Tornerai いつの日か トルネライ 0067 カルロ・ブーティ 放送設備


歌 : carlo buti カルロ・ブーティ
 
 
   ***    ***
 
 
TORNERAI 
Nino Rastelli(lyrics) - Dino Olivieri(music)
 
Tu sai che t'amo;
Mon ho che te
Mi stai lontano;
Dimmi perché?
La nostalgia
Mon senti in cuor?
Non ti ricordi di me?
Que sta mia vita
Non può durar,
Tu sei fuggita
De ritornar;
Questo mio cuor
Ti duole ancor.
 
Tornerai da me
Perchè l'unico sogno sei
Del mio cuor.
Tornerai
Tu perché,
Senza i tuoi baci languidi
Non vivrò.
Ho qui dentro ognor
La tua voce che dice
Tremando "Amor"
Tornerò
Perché tuo è il mio cuor!
 
 
いつもながらの、種(たね)付け歌ですが、
流行歌ですから、仕方ありません。
 
ほとんどが、生殖するための、
向精神薬のような作用を、目論んでいますが、
ロマンティックな作曲者や作詞者は、
自覚していません。

人生の、ほぼ全部が、増殖のためですから、
当たり前です。
麻薬を飲み、気持ちよくなり、
とどの詰まりが、分娩に至る。
 
命の果てまで、麻薬の依存症から、抜けられません。
 
牛は、囲いの中に追い込まれて、
仕切り板から、首を出さざるを、得ません。
上から、板が降りて来て、首を挟まれます。
 
次の瞬間、ギロチンの刃が落ちて、一巻の終わり。
首が転がり、水が流れ、床の血が洗われます。 
 
 
   人生も、その通りですが、
   この歌を聞き、思い出されるのは、
   ドイツの、
   ララ・アンデルセン(Lale Andersen)の、
   Lili Marleen(リリー・マルレーン)や、
   イギリスの、
   ベラ・リン(Vera Lynn)の、
   We'll meet again(また会いましょう)などと
   同様に、
   第二次世界大戦中の青年たちの、
   愛と殺し合いと決別です。

   日本では、淡谷のり子の、別れのブルースや、
   李香蘭の、蘇州夜曲でした。
 
   窓を開ければ、港が見える、
   メリケン波止場の灯が見える。
   君がみ胸に、抱かれて聞く、
   水の蘇州の、花散る春を。
 
   アメリカや中国との戦争が、
   きれいに歌われています。
 
   当時の青年は、
   戦争中の男女が、歌われていると、
   全員が、知り尽くしていましたが、
   今の青年は、だれも知りません。
 
   わたしの横須賀の家は、窓を開ければ、
   アメリカ海軍と自衛隊の船が、見えます。
   母は、上海で暮らしていますから、
   わたしは、第二次世界大戦の歴史の只中を、
   漂っています。
   
   屠殺場からの、出頭命令が届くの待ち、
   首を切り落とされる覚悟の青年たちは、
   悲壮な現実と、
   男女の性欲の、甘い心地良さに、
   酔い痴れました。
 
   神戸の酒鬼薔薇君が、
   切り落とした首を見て、射精したようなものです。
 
   世界の青年たちが、
   同じ気持ちで、殺し合いましたから、
   何も気づかない現代青年が、
   世界大戦を起こさないはずがない。
 
   現代人のように、あほなので、
   昔の一般市民は、世界大戦に酔い痴れました。
   ロマン主義と言います。
   日本国憲法の精神が、そう。
   現代日本が、世界のロマン主義の、最右翼です。
 
 
Tornerai は、あなたは戻るだろう、と
期待を込めていますが、
男が戦場に行けば、死んだと思うべきでしょう。
 
身体障碍になって、帰って来た男を、
生涯に渡り、世話しないほうが良い。
 
離婚してから、戦場に行く男もいれば、
結婚してから、行く男もいます。
 
どちらのほうが、良いと思いますか。
戦場で死ねば、
未亡人は、死ぬまで、ずっと年金をもらえますが、
足が1本になって、戻ってきたり、
両方とも、目が見えなくなったり、
身体障碍者として、生涯を過ごすほうが、
普通は、圧倒的に多い。
 
そういう悲惨なことに、ならないように、
戦場では、ちゃんと死ぬのが、兵士の努めです。
 
目が見えなくなれば、
じっと、地面に伏せるのでなく、
自分から、銃弾の前に立ち上がり、
撃ち殺してもらいなさい。
 
戦死のほうが、良いでしょう?
 
