マンサク 0065 代用品と八百長 貴乃花理事解任落選

正真正銘のマンサクなら、種小名は japonicaですが、
なんとなく、シナマンサクに近い。
シナマンサクは、葉が毛だらけなので、わかるのですが、
日本では、栽植されていますので、
枯葉は、奇麗に除去されています。
 
公園に植わっているのは、
マンサクであれ、シナマンサクであれ、
園芸品種の可能性が高く、
シナマンサクは、これです、と教えてもらっても、
シナマンサクの何という品種ですかと、
聞き返さなければいけません。
品種により、全然違うようですから。
 
こうなると、色や大きさや毛の有無のような、
枝葉末節が、識別のポイントになるのかは、疑問です。
 
日本のマンサクでも、
品種により、毛だらけの葉っぱとかね。
葉に毛なんて、全然、識別点でなかった・・・
 
そして、決定的なのは、簡単に雑種ができる。
 
園芸品種のシナマンサクやマンサクが、
出回っている御時勢に、
日本の山に自生するとマンサクと、
公園に植わっているマンサクを、同一視するのは、
あほかも。
 
山へ行こう!
 
 
   ***    ***
 
 
もしも、このBlogを、見ている人がいるなら、
何を書いているのかと、鼻であしらうでしょう。
 
わたしは、子供の直感を、探究しています。
 
論理能力は、子供の頃から、向上しないことを、
わたし自身が、よく知っていますから。
 
言葉の表現力が、幼児は不足しているにもかかわらず、
おそらく、論理能力は、
生まれつきの変更不能な遺伝形質と、思われます。
 
何の努力も、必要ありません。
言葉を習得すると共に、
生まれつきの素質が、現れるだけです。
 
論理能力は、変更不能ですから、
子供の頃に、直感的に気づいた疑問は、
今も、解決されません。
 
それを書いています。
 
 
   直感的な能力は、知覚能力と同じですから、
   生まれつきの変更不能な遺伝形質は、
   知覚の仕組であり、すなわち、論理法則です。
 
   当然、人により遺伝形質の組合わせが違うように、
   論理法則の教条も、違います。
 
   そして、
   個人の知覚を、他人が検証できないように、
   人それぞれの、論理法則の教条を、
   他人は、理解できません。
 
   それにもかかわらず、
   みんなの論理法則の教条がなければ、
   社会の運営は、不能です。
 
   おそらく、みんなの論理法則は、
   文化的であろうが、社会的であろうが、
   権力により強制されて、
   癖をつけられた慣習にすぎませんが、
   個人的と社会的の、論理法則の違いに、
   個人が、どのような折り合いを付けているかは、
   わかりません。
 
   社会は、戦争でなければ、
   刑事訴訟や精神医療などが、個人を、端的に抑圧しますが、
   個人は、生まれつきの遺伝形質と、
   生まれた後に獲得された習慣との違いを、
   解決する術(すべ)がなければ、
   解決されずに、個性と呼ばれるだけです。
 
 
権力の掲げる法律に、
みんなの論理法則とされる根拠がないように、
数学や物理学や論理学などに掲げられた規則性も、
テレビの内容と、さして変わらぬ娯楽かも。
 
学校教育で教えられる自然の摂理は、
刑務所や精神病院の中で強要される規則のように、
全部嘘かも知れません。
 
横綱の貴乃花が、八百長をしなかったと、
テレビは騒ぎます。
そのせいで、貴乃花は、理事に落選したと。
 
スポーツに、八百長でない証拠が、あるはずがない。
格闘技は、特にそう。
わざと転んでも、わかりません。
 
人生は、全部八百長です。
憲法に、自分勝手に生きるな、俺の言うことを聞け、
さもなければ、痛い目に遭うぞと、書かれています。
  
みんなと協調して生きる人生が、
八百長でないと言うのなら、
貴乃花が解任されるのは、当然です。
 
   
   
 

精神医療の廃止とコンピュータ

進化論や精神医学などの、 ロマン主義による社会や心の学説を否定して、 精神医療と精神科と精神病院の廃止を、 主張します。

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