郁子(むべ)ほどではないが、
木通(あけび)も、種(たね)だらけですので、
種ごと、口に入れてから、種だけを、吐き出します。
面倒臭い果物(くだもの)ですが、
山道を歩いて、疲れている時には、
水分と言い、甘味と言い、
一息入れるのに、丁度良いかも。
わたしは、手や指が、ねちゃねちゃになるのが、
嫌(いや)なので、
アケビの実を、スーパーマーケットの袋に入れて、
水のある所まで、持ち歩き、
食後は、念入りに手を洗います。
論理能力が低ければ、
ねちゃねちゃを、あまり気にせずに、
不器用と抱き合わせになっているかも、知れません。
知能が低ければ、他人に虐(いじ)められますが、
虐める加害者も、
必ず、被害者と同じくらいに、知能が低い。
虐められる人も、
ちょっとした境遇や経験の、巡り合わせから、
加害者になる可能性が、高い。
そういう素質です。
面倒なのは、
論理能力の低い人には、事実が知覚されませんから、
知能の高い人に、
危害を加えることも、少なくありません。
そうすると、
鉄砲玉や原爆をぶち込まれて、殺されますので、
日本を保護するように、責任能力が無いとして、
知能の低い人を、保護します。
ほんとうに、論理能力の低い人を、保護するのは、
善良な政策なのか、という議論と、
ほんとうに、アメリカ合衆国は、知能が高いのか、
という議論は、同じです。
日本を殺すよりも、こき使ったほうが、得なので、
責任能力が無い、とするのも、
食事のために、決まっています。
頭の悪い人間を、品種改良して、
役に立つ家畜を、飼育するために、
責任能力の無い種類の、精神の病気だけでなく、
責任能力の有る種類の、病気や犯罪が、
作られるのかも知れません。
家畜小屋の番人って、十手を持つやくざと同じです。
警察と山口組の抗争のために、税金が使われるのを、
日本国民が納得しているのも、似たようなものです。
百年河清を待っても、仕方ありませんから、
種(たね)ごと、口の中に入れて、吐き出します。
尻から出すよりも、知的です。
なんか、口の中が、砂利砂利して来ました。
それに比べれば、アケビや豚肉は、桁違いに美味しい。
*** ***
論理能力が低ければ、全体を一覧できないだけでなく、
あらすじがわかりません。
判断のマルペケの数量は、枝分かれの量と同じですが、
実際に選択して、経験した道筋(みちすじ)のほかに、
可能な選択の組み合わせを、全部一覧できなければ、
どの道を選ぶのが、最善かを、判断できません。
実際に経験した道が、理想的であったのか、
それとも、あほ丸出しであったのかを、
自分で、評価できなければ、
行き当たりばったりの、人生になります。
一か八(ばち)かの、賭けばかりって、
頭の悪い人たちの、日常茶飯です。
それでも、キタサンブラックは絶対だと、
御本人は言います。
直感的に、絶対にこれであると、
わかるそうですが、
多くは、事実や論理や科学技術などの、
合理的な判断や、宗教的な教条とも、
異なります。
論理法則と一致するように、
事実を類推すれば、論理的と言われますが、
知覚の中身が、事実に一致するのを、
論理的と言うべきか、
直感的と言うべきかは、誤解されやすい。
成人が見ているのと、似たような光景が、
赤ちゃんの目に、見えるようになるのは、
1才ぐらいからです。
生まれたばかりの時は、
光の強弱を知覚できても、
成人の見る物の形に、見えません。
だんだんと、大人と一緒の光景が、
見えるようになりますが、
言葉を習得するように、
音や光や、筋肉の力などの、
文化的で経験的な関係が、
癖(くせ)になったのか、
それとも、自然と言われる光景を、
生まれつきに知る能力が、
発揮されたのかって、
仕分けが面倒と、言うよりも、
他人に伝えるのが、面倒臭い。
いくばくかは、
生まれつきの変更不能や困難な、
素質であり、
いくばくかは、文化的な経験ですが、
少なくとも、自然の光景のように、
わたしたちの体の外側の、
みんなと一緒の、客観的な認識の対象が、
人間がいなくても、存在すると、
考える必要は、ありません。
体の内側の、生まれつきの素質と、
インターネットの交信のような、
他人との、情報交換の経験があれば、
説明できます。
コンピュータとコンピュータって、
電波や電線で繋がっていますが、
マイケルソン・モーリが、
エーテルは要(い)らんのかと、
疑ったように、
自然がなくても、人と人は、
交信できるのかと、
ロマンティックな人たちは、
文句を言います。
自分と他人って、
生物は皆、親子兄弟姉妹ですから、
宗教の言うように、
神様の血筋で繋がっています。
