山道に、平坦な所があり、
これぐらいなら、家を建てられると、思っていると、
ちゃんと、辣韮(らっきょう)が咲いていましたから、
昔は、人が住んでいたのかも知れません。
コンクリートや瓦の、痕跡がありませんから、
礎石の上に、柱と板張りや丸太組みの、草葺家屋を、
建てたのでしょう。
鋸(のこぎり)を挽(ひ)くのは、面倒なので、
板でなく、壁土を使うのが、普通ですが、
近くに、粘土があったのかしら。
石灰がなければ、漆喰(しっくい)もありませんし…
ラッキョウの後ろの、犬蓼(いぬたで)は、
立派な花が咲きますが、香辛料になりません。
本蓼(ほんたで)と言われる柳蓼(やなぎたで)は、
芽蓼(めたで)や、蓼酢(たです)として、
お刺身の妻(つま)の、紫色の小さな双葉や、
鮎(あゆ)の塩焼きの酢(す)の中に、
摩(す)り卸された緑色の葉などに、利用されます。
わたしは、道を知らないので、
この場所から、民家のある集落まで、
40分も、歩かなければ、戻れませんでしたが、
地元の人は、20分ぐらいで、
山を下りられるかも、知れません。
近くに、湧き水や田畑の名残(なごり)が、
あるかも知れませんが、
家の瓦礫が、まったく残っていませんので、
生活用具を、人里に持ち帰り、
木材は、燃やしてしまったのかしら。
いや、そんなに勿体(もったい)無いことは、しない。
柱も、麓(ふもと)に下ろしたはずです。
江戸時代には、人が暮らしていたかも知れないと、
思いながら、写真を撮りました。
壺や皿などの、陶磁器は、
戦国時代から、有り余っていましたので、
割れた破片が、廃屋に捨てられているのが、普通です。
木材は、使える柱や梁(はり)を、持ち去れば、
残りは腐り、土に還(かえ)ります。
板は貴重なので、使っていなかったかも。
陶磁器だけでなく、窯(かま)や竈(かまど)もなく、
炭焼き小屋や、飯場(はんば)のような、
寝泊まりをする場所と、思えない。
建物の礎石だけが、残っています。
姥(うば)捨て山や、二度と帰らぬ病人のための、
隔離施設や休憩施設などは、江戸時代に普通でした。
足手纏(まと)いになる奴に、引導を渡すのは、
現代の性転換医療も、同じですが、
昔は、親子兄弟姉妹の間で、行なわれました。
ヒトラーやスターリンやポルポトなどは、
伝統的な家族の仕事を、
国家が行なうべしと、主張しましたが、
障害者や病人を、家族が虐待するよりも、
社会のみんなで、ガス室に送り出したほうが、
心の痛みが、小さくて済むと。
性転換医療は優生医療と、言われます。
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