大阪市立大学植物園を見たついでに、
生駒山地の、星田(ほしだ)園地という公園の、
ハイキングコースを歩きました。
遊園地のような、280mの吊橋を渡ると、
なかなか恐い。
それなのに、だれも、怖そうな顔をしていませんから、
不思議でした。
吊橋へ行く手前に、森林鉄道風歩道橋というのがあり、
谷の片側に、木製の桟道(さんどう)のように、
張り出しています。
人が歩くと、揺れるだけでなく、
谷の反対側を、自動車が通るたびに、揺れますので、
吊橋と同じくらいに、平衡感覚が変調になり、恐い。
それなのに、だれも、恐いと言いませんが、
揺れていることに、気づかなければ、
恐くならないのは、当たり前です。
まず、気づいて、
次に、自分だけが、揺らす原因でなく、
他人や車も、揺らすので、規則性を把握しにくく、
適応が難しい。
振動や揺らぎに、気づかない人は、恐くありませんが、
気づいても、適応できなければ、恐くなります。
船酔いや乗り物酔いのように、
単純な規則性でしたら、適応しやすく、
宇宙飛行士の訓練の、
ぐるぐる回りのカプセルや椅子に、乗せられると、
コンピュータの乱数の規則性を、把握できませんから、
吐き気を催す人が、ほとんどです。
わたしは、船酔いや乗り物酔いを、
経験したことがないだけでなく、
宇宙飛行士の訓練でも、気分が悪くなりませんでした。
吊橋の揺れは、だれでも気づきますが、
桟道の揺れを、
わたし以外の人は、だれも気づきませんでした。
吊橋は恐くて、仕方ありませんでしたが、
2度、往復すると、慣れました。
桟道の揺れは、都会の歩道橋の揺れよりも、
遥かに小さいのですが、みんなが歩きますし、
対岸を、自動車も通りますので、
規則性を把握できませんでした。
そういう時は、平衡感覚の感度を、わざと落とします。
そうすれば、
揺れに気づかない人と、同じになりますので、
恐くなくなります。
吊橋も、そう。
みんなと同じくらいに、
鈍感(どんかん)になって置けば、
ちっとも、恐くありません。
ガード下の騒音でも、ぐっすりと眠れるのは、
規則性を把握しやすいからか、それとも、
感度を落としたからでしょうか。
フィルターを付けるのは、
特定の規則性を、取り除く意味ですが、
一般的な感度を、落とすのは、あほになることです。
人間が進化したのは、
測定機能が分化して、賢くなったのか、それとも、
感度が鈍(にぶ)くなり、あほになったのか、
よくわかりません。
ソクラテスやパスカルのように、
人間を、賢いと思うのは、あほです。
わたしたちは、神様の子孫ですから、
神話や聖書を読めば、あほに決まっていると、
わかりますが、
数学や科学技術が、レトリックであると、
わからない奴は、共食いから逃れられないだろうって、
お釈迦さんは、推測しました。
後藤君や湯川君と、同じ目に、遭(あ)うそうです。
吊橋の下の、枯れている木は、
小楢(こなら)でしょう。
カシノナガキクイムシのナラ枯れと、思われます。
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