他人との情報交換は、
体の内部の情報伝達と、同じことなの。
論理や事実や科学技術などの、判断は、
神様や宗教と同じように、
生殖と世代交代の思想の、続きですから、
内輪(うちわ)の問題の解決を、
模索しています。
自分たちの体の、外側を、知る能力が、
生物にあるかって、
感覚器官を見ればわかりますが、
他の生物の個体や、自分の体などの、
生物の内側を、どうするか、
という判断のために、
事実と言われる指標を、計測しています。
生物の内輪の世界を、
特定の状態に維持するために、
感覚器官が機能しています。
生物でない奴のために、
感覚器官が奉仕することは、
何もありません。
全部が、内輪のために、あります。
生物でない奴が、目に見えていると、
感じられるのは、言葉が聞こえたり、
数量が見えたりするのと、同じように、
経験的な文化の産物が、知覚されています。
生物の形も、印が見えていますが、
調節されるべき目標の、体の内側ですから、
食べ物のように、大切な身内です。
たぶん、身内が見えるのは、
生まれつきの、変更不能な機能ですが、
どのように表現されるのかは、
経験や文化により、変わりますから、
生まれつきでもないのに、
生物でない物が見えるのは、
いわば純文学です。
生物でない奴は、うんこみたいに、
遠回しに大切ですが、身内でなく、
身内の死骸のような、生産物です。
1才くらいになると、赤ちゃんの目に、
大人と同じ自然の光景が、見えて来るのは、
言葉を習得するのと、同じことなの。
世界の端っぺたのほうが、だんだんと、
形成外科のように、見えて来ます。
エーテルって、
文化を伝えるための、文化もある、という意味かしら。
媒体やメディアって、いわれる奴。
論理は、階層構造になっていますから、
別の纏め方をすれば、別の枝分かれになるのは、
仕方ありません。
判断の枝分かれは、
実際に選ばれた判断の道筋と、同じ着目点なら、
選ばれなくても選択可能な判断の組み合わせを、
全部、一覧することができます。
着目点が変われば、可能な判断は無数ですから、
全部を一覧することは、できません。
論理能力の低い人は、一覧できる判断の、
可能な組み合わせや枝分かれの数が、少ない。
生まれつきですが、
判断の着目点が、事実や科学技術などと、違います。
他人と一緒の、任意の着目点に、合わせる能力が、
低ければ、そうなります。
何も、可能な着目点を、全部予想しなくても、
他人と一緒の着目点にして置けば、それで良いのに…
任意の他人の気持ちに、共感するには、
任意の着目点を、維持しなければいけませんが、
他人に合わせて、
好きでもない組み合わせを維持するのは、しんどい。
権力やお金が欲しければ、しんどいことを、
気軽にやらなければ、いけませんから、
死にやすい。
論理能力の低い人たちの間では、
エステティックが、最大の権力ですから、
他人が良いと言う顔つきや体つきを、
維持するために、美容外科に通い詰めて、
マイケル・ジャクソンみたいに、死にます。
美人薄命と同じです。
わたしは、権力よりも元気が、良い。
判断を一覧するって、
部分ごとに、あらすじを作り、
全部を繋げて、一覧すれば良いのに、
論理能力が低ければ、
あらすじを作る能力が、低い。
何を選択して、あらすじとするかって、
何を着目点にして、判断するのかと、
同じように、価値の問題ですが、
あらすじは、無数の判断の中から、
選択するのでありません。
でも、
人生のあらすじって、簡単に作れない。
中学の国語の読解力や、初歩の数学の、
問題を解こうとしても、成績の低い人は、
一々、人生のあらすじのように、悩みます。
中学の国語や数学に、人生は必要ないと、
言える奴が、勉強をしなくても、
一流大学医学部に合格するのに、
一々、人生に悩む奴が、
4時間も5時間も勉強をしなければ、
合格できないのは、当たり前です。
人生に悩む奴を、あほ、と言えば、
怒られますが、
4時間や5時間もの奴を、見ると、
ロマンティックだなあと、感心しました。
わたしも、ロケットを飛ばして、
月へ行けば、良かったと、思いますが、
みんなの言うことを、聞かなければ、
怒られましたから、仕方ありません。
社会の底辺の、
論理能力の無い人たちの間では、
全国で1番なら、どこそこ大学医学部って、
決まっていましたから、
なんで、あんなあほと一緒にと、
うんざりしました。
身の回りの、4時間も5時間もの奴を、
やっつける方法が、当面の課題でした。
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