ヤブムラサキ 2003 論理能力が低ければ…

藪紫(ヤブムラサキ)は、紫式部(ムラサキシキブ)と
同属の Callicarpa ですが、
実(み)が成っていれば、
毛だらけの萼(がく)が、残っていますので、
すぐに、わかります。
 
藪紫の多い山道は、だれかが栽植したのでないかと、
疑いたくなりますが、
どうして、同じ道筋に多いのでしょう。
 
証拠を見つけなければ、結論は出ませんが…
 
     ***          *** 
 
論理能力は、
知能のうちの、代表的なものかも、知れませんが、
知能や論理能力を、測る考え方が、正当であるかは、
別として、
そのような能力はないとか、測るべきでないとかと、
主張すれば、
社会や人生が、多くの人に、耐え難く不便になるのは、
確実です。
 
老化すると、明らかに、論理能力が衰えますので、
複雑な話が、通じなくなります。
 
話のあらすじを、簡略にして、伝えなければ、
仕方ありませんが、
話を、よく知っている人が、工夫をして、
老人に、簡略なあらすじを、伝えたとしても、
それは、簡略と言うよりも、
嘘や間違いかも、知れません。
 
そんなもん、ある程度よりも、簡略にできない話って、
いくらでもあります。
微積分の原理を、高校1年の教科書よりも、
簡略に伝えるのは、不可能かも知れません。
 
わたしは、往生した挙句(あげく)に、諦めました。
 
しかし、もっと厄介なのは、
勝手聾(かってつんぼ)と言われる聞こえ方と、
同じように、論理能力の低下した老人自身が、
話のあらすじを、簡略にして、理解したと、
思い込むことです。
 
そんなことが、出来るわけがありませんが、やります。
頭の悪い高校1年生の、微積分の誤解に、
そっくりです。
 
通じないだけでなく、
勝手聾のように、間違って通じますから、
大阪教育大学附属小学校の宅間守君や、
オウムの麻原彰晃君のような、犯罪者の確信と、
さほど違わない不便が、社会に起こります。
 
彼らは、責任能力があると、されましたので、
人格や思想を、厳しく糾弾されなければ、
いけないのかしら。
 
わたしには、老化すれば、
一流大学医学部出身のお医者さんにも起こることが、
若くして起こっただけのような、気がします。
 
知能は、病的でなければ、
生涯を通じて、下がらないと、主張する人もいますが、
わたしは、生まれた時から、一直線に下がり続けると、
思っています。
 
病的でなくても、充分に、犯罪的に下がりますので、
下がるのでなく、生まれつきの、何かの素質が、
馬脚を露(あら)わしたと、言わなければ、
いけないのかしら。
 
一見すれば、能力が下がるようなのに、
じつは、隠れていた能力が、見えて来るだけなら、
老化して、下がったように見えるのは、
偽物の知能であり、
だんだんと現われて来る素質が、本物の知能かも、
知れません。
 
生まれた時から、一直線に下がり続けるのが、
本物の知能なら、
知能が下がったせいで、馬脚を露わすのは、何かしら。
 
嘘をつく能力かも知れません、知能って。
 
論理法則が、嘘の塊(かたまり)であると、言えば、
科学技術や事実の、知覚を、どうしてくれるのかと、
文句が出ますが、
知覚の中身は、スクリーンに映った映画のように、
嘘に決まっています。
  
みんなが、一緒の科学技術や事実を、知覚するのは、
一緒の映画を見るからです。
 
 
 
 
 

精神医療の廃止とコンピュータ

進化論や精神医学などの、 ロマン主義による社会や心の学説を否定して、 精神医療と精神科と精神病院の廃止を、 主張します。

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