イチョウ並木 東京大学 0054 知覚と論理法則と科学技術

今頃に写真を撮るあほは、私1人です。
 
でも、この枝振りと言い、狭い道と言い、
幹の美しさと、いつも子供が遊んでいる光景は、
忘れられません。
 
懐かしい青春時代が、毎日続いて、老いぼれて行くのは、
残酷です。
本郷キャンパスの前を、結構、通りますが、
中を通り抜けることは、できるだけ、避けています。
あとは死ぬだけの年齢になり、青春を振り返りたくない。
 
銀杏は、落葉しても美しく、街路樹にしたいけれど、
実が臭くて、かなわん。
人間も、年老いると、臭くてかなわんと、自分で思いますが、
女でなくて、良かった。
 
男から女に性転換する人は、年寄りの女を知りません。
若い女しか、見ていませんから、
女から男に性転換するほうが、賢いような。
 
ごつごつの樹肌のイチョウが、実をつけるのは、
梅の花のように、風流です。
 
 
   ***    ***
 
 
何を、どのように知覚したかを、
私たちは、直接に、他人に伝えられません。
 
電気ケーブルで繋いでも、
私の知覚の内容が、他人にコピーされることは、
ありません。
 
言葉や絵や写真やボイスレコーダやビデオなどの、
コミュニケーションのためのメディアを使い、
事実と言われる表現を、
他人に伝えなければなりません。
 
痛いとか美味しいとかは、相変わらず、言葉が頼りですが、
言葉や絵と違い、
写真やボイスレコーダやビデオなどの、科学技術は、
事実の伝達に、嘘や間違いがないと、思われましたので、
ロマン主義は爛熟して、
19世紀後半から、20世紀前半にかけての、
科学主義による共産主義革命や、2度の世界大戦や、
ホロコーストなどを、惹き起こしてから、
ナチスドイツや旧ソ連などと共に、滅びました。
 
日本の、大日本帝国憲法や日本国憲法は、
純然たるロマン主義を標榜しています。
科学技術立国は、日本の政策です。
 
ソ連が潰(つぶ)れたのは、
ノーメンクラツーラと言われる官僚主義と、
コンピュータに乗り遅れたからと、言われています。
 
日本経済が左前になったのは、
バブルが原因と言われていますが、
家電製品を世界に売りまくったにもかかわらず、
コンピュータに負けたからでないかと、疑われています。
 
鉄砲や黒船や原爆と来て、コンピュータになったことを、
ナチスドイツやソ連や日本は、
理解できなかったのでないかと、疑われます。
 
 
   子供の頃に、
   日本人は、俳句や浮世絵などの、詩的な感覚が鋭く、
   長編小説や学術論文のような論理を、理解できないと、
   教わりました。
 
   日本人は、
   自然の摂理のような論理法則が、科学技術を貫いていると、
   誤解します。
   何と何と何が、論理法則の教条であるかは、
   誰が決めたのでもなく、自然の中に、最初からあり、
   科学技術は、自然に埋もれている規則性を、
   運慶が仏像を彫り出すように、発見すると。
 
   事実は1つであり、科学技術が矛盾しないのは、
   そのような摂理が、知覚に因らずに、知覚の外にあり、
   知覚が、自然の摂理に、制約されているからと。
 
   そのような考え方を、唯物論と言い、
   唯物論や科学主義は、マルクス主義が掲げたように、
   ロマン主義の1派の特徴ですが、
   科学主義を掲げたにもかかわらずに、
   ロマン主義は、1946年のコンピュータの登場と共に、
   滅びました。
 
 
写真やボイスレコーダやビデオなどの科学技術は、
個人に知覚された事実が、他人にも知覚されることを、
どのようにして保証するのでしょうか。
 
知覚の仕組は、遺伝して、
ほとんど生まれながらに、変更不能ですから、
人それぞれの知覚や、知覚された事実が、
遺伝形質の組合わせを超えて、
すべての人に、自然に一致するとは、思えません。
 
自然は規則的でなく、自然には不均一でないかと、
疑われます。
論理法則の教条は、自然にあるのでなく、
流行文化にすぎないのでないかと。
自然にあるのは、
人それぞれの遺伝的な組合わせの、
変更不能だけでないかと。
 
個人の知覚は孤立して、他人に正しく伝えられないと、
欧米人やインド人は、古代から考えていましたが、
写真やボイスレコーダやビデオなどの科学技術により、
解決されたと、誤解したので
共産主義革命や、2度の世界大戦や、
ホロコーストなどに至り、
ナチスドイツやソ連などと共に、ロマン主義は滅びました。
 
コンピュータの成功を見れば、
ロマン主義の誤解は、明らかですが、
インド人は、瞬時に気づいても、
日本人は、生涯、理解できないかも知れません。
 
 
   ロマン主義が滅びたとは、
   どのような意味なのでしょうか。
   写真やボイスレコーダやビデオなどの科学技術が、
   事実の確信を掲げたのは、間違っていたのでしょうか。
 
   事実のように、権力に由来する概念が、
   自然に由来するとされる科学技術の規則性に、
   保証されることは、あり得るのでしょうか。
 
   そんなことは、あり得ないから、
   ナチスドイツやソ連が潰れたのに決まっていますが、
   日本人は、理解できません。
 
   事実は、社会的概念でなく、自然の概念であると、
   日本人は思っていますので、
   知覚は、人間の出来事を、自然のように、
   客観的に見ることができます。
   知覚の対象の事実を、知覚の主体の精神が、
   客観的に見ることが出来るそうです。
 
   私は、知覚の主体の精神が、自然現象でなく、
   文化のように感じられますので、
   知覚が、流行文化の産物の論理法則に、
   一致するのを、実感します。
 




精神医療の廃止とコンピュータ

進化論や精神医学などの、 ロマン主義による社会や心の学説を否定して、 精神医療と精神科と精神病院の廃止を、 主張します。

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