植物分類学の学生は、青膚(あおはだ)を見て、
短枝と長枝や、鳥黐(とりもち)の製法と成分や、
樹皮の薄皮(うすかわ)の下の、
葉緑素を含んだ緑色の皮層(ひそう)などを、
勉強するのかしら。
わたしは、
ロケットを飛ばして、月に行きたかったけれど、
アメリカ合衆国のアポロに、負けたので、
植物採集や合唱団のような、超俗的な趣味に、
かまけていました。
うちの一族は、製鉄と造船が、得意でしたが、
昔からの山持ちで、石油にも、手を出していました。
一族や従業員のための、
病院や療育施設がありましたが、
わたしは、世界一に、賢くなければ、
気が済みませんでした。
日本一では、原爆に負ける。
世間の人が、数学や科学技術を、信頼しているので、
こいつを、やっつけなければ、原爆に勝てないと、
思いました。
フーテンの寅さんや、尼崎事件のような、
社会の底辺の、共食い運動には、
あまり、興味がありませんでした。
それが、どういうわけか、性転換に…
植物採集は、山登りが得意になるので、
歌を歌うには、持って来いでした。
鉄や石油も、そうですが、
体が資本の、山師の仕事ですから、
数学や科学技術の、確信の由来が、よくわかります。
鉱物資源のように、
地球の中に、内蔵されている規則性を、
運慶が、木の中から、仏像として掘り出したと、
夏目漱石は書きましたが、
わたしは、木の中でなく、自分の体の中のような、
気がします。
運慶は、木の中に埋もれていた仏像を、
掘り出したのでなく、
自分の体の中の、規則性を、彫り出したと。
偶像のエステティックは、哺乳類の内の、
人間に近いほうの半分くらいの種(しゅ)に、
共通の、共食いの原動力ですが、
論理法則のような、生まれつきの知覚の規則性も、
性欲と同じくらいに、あほの原因です。
コンピュータやインターネットは、
事実や論理を知らなくても、ちゃんと機能するのに、
どうして、人間は、目や耳などの感覚器官が、
認識の対象を知覚していると、考えるのかしら。
妄想や幻覚が、甚(はなは)だしいけれど、
論理法則や生殖と、言われる規則性に、
繋ぎ止められるように、
わたしたちは、品種改良されています。
お釈迦さんは、知恵があれば、解脱できると、
考えましたが、
わたしは、知能の軛(くびき)を、
断ち切ったほうが、良いと、思います。
知ることって、嫌(いや)な奴を、殺すことですから。
仏教やキリスト教などの、宗教が、
人類を不幸にした、と言えば、
マルクスレーニン主義者は、喜びますが、
宗教だけでなく、知ることが、殺すことであるのが、
問題なのです。
GID(性同一性障害)の医療が、そうでしょう?
ようするに、あほを騙(だま)して、間引いています。
*** ***
知ることは、嫌(いや)な奴を殺すことと、言えば、
反対意見が、うんと出ます。
殺し合いに関わらずに、
わたしたちは、認識の対象を、知ることができると。
自分でない物事(ものごと)を、知る能力が、
生物にあるとは、思えませんから、
自分の中の、いくつかの規則性を、組み合わせて、
自分の外や、認識の対象などと、言われる物事を、
想定します。
あると、言われるのは、すべてが、
判断の途中に、一時的に寄せ集められた情報の、
置き方や積み方のような、記憶の仕方ですから、
宇宙や他人などの、自分の外側の物事だけでなく、
自分の、心や内臓などの、内側のことも、
その通りです。
自分の中の、変更不能な規則性を、
手持ちのカードのように、出して、
他人の、同じカードと一緒に、寄せ集めるのも、
変更不能になった記憶の、整理整頓を、
内側や外側のことのように、
文学的に表現しているだけかも、知れません。
何が、変更不能な記憶であるかを、仕分けするために、
記憶を、あっちこっちに移動して、
あれこれと寄せ集めるたびに、
わたしたちは、自分や他人や自然や論理などを、
想定しますから、
どのような記憶や、記憶の組み合わせが、
変更不能になっているかが、よくわかります。
じつは、変更不能になっているから、
記憶として、自覚されるのですが、
そのうちに、雲散霧消する記憶も、
少なくありませんから、
時間が経(た)っても、いつまでも変わらない記憶を、
調べるために、あちこちに、記憶を移動するのは、
黄河の泥水を、仕分けするために、
掻き混ぜて、層になって沈殿するのを、
待つようなものです。
百年河清を俟(ま)つ、ってやつ。
