ユズリハ 0066 精神医学から見た性同一性障害(発達障害と統合失調症)

ユズリハは、目の覚める美しさを露(あら)わします。
 
春の配色の妙だけでなく、
輪生に近い葉叢(はむら)の配置に、心地よいリズムがあり、
真冬の今でさえ、 
遠くから、古(いにしえ)の歌が、聞こえて来るように、
梢(こずえ)を見上げて、近づく春を、知りたくなります。
 
属名の Daphniphyllum は、
ダフネのような葉っぱの、意味ですが、
アポロンに追われて、月桂樹になったダフネですから、
月桂樹の葉に似ていると、思ってはいけない。
 
全然、似ていません。
ジンチョウゲ属(Daphne)の葉の、質感に似ている、
という意味で、
沈丁花と月桂樹は、香りや毒素が、似ています。
 
アポロンは、デルフォイの信託を授けた神ですが、
芸術と戦争が好きなギリシャ青年ですから、
戦争に勝ち、奴隷をこき使い、
悠々自適の生活を築いたギリシャ民族の先祖を、
理想化しています。
 
神話は、それぞれの血族の先祖を讃えるホラ話ですから、
遺伝上の致命的な欠陥を、回避するために、
多数の血筋を、混ぜ合わせなければ、
生き残れなかった現実と、ズレています。
 
先祖の純潔は、地上の雑種に、似ていません。
 
江戸時代の家は、
事務的な権益に、群がるための、
座や株仲間のような、利益団体の一種でしたから、
守られたのは、特定の血筋や習俗で、ありませんでした。
 
皇室を、血筋や習俗で規定するのは、事実無根です。
一部の公務員の、既得権でしか、ありません。
 
かくして、
神話は、腐った茸(きのこ)のように、崩れ去り、
なんのための帯状疱疹や適応障害だったのかと、
雅子は疑う。
 
 
   ***    ***
 
 
このBlogは、バクーに長期滞在する前の、
はてなの、
 
【精神医学から見た性同一性障害(発達障害と統合失調症)】
 
というBlogを、継承しました。
 
バクー赴任中に、
ジャズの歌詞を掲載しているので、
JASRAC(日本音楽著作権協会)から、文句が来ていると、
メールがありましたが、
わたしは、1年3ヵ月後に帰国してから、知りました。
 
歌詞掲載が、著作権法違反なので、
はてなのBlogを、公開停止にするとのこと。
 
 
   どうでも良いことなので、後回しにして、
   最近になり、Blogを書き継ぐ運びと、なりました。
 
   Blogサービスを、提供している業者により、
   無断無許可の歌詞掲載の、合法と違法が、
   異なります。
 
   livedoorやamebloや楽天やseesaaなどは、
   歌詞掲載OKです。
   一括して、JASRACに、使用料を払ったのでしょう。
 
   はてなに書けば、著作権法違反です。
   JASRACの脅しを、蹴ったものと、思われます。
 
   わたしが業者なら、蹴ります。
   歌は、無断使用や無断転載が、花です。
   みんなに使われて歌われて、流行します。
 
   著作権使用料を払えと、流行を妨げていたのでは、
   すでに死んでいます。
   遅かれ早かれ、落ちぶれて、
   版権では、食えなくなるのが、目に見えています。
 
   芸能界で生計を立てたければ、
   一般ユーザーの無断無許可使用に、
   目くじらを立てては、いけません。
   
   流行を妨げるのは、
   JASRAC自身の食いっ扶持を稼ぐためでないかと、
   疑われます。
 
   JASRACの料簡は、
   歌の流行の実態に、逆行しています。
   民謡のように、音楽を、家元制にするために、
   著作権法を掲げているのでありませんか。
 
   JASRAC自身が食い繋ぐための、方便として、
   著作権法を標榜しているのでしょう。
 
   こんな奴の要求を、呑むべきでない。
   わたしなら、はてなのように、蹴ります。
 
   というわけで、
   著作権法違反による、強制的な公開停止のために、
   はてなの、
 
【精神医学から見た性同一性障害(発達障害と統合失調症)】
 
   というブログを、
   livedoorに、引っ越しました。
  
   歌詞掲載の記事も、こっちにコピーして、
   公開しています。
  
 
性転換は、もう古いので、
ブログのタイトルを、
 
【コンビュータから見た精神医療】
なぜ、薬物療法は、脳を破壊しなければならないか
 
に、変更しました。
 
はてなのBlogのように、性転換のことも書きますが、
知的障害や統合失調症なども、書いておこうと、
思いました。
 
性同一性障害や統合失調症や発達障害や知的障害などは、
少しも、病気でありません。
JASRAC(日本音楽著作権協会)と同じなんですよ。
医者が、自分たちの食いっ扶持を稼ぐために、
でっちあげた病気です。
 
