夏の野菜なのに、今頃でも、まだ咲いています。
水路のほとりの、一人生えですが、
葉を食べるよりも、花を見るほうが、美しい。
わたしは、飢え死にしないように、
植物の名前を、覚えましたが、
人の名前を覚えるのも、
似たようなことかも、知れません。
*** ***
1972年10月13日に、ウルグアイのステラマリス学園の
ラグビー部員と支援者を乗せた空軍機が、
アンデス山脈に墜落しました。
チリのサンチアゴに、行く途中でしたが、
パイロットは、すでにアンデス山脈を越えて、
チリ領内に、深く入ったと、勘違いしていましたので、
平地の上空の、雲の中の、夢のような気分でした。
実際は、アンデス山脈の真っ只中(ただなか)を、
飛んでいましたので、
高度が足りずに、稜線に衝突して、
翼をもがれた胴体が、斜面を滑り、
標高4200mの雪の中に、停止しました。
氷食谷の上部の、小さなカールの底のような、
やや平坦な地形です。
斜面は、アルペン風の急傾斜ですので、
岩肌の、剥(む)き出している所は、
登山道のような、洒落たものがなければ、歩けません。
傾斜が緩ければ、雪が豊富でも、
雪崩(なだれ)の巣窟に、決まっています。
飛行機の胴体も、墜落の17日後に、雪崩に埋まり、
新たに8人が死亡して、
雪の下に3日間も、閉じ込められたそうです。
日本と同じくらいの緯度ですから、
南半球の10月から12月は、
1500~2000m以上が、雪に覆われて、
3000m以上の谷底は、真夏でも雪が溶けずに、
高い所から、大量の雪が、滑り落ちて来るのでしたら、
氷河になっていたかも、知れません。
現場は、稜線のすぐ下でしたので、
地球温暖化のせいで、
氷河を作るほどの、雪の量で、ありませんでした。
グーグル地図を見ると、
昔の氷河地形が、残っていますが、
1972年頃は、世界共通に、
現在よりも、万年雪が多かったはずです。
わたしは、シエラネバダやコロラドの山々と、
青春の輝きを思い出して、寂しくなりました。
生存者のうちの、元気な2人の青年が、
稜線を越えて、雪の多い西側に、下りましたが、
チリ領は、日本のように、雨や緑が多く、
標高の高い所まで、牧草地が伸びています。
東側のアルゼンチンは、乾いていますが、
山の麓に、水が湧きますから、町や村があります。
どちら側に降りて、救助を求めるかは、
悩ましいところですが、乗員乗客とも、
飛行機は、すでにアンデス山脈を越えて、
チリ側の平地から、山に衝突したと、
思い込んでいましたので、
稜線を越えて、西へ降りるべきと、判断しました。
72日後に、2人が、チリの牧童に発見されるまで、
16人の生存者は、新鮮な死体を食べていました。
山の夜は寒く、体力を消耗しますので、
日本の絶食療法のように、
水さえあれば、2週間は大丈夫、というわけには、
行かなかったでしょう。
10日目に、死体を食べる決議をしたそうですが、
良いタイミングでした。
技術的や事務的に、手順の良い方法を選び、
合理的に食べるのは、
精神の病気の人や、社会の底辺の人たちには、難しい。
みんなと一緒のことの、出来ない人が、
権力にしがみつかなければ、頭が悪いと言われて、
間引かれて行くのは、当然ですが、
社会の底辺は、尼崎事件のように、
共食いが普通ですから、権力者は、手を汚しません。
将来に精神の病気になる人は、乳幼児の頃から、
明らかに、気が弱く、
みんなと一緒に、いつもと同じことを、しなければ、
解けない数学の問題に、出食わしたように、
すぐに、正気を失います。
乳幼児の頃は、みんなと一緒に出来ても、
学校へ行くと、競争をさせられますので、
孤独は避け難く、
気持ちは、闇を彷徨(さまよ)います。
小鳥は、卵から孵(かえ)った瞬間に、
弱いやつが、兄や姉に突っつかれて、
巣から落ちて死ぬのが、普通です。
一番最後に、孵化すれば、みんなよりも、体が小さく、
殺されるのに、決まっています。
兄や姉が、障害や病気やケガなどのせいで、
生まれたばかりの弟や妹よりも、弱ければ、
末っ子が、生き残れます。
人間の学校も、和気藹々(あいあい)でなく、
孤独で陰険(いんけん)な努力に、耐えられなければ、
覿面(てきめん)に、内臓が透けて見えるように、
精神の病気が、剥(む)き出しになります。