外側のことは、すべて、内側のことであるだけでなく、
内側も、すべて、外側であるのなら、
他人との情報交換や、目や耳の感覚器官があると、
確信するのも、変更不能な、妄想や幻覚なのかしら。
コンピュータは、そう言います。
入力装置や情報交換などの、外側のことがあると、
思うのは、
変更不能になったプログラムの通りに、
情報を仕分けしたまでであると。
テニスボールの皮を、ひっくり返せば、
ボールの内側の出来事も、外側の宇宙になる、
と言えば、宗教家の言い草みたいですが。
外側の出来事のすべてが、
自作自演であるだけでなく、
他人との情報交換も、精神障害なのでしょうか。
自分の体の、部分と部分の、情報交換が、
他人と、自分や他人との、情報交換に、
見えているだけなのでしょうか。
わたしたちは、自分の内側を、知ろうとして、
自分の外側の世界という表現を、発明したと、
思うのは、早計かも知れません。
内側を外側に、展開するとか、
客観的に知るとかと、言うのは、
ロマンティックですが、古臭い考え方に、聞こえます。
内側が、外側を作ったのなら、
内側も、作られたものに、決まっています。
幾つもの、特定の規則性や、その組み合わせが、
粒々(つぶつぶ)でないのなら、話が行き詰まると、
古代インドや古代ギリシャの人たちは、考えました。
算盤(そろばん)の玉や、素粒子などの、
マルペケの判断の、枝分かれを表わす印(しるし)を、
組み合わせれば、
コンピュータのモニター画面の映像や音楽が、
出来上がりますから、
ようするに、粒々を、細かく制御すればするほど、
心や宇宙や物や論理を、自由に変更できるのかも、
知れません。
知覚を、自由に作れます。
脳みその、記憶容量の大きさと、情報処理速度を、
誇っているだけのようですが、
下手(へた)なプログラムが、変更不能ですと、
効率が悪いので、
さまざまな規則性を議論して、叩き合います。
脳みそもコンピュータも、そうですが、
ハードウェアは、
変更不能になったプログラムのようなものですから、
出来の悪いやつを、
こまめに、叩き壊さなければいけないと、
脳みそやコンピュータは、言います。
日本国憲法にも、効率の悪いやつを、死刑にすると、
書いてありますが、
実際に、死刑になるのは、ごく僅(わず)かですから、
殺すぞと、脅して、こき使ったほうが、得であると、
言っているようなものです。
鉄砲や黒船や原爆を作った奴は、悪くないのかしら。
日本国憲法は、フランス革命を掲げていますから、
日本人よりも、マッカーサーのほうが、あほでした。
麻原彰晃君は、そのへんの事情を、よく知りません。
お釈迦さんの言うことは、
ギリシャやキリスト教やフランス革命や欧米経由の、
鉄砲や黒船や原爆なのに。
たった180人のピサロの軍隊が、
6000万人のインカ帝国を、簡単に征服したのは、
ガラパゴス諸島や精神分析よりも、
進化論を、よく表わしています。
ピサロの軍隊を、やっつけなければいけないと、
思うのなら、科学技術の使い方でなく、
科学技術の規則性を、ぶち壊さなければ、いけません。
わたしたちの知覚が、品種改良されて
特定の規則性が、純化されて、
生まれつきに変更不能なハードウェアが、
作られたのは、
刀や鉄砲や黒船や原爆などの、せいです。
エーテルのような素材がなくても、
判断の印(しるし)が、伝わるのは、
時間や空間が、論理的であるからに、
決まっています。
判断を記憶するための、
時間や空間と言われるノートに、
記(しる)されたマルペケを、
物として知覚するのは、
音声を、言語として理解するような、
流行文化の規則性です。
それが変更不能になるように、
刀や鉄砲や黒船や原爆などが、
人間の体を、品種改良しました。
殺すぞと脅して、こき使う憲法と、同じ手口です。
麻原君は、そのへんの仕組みが、
わかっていませんでした。
彼は、東京大学に入学するつもりでしたが、
100万人の中で、1番くらいに賢くないと、
わからないかも知れません。
東京大学では、無理と思います。
裁判は、彼に殺された人を、大切にしましたが、
ほんとうに大切なのは、
たぶん、命や個性や真理などで、ありません。
わたしは、そんなものを、少しも欲しくありませんから。
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