 
   本人でなく、医者のほうの仮病であることを、
   一般の人は、理解できません。
   一般人と医者は、同じ考え方ですから、
   当たり前ですが、
   だれでも、学校の成績が良ければ、
   医者になっていたでしょう?
 
   医者も、学校の成績が悪ければ、
   一般民衆と同じように、
   精神病は医者の作った仮病であると、
   理解できなかったでしょう。
 
   植松聖のほうが、刑罰を免れようとして、
   精神病という仮病を使っているとか、
   措置入院になった時に、徹底的に治療していれば、
   津久井やまゆり園の犯行を防げたとかと、
   愚かな考え方しか、出来なかったでしょう。
 
   植松氏が、重度知的障碍者を殺すように、
   建議したのは、彼の自由です。
   何の法律にも、抵触しません。
 
   彼の意見に、賛成しない人は、無視して、
   反対したい人は、反対すれば良いだけです。
 
   彼の意見を掲げて、
   国会議員選挙に立候補しても、自由です。
   なんの病気でも、ありません。
 
   賛成者が少なければ、得票が少なく、
   多ければ、彼の意見が、
   憲法になるかも知れません。
   
   彼の意見を、衆議院議長に提示したとしても、
   何の、法律違反でもありません。
 
   実際には、そのことにより、
   彼は、措置入院になりました。
 
   彼が、違法な手段により、
   衆議院議長に、手紙を渡そうとしたとは、
   報道されていません。
 
   彼が措置入院になった理由に、
   正当な根拠がありません。 
 
   このぶんですと、彼が自説を掲げて、
   衆議院選挙に立候補していたとしても、
   措置入院になっていたでしょう。
 
   植松氏を措置入院にしたことが、
   違法であったことは、明白です。
   いまだに、正当な根拠が、示されていません。
 
 
措置入院により、強制的に、薬物を投与されたことが、
彼の脳の、不調や破壊を招いたことは、
容易に想像されます。
 
人間の判断の内容に、
薬物が、選択的に作用することは、ありません。
薬物は、人間の文化や、個人の意見を、知りません。
 
それらに無関係に、作用します。
 
措置入院の必要があると、でっち上げられた症状と、
強制的に投与された薬物の間に、
選択的で合理的な薬理は、ありません。
 
たんに、その症状が出なくなるように、
脳や身体の機能を、低下させるだけであり、
措置入院の場合は、身体拘束の上で、
ロングライフのデポ注射を使いますので、
その1本の注射のみにより、
長期間、作用が継続して、中和できません。
 
植松氏は、短期間で退院しましたが、
イタリアの精神病院が廃止されたのと、
まったく同じことです。
病院に入院させなくても、薬剤の効果が持続します。
 
一定期間以上、薬剤が作用すれば、
麻薬と同じように、依存症のために、
薬物が足りなくなれば、
妄想や幻覚などの精神症状が、必ず出ます。
 
どのように健康な人でも、
強制的に向精神薬を投与されれば、
必ず、そうなります。
麻薬と同じです。
 
妄想や幻覚などの禁断症状の苦しみから逃れるために、
麻薬依存症の患者と同じことを、彼は行なったはずです。
 
それが、彼の建議した意見を、
彼の望んだ国家の命令もなく、
個人的に実行に及んだ原因と思われます。
 
真犯人は、
彼を措置入院にした精神科医や行政官や捜査当局の可能性が、
高い。
真犯人を探索せずに、
彼の裁判や死刑にのみ、興味を持つマスコミや一般大衆は、
あほです。
 
思想や言論の自由は、大切です。
嫌(いや)な意見を、精神疾患として、
措置入院により、
不可逆的な薬物依存症を、強制的に作ってはいけません。

 
 

精神医療の廃止とコンピュータ

進化論や精神医学などの、 ロマン主義による社会や心の学説を否定して、 精神医療と精神科と精神病院の廃止を、 主張します。

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