皮も甘く、丸ごと食べられますが、
中の種(たね)を、吐き出さずに、
噛み砕いて飲み込むのは、
年齢のせいで、出来ません。
*** ***
わたしは、もうすぐ死ぬはずですが、
子供の頃から、少しも、生きたいと思いませんでした。
生かされて、迷惑であると、
親や宗教や国家に、文句を言いながら、育ちました。
特定の状態になれば、
自動的に、痛くなったり、気持ちよくなったりと、
感覚器官で感じられることのうちの、
基礎的で動物的なことは、
生まれつきに決まっていますが、
感覚器官で捕捉できないことや、
派生的で人間的なことは、
幼児の頃に、習慣づけられています。
気持ち良いとか、気持ち悪いとかと、解釈するのは、
習慣です。
気持ちだけでなく、いかなる価値も、
善悪に振り分けるのは、幼稚でないかと、
小学2年生くらいに、疑いましたが、
子供には、どうしようも出来ませんでした。
大人になっても、単純で間違った判断を、
拒否できません。
わたしの習慣のせいでなく、他人の生まれつきのせいと、
思われます。
こうすれば、必ずこうなる、という未来の予測は、
今、こうするだけでなく、
今後も、これこれならこうする、
という多数の手順があり、計画的に行なわなければ、
今、こうしただけで、
未来が、予測通りになるわけでありません。
必ずこうなると、予測通りの未来を、実証するには、
計画的な手順の実行が必要ですが、
他人に、実行が妨げられるだけでなく、
他人は、多数の手順の組合わせと順番を、
理解できません。
こうすれば、こうなると、わかり切っているのに、
世の中は、わからない人が、圧倒的多数ですから、
単純で間違った判断が、横行します。
大人は、幼稚であると、
中学1年生くらいに、悩みました。
女性も、同じ年齢の頃に、
大人になりたくないと、拒否して、
いつまでも少年少女でいたいと、願うことが、
少なくないようです。
経験していないことを、理解できないだけでなく、
経験していることも、理解できませんから、
習慣よりも、生まれつきを、変更できないことが、
あほの原因として、大きい。
しかし、習慣は、変更できるはずなのに、
変更できないのは、生まれつきかも知れません。
樹状突起の枝分かれが、頻繁でなければ、
判断の組合わせの道筋を、変更できませんので、
樹状突起は、特定の判断の記憶の用しかなさず、
習慣を変更できなくなります。
枝分かれが止まれば、
傷ついた枝の肩代わりを、出来ませんので、
神経伝達物質のドーパミンの量が、少なくなれば、
あほになるのは当たり前です。
精神疾患の中でも、
統合失調症や妄想性障害や躁鬱病などの、
主として抗精神病薬の強制的な投与を、
治療と称する種類の、
狭い意味での精神病は、
頭の悪い人間が、頭の良い人間の、
脳の機能を破壊するための、
精神科医や家族の嫉妬が、診断の原因と思われます。
診断と治療のほうが、精神病であり、
精神病とされる症状は、
強制的な抗精神病薬の投与による依存症や禁断症状に
すぎません。
初発の未治療の診断前について、
診断基準の精神症状があったという証拠や証明がなく、
健常な人に抗精神病薬を投与すれば、
診断基準の精神症状が必ず現れると、
実証されていますから、
西欧のように、精神病院を廃止するだけでなく、
精神病院や精神科の、衆愚の機能を、犯罪として、
厳しく懲罰しなければなりません。
精神科医が、2度と、精神医療と称して、
犯罪に手を染めないように、
心を更生するプログラムが必要です。
0コメント