私市(きさいち)の吊橋 1961

大阪市立大学植物園を見たついでに、
生駒山地の、星田(ほしだ)園地という公園の、
ハイキングコースを歩きました。
 
遊園地のような、280mの吊橋を渡ると、
なかなか恐い。
それなのに、だれも、怖そうな顔をしていませんから、
不思議でした。
 
吊橋へ行く手前に、森林鉄道風歩道橋というのがあり、
谷の片側に、木製の桟道(さんどう)のように、
張り出しています。
 
人が歩くと、揺れるだけでなく、
谷の反対側を、自動車が通るたびに、揺れますので、
吊橋と同じくらいに、平衡感覚が変調になり、恐い。
 
それなのに、だれも、恐いと言いませんが、
揺れていることに、気づかなければ、
恐くならないのは、当たり前です。
 
まず、気づいて、
次に、自分だけが、揺らす原因でなく、
他人や車も、揺らすので、規則性を把握しにくく、
適応が難しい。
 
振動や揺らぎに、気づかない人は、恐くありませんが、
気づいても、適応できなければ、恐くなります。
 
船酔いや乗り物酔いのように、
単純な規則性でしたら、適応しやすく、
宇宙飛行士の訓練の、
ぐるぐる回りのカプセルや椅子に、乗せられると、
コンピュータの乱数の規則性を、把握できませんから、
吐き気を催す人が、ほとんどです。
 
わたしは、船酔いや乗り物酔いを、
経験したことがないだけでなく、
宇宙飛行士の訓練でも、気分が悪くなりませんでした。
 
吊橋の揺れは、だれでも気づきますが、
桟道の揺れを、
わたし以外の人は、だれも気づきませんでした。
 
吊橋は恐くて、仕方ありませんでしたが、
2度、往復すると、慣れました。
 
桟道の揺れは、都会の歩道橋の揺れよりも、
遥かに小さいのですが、みんなが歩きますし、
対岸を、自動車も通りますので、
規則性を把握できませんでした。
 
そういう時は、平衡感覚の感度を、わざと落とします。
そうすれば、
揺れに気づかない人と、同じになりますので、
恐くなくなります。
 
吊橋も、そう。
みんなと同じくらいに、
鈍感(どんかん)になって置けば、
ちっとも、恐くありません。
 
ガード下の騒音でも、ぐっすりと眠れるのは、
規則性を把握しやすいからか、それとも、
感度を落としたからでしょうか。
 
フィルターを付けるのは、
特定の規則性を、取り除く意味ですが、
一般的な感度を、落とすのは、あほになることです。
 
人間が進化したのは、
測定機能が分化して、賢くなったのか、それとも、
感度が鈍(にぶ)くなり、あほになったのか、
よくわかりません。
 
ソクラテスやパスカルのように、
人間を、賢いと思うのは、あほです。
 
わたしたちは、神様の子孫ですから、
神話や聖書を読めば、あほに決まっていると、
わかりますが、 
数学や科学技術が、レトリックであると、
わからない奴は、共食いから逃れられないだろうって、
お釈迦さんは、推測しました。
 
後藤君や湯川君と、同じ目に、遭(あ)うそうです。
 
吊橋の下の、枯れている木は、
小楢(こなら)でしょう。
カシノナガキクイムシのナラ枯れと、思われます。
 
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精神医療の廃止とコンピュータ

進化論や精神医学などの、 ロマン主義による社会や心の学説を否定して、 精神医療と精神科と精神病院の廃止を、 主張します。

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