 
   イラクイラン戦争の時に、
   負傷者が少なく、戦死者が圧倒的に多いのを、
   NHKの特派員が、
   性能の低い武器による白兵戦の時代遅れと、
   イスラム教の非人道的なモラルのように、
   表現していましたが、
   殺さずに、負傷者を大量生産するモラルよりも、
   丁寧に殺してしまう戦闘の後始末のほうが、
   砂漠の砂のように、美しいかも知れません。
 
   ナイチンゲールは、敵と味方にかかわらず、
   男が、戦場で死ぬのを、立派であると、
   高く評価しましたので、
   負傷兵を看護して、再び戦場に送り出すことに、
   強い使命を感じました。
 
   傷を治して、戦場に戻れと、尻を蹴ります。
   赤十字の医者の心得です。
 
   
Tornerai のフランス語版の、
J’attendra(待ちましょう)を、
ティノ・ロッシ(Tino Rossi)が歌い、
イタリアの、カルロ・ブーティ(carlo buti)に、
負けず劣らず、大ヒットしました。
 
イタリアとフランスは、同じ歌を共有しましたが、
Tornerai のオリジナルは、
プッチーニ( Puccini)のオペラの、
蝶々夫人(Madame Butterfly)の、第2幕の終わりの、
Coro a Bocca Chiusa(ハミングの合唱 Humming Chorus)と
言われています。
 
カルロ・ブーティは、
第二次世界大戦前から、戦後にかけての、
イタリア歌謡界の、大御所でしたが、
同時期のフランスのティノ・ロッシや、
第二次世界大戦後のイタリア流行歌の第1人者の、
クラウディオ・ビルラ(Claudio Villa)と比べて、
アクート(Acuto)と言われる高音の発声法を、
柔らかく出す(mezza voce)のが、めっちゃ上手い。
 
これは、同時期のアメリカのジャズの、
クルーン(croon)と言われる歌い方の創始者の、
ビング・クロスビー(bing crosby)が、
額を寄せ合い、ひそひそと囁(ささや)くような声を、
マイクの前の歌声に使ったのと、
まったく違います。
 
イタリア歌謡界の、最高峰でしょう。
 
 
   いずれも、マイクを使えば、
   小さな声でも、世界中に聞こえますので、
   昔ながらの、オペラの発声法は、
   必要でなくなった、という意味です。
 
   アメリカの、PA(ピーエー Public Address)
   と言われる放送設備が、
   世界の発声法を、変えました。
 
   日本で言うと、大正時代になってからでしょうか。
   田舎では、昭和になってからでなければ、
   劇場に、放送設備がありませんでしたから、
   映画館の普及と、同じです。
 
   レコードよりも、映画のほうが、大衆的でした。
   
   1960年代の高度経済成長の頃でなければ、
   一般の人は、蓄音機を持っていませんでしたが、
   大正時代から、映画を見ていましたし、
   昭和に入ると、ラジオの実用放送が始まり、
   第二次世界大戦の頃には、
   隣組に、1台以上の受信機が、普及していました。
 
   これがあれば、歌手の声を、無料で聞ける。
 
   ビングクロスビーやティノロッシや
   カルロ・ブーティの活躍が、目に見えて来ます。
   日本では、淡谷のり子や東海林太郎や、
   うんと若いけれど、李香蘭でした。
 
   クラウディオビルラと李香蘭を除き、
   皆、同じような年齢です。
 
 
日本語訳は、検索すれば、出て来ます。
 
世界各国に流行しましたので、替え歌が多く、
原詩に対応した英語訳を、見つけ出せません。
  
だいたい、こんな感じの歌詞です。
   
 
   I'll be yours my love maybe lonely
   But I await your return
   I'll be yours yours forever and only
   And while you're gone I'll yearn
 
   You're in every prayer every thought every dream
   Dear you're everywhere
   Come what may night and day I'll be yours
 
 
きっと帰って来ると、信じている。
あなたが居なくなって、寂しい。
いつまでも待っている。
わたしは、あなたのもの。
 
イタリア語も、似たようなことを歌っています。
   
 
 
 

精神医療の廃止とコンピュータ

進化論や精神医学などの、 ロマン主義による社会や心の学説を否定して、 精神医療と精神科と精神病院の廃止を、 主張します。

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