腹黒く、何も見えなければ、健常ですので、
昔の日本の、白樺派と言われる小説家たちが、
健常であると、わからなかった佐川一政君は、
あほでした。
オランダ人を食べてから、
人肉嗜好を宣伝しなければ、危ないと、
恐れるようになりましたから、賢くなったはずです。
社会は、どこまでも、
人間を分類して、仕分けをしますから、
みんなと一緒になりたければ、
孤独で陰険な戦いに、耐えなければいけません。
100万人に1人ぐらいは、そのほうが、明るく楽しく、
少しも、苦しみを知りませんから、
そうでない人たちは、
将来に、絶滅する可能性が、高い。
精神の病気に、なり易(やす)い素質の人は、
乳幼児の頃から、
孤独や変化に、耐えられない性質が、
歴然としています。
体の素質や、境遇のせいで、
みんなと一緒のことが出来ずに、孤立するから、
精神の病気になるのでなく、
そもそも、自分という意識が、
孤独に耐える気持ちですから、
いわば、夜と睡眠の峠を、一人で越せない人は、
自分という意識も、希薄で、
みんなと一緒でなければ、生きて行けない精神なのに、
体や境遇のせいで、
みんなと一緒のことが出来なければ、
精神の病気になります。
特定の精神状態の、維持と変更が、円滑でありません。
ドーパミンのせいと、薬屋さんは言いますが、
それでは、
生まれた後の、特定の精神状態が、癖になり、
変更不能になったのと、区別がつきません。
統合失調症になり易い人は、
何につけても、生まれつきに、円滑でありません。
1人で勉強をする時間があれば、
わたしは、うれしくて堪(たま)りませんでした。
嫌(いや)な奴を、やっつける手段を、
覚えられますから。
鉄砲で撃ち殺すとか、薬物で毒殺するとか、
原爆で皆殺しにするとかと、科学技術は、
嫌な奴を、やっつけるためにありますから、
その規則性を、確信するのは、
自分自身が、みんなに間引かれる番を、
待っているようなものなのに。
自分自身と、嫌(いや)な奴の、区別がつかないって、
GID(性同一性障害)の人たちは、よく言います。
体が老化すれば、頭が悪くなるのは、確実ですから、
弱みを突かれて、みんなに嬲(なぶ)り殺される前に、
繁殖をして、子や孫に殺されたほうが、
適応しやすいのに、決まっています。
アポトーシス(apoptosis)と同じでしょう?
いつでも殺せるように、
銃口を、他人の頭に、押し付けてからでなければ、
そいつと仲良くしてはいけないと、
わたしは、お母さんに、教えられたようなものでした。
知的障害の父が、弁護士に、お金を盗られたので、
母が、取り返しに行きました。
わたしは、小学5年生の時に、母に付き添い、
法律家を殺してからでなければ、
憲法と、付き合ってはいけないと、思いました。
他人も、自然や権力などと同じように、
変更不能な規則性の塊(かたまり)に見えました。
どこかに、隠しボタンがあり、それを押すと、
心臓や生殖器が、
レジの引き出しみたいに、飛び出て来たり…
わたしは、法律家のような、あほに、ならないって、
たこ焼きの蛸(たこ)よりも、固く心に決めました。
戦争で言えば、蛸壺(たこつぼ)にすっこみ、
真っ暗闇の中で、息を潜(ひそ)めていれば、
戦車が、勝手に、頭上を通り過ぎて行くのに、
キャタピラの轟音(ごうおん)を、聞いているうちに、
息ができなくなり、蛸壺から顔を出して、
大声で叫びながら、敵を撃ってしまう人は、
すぐに間引かれます。
戦車が真上を通ると、
蛸壺の蓋(ふた)が、壊れるとか、
歩兵が踏み抜き、敵に、頭を撃ち抜かれるとかと、
要(い)らぬ心配をします。
戦場に行くときに、死ぬ覚悟ができていなければ、
そうなると言いますが、
精神の病気に、なりやすい素質の人は、
死ぬつもりでも、そうなります。
孤立無縁であるかのように、
成り済まして置く生き方に、適応できなければ、
学校の成績が良くても、
皇室の閉塞感に、耐えられません。
気が強ければ強いほど、引導を渡されたくないのに、
スポイト100万本で、世代交代をしても、
一族郎党が、簡単に蔓延(はびこ)れない境遇は、
どうしようもありません。
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