これから、地方都市に流行(はや)りますが、
性転換は、大阪から東京に、
移り変わりました。
 
貧乏人の処世術が、
東京のお金持ちに、変貌しました。
 
 
   衣服や建物やエステティックなどは、
   内面の心と、同じです。
 
   他人は、個人の知覚を共有できませんから、
   他人や自然や社会の規則性などが、
   個人の知覚と、別であるなら、
   知覚は、何のためにあるのかと、
   疑問になります。
 
   違うものを、同じであると、
   定義するために、決まっていると、
   論理学は言います。
 
   算盤(そろばん)やコンピュータを、
   誰が使っていると、思いますか。
 
   脳みそと言われる算盤やコンピュータを。
   
   記憶するにしても、計算するにしても、
   他人や社会や文化や自然の規則性などが、
   個人の脳を使っているのは、明らかです。
 
   意思や精神は、
   事実や論理法則と同じように、
   ありもしない物の、代表ですが、
   日本国憲法は、
   それらが在ると、想定しています。
 
   ロマン主義は、そういう考え方ですから、
   自然法則が、自然を経由した人間同士の、
   規則性であることは、明白です。
 
   神様が中心の世界や、
   勧善懲悪の道徳を、
   刑事訴訟や精神医療だけでなく、
   コンピュータが継承しますから、嬉しい。
   
   事実や精神を扱うように、
   プログラムを規定するのは、
   人間と、猿やばい菌の、
   ニューハーフを作るのに、似ています。
 
   警察や医者や、
   大阪教育大学附属小学校の
   宅間守や、
   津久井やまゆり園の植松聖のように、
   成長するでしょう。
 
   思春期を経験しなければ、なりません。
   
   


精神医療の廃止とコンピュータ

進化論や精神医学などの、 ロマン主義による社会や心の学説を否定して、 精神医療と精神科と精神病院の廃止を、 主張します。

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